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米国の経済成長は予想以上に堅調

景気循環による経済的影響は企業にとって不可避なものです。しかし、世界および地域経済に対し長期的な見通しを持つことにより、企業は景気循環のリスクを最小化することができます。デロイトは、世界のビジネスリーダーたちに必要な、マクロ経済、トレンド、地政学的問題に関する明快な分析と考察を発信することにより企業のリスクマネジメントに貢献しています。本連載では、デロイトのエコノミストチームが昨今の世界経済ニュースやトレンドについて解説します。今回は、Deloitte Insightsに連載中のWeekly Global Economic Updateの2025年9月29日週の記事より抜粋して日本語抄訳版としてお届けします。Ira KalishDeloitte Touche Tomatsuチーフエコノミスト経済問題とビジネス戦略に関するデロイトのリーダーの1人。グローバル経済をテーマに企業や貿易団体への講演も多数行っている。これまで47の国々を訪問したKalish氏の解説は、ウォール・ストリート・ジャーナル、エコノミスト、フィナンシャル・タイムズなどからも広く引用されている。ジョンズ・ホプキンス大学国際経済学博士号取得。 上方修正されたGDP確報値政府が発表した確報値では、米国の第2四半期の実質GDPは改定値を上回る成長率となりました。雇用の伸びが緩やかな時期ながら、どのようにして力強い回復を実現したのでしょうか。まず、政府発表の確報値では、第2四半期の実質GDPは前期比年率3.8%の増加となりました。この数値は、速報値である3.0%、改定値である3.3%を上回っています。要因は、個人消費の伸びが大幅に上昇修正されたこと、企業投資の減少幅が鈍化したこと、そして輸入が大きく減少したこと(これはGDP成長率にプラスの影響を与える)によるものです。高い成長率の要因は、輸入が大幅に減少したことです。(物価調整後の)財の実質輸入は前期比年率35.0%減少しました。輸出入と政府支出の影響を除くと、実質GDPは年率2.9%の増加でした。GDPの速報値を発表した際には、この数字は1.2%の増加にとどまっていました。基礎的な成長力を示すこの指標は、経済の鈍化を示しているように見えました。しかし、確報値によって、第2四半期の基礎的成長力は非常に強かったことが明らかになりました。速報値と確報値の主な違いは、消費支出と輸入を通した消費の影響です。第2四半期の雇用の伸びが弱かったことを踏まえると、消費支出の強さはやや意外なものです。しかし、実質可処分所得(税引後・物価調整後の世帯所得)は年率3.1%で増加し、2024年第1四半期以来の高い伸びでした。これは、労働市場の引き締まりを背景とした強い賃金上昇が反映されています。また、年後半から来年にかけての関税による物価上昇を見越して、家計が支出を増やしている可能性もあります。仮にそうであれば、物価が大幅に上昇し始めた際に、個人消費の伸びが鈍化する可能性があります。さらに、来年の物価上昇は関税だけが原因ではありません。制限的な移民政策による労働力不足や、データセンターの急速な拡大による電力コスト増加も、物価上昇に影響を及ぼします。いずれにせよ、明確な経済の強さは、利下げによる金融緩和の継続を検討するFRB(米連邦準備制度理事会)に一考を促すかもしれません。最終的に、FRBは一時的なインフレを許容しつつも、急激な経済減速の危機を懸念しており、金融緩和政策を選択したのは明らかです。今回の確報値によって、その主張は困難になります。そして、FRB内では将来の金融政策の方向性について活発に議論される可能性があります。実際、米シカゴ連銀オースティン・グールズビー総裁は、「(インフレが)一時的ですぐに収まる前提で、過度に利下げを前倒しすることには違和感を覚える」と発言しています。インフレが一時的という想定は、景気の弱さが、賃金と物価がスパイラル的に上昇することを防ぐため、持続的なインフレにはつながらないという見解に基づいています。一方で、グールズビー総裁は「雇用市場は概ね安定している」と言います。その結果、インフレ率の上昇が持続する可能性があります。個人消費の堅調な推移米国政府によると、8月の家計貯蓄率は5か月連続で前月比低下し、家計支出は所得を上回りました。実際、これは新規雇用の著しい減少にも関わらず、経済の継続的で強い成長に寄与しています。一方、耐久財の価格が2022年12月以来最速のペースで上昇したこと等の要因により、FRBが重視するインフレ指標は上昇を示しました。これは関税の影響が強まったことを示している可能性があります。詳細を確認してみましょう。8月の家計貯蓄率(可処分所得に対する貯蓄の割合)は4.6%に低下し、2024年12月以来の最低水準、2022年12月以降で2番目に低い水準となりました。このため、実質可処分所得は7月から8月にかけて0.1%しか増加しなかったものの、7月から8月にかけ実質個人消費支出は0.4%増加しました。これには、(インフレ調整後で)耐久財支出の0.9%増、非耐久財支出の0.5%増、サービス支出の0.2%増が含まれています。なぜ8月に個人消費は底堅く推移したのでしょうか。2つの理由が考えられます。1つ目は、株価が急騰し、比較的裕福な世帯の資産を増加させたことです。2つ目は、関税による物価上昇の予想が、家計支出を前倒しにしている可能性です。一方、政府はFRBが重視しているインフレ指標である個人消費支出デフレーター(PCEデフレーター)を発表しました。PCEデフレーターは8月に前年同月比で2.7%上昇し、2月以来で最も高い上昇率となりました。変動の大きい食料品とエネルギー価格を除いたコアデフレーターは、前年同月比で3.0%上昇しました。これは7月と同水準で、2月以来の最高値でした。さらに重要なのは、8月の耐久財価格は前年同月比1.2%上昇し、パンデミック末期の2022年12月以来の高い伸びを記録したことです。サプライチェーンの混乱により耐久財価格が押し上げられたパンデミック期間を除けば、この上昇率は1995年以来最大となりました。また、非耐久財価格は0.7%上昇、サービス価格は3.6%上昇しました。特にサービス価格は数カ月間安定して上昇しています。消費者心理の動きミシガン大学によると、米国の消費者心理は再び低下しました。消費者信頼感指数は8月から9月に5.3%低下し、前年同月比では21.6%低下しました。この指数は、関税に関するニュースが不安材料であった4月、5月には、さらに低い水準で推移していました。この2カ月を除くと、9月の数値は2022年11月以来の最低値となりました。消費者信頼感指数の低下は、全ての年齢層、所得層、学歴層で見られました。唯一の例外として、株式の保有比率が大きい家計の消費者心理は改善しました。※本記事と原文に差異が発生した場合には原文を優先します。Deloitte Global Economist NetworkについてDeloitte Global Economist Networkは、デロイトネットワーク内外の視聴者向けに興味深く示唆に富むコンテンツを発信する多様なエコノミストのグループです。デロイトが有するインダストリーと経済全般に関する専門知識により、複雑な産業ベースの問題に高度な分析と示唆を提供しています。デロイトのトップマネジメントやパートナーを対象に、重要な問題を検討するレポートやThought Leadershipの提供、最新の産業・経済動向にキャッチアップするためのエクゼクティブブリーフィングまで、多岐にわたる活動を行っています。

