
日本では医療費の増大とそれに伴って増え続ける現役世代の社会保険料負担が社会的な課題となっている。そして、医療資源配分最適化とそれを通じた医療費抑制の文脈の一環で良く語られるのが「かかりつけ医制度」である。複数医療機関の重複受診やいわゆる「コンビニ受診」が一部医療機関の負荷を高めかつ医療費の増大を招いていることから、地域の「かかりつけ医」にゲートキーパー役としての役割を担ってもらい、患者が真に必要なものに絞って然るべき医療機関で診療を受けられるようにし、偏りや無駄の抑制を図るものである。さて、このかかりつけ医 (以下、「GP (General Practitioner・総合診療医)」) 制が医療システムの前提として確立されているのがオーストラリアである。
オーストラリアの医療制度
まず、オーストラリアの医療制度とはどのようなものなのだろうか。最も大きな特徴としては、先述の「GP制」に加えて「原則公費負担」という点が挙げられる。保険の形態を採っている日本とは異なり、オーストラリアでは医療費が税金で賄われている (制度名称「Medicare」。オーストラリア国籍保有者・永住者が対象)。財源は一般財源とMedicare税となっており、Medicare税は所得水準や家族構成によって変動はあるものの基本的に課税対象所得の2%とされている。
しかし、何でも公費負担になるというわけではない。「フリーアクセス」が特徴の日本の医療制度と異なり、オーストラリアでは、あくまでもMedicareで指定された医療サービスを受けた場合に公費負担になるというものである。Medicareでカバーされる公立病院の数は広大なオーストラリア全土で701、病床数は約66,000(国民1,000人あたり2.5病床) (*1)にとどまっており十分とは言いがたい。
ここで大きな役割を果たすのがGPである。患者は基本的にまずGPを受診することが求められており、ほかの医療機関・医師による治療が必要とGPが判断した時に、紹介状を受けて病院や専門医等を受診することとなる(図1)。GP受診とGP判断による病院・専門医受診の費用は、原則としてMedicareで指定された治療・金額の範囲内であれば患者自己負担は生じず公費でカバーされる。そして、患者がGP判断やMedicareの指定によらない医療サービスを希望する場合には、受診は自己負担となる。
プライマリケアの役割を明確化して患者の動線に医師の判断を組み込むことで、過剰受診の抑制と医療資源の最適配分が試みられている優れた制度に見えよう。
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GP制の課題
しかし、オーストラリアの医療制度に問題がないわけでは全くない。一見、医療サービスの公費負担と患者動線管理が組み合わさった素晴らしい仕組みに見えるが、あくまでも供給側に立って最適化するための仕組みであることに留意する必要がある。逆に患者側から見ると、どのような治療を受ける場合にも必ず専門医ではないGPを経なければならず時間とコスト(GPの診療内容がMedicare指定範囲を超えて自己負担が生じるケースもある)がかかるほか、Medicareカバレッジの範囲内だと医療機関や医師あるいは治療の選択余地はほぼない。もし、自己決定を望むのであれば、多額の自己負担がもれなくセットで付いてくる。
オーストラリアの社会動向もまた問題を大きくしている。オーストラリアは移民受け入れを大きなドライバーに人口成長を続けている国であることは周知の事実だが、同時に高齢化も進みつつある側面を持っている(2020年の65歳以上人口は全体の約16%だが、今後40年間に20%程度に上昇するとみられている(*2))。
そして、移民受け入れの大きな背景には人手不足がある。特に、高度人材の不足が顕著であり、政府は不足している職種において一定の条件を満たす人々にはビザや永住権を与えている。そして、その中には医療従事者も含まれている。つまり、医療従事者が不足している。
そもそも、高度人材に限らず全体としてオーストラリアは1990年代から今に至るまで一貫してOECDの平均賃金トップ10の常連であるなど(*3)、以前からほかの先進国と比較しても賃金が高水準にあった。特にコロナ禍明けの2022年以降は平均賃金が年率3%-4%台で増加し続けている(*4)。そのような中、人材争奪戦の様相を呈している医療従事者は特に賃金上昇圧力が強いことから、医療機関としては高額の人件費負担を覚悟せねばならず、十分な人員を確保するハードルが高い。
つまり、人口増加と高齢化によって需要が増えつつも、医療従事者の人材難と人件費高騰のため、需要に応じた供給を増やすことが難しい環境となっている。結果として、そもそも地域によってはGPの予約が取りにくく、またGP受診を経て病院に案内されたとしてもMedicareのカバーする公立病院はパンク状態で、長期間待機が常態化した状態が生まれている。「緊急性が高くない」と判断された場合、数カ月~1年近い待機を求められることも少なくなく(*5)、待機している間に疾患が進行したり、別の疾患に罹患したりなどして、本来受けられるはずだった治療を受けられなくなってしまったなどの悲壮なケースもあるという。人員増に頼らずともより多くの患者を受け入れられるようにすべく、医療機関の生産性向上は日本と同様に喫緊の課題である。人材難をカバーし得るオペレーションモデルやテクノロジー等への期待が高まっている。
