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米ドルを支えるキャリートレード

景気循環による経済的影響は企業にとって不可避なものです。しかし、世界および地域経済に対し長期的な見通しを持つことにより、企業は景気循環のリスクを最小化することができます。デロイトは、世界のビジネスリーダーたちに必要な、マクロ経済、トレンド、地政学的問題に関する明快な分析と考察を発信することにより企業のリスクマネジメントに貢献しています。本連載では、デロイトのエコノミストチームが昨今の世界経済ニュースやトレンドについて解説します。今回は、Deloitte Insightsに連載中のWeekly Global Economic Updateの2025年11月17日週の記事より抜粋して日本語抄訳版としてお届けします。Ira KalishDeloitte Touche Tomatsuチーフエコノミスト経済問題とビジネス戦略に関するデロイトのリーダーの1人。グローバル経済をテーマに企業や貿易団体への講演も多数行っている。これまで47の国々を訪問したKalish氏の解説は、ウォール・ストリート・ジャーナル、エコノミスト、フィナンシャル・タイムズなどからも広く引用されている。ジョンズ・ホプキンス大学国際経済学博士号取得。 ドル高とドル・キャリートレード2025年の大半にわたり、米ドルは主要通貨に対して減価しました。米国の通商政策の予測不能性に対して投資家の不安が高まったことや同盟国への軍事的支援を縮小するのではないかという予想を反映している可能性が一部にあります。さらに、米連邦準備制度理事会(FRB)が金融政策を緩和する可能性が想定される一方で、ほかの中央銀行は慎重な姿勢を保つと見込まれたことも影響しました。しかし直近数カ月、ドルは小幅ながら反発しています。これは、いわゆる「ドル・キャリートレード」によるものと考えられます。今年、米国株は非常に好調で、外国人投資家は高いリターンを期待して米国株を積極的に購入しています。潜在的な為替変動のリスクを抑えるため、多くの投資家が先物を購入することで、ドル安に対するヘッジを行っています。ところが最近では、一部の外国人投資家が日本円やスイスフランといった低金利の外国通貨で資金を借り入れ、それらの通貨をドルに換えて米国株を購入するという取引を行っています。この取引は、米国株の収益がドル安による損失を上回ると見込んでいるためで、最終的には、米国株で得た利益を円やスイスフランに戻し低コストの借り入れを返済しています。この動きがドル買いの圧力となり、直近の足元のドル高を支えています。もっとも、この戦略が有効なのは市場環境が変わらない場合に限られます。つまり、この戦略のリターンを損なう可能性のある事象が存在するということです。例えばAI関連株に急な調整が起これば、期待したリターンが損なわれる可能性があります。さらに、FRBが現在の予想以上のペースで金融緩和を進め、特にほかの中央銀行が慎重姿勢を維持している場合には、ドルの価値に下押し圧力がかかる可能性があります。また、日本銀行が以前の利上げ路線を再びたどれば、円高が進みドル・キャリートレードの魅力は薄れることになります。ドルの支配的な地位と脱ドル化論いずれにせよ、ドル・キャリートレードの存在は米ドルの世界的な役割が依然として大きいことを示唆しています。2024年にドルが下落した際には、ドルの支配的な地位が低下しているという推測を一部にもたらしました。特に、中国政府が人民元保有の魅力を高めようと新たな措置を講じていることも、そうした論調を後押ししました。しかし、ドル・キャリートレードはAIへの投資に対する楽観的な見方に大きく支えられた、米国株式市場の強さに基づいています。このように、最先端技術分野における米国のリーダーシップが、米ドルへの関心を再び高めているのです。さらに、世界金融市場における「脱ドル化」という論調はやや誇張されているようです。ドルは依然として貿易、中央銀行の外貨準備、資産保有において最重要の通貨であり、代替候補はほとんどないのが現状です。中国は人民元の利用拡大を望んでいるものの、中国における資本規制の存在が人民元保有の制約となっていることから、人民元は国際的な役割を限定しています。もう一つの主要通貨はユーロですが、金融・財政面での統合が不十分であることから、ユーロ建ての政府債務については大規模で流動性の高い市場が形成されていません。そのため、ユーロは米ドルと競争することが難しい状況にあります。したがって、たとえドル安が進み、投資家がドル以外の通貨への分散を試みても、米ドルの中心的な役割は当面続くと見込まれます。新興市場資産の台頭一方、近年の世界金融で注目されているのが、新興市場通貨建てや新興市場政府が発行する資産の相対的な魅力です。これまで新興市場債はデフォルトリスクが高いと受け止められてきたことから、米国債に比べて割安で取引されてきました。新興市場は、とりわけコモディティ輸出国の場合、デフォルトリスクやショックへの脆弱性ゆえに相対的に不安定だと見なされてきました。一方、先進国は伝統的により安定し、財政的に規律があり、ショックへの耐性が高いと見なされてきました。しかし、このような認識は変化してきています。世界的な金融危機、そしてパンデミックを経て、先進国政府は多額の債務を抱えるようになりました。米国、日本、多くの西欧諸国では債務対GDP比が歴史的にみて高い水準にあります。さらに、多くの政府は政治的な停滞や人口動態による圧力に直面しており、そうした要因が財政上の課題を一層深刻なものにしています。対照的に、多くの新興市場は経済の基盤を強化してきました。多くの国が中央銀行の独立性の前提のもとで財政政策を引き締め、貿易や国境を超える投資の自由化を進め、経済の多様化を促してきました。結果として、平均的な新興市場国の債務対GDP比率は先進国より低くなっています。そのため、新興市場国債券の利回りプレミアムは縮小してきましたが、依然として残っています。利回りプレミアムが残っているという事実は、投資家にとってのチャンスを示唆しています。投資家が新興市場国の健全性が今後も維持されると考えるのならば、新興市場国債券や通貨のさらなる相対的な価値上昇が予想されるかもしれません。さらに、同債券やその他の資産の魅力が高まれば、これらの国々は低コストで資本を呼び込みやすくなり、その結果として投資が増加し、経済成長につながる可能性があります。※本記事と原文に差異が発生した場合には原文を優先します。Deloitte Global Economist NetworkについてDeloitte Global Economist Networkは、デロイトネットワーク内外の視聴者向けに興味深く示唆に富むコンテンツを発信する多様なエコノミストのグループです。デロイトが有するインダストリーと経済全般に関する専門知識により、複雑な産業ベースの問題に高度な分析と示唆を提供しています。デロイトのトップマネジメントやパートナーを対象に、重要な問題を検討するレポートやThought Leadershipの提供、最新の産業・経済動向にキャッチアップするためのエクゼクティブブリーフィングまで、多岐にわたる活動を行っています。