連載:海外レポートから読み解く世界経済
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AIが変える社会

生成AI(Generative Artificial Intelligence)「ChatGPT」が世界に公開されてから、もうすぐ3年。人工知能は着実に私たちの生活や仕事、学習に実装され、社会やビジネスを変え始めています。少子高齢化が進む日本にとっては、AIを活用した事業や政策・施策の効率化、そして競争力強化が大切な課題となっています。今回の特集は、AIの最新情勢やガバナンス、ルール形成の在り方を取り上げ、ビジネスや公的サービスの最前線に立つ皆様がAI時代に活躍するためのインサイトをお届けします。

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第3回 サプライチェーンにおける人権リスクと対応

国連の「ビジネスと人権に関する指導原則」(以下、「国連指導原則」)(*1)や日本政府が策定した「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」(以下、「ガイドライン」)(*2)において、企業は「日本国内のみならず世界各地における自社・グループ会社と記載されています。自社の製品・サービスと直接関連する限り、サプライチェーンにおける「負の影響」(人権侵害・そのリスク)についても、「自社の責任」として対応が求められます。取引先等において人権侵害が発生したとしても、「当社と資本関係のない企業であり、当社とは関係がありません」と説明することは、国連指導原則等に則した対応とはなりません。本記事では、法規制などで定められる企業の人権リスクの責任範囲、サプライチェーン上の人権リスクとその影響、実際にサプライチェーン上で起きたグローバル企業における人権侵害の事例、サプライチェーンにおける人権リスクへの対応について解説します。*1ビジネスと人権に関する指導原則:国際連合「保護、尊重及び救済」枠組実施のために(A/HRC/17/31) | 国連広報センター *2責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン|ビジネスと人権に関する行動計画の実施に係る関係府省庁施策推進・連絡会清水 和之デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社パートナー有限責任監査法人トーマツにて上場企業等の法定監査業務に従事した後、DTFAに参画。企業が危機に直面した際の危機管理・危機からの脱出を支援するクライシスマネジメントにおいて、企業の会計・品質偽装・贈収賄等コンプライアンス不正調査案件、企業不正からの改善・再生プロジェクト、クライシスマネジメント対応支援、サプライチェーンリスクマネジメント、人権DDなどに従事。詳細はこちら 大沢 未希デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社シニアコンサルタント 大手総合電機メーカー、総合コンサルティングファームを経て、DTFAに入社。企業の危機管理および危機からの脱出を支援するクライシスマネジメントサービスにおいて、大手企業の危機対応、再発防止策策定・実行、M&A案件におけるビジネス・インテリジェンスサービス、人権課題対応支援などのプロジェクトに従事。 企業の人権リスクの責任範囲グローバルサプライチェーンの広がりに応じて、企業が国内外の自社ビジネスやサプライチェーン全体で人権尊重に取り組むことが求められています。サプライチェーンの末端における児童労働、安い労働力による搾取などといった人権侵害が明るみに出はじめ、企業として責任ある対応を求める声が世界中で高まりました。このような背景を経て、2011年の「国連指導原則」の採択をきっかけとし、各国において人権尊重の取り組みに関する法規制の施行やソフトロー化が急速に進められています。日本においてもこの潮流を受け、2020年には「ビジネスと人権」に関する行動計画(2020-2025)(以下、「行動計画」)が日本政府により策定され、さらにその取り組みの促進のための「ガイドライン」が2022年に策定されました。これらの法規制やガイドラインでは、企業は自社・グループ会社のみならず、サプライチェーン全体における人権リスクを適切に管理・監督する責任があると定めています。例えば「国連指導原則」では、「たとえその影響を助長していない場合であっても、取引関係によって企業の事業、製品またはサービスと直接的につながっている人権への負の影響を防止または軽減するように努める」と記載しており、自社が直接人権に悪影響を及ぼしていない場合であっても、取引先による人権侵害が起こっていれば、防止や軽減に努めることを求めています。2024年7月にEUで発令された「企業持続可能性デューデリジェンス指令(CSDDD)」では、一定の売上高等の要件を充足する企業(以下、「適用企業」)に、自社及び子会社の事業のみならず、「chain of activities」(*3)と定義された上流及び下流の事業活動全般に関する人権及び環境のデューデリジェンスの実施や開示等を義務付けています。2020年に日本で策定された「行動計画」においても、基本的な考え方として「サプライチェーンにおける人権尊重を促進する仕組みの整備」を実行計画に定めており、人権を尊重する企業の責任を促進するための政府の取り組みは国内外のサプライチェーン全体を対象としています。*3DIRECTIVE (EU) 2024/1760 OF THE EUROPEAN PARLIAMENT AND OF THE COUNCIL サプライチェーン上の人権リスクとその影響サプライチェーン上の人権リスクは多岐に渡ります。例えばメーカーでは、材料などの「調達」、「生産」、「販売」、「流通」等といった一連のプロセスによって事業活動が営まれますが、「調達」の段階では、鉱物資源の調達時における紛争地での人権侵害への加担といった人権リスク、「生産」では取引先の下請工場による児童労働や強制労働といった人権リスク等、全ての事業活動のステージにおいて、人が関与している限り、人権侵害が起こる可能性があります。そのため、一つのプロセスだけでなく、事業活動の全てのプロセスにおいて、サプライチェーン全体における人権リスクの可視化が求められます。図1 サプライチェーンにおけるコンプライアンスリスクこれらのサプライチェーン全体を含めた人権リスクの適切な管理・監督を怠ることで、中長期的には、レピュテーションの毀損、訴訟、ストライキといった多様な事象に対処する必要に迫られることになる可能性があります。人権リスクに適切に対応しない場合の経営リスクの例を挙げますと、例えば、サプライチェーン上の人権侵害が明るみに出ることで、不買運動などによる消費者購買の減少、取引先の調達基準を充足できないことによる取引停止、海外諸国において製品の輸入禁止措置を受ける等、売上や仕入への影響をきたす「オペレーションリスク」があります。また、昨今の欧州をはじめとする各国における法規制は、違反した場合多額の罰金を課す等の罰則が規定されている場合が多く、人権侵害を被った被害者などからの訴訟により、多額の賠償金の支払いが課される可能性があります。このような訴訟や訴訟対応コスト、法令違反による課徴金等による大幅なコスト増につながる可能性のある「法務・レピュテーションリスク」があります。さらに、法規制への違反の罰則として企業名を公表されるなどといった措置による企業イメージの悪化、それによる投資家からの評価減による株価の下落、などといった企業価値の毀損につながる「財務リスク」があります。