
第1回 働く環境に「心理的安全性」が欠かせないわけ
組織風土の核となる「心理的安全性」を知るために近年、社会では企業の不正対応に対する関心の高まりがますます顕著になっています。例えば内部通報制度を例にとると、法改正や認証制度の発効・普及、通報窓口の複線化(社内窓口と社外窓口を併設)、社内リニエンシー(責任減免)制度の浸透などが急速に進み、社会の不正に対する態度が様変わりしていることがうかがえます。これは、こうした不正の発覚を事前に検出し、あるいは問題が大きくなる前に抑止する取り組みが、社会、組織、個人のいずれの面でも期待されているからにほかなりません。そこで企業が意識すべきと注目されているのが、不正の防止または早期発見を目指す組織変革のために「心理的安全性」を高めるという考え方です。「心理的安全性」とは、メンバーの率直な意見を喚起する組織風土を指すもので、ハーバード・ビジネススクールのエイミー・エドモンドソン教授によって提唱された概念です。これを世界的に有名なIT企業が実践したことで認知度が高まり、組織の生産性向上に必要不可欠であるという認識が広がりました。この心理的安全性の高め方について語る前に、まずは、なぜ不正が起きてしまうかについて順を追って考えてみましょう。【図1】不正のトライアングル出所:デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社不正は、不正行為を実行する事情となる「動機」、不正行為の実行が可能な環境にある「機会」、不正行為の実行を是認する主観的な事情を指す「正当化」という3つの要素が揃ったときに発生するといわれています。「動機」「正当化」に対するアプローチが無ければ、不正を企図する者が「機会」をくぐり抜け、不正の実行に及ぶ潜在的な恐れは常にあるといえます。そして、「動機」「正当化」には人間の心理的要素が多分に影響を及ぼすため、コントロールすることは困難です。実例に基づいて解説してみましょう。ある組織で、イベント開催の担当者が社内規定に反して数百万円の備品を自腹で購入しました。部署の一大イベントとあって事務は煩雑で多岐にわたる状況で、担当者は経費管理を一任され、なおかつ契約・経理サイドから手続きの逸脱がないよう強いプレッシャーが与えられていました。そんな中、イベント直前に事務手続きのミスから重要な備品の予算化ができていないことに気付いた担当者は、正規の手続きではもはや手遅れと判断し、備品を自腹で購入するという逸脱行為に及びました。この例は、事業の完遂と責任追及回避のための誤った判断を優先したもので、「機会」を抑制する制度や手続きの整備だけでは防ぎきれなかったことがわかります。必要なのは、責任追及回避という「動機」と、事業完遂優先という「正当化」を打ち消すことができるだけの心理的な手当てであったといえます。また、筆者は実際のコンサルティングの現場において、内部通報制度に関する「通報者探しをしている雰囲気はある」「通報すると特定される。間違いなく報復される」などの声を耳にしてきました。主に、心理的な抵抗に基づく忌避感を含むものが多く、心理的手当てがないままでは、確立したはずの制度(「機会」の抑止)の実効性すらも危ぶまれます。では、どうすれば心理的要素に働きかける手当てができるのでしょうか。ここからは、不正のトライアングルの「動機」「正当化」の2つの側面から掘り下げてみます。「動機」と「正当化」を見過ごさないまず、不正の「動機」は、個人的な利得を図る「個人的動機」と、社会的な存在としての地位の維持・向上を図ろうとする「社会的動機」に大別されます。このうち、「社会的動機」の背景には、業績達成のプレッシャーやよく評価されたいという願望の投影などが存在します。周囲と自分との間に何らかの認識のズレが生じ、このズレが是正されずに乖離が深まっていくと、ある局面で人はオーバーフローを起こし、不正の企図をはじめとする悲劇的な結末へとつながってしまうと考えられます。このような「社会的動機」を解消するには、「発言による不安がない状態」をつくり上げることでコミュニケーションギャップを埋め、メンバーの抱える問題に対し、組織全体で協力して解決を図ることができる状態を形成することが必要です。次に、倫理観の醸成と換言されることも多い不正の「正当化」に対する手当ては、「外発的」な手当てと「内発的」な手当てに大別できます。「外発的」な手当てとは外からの働きかけによって倫理観を高めることであり、例えば、組織の倫理教育が挙げられます。一方で、「内発的」な手当てとは、従業員自身が不正をすべきではないと思える状態をつくることです。その実現には、メンバー同士が「互いに信頼・尊敬できる」風土をつくり上げ、個々人がチーム・他メンバーの抱える課題に対する参画意欲や当事者意識を高めることが必要となります。信頼・尊敬が組織の価値観として重視されていれば、中長期的に組織に所属するための前提として機能し、不正への有効な抑止力になり得ると考えられます。以上のように整理すると、「不正のトライアングル」と「心理的安全性」が結びつくことがわかります。では、具体的にどのような取り組みが必要なのでしょうか。「心理的安全性」が高められた組織では、自己効力感・貢献意欲の高揚、ネガティブ情報の報告、多様性の促進、チームの学習・改善行動の強化といった効果が観察されています。組織のパフォーマンス向上の因子として抽出された心理的安全性ですが、これまでに整理した「発言による不安がない状態」「互いに信頼・尊敬できる状態」という心理的安全性の2因子(図2)から構成されることがわかります。【図2】心理的安全性の2因子出所:デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社つまり、組織風土の側面からは、パフォーマンス向上と不正抑制が不可分であり、両者を射程に入れて変革を促す必要があることを強く示唆しています。では、どのようにしていけば、心理的安全性、ないし「発言による不安がない状態」「互いに信頼・尊敬できる状態」を実現できるのでしょうか。3つの働きかけで心理的安全性を高める一般に、意識変革が難しいのは、改善対象を特定の個人・行動に限定できない点にあります。また、個々人の変革は必要である一方、組織全体が変革されなければ個人レベルでの改善がかき消され、改善の“巻き戻り”が起きてしまうことも大きな要因の1つでしょう。このような点を考慮し、筆者は「自己への働きかけ」「他者への働きかけ」「組織からの働きかけ」の「3つの働きかけ」(図3)からなる変革アプローチが必要であると考えます。【図3】3つの働きかけ出所:デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社このいずれの働きかけが欠けても変革がちぐはぐなものになるか、定着せずに立ち消えてしまうケースが多く見られるため、組織において確実に心理的安全性を高めるためには、従業員個々人が自身のコミュニケーションにおける改善ポイントに真摯に向き合い、改善するサイクルを維持継続する仕掛けが大切です。第一に自己への働きかけでは、自己認識という内省のメソッドで周囲と自分との認識のズレを埋めることが大切です。「自分の言葉は相手にどう受け取られているだろうか」「立場、状況、些細な表現や振舞いによって、あらぬ意味合いで受け取られてはいないだろうか」「自分の行動の背景には、どのような価値観が存在するだろうか」このようなことを振り返ることが、心理的安全性の基礎を形成することになります。第二に、他者への働きかけでは、先述の自己認識に加え、このような人間本来の性質を踏まえた「影響力」の与え方を具体的な行動に落とし込む必要があります。どんな立場の人も社会的な存在であるため、意識・無意識を問わず、普段の行動や振る舞いによって、周囲に常に何らかの影響力を与えています。影響力は人づてに組織全体へ波及し、組織風土を形成することとなります。そして第三に、個人レベルの改革に対して組織が働きかけ、支援することで、改革を維持継続することが可能になります。このように、不正のトライアングルの「機会」だけでなく、従業員個々人の心理的安全性を高める仕掛けを持つことによって「動機」や「正当化」へもアプローチすることで、不正や不祥事を未然に防ぐ組織風土の醸成につながると考えられます。次回はより実践的なアプローチに焦点をあて、実務に関わる具体例を交えて紹介していきます。