連載:海外レポートから読み解く世界経済
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食の新潮流

私たちの暮らしにとって不可欠な「食」。国際情勢や気候変動、デジタル化の進展よって、生産や流通、消費、楽しみ方が大きく変わりつつあります。食料自給率が低い日本にとって、安定的な供給を維持することが生命線であり、米価格の値上がりという「令和の米騒動」も話題となりました。今回の特集「食の新潮流」では、農水産業や食品、外食産業をめぐる環境や政策の変化、技術革新を取り上げます。新たなビジネス・公的サービスを展開するためのヒントがあるはずです。

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第3回 サプライチェーンにおける人権リスクと対応

国連の「ビジネスと人権に関する指導原則」(以下、「国連指導原則」)(*1)や日本政府が策定した「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」(以下、「ガイドライン」)(*2)において、企業は「日本国内のみならず世界各地における自社・グループ会社と記載されています。自社の製品・サービスと直接関連する限り、サプライチェーンにおける「負の影響」(人権侵害・そのリスク)についても、「自社の責任」として対応が求められます。取引先等において人権侵害が発生したとしても、「当社と資本関係のない企業であり、当社とは関係がありません」と説明することは、国連指導原則等に則した対応とはなりません。本記事では、法規制などで定められる企業の人権リスクの責任範囲、サプライチェーン上の人権リスクとその影響、実際にサプライチェーン上で起きたグローバル企業における人権侵害の事例、サプライチェーンにおける人権リスクへの対応について解説します。*1ビジネスと人権に関する指導原則:国際連合「保護、尊重及び救済」枠組実施のために(A/HRC/17/31) | 国連広報センター *2責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン|ビジネスと人権に関する行動計画の実施に係る関係府省庁施策推進・連絡会清水 和之デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社パートナー有限責任監査法人トーマツにて上場企業等の法定監査業務に従事した後、DTFAに参画。企業が危機に直面した際の危機管理・危機からの脱出を支援するクライシスマネジメントにおいて、企業の会計・品質偽装・贈収賄等コンプライアンス不正調査案件、企業不正からの改善・再生プロジェクト、クライシスマネジメント対応支援、サプライチェーンリスクマネジメント、人権DDなどに従事。詳細はこちら 大沢 未希デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社シニアコンサルタント 大手総合電機メーカー、総合コンサルティングファームを経て、DTFAに入社。企業の危機管理および危機からの脱出を支援するクライシスマネジメントサービスにおいて、大手企業の危機対応、再発防止策策定・実行、M&A案件におけるビジネス・インテリジェンスサービス、人権課題対応支援などのプロジェクトに従事。 企業の人権リスクの責任範囲グローバルサプライチェーンの広がりに応じて、企業が国内外の自社ビジネスやサプライチェーン全体で人権尊重に取り組むことが求められています。サプライチェーンの末端における児童労働、安い労働力による搾取などといった人権侵害が明るみに出はじめ、企業として責任ある対応を求める声が世界中で高まりました。このような背景を経て、2011年の「国連指導原則」の採択をきっかけとし、各国において人権尊重の取り組みに関する法規制の施行やソフトロー化が急速に進められています。日本においてもこの潮流を受け、2020年には「ビジネスと人権」に関する行動計画(2020-2025)(以下、「行動計画」)が日本政府により策定され、さらにその取り組みの促進のための「ガイドライン」が2022年に策定されました。これらの法規制やガイドラインでは、企業は自社・グループ会社のみならず、サプライチェーン全体における人権リスクを適切に管理・監督する責任があると定めています。例えば「国連指導原則」では、「たとえその影響を助長していない場合であっても、取引関係によって企業の事業、製品またはサービスと直接的につながっている人権への負の影響を防止または軽減するように努める」と記載しており、自社が直接人権に悪影響を及ぼしていない場合であっても、取引先による人権侵害が起こっていれば、防止や軽減に努めることを求めています。2024年7月にEUで発令された「企業持続可能性デューデリジェンス指令(CSDDD)」では、一定の売上高等の要件を充足する企業(以下、「適用企業」)に、自社及び子会社の事業のみならず、「chain of activities」(*3)と定義された上流及び下流の事業活動全般に関する人権及び環境のデューデリジェンスの実施や開示等を義務付けています。2020年に日本で策定された「行動計画」においても、基本的な考え方として「サプライチェーンにおける人権尊重を促進する仕組みの整備」を実行計画に定めており、人権を尊重する企業の責任を促進するための政府の取り組みは国内外のサプライチェーン全体を対象としています。*3DIRECTIVE (EU) 2024/1760 OF THE EUROPEAN PARLIAMENT AND OF THE COUNCIL サプライチェーン上の人権リスクとその影響サプライチェーン上の人権リスクは多岐に渡ります。例えばメーカーでは、材料などの「調達」、「生産」、「販売」、「流通」等といった一連のプロセスによって事業活動が営まれますが、「調達」の段階では、鉱物資源の調達時における紛争地での人権侵害への加担といった人権リスク、「生産」では取引先の下請工場による児童労働や強制労働といった人権リスク等、全ての事業活動のステージにおいて、人が関与している限り、人権侵害が起こる可能性があります。そのため、一つのプロセスだけでなく、事業活動の全てのプロセスにおいて、サプライチェーン全体における人権リスクの可視化が求められます。図1 サプライチェーンにおけるコンプライアンスリスクこれらのサプライチェーン全体を含めた人権リスクの適切な管理・監督を怠ることで、中長期的には、レピュテーションの毀損、訴訟、ストライキといった多様な事象に対処する必要に迫られることになる可能性があります。人権リスクに適切に対応しない場合の経営リスクの例を挙げますと、例えば、サプライチェーン上の人権侵害が明るみに出ることで、不買運動などによる消費者購買の減少、取引先の調達基準を充足できないことによる取引停止、海外諸国において製品の輸入禁止措置を受ける等、売上や仕入への影響をきたす「オペレーションリスク」があります。また、昨今の欧州をはじめとする各国における法規制は、違反した場合多額の罰金を課す等の罰則が規定されている場合が多く、人権侵害を被った被害者などからの訴訟により、多額の賠償金の支払いが課される可能性があります。このような訴訟や訴訟対応コスト、法令違反による課徴金等による大幅なコスト増につながる可能性のある「法務・レピュテーションリスク」があります。さらに、法規制への違反の罰則として企業名を公表されるなどといった措置による企業イメージの悪化、それによる投資家からの評価減による株価の下落、などといった企業価値の毀損につながる「財務リスク」があります。