こうした人権リスクを回避し、事業を安定的かつ継続的に維持するため、企業は人権を事業活動上の重要なリスク・ファクターとしてとらえ、その低減に努める必要があります。図2 人権対応への遅れがもたらす重要な経営リスク グローバル企業におけるサプライチェーン上の人権侵害の事例人権を経営リスクとして捉え、サプライチェーンまで含めた人権デューデリジェンスに取り組むグローバル企業は増加傾向にありますが、関係企業や取引先といった一次サプライヤーまでリスク管理対象範囲としている企業は多い一方、その先の二次サプライヤー以降までをも管理対象としている日本企業はまだそれほど多くありません。当社が2023年に実施した「人権サーベイ2023」(上場企業を中心に約100社に対し人権意識や各企業の取り組み状況を調査)では、「サプライチェーンにおいて、どこまでをリスク把握・管理の対象としていますか」といった質問に対して、約9割の企業が2次サプライヤーまで人権リスクを把握できていないと回答しました。図3 サプライチェーンにおけるリスク把握・管理の対象範囲出所:デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社「人権サーベイ2023」ここで実際に、二次サプライヤー以降で発生した人権侵害への責任が、発注元の企業に問われた事例(*4)を紹介します。グローバルに事業を展開するD社、S社、T社、N社は、ライセンス使用権限をタイにあるライセンシー(元請け)に譲渡し、元請けは、下請けの縫製工場(A工場、B工場)に依頼し、キャラクターグッズ等の製造を依頼していました。2019年、複数の下請工場において、ミャンマーからの移民労働者に対し、最低賃金に満たない給与を支払っていたことが判明しました。図4 グローバル企業におけるサプライチェーン上の人権侵害の事例当局はA工場、B工場のオーナーに未払い分の給与を労働者に支払うよう命じ、A工場のオーナーは、約18百万タイバーツ(日本円換算で約79百万円)の補償金を支払いました(図4①)。一方で、B工場のオーナーは、家宅捜索後に事業を閉鎖したため、約3.5百万バーツ(日本円換算で約15.4百万円)分の未払い賃金が支払われない状態となりました。そこで労働者たちは、裁判所に訴訟を起こし、B工場のオーナーに未払い賃金の支払いを求めました。結果、労働者はB工場のオーナーから約1百万バーツ(日本円換算で約4.4百万円)の未払い賃金の支払いを受けることで和解に合意しました(図4②)。しかし、残りの2.5百万バーツ(日本円換算で約11百万円)については未払いのままとなりました。このような状況において、世論から発注元であるトップブランドの各社(D社、S社、T社、N社)においても、サプライチェーン上の労働者に対し未払い賃金の支払い責任を負うべきだといった批判の声があがりました。結果、残りの未払い賃金2.5百万バーツ(日本円換算で約11百万円)については、発注元各社が労働者に対し直接補償を行うこととなりました(図4③)。また、発注元各社は補償対応をより迅速に行うべきであったと、対応への遅れに批判の声が挙げられました。このように、直接契約等の効力が及ばない二次サプライヤー以降であっても、サプライチェーン上で発生した人権侵害への対応や賠償が要求されたり、自社製品やブラント、レピュテーションへ影響したりする、といったリスクがあります。グローバルにビジネスを展開する企業にとって、サプライチェーンの持続性を保つことは不可欠であり、リスクの低減を図るためには、高い管理水準をサプライチェーン上の企業にも適用することが肝要です。*4Thailand: Starbucks, Disney, Tesco & NBC commit to compensate illegally underpaid migrant garment workers in their supply chains - Business & Human Rights Resource Centre サプライチェーンにおける人権リスクへの対応企業はサプライチェーン全体を含めた人権尊重責任を果たすため、サプライチェーンの段階に合わせて人権リスクへの対応を実施していく必要があります。図5 サプライチェーンにおける人権リスクへの対応図5は、サプライチェーンの広がりに応じた人権リスクへの統制について示したものです。本社においては、自社内におけるガバナンスと統制を効かせることで、人権リスクを低減することが可能です。次に、日本や海外にある子会社に対しては、資本関係や株主権限によるガバナンスを利かせることができる範囲であり、人権リスクの発生を抑えていくことが可能です。次にサプライヤーの階層ですが、一次サプライヤーとは契約書を締結するので、契約書に人権条項を入れる形で影響力を高める法的アレンジメントが可能となります。ただし、人権条項の内容によっては努力義務に留まるなど、実効性の確保には相応の努力が必要となります。さらにその先の二次サプライヤーや三次サプライヤー等については、本社と直接的な契約がないため、本社による統制が効かない範囲となります。資本関係や契約書などの直接的な関係性がないため、人権リスク調査などの対応は依頼ベースとなり、「交渉」が必要となります。二次サプライヤー以降など自社グループから遠くなればなるほど、サプライチェーンの統制は難しくなります。そのため、まずは、二次サプライヤー以降も含めたサプライチェーン全体の可視化を行い、それぞれのサプライチェーンにおける潜在的な人権リスクを調査したうえで、自社の事業特性などを踏まえて人権リスクを評価します。二次サプライヤー以降に対するリスク調査は、上記の通り依頼ベースとなるため、円滑なコミュニケーションを図ることができる、一次サプライヤーの購買担当者を窓口にするなどといった工夫が必要となります。また、リスク評価の結果、二次サプライヤーにおいて高リスクの人権リスクが発見された場合は、オンサイトで人権デューデリジェンスを実施する等の対応を取ることが推奨されます。特に、それらの取引先が海外にある場合、対象となる従業員等は社会的に脆弱な立場にあるステークホルダーである可能性があり、より深刻な負の影響を受けやすいため、特別な注意を払う必要があります。オンサイトで人権デューデリジェンスを実施する際は、現地言語が通じる人員によるインタビューの実施、現地従業員がどのような人権侵害を受けたか判断するため、現地法律に対する理解が重要となります。これらに自社で対応することが難しい場合は、外部専門家の活用も選択肢となります。 おわりに欧米をはじめとする世界的な法規制や社会的要請が強まる中、サプライチェーンにおける人権侵害リスクを防止・軽減する取り組みは、企業の社会的責任を果たすために不可欠です。「人権」を重大な経営リスクと捉え、企業が人権を尊重した経営を実践することは、サプライチェーンに広がる多様な人権リスクを予防することにつながります。二次サプライヤー等自社グループから遠い場所から人権侵害が発生したとしても、人権侵害は自社製品/商品/サービスやブランドに直接的な影響があります。よって、自社のサプライチェーンを可視化し、自社の統制が直接効かない二次サプライヤー以降のサプライチェーンに対しても人権デューデリジェンスを実施していくことが求められます。「ビジネスと人権」シリーズ最終回は、人権を尊重する経営のためには、具体的にどのような取り組みを行うべきかを解説します。<<第2回 日本における「ビジネスと人権」の動向はこちらから第4回 人権を尊重する経営のための取り組みに続く>>関連書籍サプライチェーンにおける人権リスク対応の実務ー「ビジネスと人権」の視点で捉える、リスクの可視化とデュー・ディリジェンスの実践