第2回 組織風土編
サイバーセキュリティを取り上げた第1回に続く今回のテーマは組織風土です。製造業での品質不正が発覚するケースが後を絶ちません。デロイト トーマツ グループが公表した「企業の不正リスク調査白書」では、こうした不正の理由として企業の組織風土に問題があると回答した企業が半数を超えました。今回このような品質不正に限らず、多くの不正・不祥事の真因として指摘される組織風土に焦点を当てます。解説するのはデロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社のフォレンジック & クライシスマネジメントサービス統括パートナーである中島祐輔です。

第1回 サイバーセキュリティ編
新型コロナウイルスの感染拡大に伴うリモートワークの急激な普及は、急ごしらえの隙を狙うようなサイバー攻撃による被害の拡大も招きました。2022年10月にリリースした「企業の不正リスク調査白書」でも、サイバー攻撃時のバックアッププラン・リカバリプランを立てていない企業が6割を超えると報告されており、対策に遅れがある現状が浮かび上がります。この連載では、日本企業の不正・不祥事対応の最新傾向とコロナ禍前後の変化を収めた「企業の不正リスク調査白書」を取り上げ、テーマごとに5回に分けて要点解説します。解説はデロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社のフォレンジック & クライシスマネジメントサービス統括パートナーである中島祐輔です。初回はサイバーセキュリティを取り上げます。

