M&Aには当然ながら買い手と売り手が存在する。グローバルに見て、M&Aは不採算事業の整理だけでなく、戦略的なポートフォリオ変革を実現する手段として位置づけられつつある。日本でも、資本効率や企業価値の向上が求められ、平時からの事業ポートフォリオ見直しの制度化と中長期視点に立った再編の重要性が一段と高まっている。こうした中、デロイト トーマツ グループは20264月、実務セミナーを開催。10年以上前から数多くの事業売却(ダイベストメント)案件をまとめてきたパートナー4人が実体験を交えながら、「売り手の心得」を説いた。

セミナー名は「事業売却を成功に導く戦略と実務上のポイントDivestment & Separation実務セミナー」で、2026420日に都内で企業の実務担当者約70人を集めて開かれた。主要なプログラムは次の3つ。

1.世界のダイベストメント最新動向

~グローバルコーポレートダイベストメント調査より※~

2.日本企業の再編の動向

3.事業売却を成功に導く“事前準備”と実務プロセス

調査名は「2026 GLOBAL DIVESTITURE SURVEY」(日本語版「2026年グローバルコーポレートダイベストメント調査変革を促す事業売却に向けて」)

 

事業を切り出す難しさ

 

冒頭あいさつで金子正明パートナーは、自身が2010年代の前半に取り扱いを開始した当時、事業売却案件は年に数件だったが、ここ数年は年に数十件まで増えており、こうした案件をこなす中でのフィードバックを行いたいと語った。この日説明を行ったのは金子氏に加え、戸田崇生、野口昌義、伊藤謙の各パートナーを含む4人。

 

続いて戸田パートナーがダイベストメントのイメージを、セミナー開催中の会場にたとえた。「この会議室が売却元の1つの会社だとすると、座っている方々のここから半分を切り出して売却する場合、後ろに置いてあるコーヒーや資料投影用のパソコン、ひとつしかない出入口の取り扱いをどうするのかなど、切り出すということを実現するために決めなければいけないことが多数出てくる」と説明した。

 

そのうえで、デロイトのグローバル調査レポートの内容を説明した。要旨は次の通り。

・売り主が重要ポイントと考えるのは「売却収益の最大化」「クロージングまでの期間短縮」「売却にかかわるコスト」の3点。事業の分離や切り出しを伴う案件は長くなりがちで、株式譲渡契約(SPA)からクロージングまで半年から 1年かかる。これを短くして高く売り、執行に要したコストは安くしたいわけだが、M&Aは取引なので買い手の目線とマッチしなければ、うまくいかない。

・調査によると、売主が最も重視するのは「最高入札価格」で、2番目は「クロージングまでのスピード・確実性」。一方で買い手が最優先するのは「自社との戦略的適合性」で2番目は「成長機会・シナジー機会」だ。「クロージングまでのスピード・確実性」は3位の「統合容易性・可能性」に次いで4位であり、必ずしも売主と目線が合っているとは言えない。それゆえ、売り主が買い主の目線を意識した戦略や準備をしっかりしておかないと、ディールが実行段階に入った時、うまく進まなくなる。案件によっては破談になるので、このギャップをしっかり埋めていくことが大事。

・ダイベストメントは受動的な売却から戦略主導のポートフォリオ変革へと進化している。業績が悪くなったから、金融機関から言われたから、売るのではなくて、環境変化を見据えながら、ビジネスをしっかり機動的に入れ替えていくことが重要だ。また、売却した後も売り手側は、手元に残るストランデッドコスト(残置コスト)に気を配る必要がある。売却して会社の規模が半分になっても、人事・経理・ITの間接部門コストは以前のまま残って負担増を招き、企業価値を下げてしまう。売却後の絵姿を踏まえたうえで、売却戦略や切り出し範囲をしっかり見据えていく必要がある。

 

(左)金子パートナー (右)戸田パートナー

 

日本企業が切り出しに消極的な4つの理由

 

続いて「日本企業の再編の動向」と題し、野口パートナーが次の説明を行った。

・われわれ人は日本企業の事業切り出し件数がまだ少ないと思っているが、経済産業省も同様の分析を行っている。要因は4つ。まず、業容・業態の維持や多角化による規模拡大とリスク分散が善とされていた時代の伝統的な考え方が根強く残っている。次いでバランスシートに基づく資本効率を重視する発想が売上拡大よりも希薄で、「資本コスト」に対する意識が全体的に低い。3つ目は顧問や相談役などのOBが始めた伝統的な「祖業」などからの撤退に遠慮が働きがち。最後は企業価値を向上させたかどうかで経営者が評価されるところに至ってはいない点だ。