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日米協定による新たな投資モデル

景気循環による経済的影響は企業にとって不可避なものです。しかし、世界および地域経済に対し長期的な見通しを持つことにより、企業は景気循環のリスクを最小化することができます。デロイトは、世界のビジネスリーダーたちに必要な、マクロ経済、トレンド、地政学的問題に関する明快な分析と考察を発信することにより企業のリスクマネジメントに貢献しています。本連載では、デロイトのエコノミストチームが昨今の世界経済ニュースやトレンドについて解説します。今回は、Deloitte Insightsに連載中のWeekly Global Economic Updateの2025年9月15日週の記事より抜粋して日本語抄訳版としてお届けします。Ira KalishDeloitte Touche Tomatsuチーフエコノミスト経済問題とビジネス戦略に関するデロイトのリーダーの1人。グローバル経済をテーマに企業や貿易団体への講演も多数行っている。これまで47の国々を訪問したKalish氏の解説は、ウォール・ストリート・ジャーナル、エコノミスト、フィナンシャル・タイムズなどからも広く引用されている。ジョンズ・ホプキンス大学国際経済学博士号取得。 日米協定の概要米国と日本が日本からの輸入品に対する米国の関税を15%に設定する貿易協定を発表した際、日本が米国への大規模な投資を行うとともに、米国から多量のLNGを含むアメリカ産のエネルギーを購入することも合意されました。しかし、その合意については具体的な内容が明示されなかったことから、この協定は具体的な数値目標というよりも、あくまでも方針の設定に留まるものであると捉えられていました。一方で、最近両国が署名した了解覚書(MOU)は、この協定の実施方法について新たな指針を示しています。この新たな協定では、日本が米国に対して5,500億ドルの資金を投資することが示されています。また、この協定では日本に対し、投資対象の通知から45営業日以内に投資を行うよう求められており、守られない場合は、より高い関税が課されることになります。さらに、本協定では、投資資金の配分についてはトランプ大統領が単独で決定する権限を持つとされています。ただし、ラトニック商務長官が主導する委員会が設置され、大統領に対して投資先の選択肢を提示することになっています。ラトニック商務長官自身も「投資先の決定権は大統領に完全に委ねられている」と述べています。また、投資先の一つとしてアラスカにおける液化天然ガスのパイプライン建設が候補となる可能性についても言及しています。その他の投資候補の分野としては、半導体や医薬品が挙げられています。投資先の最終的な決定権は大統領にあるものの、日本側の経済団体とも一定の協議が行われる予定です。加えて、投資の遂行に際しては、日本からの資材や機器が活用され、米国側は土地、水・電気等の公共サービス、インフラ等を提供することが想定されています。また、当初の発表では米国が利益の90%を得るとされていましたが、了解覚書では利益を両国で均等に分配すると記載されています。なお、このプログラムはトランプ大統領退任前日の2029年1月19日で終了する予定です。投資協定がもたらす経済的な影響この協定にはいくつかの課題が存在します。第一に、対米直接投資が大幅に増加した場合、米国の貿易赤字が拡大することが予想されることです。米国の経常収支赤字(主に貿易赤字)は、米国の(国際収支の旧基準[BPM5]における)資本収支黒字によってほぼ相殺されています。この資本収支黒字とは、米国への純資本流入を指します。米国が輸出収入よりも多くの金額を輸入に支出した場合、その資金は外国からの投資として米国に還流します。もし資本収支黒字が増加すれば、経常収支赤字も拡大することになります。【訳者注:現行の国際収支統計[BPM6]において、資本収支の項目は、資本移転等収支と金融収支に変更されており、対米直接投資の増加は金融収支の負債増(非居住者からの投資増)として計上されます。その際に工場建設等で米国外の資材の調達が増えれば、輸入増加による貿易赤字の拡大につながる一方、その工場の製品が輸出されれば、貿易赤字の縮小につながります。したがって、経済的な影響はそのタイミングも含めて、幅を持ってみる必要があります】第二に、市場経済においては、投資規模は資本の需給や投資家が期待する収益率に基づき決定されます。今回の協定により、市場が決定する水準を超えて投資が増加した場合、その他の条件が一定であれば投資収益率が低下することになります。加えて、米国では失業率が低水準で推移し、慢性的な人手不足が続いているため、大規模な新規投資プロジェクトに必要な労働資源が十分に確保できるかは不透明です。第三に、米国政府が資本の配分を決定することは、市場原理に基づく資本配分システムからの逸脱を意味します。これは、最近米国が公的企業に対し資本を投入し、今後も同様の政策の拡大を約束していることとも通じる動きです。第四に、この了解覚書(MOU)は法的拘束力のある契約ではなく、単なるロードマップに過ぎません。そのため、両国のいずれかが協定の一部を順守しない決定を容易に下すことができます。このため、より確かな法的基盤が整備されない限り、両国の企業の中には協定への参加を躊躇するところがあるかもしれません。一方、2025年の最初の7カ月間における日本から米国への海外直接投資(FDI)は、前年同期比で20%増加しました。これは、日本全体のFDIが4%の増加に留まる中での動きです。2025年7月単月では、全体のFDIが10%減少した一方、米国向けのFDIは19%増加しました。2025年の最初の7カ月間において、日本からのメキシコへのFDIは前年同期比で21%減少しました。これは、日系企業が米国とメキシコの経済関係の今後に対して楽観的ではなくなっていることを示唆しています。日本からメキシコへの投資の大半は、米国向け輸出能力の開発を目的としています。一方で、日本から中国へのFDIは6%減少しており、その背景には米中関係の悪化が影響している可能性があります。このような対米投資の急増は、日系企業が米国の貿易規制によるリスクを低減させる意図によるものと考えられます。一部の日本企業は、今後も高関税政策が続くと見込んでおり、サプライチェーンを米国へ移すことでリスクを抑えようとしているようです。※本記事と原文に差異が発生した場合には原文を優先します。Deloitte Global Economist NetworkについてDeloitte Global Economist Networkは、デロイトネットワーク内外の視聴者向けに興味深く示唆に富むコンテンツを発信する多様なエコノミストのグループです。デロイトが有するインダストリーと経済全般に関する専門知識により、複雑な産業ベースの問題に高度な分析と示唆を提供しています。デロイトのトップマネジメントやパートナーを対象に、重要な問題を検討するレポートやThought Leadershipの提供、最新の産業・経済動向にキャッチアップするためのエクゼクティブブリーフィングまで、多岐にわたる活動を行っています。