こうした人権リスクを回避し、事業を安定的かつ継続的に維持するため、企業は人権を事業活動上の重要なリスク・ファクターとしてとらえ、その低減に努める必要があります。図2 人権対応への遅れがもたらす重要な経営リスク グローバル企業におけるサプライチェーン上の人権侵害の事例人権を経営リスクとして捉え、サプライチェーンまで含めた人権デューデリジェンスに取り組むグローバル企業は増加傾向にありますが、関係企業や取引先といった一次サプライヤーまでリスク管理対象範囲としている企業は多い一方、その先の二次サプライヤー以降までをも管理対象としている日本企業はまだそれほど多くありません。当社が2023年に実施した「人権サーベイ2023」(上場企業を中心に約100社に対し人権意識や各企業の取り組み状況を調査)では、「サプライチェーンにおいて、どこまでをリスク把握・管理の対象としていますか」といった質問に対して、約9割の企業が2次サプライヤーまで人権リスクを把握できていないと回答しました。図3 サプライチェーンにおけるリスク把握・管理の対象範囲出所:デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社「人権サーベイ2023」ここで実際に、二次サプライヤー以降で発生した人権侵害への責任が、発注元の企業に問われた事例(*4)を紹介します。グローバルに事業を展開するD社、S社、T社、N社は、ライセンス使用権限をタイにあるライセンシー(元請け)に譲渡し、元請けは、下請けの縫製工場(A工場、B工場)に依頼し、キャラクターグッズ等の製造を依頼していました。2019年、複数の下請工場において、ミャンマーからの移民労働者に対し、最低賃金に満たない給与を支払っていたことが判明しました。図4 グローバル企業におけるサプライチェーン上の人権侵害の事例当局はA工場、B工場のオーナーに未払い分の給与を労働者に支払うよう命じ、A工場のオーナーは、約18百万タイバーツ(日本円換算で約79百万円)の補償金を支払いました(図4①)。一方で、B工場のオーナーは、家宅捜索後に事業を閉鎖したため、約3.5百万バーツ(日本円換算で約15.4百万円)分の未払い賃金が支払われない状態となりました。そこで労働者たちは、裁判所に訴訟を起こし、B工場のオーナーに未払い賃金の支払いを求めました。結果、労働者はB工場のオーナーから約1百万バーツ(日本円換算で約4.4百万円)の未払い賃金の支払いを受けることで和解に合意しました(図4②)。しかし、残りの2.5百万バーツ(日本円換算で約11百万円)については未払いのままとなりました。このような状況において、世論から発注元であるトップブランドの各社(D社、S社、T社、N社)においても、サプライチェーン上の労働者に対し未払い賃金の支払い責任を負うべきだといった批判の声があがりました。結果、残りの未払い賃金2.5百万バーツ(日本円換算で約11百万円)については、発注元各社が労働者に対し直接補償を行うこととなりました(図4③)。また、発注元各社は補償対応をより迅速に行うべきであったと、対応への遅れに批判の声が挙げられました。このように、直接契約等の効力が及ばない二次サプライヤー以降であっても、サプライチェーン上で発生した人権侵害への対応や賠償が要求されたり、自社製品やブラント、レピュテーションへ影響したりする、といったリスクがあります。グローバルにビジネスを展開する企業にとって、サプライチェーンの持続性を保つことは不可欠であり、リスクの低減を図るためには、高い管理水準をサプライチェーン上の企業にも適用することが肝要です。*4Thailand: Starbucks, Disney, Tesco & NBC commit to compensate illegally underpaid migrant garment workers in their supply chains - Business & Human Rights Resource Centre サプライチェーンにおける人権リスクへの対応企業はサプライチェーン全体を含めた人権尊重責任を果たすため、サプライチェーンの段階に合わせて人権リスクへの対応を実施していく必要があります。図5 サプライチェーンにおける人権リスクへの対応図5は、サプライチェーンの広がりに応じた人権リスクへの統制について示したものです。本社においては、自社内におけるガバナンスと統制を効かせることで、人権リスクを低減することが可能です。次に、日本や海外にある子会社に対しては、資本関係や株主権限によるガバナンスを利かせることができる範囲であり、人権リスクの発生を抑えていくことが可能です。次にサプライヤーの階層ですが、一次サプライヤーとは契約書を締結するので、契約書に人権条項を入れる形で影響力を高める法的アレンジメントが可能となります。ただし、人権条項の内容によっては努力義務に留まるなど、実効性の確保には相応の努力が必要となります。さらにその先の二次サプライヤーや三次サプライヤー等については、本社と直接的な契約がないため、本社による統制が効かない範囲となります。資本関係や契約書などの直接的な関係性がないため、人権リスク調査などの対応は依頼ベースとなり、「交渉」が必要となります。二次サプライヤー以降など自社グループから遠くなればなるほど、サプライチェーンの統制は難しくなります。そのため、まずは、二次サプライヤー以降も含めたサプライチェーン全体の可視化を行い、それぞれのサプライチェーンにおける潜在的な人権リスクを調査したうえで、自社の事業特性などを踏まえて人権リスクを評価します。二次サプライヤー以降に対するリスク調査は、上記の通り依頼ベースとなるため、円滑なコミュニケーションを図ることができる、一次サプライヤーの購買担当者を窓口にするなどといった工夫が必要となります。また、リスク評価の結果、二次サプライヤーにおいて高リスクの人権リスクが発見された場合は、オンサイトで人権デューデリジェンスを実施する等の対応を取ることが推奨されます。特に、それらの取引先が海外にある場合、対象となる従業員等は社会的に脆弱な立場にあるステークホルダーである可能性があり、より深刻な負の影響を受けやすいため、特別な注意を払う必要があります。オンサイトで人権デューデリジェンスを実施する際は、現地言語が通じる人員によるインタビューの実施、現地従業員がどのような人権侵害を受けたか判断するため、現地法律に対する理解が重要となります。これらに自社で対応することが難しい場合は、外部専門家の活用も選択肢となります。 おわりに欧米をはじめとする世界的な法規制や社会的要請が強まる中、サプライチェーンにおける人権侵害リスクを防止・軽減する取り組みは、企業の社会的責任を果たすために不可欠です。「人権」を重大な経営リスクと捉え、企業が人権を尊重した経営を実践することは、サプライチェーンに広がる多様な人権リスクを予防することにつながります。二次サプライヤー等自社グループから遠い場所から人権侵害が発生したとしても、人権侵害は自社製品/商品/サービスやブランドに直接的な影響があります。よって、自社のサプライチェーンを可視化し、自社の統制が直接効かない二次サプライヤー以降のサプライチェーンに対しても人権デューデリジェンスを実施していくことが求められます。「ビジネスと人権」シリーズ最終回は、人権を尊重する経営のためには、具体的にどのような取り組みを行うべきかを解説します。<<第2回 日本における「ビジネスと人権」の動向はこちらから第4回 人権を尊重する経営のための取り組みに続く>>関連書籍サプライチェーンにおける人権リスク対応の実務ー「ビジネスと人権」の視点で捉える、リスクの可視化とデュー・ディリジェンスの実践

