組織内の不正を事前に抑止するためには、健全な組織風土の醸成が不可欠です。そこで、本連載の第1回第2回では、安心して率直な意見を述べやすい環境などを指す「心理的安全性」を高める意義とその概念、さらには不正予防の核となる心理的安全性を高めるために有効な「自己への働きかけ」について紹介してきました。第3回の本稿では「他者への働きかけ」とそれを機能させるのに必要な「影響力」について解説します。

※当記事はクライシスマネジメント メールマガジンに掲載した内容を一部改訂して転載しています。

「他者への働きかけ」の重要性

本連載では、心理的安全性を高めるための変革アプローチとして、①自己への働きかけ、②他者への働きかけ、③組織からの働きかけという「3つの働きかけ」が必要であることをお伝えしてきました。①の自己への働きかけによって自己認識を高める重要性について紹介した第2回の内容を踏まえ、第3回の本稿から第5回までは、変革アプローチ最大のポイントである②の「他者への働きかけ」にフォーカスします。ここでは、自己への働きかけで述べた自己認識に「影響力」をはじめとする人間本来の性質を加味して、心理的安全性を高める行動を、個人を起点に他者への働きかけを通じて組織へと広げていく過程について順を追って解説します。

【図1】3つの働きかけ
出所:デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社

まずは某大手陸運業の事例をもとに、「他者への働きかけ」が機能せず不正が起きた事例について説明します。

数年前、引越し顧客に対して不正に実家財量を過大に見積る手口による「水増し請求」が大規模かつ全国的に横行していることが明るみに出ました。さらに、事後調査によって発覚前に複数の内部通報・報告があったこともわかりました。このような場合は、単に内部通報・報告を受けた担当者への追及だけで片付けるべきではなく、多数の従業員が不正を見聞きし、報告を受けていたにも関わらず、正規の報告ルートで解決を図れなかったのはなぜなのかを追求すべきでした。

この事例は、内部通報・報告が「他者への働きかけ」に波及するまでに至らず、起こるはずだった変革の芽がかき消され、必要な自浄作用が発揮できなかったと解釈できます。では、なぜ「他者への働きかけ」が機能しなかったのでしょうか。その背景に迫るには「影響力」の概念を理解する必要があります。

「影響力」による変革の波及

私たちは意識・無意識を問わず、普段の行動・振舞いによって周囲に常に何らかの影響を与えています。そもそも、「影響力」とは、働きかけによって人の心を動かし行動を喚起したり、考えを変容させたりする力のことで、影響力が波及するきっかけを生む「コミットメントと一貫性」「好意」「返報性」「社会的証明」という4つの代表的な因子があります。

【図2】「影響力」の波及
出所:デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社

まず1つ目の「コミットメントと一貫性」とは、自身が表明した約束を守ろうとする性質のことです。例えば、「明日までに業務を終わらせる」と腹をくくり、深夜まで業務をこなすというような、人を駆り立てる作用が「コミットメントと一貫性」です。次に2つ目の「好意」とは、自分が好意を持つ相手からの影響を多分に受ける性質のことです。3つ目の「返報性」とは、自分が何か恩を受けると“お返し”したくなるという性質のことです。“お返し”は恩を施した者以外にも向かうことがあり、例えば、先輩から受けた恩を後輩に報いることで返すという場面も「返報性」の一様態と考えられます。4つ目の「社会的証明」とは、周囲の動きに同調したくなる、あるいは周囲の考えに沿った主張をしやすいと感じる性質のことです。

これら4つの因子は、影響力の及ぶ範囲、あるいは手順との関係で整理することができます。影響力が及ぶステップを組織風土の定着に沿った形で表現すると、下図のようになります。

【図3】変革の波及ステップ
出所:デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社

【STEP1】心理的安全性を高める目的を組織全体が共有し、「自己への働きかけ」で認識した具体的な改善ポイントを「コミットメントと一貫性」で実行に移す
【STEP2】共通の目的に呼応する行動が周囲の「好意」を喚起し、周囲の変革を後押しする
【STEP3】周囲の変革に触発された相手は「返報性」の作用により、周囲に報いたいと考える。このような相互作用が組織へ波及する
【STEP4】変革の相互作用により行動の変革に慎重な人までにも「社会的証明」が働き、意見や行動を抑制する同調圧力、閉鎖性などの打破に至る

上記の解説はやや概念的になりますが、自己から組織へ徐々に影響力が及ぶことを示唆しています。注意しなければならないのは、「影響力」はマイナスにも働き得るという点です。誰も行動を実行に移さなければ、「好意」も「返報性」も作用しないばかりか、“行動しない”ということに対して「社会的証明」が働いてしまい、同調圧力に飲まれ、組織風土は元の状態に回帰してしまいます。

先に紹介した某大手陸運業の事例は、内部通報や報告を行った一部の勇気ある人の行動(上記の整理ではSTEP1)が、うまくSTEP2、3につながらず、多くの人々が見て見ぬふりというネガティブな「社会的証明」に飲まれてしまった例といえるでしょう。通報や報告に呼応する声が生まれ、組織への波及に結び付き、常態化した不正からの脱却・改善へ対峙できるまでになるには、STEP1からSTEP4までを機能させ、心理的安全性を十分高めておく必要があります。これは、単に内部通報制度を設置しただけでは不十分であることを物語っています。

次稿では、具体的にどのように影響力を波及させ、他者へ働きかけるのかについて、「基本姿勢」「伝え方の配慮」「『強化』と『弱化』の活用」「行動の実践」という4つのポイントに分けて説明していきます。

デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社
フォレンジック & クライシスマネジメントサービス

小川 圭介 / Ogawa Keisuke

シニアヴァイスプレジデント

総合コンサルティングファームを経て、2012年にデロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社に入社。ビジネスデューデリジェンス、事業計画策定支援などのほか、現在は、企業の危機管理および危機からの脱出を支援するクライシスマネジメントサービスにおいて、品質不正が発生した企業に対する危機対応、再発防止策策定・実行、事業再生などのプロジェクトに従事。