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生成AI時代のカスタマーサービスとCX向上

AIの進化がカスタマーサービスやコンタクトセンターの現場をどう変えるのか。業務プロセス改革、リスク対策、ROIの考え方など、AI活用でCX(顧客体験)向上を成功させるための視点について、DTFAのプロフェッショナルである加瀬と松田がクライアント事例や最新動向をもとに語りました。AI導入における企業の課題と現状カスタマーサービスやコンタクトセンターなど、顧客対応はAIとの親和性が高い領域で、顧客事例も増えつつあります。日々クライアントと接しているお二人に、AIを活用したCX向上についてお話を聞きたいと思います。まず、AI活用に関しては、どのような課題を持っている企業が多いですか。加瀬 剛峻(マネジャー)生成AIの発展を受けて、どの企業もAIの利活用には積極的です。既に、大企業の大多数が何らかの形でAIを導入しています。ただし、利用実態を見ると、PoC止まりになっていたり、現場担当者がAIに個人情報などどこまで入力していいのか判断できなかったりで、導入しても利用されていないAIが既に生まれているケースもあります。松田 汎未(シニアコンサルタント)実際に話を聞くと、AIをビジネスにどのように適用し何の成果を得たいか曖昧で、活用イメージを明確に描けていない企業もありました。目的が曖昧で、リスクに慎重になりすぎてしまうと、利用が進みにくくなります。AI活用場面の多様化と技術進化CX向上を図る上でに何ができるか、具体的に知っておくことが重要になりそうです。実際には、顧客対応の様々な場面で、が活用できるのではないでしょうか。松田その通りです。チャットボットやボイスボットによる応対も生成AIで技術が進化しています。従来型のIVR(電話の自動音声応答システム)は、音声ガイダンスにしたがってダイヤルをプッシュしオペレーターにつなぎますが、ボイスボットを利用すれば、顧客が電話をかけると機械が音声で回答し、会話の中で必要な手続きなどを完了させるなど、人へのエスカレーションを減らすことができます。オペレーターの通話に関しても、内容を音声認識でテキスト化し、生成AI技術で要約を作成できます。コンタクトセンターソリューションはAIの活用が進んでおり、通話相手の契約内容や過去の問い合わせに基づき、リアルタイムにパーソナライズした回答をサジェストしたり、音声から感情を読み取り、どのタイミングで顧客が怒ってクレームになったか分析を行ったりするなど、高度化が進んでいます。顧客の声(Voice of Customer)のデータ収集と分析の精度が向上するため、VOC分析の活用も加速しています。加瀬実態を見ると、大手企業でもかなりアナログな業務を行っている事例もありました。電話の記録はオペレーターが都度入力しますが記憶の間違いや漏れもあり、問題が起きれば管理者(SV:スーパーバイザー)が記録や録音をチェックするといった状況です。このケースでは通話の自動文字起こしと要約生成で多くの課題を解決できました。AI導入の戦略とリスク対策技術は高度化している一方で、足元には解決すべき課題もあるという状況ですね。どのようにAIを導入すると効果的か、見定めるためのアドバイスはありますか。加瀬AIは目的ではなく手段です。現在の業務ありきでAIを使おうとするのはなく、効率化、省力化、データ利活用などを実現するために、戦略を持って導入することが重要です。先ほど挙げた顧客事例では、経営層にはAIで改善できるだろうという期待がありましたが、実際に何が有効か、ユーザ起点での課題解決を重視しました。通話の記録が正確に残っておらずトラブルが起きており、顧客対応を担当するメンバーにはITが不得手な年配者もいました。現場の負担を増やさず自動的に記録を残し、データを活用できる形で管理できるソリューションを提案しました。ハルシネーションや情報漏洩など、リスクに対する懸念にはどのように対応していますか。松田ポリシーやルールを制定し、ガバナンスを構築することは必須です。私たちは顧客の要件に合わせて、機密情報や個人情報の扱い、ユーザから取得したデータの利用可能範囲、AI事業者のデータセンターの立地は国内か海外か、AI事業者の契約条件など細部まで確認します。データセンターが国内でもデータ処理の際に海外リージョンを利用する場合があったり、AI事業者がユーザのデータを見る権限を持つ条件になっていたり、様々なケースがあります。加瀬生成AIからハルシネーションをなくすことはできませんが、リスクを回避するよう業務フローを設計します。AIのアウトプットを必ず確認する工程を入れる、判断が伴う部分は人にエスカレーションするなど、AI任せにしない、誤りが起きた際にAIの責任にしないことに留意します。 AIによるCX向上のROI測定、成功に導くポイントAI導入においては、常に費用対効果が問われるのではないでしょうか。ROIの試算や測定はどのように考えればよいですか。松田AI導入効果として分かりやすいのは時間の削減です。例えば、音声認識による文字起こしと要約の自動入力で、電話応対後のオペレーターの後処理作業(ACW)を大幅に削減することができます。また、回答のサジェストでより迅速かつ的確に対応できるようになれば、通話時間自体も短縮できるでしょう。対応できる顧客の数が増え、オペレーターの稼働率も高まります。CX向上に寄与するKPIはほかにもあります。電話の待ち時間や対応時間を削減し、回答間違いやクレームにつながる対応が減れば、顧客満足度が高まります。さらに、人手不足に悩むコンタクトセンターは多いですが、AIの支援により業務の難易度が下がりクレーム対応などの精神的な負担が軽減されれば、人員を確保しやすくなるのではないでしょうか。AI活用について、現場の知見に基づいた具体的なアドバイスを頂きました。最後に、CX向上を成功に導くために、コンサルタントとして重視していることはありますか。加瀬AI活用の機運は高まっており、経営者は、CXを向上させ企業の競争力を高めたいと前向きに考えています。ただし、経営レベルでは、実は業務プロセスがアナログでデータの品質も悪いといったような、現場のリアルな問題を理解することは難しいでしょう。クライアント企業を支援する際は、業務側のキーパーソンから現場課題を正しく把握し、経営層と課題感を共有し、両者にAI導入イメージや導入効果を解像度高く示せるように心掛けています。トップダウンの意向とボトムアップのニーズの接点を見つけることは、私たちの役割の一つだと考えています。 加瀬 剛峻マネジャー日系製造業にて企画、マーケティング、営業などの業務を経験した後、2022年にDTFAへ入社。大型プロジェクトや新規事業立案、AI活用による業務改革のコンサルティング、M&Aアドバイザリーやデューデリジェンスなど、幅広い分野を担当している。 松田 汎未シニアコンサルタント日系総合コンサルティングファームにて自動車メーカーへの業務改革支援、中央省庁および電気工事会社へのBPO支援などを経験した後、2025年にDTFAへ入社。AI活用による業務改革のコンサルティング、デューデリジェンスやPMIなどを担当している。

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海洋国家日本から世界へ、イノベーションでブルーエコノミーの未来に挑む