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東南アジアは米中経済戦争の中心に

景気循環による経済的影響は企業にとって不可避なものです。しかし、世界および地域経済に対し長期的な見通しを持つことにより、企業は景気循環のリスクを最小化することができます。デロイトは、世界のビジネスリーダーたちに必要な、マクロ経済、トレンド、地政学的問題に関する明快な分析と考察を発信することにより企業のリスクマネジメントに貢献しています。本連載では、デロイトのエコノミストチームが昨今の世界経済ニュースやトレンドについて解説します。今回は、Deloitte Insightsに連載中のWeekly Global Economic Updateの2025年11月3日週の記事より抜粋して日本語抄訳版としてお届けします。Ira KalishDeloitte Touche Tomatsuチーフエコノミスト経済問題とビジネス戦略に関するデロイトのリーダーの1人。グローバル経済をテーマに企業や貿易団体への講演も多数行っている。これまで47の国々を訪問したKalish氏の解説は、ウォール・ストリート・ジャーナル、エコノミスト、フィナンシャル・タイムズなどからも広く引用されている。ジョンズ・ホプキンス大学国際経済学博士号取得。 関税によって揺らぐ東南アジア諸国と米国の関係性東南アジア諸国の政府の間では、かつて米国との緊密な関係が経済的・政治的利益をもたらすという考えがありました。米国は中国からの「リスク回避」として、自国企業に対中投資を削減し、東南アジアへの投資を増加させるように促しており、その甲斐もあって東南アジア諸国は米国への輸出機会を拡大していました。また、東南アジア諸国は、米国が主導する環太平洋諸国の自由貿易協定(TPP)に関心を持っていました。しかし2017年、当時新たに選出されたトランプ米国大統領がTPPから離脱したことで状況が変わり始めました。これを受け、東南アジア諸国は中国が推進する地域自由貿易協定(RCEP)に活路を見出しましたが、米国への輸出や政治的・軍事的な協力関係を維持することも引き続き重要視されていました。しかし今年に入って、米国が東南アジア諸国に対して歴史的に最も重い水準の関税を提案したことで、東南アジア諸国にとって米国市場へのアクセスがこれまでほど容易ではなくなったとの認識が広がっています。一方で、中国が東南アジア域内で存在感を示し、貿易関係の拡大を目論んでいます。東南アジアの主要組織はASEAN(東南アジア諸国連合)で、貧困国(ラオス、カンボジア)から中所得国(マレーシア、タイ)、富裕国(シンガポール)に至る10か国で構成されています。ASEAN全体の人口は約6億8,000万人で、世界最大の経済圏の1つです。さらに、この地域は近年力強い経済成長を遂げ、生活水準の大幅な向上や大規模な生産能力の発展もみられます。中国と米国がASEANに接近するのも当然のことです。ASEAN首脳会議に出席するためにマレーシアを訪問したトランプ大統領は、「東南アジア諸国とアメリカは100%ともにあり、今後も何世代に渡り強力なパートナーであり続ける」と述べました。しかし、この発言の直前の解放記念日には、一部のASEAN加盟国に対する40%を超える関税を発表していました。関税は交渉により約20%まで削減されましたが、依然として影響は顕著であり、貿易構造やサプライチェーン設計に相当な変化をもたらす可能性があります。シンガポールのローレンス・ウォン首相は、「関税が東南アジアにおける米国の地位に影響を与えたことに疑いの余地はない」と述べました。一方で、米国はマレーシア、タイとレアアース協定を締結しています。東南アジア諸国に接近する中国同時に、中国は東南アジア諸国との関係強化を模索しています。ASEAN首脳会議では、DXや持続可能エネルギー、中小企業の貿易機会に関する「ASEAN-中国の自由貿易協定」が締結されました。署名にあたり、中国の首相は「自国優先主義や保護主義が経済や貿易の秩序を乱し、外部勢力が東南アジア諸国に干渉し、多くの国が不当な高関税にさらされている」と警戒感を示しました。現在、ASEAN諸国は中国から大量に輸入し、米国に大量に輸出しています。しかし、米国との貿易関係が不安定化する中で、ASEAN企業は中国を中心とした米国以外の地域に輸出機会を求めざるを得ない状況になるでしょう。ASEANが中国に傾いていくと、米国との政治的・軍事的協力に対する各国政府の姿勢にも影響が表れる可能性があります。域外依存からの脱却を目指すASEANクアラルンプールで開催されたASEAN首脳会議では、ASEANの域内統合を強化することが合意されました。具体的には、現行のASEAN自由貿易協定の「物品貿易に関する協定」の改正により、税関手続きが改善され、関税非課税品目が増加しました。ASEANは常に経済統合を目標としてきましたが、障害がしばしば発生しています。ASEAN地域では域外との貿易が多く、現在の域内貿易は全体の21%に過ぎません。しかし、地域がより豊かになるにつれて、域内市場を発展させる機会が増えています。これは、域外への依存低減にもつながります。ASEANの指導者の一人は、「高まる保護主義やサプライチェーンの変遷は、強靭さが「適応力」にかかっていることを改めて認識させられる」と述べました。※本記事と原文に差異が発生した場合には原文を優先します。Deloitte Global Economist NetworkについてDeloitte Global Economist Networkは、デロイトネットワーク内外の視聴者向けに興味深く示唆に富むコンテンツを発信する多様なエコノミストのグループです。デロイトが有するインダストリーと経済全般に関する専門知識により、複雑な産業ベースの問題に高度な分析と示唆を提供しています。デロイトのトップマネジメントやパートナーを対象に、重要な問題を検討するレポートやThought Leadershipの提供、最新の産業・経済動向にキャッチアップするためのエクゼクティブブリーフィングまで、多岐にわたる活動を行っています。