・英ユニリーバが3月末、食品事業を分離して米スパイス大手マコーミックと統合させると発表した。新会社の価値は650億ドル(約10兆円)。欧米企業はここに及んでも非常に大胆な取引をしている。日本企業は事業規模が拡大する一方で、低収益事業を抱え込んでなかなか放出できない傾向がある(図表1)。

 

(図表1)日本と欧米の事業再編動向とその特徴

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・事業転換の先進的な日本企業として、富士フイルムと日立製作所と三菱ケミカルグループが挙げられる。富士フイルムは写真のフィルムを祖業とする会社だったが、 2000年代初めから20年かけて業態を転換させ、現在はヘルスケアや、かつて米ゼロックスとの合弁だった「ビジネスイノベーション」事業が中核で、時間をかけてダイベストメントのような大きな事業売却を行わず転換を果たしてきた。日立製作所は相当数の買収と売却を繰り返し、現在では「Lumada(ルマーダ)」※をコアとする主力4事業を買収などで強化する一方、Lumadaと親和性が乏しい事業や子会社は手放す戦略。三菱ケミカルは化学業界全体の流れでもあるが、買収よりもダイベストメントが主体で、2025年の田辺三菱製薬売却は大きな話題となった。日本企業としては本来的には富士フイルムのような事業売却をせずに事業転換を狙いたいと理解しているが、不確実性の中でスピード感が求められている現状だと、日立製作所や三菱ケミカルのような動きがグローバルの中で戦っていくためには必要ではないか。

 

Lumada Illuminate(照らす)とData(データ)を組み合わせた造語。顧客のデータを可視化・分析して経営課題や社会課題を解決するとしている。

 

 

事業売却を成功に導くには

 

 

手放すものと残すものを区分けして分析を

 

そして事業売却成功させる準備と実務プロセスについて、戸田パートナーと伊藤パートナーが説明を行った。

【戸田パートナーの発言要旨】

・売却交渉に入った相手は対象事業の価値とリスクを見極めるためのデューデリジェンス(DD)を実施してくる。タイムリーにテンポよく応じられないと、ディールがうまく進まなくなる。大体 1カ月ぐらいのDD期間中に経営会議や取締役会にかけることは難しいので、その前段階で方向性をしっかり整理してディールに臨むのが大事。

 

・事業の切り出し(カーブアウト)ディールで必要なアクションは、①買い手がどのような観点でDDに来るのかを念頭に置いたプランニング、早期の体制構築とディールのプロセスコントロール、③残置コストへの対処、である。①のプランニングにおいては「カーブアウトイシュー」と、「スタンドアロンイシュー」の2つを定める必要がある(図表2)。

 

(図表2)ディールに臨む前に切り分け必要な要素

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・カーブアウトイシューは何を取引対象範囲に含めるかということ。例えば、工場を二つに割るとして、ユーティリティ(電気・ガス・上下水道など)や食堂や更衣室はどう使っていくのか議論になる。譲渡されないとしたら買い手は自分でお金を出して、その機能を構築しなければならない。それはディールをするにあたって追加の投資になるので、しっかり見極めなければならない。

 

・次はスタンドアロンイシューについて。カーブアウトの範囲が決まると、1つの会社法人として運営するには足りないものが出てくる。よくあるのが、コーポレート系の経理や人事のスタッフは含まれないケース。図表2の右側で言うと、分離元会社はX事業とY事業をやっていて、 売却するY事業の拠点や物流や人員はカーブアウト対象に含まれていて譲るが、管理・間接機能は渡さない、となると分離先会社は給与計算や支払いもできず、場合によってはパソコンがないからメールも見られない。そういうものがスタンドアロンイシューと呼ばれる。この 2つのイシューをしっかり切り分けディールに臨む必要がある。

 

・スタンドアロンイシューに伴って生じるコストはワンタイムとランニングに大別される。前者はオフィスを借りる際の敷金のようなもので、後者は賃料のようなもの。このスタンドアロンコストは結構厄介。大きなものは人件費で、コーポレート系が来ないのであれば追加で雇わなければいけない。そしてヒートアップしがちなのがITシステムと年金。 ITシステムは大企業になればなるほど単一システムを使っていることが多いため、事業は渡すがシステムは分けられないからあげられないということが多い。そうすると事業を引き受けた側は一から同じシステムを構築しなければならないがIT関連は時間もお金もかかる。自身の経験ではワンタイムで 500億円かかると言って怒られたことがある。年金については大企業ほど福利厚生で積み立てがなされているので、離脱するとなると巨額の拠出を求められる可能性があるため、大きな論点になる。