海洋資源の持続可能な利用と環境保護を両立するブルーエコノミー。海に囲まれた島国日本にとっては、新たなビジネスフロンティアになるという期待が高まっています。伝統的な業界である水産業から最新の環境保全まで、ブルーエコノミーに革新をもたらすスタートアップが世界に挑もうとしています。身近な海とイノベーションが交差する未来を展望します。水産業や海の生物多様性に取り組む注目のスタートアップ日本は、国土面積は世界61位の島国ですが、排他的経済水域の面積では世界6位となる海洋国家です。さらに、日本は大深度水域を広く保有しているため、排他的経済水域の体積では世界4位に浮上します。日本にとって、食料、資源・エネルギーの確保、地球環境の維持、物資の輸送等、海は大きな役割を果たしています。一方で、気候変動による生態系の変化、プラスチックごみなどによる海洋汚染、世界的な人口増と乱獲などによる水産資源の減少など、海の環境は多面的な危機に直面しています。図 1:排他的経済水域の海洋体積データソース:笹川平和財団(*1)近年、海洋の生態系や環境の保護・維持・回復によって、経済成長や生活の向上を促進する、ブルーエコノミーへの関心が高まっています。漁業や海運などの経済活動に関わる価値創出に留まらず、生物多様性、循環型経済(サーキュラーエコノミー)、藻場やマングローブでのCO2吸収(ブル―カーボン)、経済安全保障などとも深い関係があります。海洋国家の日本はブルーエコノミーとの親和性が高く、海は身近なビジネスフロンティアになり得るポテンシャルを持っています。図 2 ブルーエコノミーの概念図デロイト トーマツ戦略研究所作成ブルーエコノミーのステークホルダーは、企業、自治体、研究機関など多岐にわたります。どの主体にとっても、革新的なビジネスモデルや技術を持つスタートアップとのオープンイノベーションは重要な要素の一つとなるでしょう。本稿では世界市場を見据えて事業を展開するスタートアップ2社を紹介します。イノカの海の生き物が好きという熱意、ベンナーズの水産系企業3代目としての思いなど、熱意を持った起業家が社会と環境にインパクトをもたらすことが期待されます。(掲載は企業名50音順)【株式会社イノカ】海の生物多様性を守るため自然の環境を再現する「環境移送技術」を開発 竹内 四季氏 株式会社イノカ COO東京大学在学中に障がい者雇用に関する先進企業事例を研究し、社会起業家を志す。人材系メガベンチャーでの営業経験を経て、2020年2月にイノカに合流し、COOとして事業開発・パブリックリレーションズ全般を管掌。 イノカは、代表の高倉氏が、趣味だったアクアリウム(水槽で水生生物を飼育し鑑賞すること)から社会に価値を生み出すことを目的に2019年に創業しました。イノカCOOの竹内氏は、「ソーシャルビジネスに携わりたいと考えていましたが、大学のサークル仲間だった高倉から最初に話を聞いた時は、ずいぶんニッチな領域だと思いました。しかし、自然資本を経済活動に組み込むというアイデアに魅力を感じたのです」と創業当時を振り返ります。高度な生態系飼育技術を持つCAO(Chief Aquarium Officer)の増田氏を筆頭に、自然の海の水温・明るさ・水流・水質・生物などの複雑な要素をパラメーターとしてIoTや機械学習などのテクノロジーを使って制御し、水槽の中で自然の環境を再現する独自の「環境移送技術」を開発しています。飼育が容易ではないサンゴを、人工海水を使った閉鎖的な環境で、時期を管理して産卵させることにも成功しました。竹内氏は技術の事業化を担っています。「初めは我々の技術をどう役立てられるか手探りでしたが、生物多様性やネイチャーポジティブへの関心の高まりが追い風になりました。事業化に取り組む企業が増えている実感があります」といいます。自然の海では実験や研究に手間やコストがかかるうえに地域、天候など諸条件が不安定ですが、環境移送技術を使った人工的な環境は、安定して比較検証を行えるメリットがあります。資生堂との提携で日焼け止めなどの成分がサンゴ礁に与える影響の研究、JFEスチールの鉄鋼製造の副産物である鉄鋼スラグを使ったサンゴ再生の研究などの事例が生まれており、共同研究が売上の7割を占めます。2022年にはデロイト トーマツ コンサルティングともアライアンスを締結し、ブルーエコノミーについてのセミナーを行うなど様々な活動を行っています(*1)。テクノロジーのフィールドはサンゴ礁に留まらず、藻場の再生、汽水湖(海水と淡水が混ざり合った湖)に生息するアサリ、マングローブ林など、幅広い水場の生態系へと広がっています。日本中のアクアリストが集うイベントも開催し、様々な生き物の生態に関する知見が集まるエコシステムの構築にも取り組んでいます。図 3 イノカのラボ風景写真提供:イノカ海洋大国である日本発で国際的なルールメイキングを推進したい気候変動、海洋汚染、開発などにより、サンゴの死滅や藻場の減少などの問題が深刻化しています。企業活動に関連して海にネガティブな影響を与える物質には、事業所からの排水、農薬・洗剤・船の塗装剤などの化学物質、日焼け止めや化粧品、洗濯した衣類からも出るマイクロプラスチックなど数多くあります。環境への負担を軽減するための具体的なアクションにつなげるためには、官民を挙げた取り組みが必要となります。イノカは2024年9月に企業、自治体、アカデミアが参画するプロジェクト「瀬戸内渚フォーラム」を立ち上げ、産官学共同で瀬戸内海の環境保全や海洋関係ビジネスの創出を目指しています。さらに、グローバルではGHG(温室効果ガス)における取り組みと同様、国際標準となる枠組みの構築に関する議論が活発化しています。竹内氏は「アジアは海洋生物多様性のホットスポットです。日本は海洋大国ですし、フィリピン、インドネシア、マレーシアなどにはコーラルトライアングルと呼ばれる生物多様性の宝庫の海域があります。