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AIと人間の協働がもたらすビジネス変革

AIの能力は飛躍的に向上しています。以前、創造的な事は人間にしかできないと言われていましたが、生成AIが絵も描くようになりました。生成AIの用途のトップは「セラピー/話し相手」という調査結果もあり、相談や共感といった人間的なコミュニケーションの領域にもAIが活用されています(※1)。デロイト トーマツ ディープスクエア株式会社(以下DTDS)代表の小林(寛)とCTOの小林(範)が、AIと人間が協働する将来を展望し、人間とAIの役割分担や意思決定の在り方について考察します。AIと人間の役割はどのように変化する?ー2025年はAIエージェント元年と呼ばれているなど、技術の進展が進んでいます。ビジネスにおいて、AIと人間の役割はどのように変化していくと考えますか。小林(寛)このテーマは議論が尽きません。責任を持って意思決定を行うことはやはり人間にしかできません。今年、三井住友フィナンシャルグループやキリンホールディングスなどがAI社長、AI役員を導入しました(※2)。経営者の発言や思考を学習したAIが会議で意見を述べるようにもなっています。AIは膨大なデータを学習し休みなく分析できますから、AI社長やAI役員が有益な助言を行い、経営の意思決定が迅速になるという効果を得られることが期待されているでしょう。とはいえ、どのシナリオを選び、どの方向に進むか判断するのは人間です。AIは助言者であり、人間が意思決定者である——この関係が今後の基本形になるでしょう。小林(範)AIには思想や好みはありません。AIは公平にデータを見ますが、その公平さが必ずしも社会的な正しさと同じになるとは限りません。例えば、人事領域でAIを使った場合、AIが過去の実績だけを基に評価すると、出産や育児によるブランクがなかった人物を生産性が高いと判断する可能性があります。AIの分析に基づいて採用や昇格を行うと、結果的にジェンダーやライフイベントに基づく多様性を損なう可能性もあります。「人間がハンドルを握って走るAI車」に求められるものーAIは方向性を決めないが、業務遂行能力が高く推進力はある。ハンドルは人間が握ってエンジンにAIを積んで走る車のようなイメージですね。小林(範)車のハンドルを握る人には運転の知識や人間としての倫理観が必要です。それと同様に、AIを活用して意思決定をする人間には、AIの基礎知識や倫理や法律の知見が求められます。小林(寛)車に運転免許証があるように、これからの時代、ビジネスを遂行するためにAIに関連した資格を取得するのは有効でしょう。AIに関する代表的な資格試験の1つが一般社団法人日本ディープラーニング協会(JDLA)の検定試験で、DTDSは資格認定プログラム事業者です(※3)。JDLAのG検定取得を管理職の昇格条件にすると決めた大手商社もあり、このような動きは広がるだろうと予想しています。AIリテラシーを持つことが新たなビジネス基礎力になりつつあります。AIエージェントのインパクトーAIエージェントが注目されています。今後、ビジネスにどのようなインパクトを与えるのでしょうか。小林(範)従来の生成AIは、チャットで質問に答える“応答型”の存在でした。一方、AIエージェントは自律的に行動し、具体的なタスクを実行できるのが特徴です。RPAと比べても、AIエージェントは自然言語で操作することができ、変更や調整も柔軟です。業務の自動化や省力化が難しかった知的業務の領域にもAIが入り込む可能性が高まっています。小林(寛)AIエージェントの登場によって、業務アプリケーションのあり方が変わってくるでしょう。これまでは人が複数のアプリケーションにデータを入力して業務を処理していました。しかし、AIエージェントが直接データを扱うようになれば、人間はもはやUI(接点)を操作する必要がなくなります。新しいシステムの使い方を覚える負担が減り、「機能が動けばよい」というシンプルな世界が広がるでしょう。小林(範)ただし、UIの利用機会は減る一方で、UX(体験)のデザインは今まで以上に重要になりそうです。ユーザが負担なく自然にAIエージェントとやり取りでき、AIエージェントがミスを起こさず確実に目的を達成できる、そのための「人とAIの対話設計」を担う人材は活躍できます。小林(寛)どの企業にもある共通する定型業務は、汎用的なAIエージェントが最適な業務プロセスで遂行すれ良いのかもしれません。一方で、企業の競争力を左右する領域では、自社のデータとプロセスを活かした独自のAIエージェント開発が鍵になります。小林(範)AIの源泉となるのはデータです。同じ業務でも、データが違えばアウトプットも異なります。生成AIの活用においてRAG(検索拡張生成)を通じて自社独自データを活用することは既に一般化していますが、「どれだけ良質なデータを持っているか」も差別化のポイントになりそうです。※1:Harvard Business Review「この1年で生成AIの使われ方はどう変化したか」(2025年6月)https://dhbr.diamond.jp/articles/-/11922※2 三井住友銀行「『AI-CEO』の開発を通じた AI 活用の加速について」(2025年8月)https://www.smbc.co.jp/news/pdf/j20250805_01.pdfキリンホールディングス「『KIRIN Digital Vision2035』に基づき、AI役員を導入」(2025年8月)https://www.kirinholdings.com/jp/newsroom/release/2025/0804_02.html※3 一般社団法人日本ディープラーニング協会 資格試験についてhttps://www.jdla.org/certificate/※4 Geeky Gadgets “Microsoft CEO’s Shocking Prediction : AI Agents Will Replace Apps and SaaS Platforms”(2024年12月)https://www.geeky-gadgets.com/ai-agents-replacing-traditional-software/ 小林 寛幸デロイト トーマツ ディープスクエア株式会社代表取締役社長新卒入社時より会計・IR業務およびコンサルティング業務に従事。2012年に株式会社Present Square(現DTDS)を創業後、経営、事業企画およびAIを含む教育・コンサルティングに従事。2020年より、日本ディープラーニング協会(JDLA)認定の AI 講座を法人・個人に提供を開始する。 小林範久デロイト トーマツ ディープスクエア株式会社代表取締役/CTO新卒入社時より大手SIerにてエンジニアとして、POSや受発注など大量データを扱う基幹システムの開発に従事。 その後、株式会社Present Square(現DTDS)の技術責任者として、データ分析・AIサービスの開発およびAI人材育成に携わる。

連載:AIが導くビジネス変革
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海洋国家日本から世界へ、イノベーションでブルーエコノミーの未来に挑む