・続いて早期の体制構築とディールプロセスのコントロール。M&Aの際に全ての人を関与させるのが難しいことは十分に理解しているが、責任者や主要なメンバーは、ディール案件の検討に入ってもらう必要がある。軸となるメンバーが広範囲に加わっておらず情報が全く取れない場合は、ディールが失敗することが多い。10年前だとIT担当者がM&A案件にアサインされるのをほとんど見なかったが、ここ数年は結構変わってきている印象がある。

 

 

「残置コスト」対応の複雑さ

 

・そして残置コスト。これは専門家の中でもそんなに話題になっていない領域だが、必ず検討が必要。大企業だと売上の半分を超えるようなビジネスを切り出すことがあり得る。その場合にコストのかかるコーポレート部門をつけると売却価格が下がるので、分離元の会社に残すことが多い。多くの日本企業では残ったスタッフを「今までありがとうございました、お疲れ様でした」とはできない。そして事業が半分なくなってもITコストは半分になるわけではない。シェアードサービスも通常の企業経営ではコスト減につながるが、ダイベストメントのようなトランザクションを伴う場合は迅速な機能変化にはついてこられず、必ずしもうまく機能しないと思う。

 

(左)野口パートナー (右)伊藤パートナー

 

 

連続性がないと「絵に描いた餅」に

 

【伊藤パートナーの発言要旨】

・カーブアウトディールでは対象事業の価値算定の基礎となる財務諸表と事業計画の作成が必要。財務諸表は過去の情報で事業計画は将来見通しだが、対象事業について同じ前提で連続性を持って作る必要がある。一般的に過去実績は経理部、将来値は事業部等が作るケースが多いが、最後の情報のパッケージ(インフォメーションメモランダムなど)を作った時にうまく合っていないと、買い手から計画の信頼性を疑問視されて交渉は売り手に不利になる。このため、作成の精度と作成方法の連続性と情報の粒度を担保することが極めて重要。

 

・財務諸表作成では対象事業の過去の数字。損益と資産・負債に加えて設備投資(Capex)も収集するのが一般的で、買い手のDD対象となる。10年以上前には、「カーブアウト財務諸表がおかしいのでDDプロセスから降りますという会社があったほか、DDが数カ月ストップした例もあった。最近はあまりそういったことはないが、交渉相手から提示される価格が保守的に減額されるリスクはある。何件も事業を売却している会社でも明らかに準備が不足して価値が最大化できてないのでは、ということがあったりする。カーブアウト財務諸表を 2週間で作れという会社もあるが一般的には 12カ月はかかる。きちんと準備をして買い手から見た時に魅力的な情報があるというのが実はキャッシュフロー価値の最大化にもなり、プロセスを円滑に進められるというのが、われわれの見立てだ。

 

・事業計画は、その信頼性がまさに価値に直結する。一般的には作成済みの予算や中計の数字を使えることが多いと思うが、内部で作られているものをM&Aに慣れた外部の第三者に示した時に、対象期間やロジックが不十分と見られる場合もある。数字の作り方が甘いとディスカウントされることもあるので、きちんと買い手目線で数字を作り、ストーリーを組み立てることが肝要。買い手からすれば事業計画だけだと、買い手として買収による効果が本当に実現可能なのか、あるいは絵に描いた餅になるのかがわからないと思う。事業計画の発射台となる財務諸表の実績値と連続性があることが、事業計画の信頼性を担保することになる。この連続性と整合性は極めて肝要。

 

M&A契約締結の直前もしくはその後に何らかのイシューが判明した場合、売り手負担になってしまう点に留意すべきだ。早期体制の構築のポイントは意思決定者を適切に巻き込むこと。工場の土地を売却するか、経理部門を売却対象に入れるかどうかは、人事部門や工場長や役員に聞かねばならず通常業務で想定されてない意思決定の連続になるため、適切な意思決定をきちんと短期間で決めていくのが重要。そして残置コストは新しい概念だが大切。事業売却を何回も何回も繰り返した顧客企業の収益性が下がっているので確認すると、数千億円規模の売上の事業を売却した際に間接部門を完全にとどめたままにしていた。そういったことがないよう、残置コストという概念は今回われわれが示せるメッセージだと思っている。