GHGのルールメイキングは欧州が牽引していますが、海の生物多様性に関しては、日本発となるグローバルスタンダードを発信したいのです」とビジョンを示します。イノカは自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)」のTNFDデータカタリストに参画しているほか、竹内氏は環境省ISO/TC331(生物多様性の標準化)審議委員会の委員も務めています。「グローバル標準が確立すれば、『この商品は海に優しいから買おう』など、消費者の行動変容につながる可能性もあります。企業、消費者双方のポジティブな選択につながるオープンイノベーションを実現します」と力強く語りました。またイノカは、大阪・関西万博で、8/4~8/17にブルーオーシャン・ドームでサンゴの生態調査に関するシチズンサイエンス(市民の研究活動参加)プログラムの実施、8/5~8/11に大阪ヘルスケアパビリオンでサンゴ礁の再生に関する関西大学との共同研究の展示を行う予定です。【ベンナーズ】「魚を美味しく加工して食べる」技術で魚食普及に取り組み世界を目指す 井口 剛志氏 株式会社ベンナーズ 代表取締役社長福岡の高校を中退しアメリカの高校へ編入。ボストン大学で起業学(アントレプレナーシップ)を専攻。日本の食と漁業を守ることをビジョンとし、2018年4月に福岡で株式会社ベンナーズを創業。 井口氏の祖父母は水産加工業、父親が水産卸業を経営しており、水産業は身近な事業であったとともに、消費者の魚離れ、漁業者の高齢化と担い手不足、漁獲量の減少など多くの課題を抱えていることも間近に見てきました。祖母からは「水産業に関わるな」とも言われていたそうです。しかし、ボストン大学の起業学で「起業とは社会の課題を解決すること。課題が大きいほど社会に与えるインパクトが大きい」と学び、複雑な問題が絡み合っている水産業で起業することを決めました。最初は、複雑でブラックボックス化している水産業の流通に注目し、漁業者と購入者をマッチングするB2Bのプラットフォームの提供を行いました。しかし新しい仕組みが受け入れにくかったことに加えコロナ禍で売り上げが9割減少する事態に直面しました。スーパーのバイヤーなどから「末端の消費者が魚を食べなくなっている」という声を聞いた経験も踏まえ、需要を創出するための新規事業に乗り出します。2021年3月にB2Cで魚のミールパックを定額配送するEC事業「フィシュル!」を開始しました。フィシュル!事業の入り口となった特徴の一つは「未利用魚」の提供です。水揚げ量が少ない、傷があるなどの理由で流通しない魚を指し、通常は水揚げ量の3~4割が破棄されており消費者の目に触れません。フィシュル!は、未利用魚を漁師や市場などから買い付け、新鮮な状態で工場にて加工し下味をつけ、ミールパックの状態でネット販売します。あまり知られていない美味しい魚を提供できる一方で、食材としては、狙って捕るものではなく安定しない、まとまった量がない、加工にコストがかかるなどの課題もあります。未利用魚の利用は、限られた水産資源の有効活用、廃棄ロスの削減、漁業者の収入増などの社会的意義が大きく、メディアの注目も集めました。フィシュル!のサブスクリプション会員は順調に増加し、2025年6月時点で累計5万5千人に達しました。福岡の自社工場以外に、委託工場が全国13カ所にあり、各地方の様々な水産物を提供する仕組みを整えています。現在は、未利用魚を積極的に利用しつつも、「全国の美味しい魚を美味しく加工する」という、総合的なコンセプトのもとにサービスを展開しています。バラエティに富んだ味付け、手軽さ、SNSでのアレンジレシピの発信など商品企画やマーケティングに工夫を凝らしています。大手企業との提携や海外事業など、新たな事業の柱を育成食品メーカー、外食、商社など大手企業との連携も進めています。株式会社Mizkanの味ぽん発売60周年を記念したコラボ商品の企画、株式会社ピエトロが運営するレストランで未利用魚を使ったメニューの提供、企業との連携による学生向けの食育の実施などが実現しています。企業がSDGsを推進する中で、ベンナーズの取り組みに関心が高まっており、これらの実績につながっているといいます。さらに、2024年4月には、京都に直営の海鮮丼専門店「玄海丼」をオープンしました。井口氏は、海外を訪れた際に外食市場での日本食人気の高さに感銘を受け、海外に新たな商機があると考えました。最初の出店にインバウンドが多い京都を選び、自社の商品とサプライチェーンを活かしつつ効率的なオペレーションが可能なメニューとして海鮮丼に特化しました。狙い通り外食産業としては利益率が高い事業となっており、既に京都で2店目を開設し、2025年中に大阪と東京に出店する予定です。2026年以降には海外進出を計画しています。井口氏は「日本には、世界トップクラスの魚の加工や管理、低温物流などの技術があります。海外には水産業が成長産業となっている国も多く、外食だけではなく魚を美味しく食べるための技術もトータルに展開していきたい。これまで新鮮な魚を食べていなかった人の食生活が変わるかもしれません。世界に目を向けるとポテンシャルは大きいのです」と言います。魚食文化を世界へ広めることを目指し、準備を進めています。<参考>*1笹川平和財団 Ocean Newsletter 123号「わが国の200海里水域の体積は?」(2005年9月)https://www.spf.org/opri/newsletter/123_3.html*2イノカと デロイト トーマツ、海洋資源の保全と活用を両立させる「ブルーエコノミー」推進に向けたアライアンスを締結(2022年7月)https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000032.000047217.htmlTMIP「Blue Economyサークル勉強会」開催(2023年4月)https://www.tmip.jp/ja/report/3669