海洋資源の持続可能な利用と環境保護を両立するブルーエコノミー。海に囲まれた島国日本にとっては、新たなビジネスフロンティアになるという期待が高まっています。伝統的な業界である水産業から最新の環境保全まで、ブルーエコノミーに革新をもたらすスタートアップが世界に挑もうとしています。身近な海とイノベーションが交差する未来を展望します。水産業や海の生物多様性に取り組む注目のスタートアップ日本は、国土面積は世界61位の島国ですが、排他的経済水域の面積では世界6位となる海洋国家です。さらに、日本は大深度水域を広く保有しているため、排他的経済水域の体積では世界4位に浮上します。日本にとって、食料、資源・エネルギーの確保、地球環境の維持、物資の輸送等、海は大きな役割を果たしています。一方で、気候変動による生態系の変化、プラスチックごみなどによる海洋汚染、世界的な人口増と乱獲などによる水産資源の減少など、海の環境は多面的な危機に直面しています。図 1:排他的経済水域の海洋体積データソース:笹川平和財団(*1)近年、海洋の生態系や環境の保護・維持・回復によって、経済成長や生活の向上を促進する、ブルーエコノミーへの関心が高まっています。漁業や海運などの経済活動に関わる価値創出に留まらず、生物多様性、循環型経済(サーキュラーエコノミー)、藻場やマングローブでのCO2吸収(ブル―カーボン)、経済安全保障などとも深い関係があります。海洋国家の日本はブルーエコノミーとの親和性が高く、海は身近なビジネスフロンティアになり得るポテンシャルを持っています。図 2 ブルーエコノミーの概念図デロイト トーマツ戦略研究所作成ブルーエコノミーのステークホルダーは、企業、自治体、研究機関など多岐にわたります。どの主体にとっても、革新的なビジネスモデルや技術を持つスタートアップとのオープンイノベーションは重要な要素の一つとなるでしょう。本稿では世界市場を見据えて事業を展開するスタートアップ2社を紹介します。イノカの海の生き物が好きという熱意、ベンナーズの水産系企業3代目としての思いなど、熱意を持った起業家が社会と環境にインパクトをもたらすことが期待されます。(掲載は企業名50音順)【株式会社イノカ】海の生物多様性を守るため自然の環境を再現する「環境移送技術」を開発 竹内 四季氏 株式会社イノカ COO東京大学在学中に障がい者雇用に関する先進企業事例を研究し、社会起業家を志す。人材系メガベンチャーでの営業経験を経て、2020年2月にイノカに合流し、COOとして事業開発・パブリックリレーションズ全般を管掌。 イノカは、代表の高倉氏が、趣味だったアクアリウム(水槽で水生生物を飼育し鑑賞すること)から社会に価値を生み出すことを目的に2019年に創業しました。イノカCOOの竹内氏は、「ソーシャルビジネスに携わりたいと考えていましたが、大学のサークル仲間だった高倉から最初に話を聞いた時は、ずいぶんニッチな領域だと思いました。しかし、自然資本を経済活動に組み込むというアイデアに魅力を感じたのです」と創業当時を振り返ります。高度な生態系飼育技術を持つCAO(Chief Aquarium Officer)の増田氏を筆頭に、自然の海の水温・明るさ・水流・水質・生物などの複雑な要素をパラメーターとしてIoTや機械学習などのテクノロジーを使って制御し、水槽の中で自然の環境を再現する独自の「環境移送技術」を開発しています。飼育が容易ではないサンゴを、人工海水を使った閉鎖的な環境で、時期を管理して産卵させることにも成功しました。竹内氏は技術の事業化を担っています。「初めは我々の技術をどう役立てられるか手探りでしたが、生物多様性やネイチャーポジティブへの関心の高まりが追い風になりました。事業化に取り組む企業が増えている実感があります」といいます。自然の海では実験や研究に手間やコストがかかるうえに地域、天候など諸条件が不安定ですが、環境移送技術を使った人工的な環境は、安定して比較検証を行えるメリットがあります。資生堂との提携で日焼け止めなどの成分がサンゴ礁に与える影響の研究、JFEスチールの鉄鋼製造の副産物である鉄鋼スラグを使ったサンゴ再生の研究などの事例が生まれており、共同研究が売上の7割を占めます。2022年にはデロイト トーマツ コンサルティングともアライアンスを締結し、ブルーエコノミーについてのセミナーを行うなど様々な活動を行っています(*1)。テクノロジーのフィールドはサンゴ礁に留まらず、藻場の再生、汽水湖(海水と淡水が混ざり合った湖)に生息するアサリ、マングローブ林など、幅広い水場の生態系へと広がっています。日本中のアクアリストが集うイベントも開催し、様々な生き物の生態に関する知見が集まるエコシステムの構築にも取り組んでいます。図 3 イノカのラボ風景写真提供:イノカ海洋大国である日本発で国際的なルールメイキングを推進したい気候変動、海洋汚染、開発などにより、サンゴの死滅や藻場の減少などの問題が深刻化しています。企業活動に関連して海にネガティブな影響を与える物質には、事業所からの排水、農薬・洗剤・船の塗装剤などの化学物質、日焼け止めや化粧品、洗濯した衣類からも出るマイクロプラスチックなど数多くあります。環境への負担を軽減するための具体的なアクションにつなげるためには、官民を挙げた取り組みが必要となります。イノカは2024年9月に企業、自治体、アカデミアが参画するプロジェクト「瀬戸内渚フォーラム」を立ち上げ、産官学共同で瀬戸内海の環境保全や海洋関係ビジネスの創出を目指しています。さらに、グローバルではGHG(温室効果ガス)における取り組みと同様、国際標準となる枠組みの構築に関する議論が活発化しています。竹内氏は「アジアは海洋生物多様性のホットスポットです。日本は海洋大国ですし、フィリピン、インドネシア、マレーシアなどにはコーラルトライアングルと呼ばれる生物多様性の宝庫の海域があります。