民間医療保険
では、人々はどう対応しているのだろうか。その一つが民間医療保険への加入である。Medicare指定外の医療サービスを受けると患者に自己負担が求められる点は先述の通りだが、この自己負担分を民間医療保険の保険金でカバーするのである。これによって、患者は、長期間の待機や高額な自己負担をあまり気にすることなく、安心して自身の望む医療サービスを受けることが可能となる(ただし、基本的にGP受診にかかる自己負担分は民間医療保険の対象外)。治療内容を選んだり、公立でなく民間病院を選んだりなどもオプションとして出てくる。
実際、民間医療保険の加入率は、2000年時点の約30%から2024年にはHospital Cover(病院での治療費をカバーする商品)が約45%、General Treatment Cover(病院以外での治療をカバーする商品。Medicareでは歯科・眼科(眼鏡・コンタクト等)等がカバーされていないため、特に歯科にかかる保険のニーズが強い)が55%へと、それぞれ大幅に増加している。加えて、政府もMedicareを補完する役割として民間医療保険に期待しており、一定の条件を満たす民間医療保険未加入者にMedicare税の追加負担を課すなど、事実上の民間医療保険加入促進をおこなっている(図2)。
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もちろん、民間医療保険にも課題はある。まず、規制で地域ごとに一律の保険料率とすることが定められており、加入者ごとのリスクに応じた保険料設定や加入申込拒否は認められていない(*6)。このため、加入者負担が一律である一方、支払い保険金は健康状態が比較的悪い高齢加入者にかかる分が自ずと多くなり、世代間で受益と負担の公平性が担保されていない。加えて、医療の高度化、物価高・人件費高、高齢化等に伴って、保険料も毎年上昇を続けている。具体的には2025年には前年比3.73%上昇した。2015年には6%を超える上昇幅を記録するなど、賃金上昇率や物価上昇率を上回る幅で上昇する年も多く、ただでさえインフレによる実質賃金の減少に直面しているオーストラリア人の悩みの種である。プランや地域によって異なるものの、2024年には一人当たり年間民間医療保険料支払い額は若年層で320万円程度、中高年で420万円程度(1オーストラリアドル=100円換算)に上っているとされており、持続性が課題となっている(*7)。
おわりに
オーストラリアにおける医療の制度や試みは、増え続ける医療費負担を抑制するための道を模索している日本にとって大変示唆に富む。オーストラリアの医療制度は供給側の立場からは優れた仕組みである一方、需要側の立場に立つと決して使い勝手の良い仕組みとはいいがたいかもしれない。日本もかかりつけ医制度を推進する中で、同様の課題に直面する可能性は否めず、対応が求められることになろう。その傍ら、オーストラリアでは民間医療保険という日本ではまだ存在感の限定的なビジネスが育まれていることは興味深い。また、医療機関の喫緊の課題が人材難であることを踏まえると、生産性向上に資する医療現場のオペレーションモデルやテクノロジーを持つ企業には大きなビジネスチャンスがあることが示唆される。医療現場の生産性向上に取り組んでいる日本のヘルスケア企業にとっては、オーストラリアは事業を横展開することのできる市場かもしれない。
なお、需要が伸びていること、生産性向上によるアップサイドを見込みやすいこと、そして景気の影響を受けづらいこと等を背景に、PEがGPチェーンや歯科チェーンに積極的に出資する動きもみられる。例えば、KKRは2025年、メルボルン・シドニー・ブリスベン等で100を超えるクリニックを運営するGPチェーン・Family Doctorに出資しており、豪PEのCrescent Capitalは2024年に東南アジア・豪州でGPを含む各種医療サービスを提供するQualitas Healthの豪州法人に出資している(Crescentはほかに歯科や画像診断企業への出資も進めている)
合同会社デロイト トーマツでは、豪州法人Deloitte Australiaとともに、事業戦略検討・市場調査はもとより、日豪企業の協業・M&Aを広範に支援している。オーストラリアのライフサイエンス・ヘルスケア業界は発展・成長途上にあり、日本企業のチャンスも大きな市場ともいわれている。関心をお持ちの場合は、お気軽にご連絡いただければ幸いである。
※上記の社名・役職・内容等は、掲載日時点のものとなります。
*1
Australian Institute of Health and Welfare
*2
Australian Institute of Health and Welfare
*3
OECD
*4
Australian Bureau of Statistic
*5
Australian Institute of Health and Welfar