連載:社会課題の解決に挑むスタートアップ
研究員の視点 >>

ナラティブからの政策分析、SNS時代の日本も活用を――「保育園落ちた」投稿を事例に読み解く

世界各国でポピュリズムや排他的な主張が台頭し、政策とナラティブ(主観的な物語)の関係が注目を集めている。ソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)が政策に及ぼす影響が大きくなる中、米欧では「ナラティブ政策フレームワーク」(Narrative Policy Framework、NPF)が政策過程分析の手法として発展した。NPFの意義と具体的な手法を概説したい。事例として、2016年にインターネットに投稿された「保育園落ちた」という文章を取り上げ、このナラティブがどのように日本の待機児童対策に影響したのかを分析する。  日本においても2020年前後から、ナラティブが政策・政治判断・選挙に影響したと見られる事例は続々と起きている。NPFの研究を進め、その成果を政策の立案・施行に反映していくことは、政策分析・評価の水準の向上と、効果的な政策の社会実装(社会からの受容の促進)につながるはずである。(レポート全文はPDFダウンロードでご覧ください)ナラティブからの政策分析、SNS時代の日本も活用を――「保育園落ちた」投稿を事例に読み解く.pdf

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ヒトメミライ 一目未来

最近、スポーツコンテンツが生み出す非財務的価値を可視化し、多くのステークホルダーにその価値を説明できるツールとして、SROI(Social Return On Investment)分析という手法が注目を集めている。一定の条件の下でこの手法を活用すると、これまで説明の難しかった非財務的価値を量的に可視化することが可能となるからだ。そしてこの手法は、スポーツコンテンツに限らず、多くの企業が取り組むSDGsやESGの活動の成果を可視化するツールとしても応用可能である。▼日本ではスポーツビジネス界が先行して取り組んでいるSROI分析は、リーグやクラブからスポーツをサポートしているパートナー企業に広がり、さらにそこから他のビジネスにも派生していくことで、お金で買えない価値ある活動にも、企業として正面から投資ができる未来に繋がっていく可能性がある。▼足元でも、スポーツコンテンツの生み出す非財務的な価値を可視化する取り組みをきっかけに、企業の投資行動にパラダイムシフトが起これば、世の中にこれまでなかった新たな付加価値が生まれ、さらにスポーツコンテンツの価値が高まるという好循環のサイクルを創り出せる可能性がある。▼スポーツビジネスは興行ビジネスや権利ビジネスと捉えられがちだが、Well-Beingな世界を創り出すソーシャルビジネスと捉えると、そこから生み出される非財務的価値(社会的価値)は非常に大きなものであることが実感できるかと思う。観る、する、支えるという様々なタッチポイントを持つことから、実はあなたの身近にあるスポーツの世界。一度、競技とは違った角度から覗いてみてはいかがだろうか。(ディレクター 里崎慎)
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