GHGのルールメイキングは欧州が牽引していますが、海の生物多様性に関しては、日本発となるグローバルスタンダードを発信したいのです」とビジョンを示します。イノカは自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)」のTNFDデータカタリストに参画しているほか、竹内氏は環境省ISO/TC331(生物多様性の標準化)審議委員会の委員も務めています。「グローバル標準が確立すれば、『この商品は海に優しいから買おう』など、消費者の行動変容につながる可能性もあります。企業、消費者双方のポジティブな選択につながるオープンイノベーションを実現します」と力強く語りました。またイノカは、大阪・関西万博で、8/4~8/17にブルーオーシャン・ドームでサンゴの生態調査に関するシチズンサイエンス(市民の研究活動参加)プログラムの実施、8/5~8/11に大阪ヘルスケアパビリオンでサンゴ礁の再生に関する関西大学との共同研究の展示を行う予定です。【ベンナーズ】「魚を美味しく加工して食べる」技術で魚食普及に取り組み世界を目指す 井口 剛志氏 株式会社ベンナーズ 代表取締役社長福岡の高校を中退しアメリカの高校へ編入。ボストン大学で起業学(アントレプレナーシップ)を専攻。日本の食と漁業を守ることをビジョンとし、2018年4月に福岡で株式会社ベンナーズを創業。 井口氏の祖父母は水産加工業、父親が水産卸業を経営しており、水産業は身近な事業であったとともに、消費者の魚離れ、漁業者の高齢化と担い手不足、漁獲量の減少など多くの課題を抱えていることも間近に見てきました。祖母からは「水産業に関わるな」とも言われていたそうです。しかし、ボストン大学の起業学で「起業とは社会の課題を解決すること。課題が大きいほど社会に与えるインパクトが大きい」と学び、複雑な問題が絡み合っている水産業で起業することを決めました。最初は、複雑でブラックボックス化している水産業の流通に注目し、漁業者と購入者をマッチングするB2Bのプラットフォームの提供を行いました。しかし新しい仕組みが受け入れにくかったことに加えコロナ禍で売り上げが9割減少する事態に直面しました。スーパーのバイヤーなどから「末端の消費者が魚を食べなくなっている」という声を聞いた経験も踏まえ、需要を創出するための新規事業に乗り出します。2021年3月にB2Cで魚のミールパックを定額配送するEC事業「フィシュル!」を開始しました。フィシュル!事業の入り口となった特徴の一つは「未利用魚」の提供です。水揚げ量が少ない、傷があるなどの理由で流通しない魚を指し、通常は水揚げ量の3~4割が破棄されており消費者の目に触れません。フィシュル!は、未利用魚を漁師や市場などから買い付け、新鮮な状態で工場にて加工し下味をつけ、ミールパックの状態でネット販売します。あまり知られていない美味しい魚を提供できる一方で、食材としては、狙って捕るものではなく安定しない、まとまった量がない、加工にコストがかかるなどの課題もあります。未利用魚の利用は、限られた水産資源の有効活用、廃棄ロスの削減、漁業者の収入増などの社会的意義が大きく、メディアの注目も集めました。フィシュル!のサブスクリプション会員は順調に増加し、2025年6月時点で累計5万5千人に達しました。福岡の自社工場以外に、委託工場が全国13カ所にあり、各地方の様々な水産物を提供する仕組みを整えています。現在は、未利用魚を積極的に利用しつつも、「全国の美味しい魚を美味しく加工する」という、総合的なコンセプトのもとにサービスを展開しています。バラエティに富んだ味付け、手軽さ、SNSでのアレンジレシピの発信など商品企画やマーケティングに工夫を凝らしています。大手企業との提携や海外事業など、新たな事業の柱を育成食品メーカー、外食、商社など大手企業との連携も進めています。株式会社Mizkanの味ぽん発売60周年を記念したコラボ商品の企画、株式会社ピエトロが運営するレストランで未利用魚を使ったメニューの提供、企業との連携による学生向けの食育の実施などが実現しています。企業がSDGsを推進する中で、ベンナーズの取り組みに関心が高まっており、これらの実績につながっているといいます。さらに、2024年4月には、京都に直営の海鮮丼専門店「玄海丼」をオープンしました。井口氏は、海外を訪れた際に外食市場での日本食人気の高さに感銘を受け、海外に新たな商機があると考えました。最初の出店にインバウンドが多い京都を選び、自社の商品とサプライチェーンを活かしつつ効率的なオペレーションが可能なメニューとして海鮮丼に特化しました。狙い通り外食産業としては利益率が高い事業となっており、既に京都で2店目を開設し、2025年中に大阪と東京に出店する予定です。2026年以降には海外進出を計画しています。井口氏は「日本には、世界トップクラスの魚の加工や管理、低温物流などの技術があります。海外には水産業が成長産業となっている国も多く、外食だけではなく魚を美味しく食べるための技術もトータルに展開していきたい。これまで新鮮な魚を食べていなかった人の食生活が変わるかもしれません。世界に目を向けるとポテンシャルは大きいのです」と言います。魚食文化を世界へ広めることを目指し、準備を進めています。<参考>*1笹川平和財団 Ocean Newsletter 123号「わが国の200海里水域の体積は?」(2005年9月)https://www.spf.org/opri/newsletter/123_3.html*2イノカと デロイト トーマツ、海洋資源の保全と活用を両立させる「ブルーエコノミー」推進に向けたアライアンスを締結(2022年7月)https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000032.000047217.htmlTMIP「Blue Economyサークル勉強会」開催(2023年4月)https://www.tmip.jp/ja/report/3669