各国データ保護法の最新動向と日本における実務対応のポイント(後編)
世界各国でのデータ保護規制の広がり、国ごとの最新動向について言及した前編に続き、後編ではそれら現状を考慮したうえで、日本企業がどのように対応していけば良いのかを探っていきます。前編同様、森・濱田松本法律事務所 田中浩之氏の解説により、日本企業が今後意識していくべきポイント、海外のデータ保護規制に向けた対策、インシデント発生時の対応などについて述べていきます。(聞き手:編集部 村上尚矢、キムヨンミ)

各国データ保護法の最新動向と日本における実務対応のポイント(前編)
デジタル化が進む現代においては、多様なデータが世界中を駆け巡っているといえます。そのため世界各国ではデータのプライバシーを保護する動きが加速し、法規制も年々強化されています。このような状況下でグローバルビジネスを展開する日本企業にとって、各国のデータ保護法の概要をつかんでおくことはかなりの重要事項となります。今回はグローバルのデータ保護法について知見を持つ森・濱田松本法律事務所 田中浩之氏から、主要国のデータ保護法制の動向について伺っていきます。(聞き手:編集部 村上尚矢、キムヨンミ)

繰り返される品質不正問題に企業は終止符を打てるのか
企業の品質不正が頻発しています。毎年複数の有名企業がこの問題でメディアに取り上げられることで、この問題に対する“慣れ”が生じかねません。改めて社会的影響が非常に大きく、そして企業価値に影響を及ぼす深刻な問題であることを認識いただきたいと思います。既に多くの企業は品質不正問題を重く捉え、何かしらの対応策を講じているはずです。しかし、継続して行われてきた不適切な習慣に気付ける機会がなかったのか、発覚するケースは後を絶ちません。既存の対策に漏れがあるのか、問題の要因は何か、現状の疑問や課題について数多くの品質不正調査に携わり、不正が発生した「現場」と向き合ってきた西村あさひ法律事務所の荒井喜美先生にご意見いただきました。(聞き手:編集部 村上尚矢)

企業活動に人権デューデリジェンスを浸透させる方法
強制労働、児童労働、あるいは人身取引など。これらはかなり以前から国際的に問題視されていました。その一方、昨今では人権デューデリジェンスという言葉を耳にするようになってきています。これは従来から問題視されていた人権に関わるリスクを評価、その対策を策定・実行するプロセスのことを示し、海外企業だけでなく、国内企業でも具体的な意識をもって取り入れられるようになっています。人権デューデリジェンスの現状や国内外の取り組みについて、長島・大野・常松法律事務所の福原あゆみ氏に解説いただきました。(聞き手:編集部 村上尚矢)

DXが抱えるリスクに抜かりない対策を――企業が今考えること(後編)
デジタル化が進む現代の平時におけるインシデント対応を解説した前編に続き、後編では有事の際に意識すべきこと、企業のガバナンス体制構築などについて、TMI総合法律事務所の寺門峻佑氏から解説いただきます。寺門氏からは、今後の企業が取るべき行動を具体的に示唆していただきました。(聞き手:編集部 村上尚矢、キムヨンミ)

DXが抱えるリスクに抜かりない対策を――企業が今考えること(前編)
社会全体がデジタル化に向けて進んでいる今、情報セキュリティに関する意識も高まっています。特に企業にとって予期せぬインシデント発生時の対策を策定することは、喫緊の経営課題といえるでしょう。平時、有事にそれぞれ何を成すべきか。リスクマネジメントに精通し、実務経験も豊富なTMI総合法律事務所の寺門峻佑氏に解説してもらいました。(聞き手:編集部 村上尚矢、キムヨンミ)

5分でわかる情報ガバナンス
デジタル時代において、情報は資産であると捉える企業が増えています。これらの企業にとって情報ガバナンスの導入・構築は、管理コストの整備やリスク低減を考えるうえで必要不可欠な要素といえるでしょう。今回は、情報ガバナンスについて意味や、構築のメリット、導入する際のポイントを紹介していきます。※2021年9月15日に掲載した記事の内容を改訂して再掲します。
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企業の不正リスク調査白書――ななめ読み
476社から回答を得た「企業の不正リスク調査白書Japan Fraud Survey 2022-2024」の調査結果レポートを要点解説します。

不正予防可能な組織風土づくりのために
組織内の不正予防の核となる心理的安全性を高めるために有効なアプローチをはじめ、健全な組織風土を醸成する方法について全5回のシリーズで解説します。