連載:社会課題の解決に挑むスタートアップ
研究員の視点 >>

労働時間規制緩和のポイント~新しい働き方への対応を

自由民主党総裁の高市早苗氏を首班とした新内閣が発足し、新たな政策テーマが相次ぎ打ち出されている。労働分野で注目すべきは「労働時間規制の緩和の検討」だろう。本稿では、2019年施行の働き方改革関連法によって、正社員の労働時間がどのように変化したのかまず確認したうえで、規制緩和のポイントを整理する。そこから見えてくるのは、人口が減少する日本で潜在成長率を引き上げるには、労働時間の規制緩和は避けて通れないテーマではないかということだ。労働基準法(第32条)では、労働時間は1日8時間、1週間に40時間が原則だ。時間外労働(残業)は労使協定があれば、認められる。働き方改革関連法はそれまで事実上の青天井だった労働時間に罰則付きの上限を設け、最大でも年720時間とした。一部の業種を除き、大企業は2019年4月から施行、中小企業は1年遅れで2020年4月から施行した。この規制強化によって、月間の就業時間に変化が生じたのかどうかを総務省の労働力調査を用いて調べた。2024年度の正社員の平均月間就業時間は174.9時間で、働き方改革法施行前の2018年度から9.4時間減った。次に就業時間の分布を見ていく。労働力調査によると、2024年度の正社員の平均月間就業日数は20.5日であり、1日の法定労働時間は原則8時間であることを踏まえて、下の表の通り月141~160時間をほぼ残業がないものとみなした。労働力調査によると、「ほぼ残業がない」(月間平均就業時間が141~160時間)正社員の割合は29%で、2018年から8ポイント増えた。2番目に多かったのが月の残業時間が1~20時間程度(同161~180時間)の就業者で24%だ。「ほぼ残業なし」から月の残業時間が合計20時間程度までが全体の半分以上を占めた。81時間以上残業していると考えられる正社員の割合は5%で3ポイント減った(図①)(図①)正社員(男女計)の月間平均就業時間男性でも増えた「残業なし」長時間労働は特に男性で多いと言われてきた。その男性でも「ほぼ残業なし」の割合が増えている。労働力調査によると、2024年度の15~64歳の男性の月間平均就業時間141~160時間の割合は25%で、2018年度から7ポイント増えた。働き盛りの年齢層でも詳しく見ていこう。2018年度は25~29歳(図②)、30~34歳で月161~180時間の割合が最も多く、35~39歳、40~44歳、45~49歳では月181~200時間が最も多かった。これらの年代は2024年度になると、いずれも月141~160時間の割合が最も高くなった。(図②)25~29歳男性就業者の平均月間就業時間しかし、もっと働きたいと考える若者が一定数存在することが指摘されている。厚生労働省が外部委託して実施した2023年の「労働者の働き方・ニーズに関する調査」によれば、今後、「仕事の時間をどのように変えたいか」という質問に「増やしたい」、「少し増やしたい」と答えた割合を年代別に見ると20代が最も高く、20.8%だった(※1)。また、2025年10月の報道機関による世論調査でも労働時間規制の緩和に賛成する割合は高かった(※2)。一部の若手社員が「ホワイトすぎるから退職する」といった話があるほどだ。ここからは日本の潜在成長率と労働時間の関係について論じていく。潜在成長率はその国の経済の供給力であり、資本投入、労働投入(労働時間×就業者数)、全要素生産性(注)が主な要素だ。労働時間に着目して1981年度以降の潜在成長率に対する前年比寄与度を見ると、1980年代後半から1990年代にかけてマイナス寄与度が大きい(図③)。この間の大きな出来事として、労働基準法の1985年改正により、法定労働時間は週44時間から週40時間に短縮された。2010年代になると女性や高齢者の就業者が増加し、潜在成長率を押し上げたものの、労働時間のマイナス寄与度は再び拡大した。(注)全要素生産性は、生産性を測定する方法の一つで、資本と労働投入量に対する総生産量の増加を示す。技術進歩や効率性の向上を反映するもの。(図③)日本の潜在成長率の寄与度分解1980年代後半以降の労働時間(日数)の減少は、日本経済の長期停滞の要因の一つになったとの分析がある。林文夫名誉教授(政策研究大学院大学)とエドワード・プレスコット教授(米アリゾナ州立大学)が2002年に公表した論文「The 1990s in Japan: A lost decade」(※3)で、日本の潜在成長率の低下は、バブル崩壊に伴う不良債権問題と金融システムの機能不全ではなく、労働投入の減少と全要素生産性(TFP)上昇率の低下が主要因と論じた。この論文によって生産性が脚光を浴び、政策面でもいかに生産性を上げるかがメインイシューとなってきた。 (図④)2000~2009年の潜在成長率の寄与度分解(図⑤)2010~2019年の潜在成長率の寄与度分解(図⑥)2020年以降の潜在成長率の寄与度分解生産性の改善は引き続き重要な問題であるものの、上の図(④~⑥)の通り米欧の主要先進国と比較すると、日本のみ労働投入がマイナス寄与となっている。潜在成長率を上げるためにも労働時間規制の在り方を検討するというのは時宜にかなっているのではないだろうか。減らない「過労死」には注意ただ、労働時間規制の議論で注意すべきなのは過労死が減っていないという点だ。厚生労働省が公表した2024年度の「過労死等の労災補償状況」(※4)によれば、支給決定件数は1304件で前年度に比べ196件増えた。脳・心臓疾患による支給決定件数が多いのは、道路貨物運送業だ。精神障害による自殺での支給決定件数は医療業や建設業で多い。いずれも人手不足によって長時間労働になりがちな業種だ。心身に影響を及ぼすような長時間労働の是正は不可欠であり、高市政権も「心身の健康維持と従業者の選択を前提にした労働時間規制の緩和の検討」(上野賢一郎厚労大臣、※5)であることを明確にしている。より働きたいという意欲に応えつつ、長時間労働を強いる環境にはしないということだろう。 リモートワークに対応する「みなし労働時間制」の導入が一案規制緩和に向けた議論でポイントになるのは、働き方の変化にどう対応するかだ。コロナ禍によって、リモートワークが普及した。最近では1週間のうち、3日は出社して残り2日は在宅で仕事をするといったハイブリッド型の働き方も増えている。このような柔軟な働き方は労働者のニーズもある一方、企業側からすると在宅時の労働時間を厳密に把握することは難しい。このため、リモートワークの際には会社が定めた終業時間後の勤務を認めないといった対応を取る企業もある。こうした課題を解決するには、リモートワークを対象にした新しい「みなし労働時間制」を導入することが一案だ。みなし労働時間制には「事業場外みなし労働時間制」、「専門業務型裁量労働制」、「企画業務型裁量労働制」の三つがある。「事業外みなし労働時間制」は労働時間の算定が困難なときが対象で、裁量労働制は業務遂行の手段や時間配分などに使用者が具体的な指示をしない業務に従事する労働者が対象だ。現行制度はリモートワーク全般を対象にすることは難しいため、新たな枠組みが必要と考える。みなし労働時間制によって、日中に家事などで中抜けした分も含めて就業時間後に仕事をするといった柔軟な働き方ができるようになる。この際に心身の健康を維持する目的で、終業から始業まで一定時間空ける「インターバル規制」も合わせて検討すべきテーマになるのではないか。もう一つのポイントとして、労働時間規制を緩和する際、職務(ジョブ)の内容が明確であることが条件だと考える。職務が無限定の伝統的な日本型の働き方は長時間労働になりやすい。結果的に長く働く人が評価され、希望しない人も長時間労働せざるを得ない環境に陥るのは「従業者の選択」という前提から外れてしまう。長く勤務することが半ば目的化すれば、生産性の面からもプラスにはならないだろう。働き方とライフスタイルは多様化しており、画一的な規制には限界がある点も見逃せない。使用者と労働者が対等に話し合って決める労使自治による当事者間の合意によってこそ、真の働き方改革が進むのではないだろうか。<参考資料>(※1)厚生労働省 新しい時代の働き方に関する研究会 第15回資料「参考資料」86ページ(https://www.mhlw.go.jp/content/11201250/001170685.pdf)(※2)日本経済新聞社「労働時間規制の緩和、賛成64%・反対24%日経世論調査」(2025年10月27日)(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA24CMC0U5A021C2000000/)(※3)Review of Economic Dynamics Volume 5, Issue 1, January 2002, Pages 206-235「The 1990s in Japan: A Lost Decade」(https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S1094202501901498)(※4)厚生労働省 令和6年度「過労死等の労災補償状況」(https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_59039.html)(※5)厚生労働省 上野大臣就任挨拶概要(令和7年10月22日)(https://www.mhlw.go.jp/stf/kaiken/daijin/0000194708_00860.html)

FA topics

ヒトメミライ 一目未来

「バズるのは良いが、炎上はごめんだ」。投稿ひとつで人生が変わる時代、SNSのクリエイターたちは心の中でそうつぶやく。AIはこの“火事場”にどこまで予防力を発揮できるのだろう。ふと考えてみた。▼現状、AIはすでに“炎上の予兆”を嗅ぎ分ける鼻を手に入れつつある。感情分析は投稿文を読み取り、ネガティブな反応が集まる確率を算出し、どの言葉が危険因子かを可視化する。たとえば「不適切と誤解されやすい言い回し」や「特定コミュニティへの配慮不足」を自動検知し、「そこ、ちょっと角が立ちますよ」と事前にアラートを出してくれる。いわば“公開前の添削係”がいる状態だ。▼さらに進化すると、AIがユーザーごとの受け取り方の差異を予測するようになるだろう。年齢層、地域、価値観の違いで「同じ文章でも火種になる相手」が変わる。将来のAIはそれらを踏まえ、「あなたのこの一文、特定クラスタに刺さりすぎます。表現をゆるめますか?」と、ワインの渋みを調整するように文章を調整してくれるだろう。▼極めつけはシミュレーション技術だ。投稿前に「もし公開したら、拡散経路はこうで、反応はこの分布で、批判が集中するのはここです」と“炎上の未来”を先取りできる。もはやSNS投稿前のA/Bテストになるだろう。▼結局のところ、AIは炎上そのものをゼロにはできないが、“意図しない炎上”をかなり減らすことが可能だ。つまり、私たちはより自由かつ安心して表現できる世界に近づくのかもしれない。▼火の用心。未来のSNSではAIがいち早く炎上を予防してくれる。(デロイト トーマツ ディープスクエア株式会社 代表取締役社長 小林 寛幸)
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