 

 

事業売却を成功させる鍵は

 

セミナーの最後では、金子パートナーが要約資料(図表3)について補足説明するとともに、質疑応答が行われた。

【金子パートナーの発言要旨】

日本でも戦略的なダイベストメントがまだまだ増えてきてもおかしくない。10年以上前と比べるとポートフォリオマネジメントを全く意識していない会社はかなり減ってきていると思う。実務上は、とにかく決めることが多いのが大変。昔、2週間でカーブアウト財務諸表と事業計画の作成支援を依頼され、伊藤パートナーと一緒に頑張って 1カ月でなんとか形を作ったが、買い手からこんな数字は全く信用できないと言われ、本当にディールが潰れてしまったことがあった。

 

(図表3)セミナーのまとめ資料

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質疑応答の内容は次の通り。

Q:依頼されてクロージングまでの期間はどの程度か

【金子パートナー】準備に時間をかけてくれる顧客企業が最近は増えているが、どんなに効率的にやっても4カ月。普通にやるとしても 6カ月。

 

Q:ディールでネックになる要素は何か

【金子パートナー】個人的には最初の体制構築。われわれがこうあってほしいという体制になるまで、優に12カ月かかるが、人のアサイン体制が一番ボトルネックになりやすい。これに関してわれわれアドバイザーは何もできないので、お願いする。ほぼ最初の時点から法務、総務、経理など各領域の分科会を相当なフルスペックで揃えられている顧客がいる一方、全く逆で経営企画と経理の数名だけの場合もある。その辺のポリシーは会社によって結構違う。

【戸田パートナー】適切な意思決定ができるのかどうか。バランスを見てトップダウンで会社の意思として決められる人がいないと、このたぐいの案件はあまりうまく進むことがないと思う。

【伊藤パートナー】顧客がきちんと準備していても破談になる確率は、割と高い。価格が折り合わないことや、社内の事情による見送りもあるが、売るタイミングが遅くて買い手からすれば魅力がないアセットになってしまったケースもある。

【野口パートナー】顧客企業が平時から、事業別の手持ち情報を財務の数字だけでなく、取引契約など、ディール上、開示する事業別の情報を即座に示せるようにしていれば、味方のアドバイザーも相対するアドバイザーも迅速に判断できる。これがディールの成否や長さに関わる時代になってきたと思う。逆に言うと平時にそのような取り組みをすることが不可欠だ。

 

 

説明者の略歴

【金子正明パートナー】

大手会計事務所にて金融機関向け監査及び財務DD業務に、国内独立系投資会社にて投資案件のバリュエーション、ストラクチャリング、契約交渉等の投資関連業務に従事。株式買収、債権、不動産等多様な投資経験を有する。2011年デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社(現合同会社デロイト トーマツ)に入社。クロスボーダーを含む財務DD、財務アドバイザリー業務、事業計画策定支援、事業再生など多様な業務に従事。現在は日本企業による海外企業の買収、事業の売却・再編支援などの業務をてがけている。

 

【戸田崇生パートナー】

公認会計士事務所、創薬系バイオテックを経て2015年デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社(現合同会社デロイト トーマツ)に入社。主に化学・素材業などの製造業を中心に、M&AにおけるITDD、カーブアウトDD、スタンドアロン分析、クロージング・Day1対応支援、分離&売却案件のセルサイドアドバイザリー業務などに幅広く従事。

 

【野口昌義パートナー】

大手事業会社を経て、他監査法人系財務アドバイザリーファームにて事業再生・経営統合・持株会社設立等の財務アドバイザリー業務に約10年従事。2015年デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社(現合同会社デロイト トーマツ)に入社。カーブアウトに必要な財務情報準備、買手候補からのDDへの対応、事業分離に関する契約助言等、セルサイドの幅広い財務アドバイザリー業務の責任者を務める。また、カーブアウトでも、セルサイドの知見を活用した支援・交渉サポートに従事。

 

【伊藤謙パートナー】

大手監査法人にて監査業務、内部統制構築支援やIFRS移行などにかかるアドバイザリーに従事した後、FAS(Financial Advisory Services)子会社へ転籍。事業再生アドバイザリーに従事し、事業計画策定、銀行交渉支援、費用削減等を担当。2013年デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社(現合同会社デロイト トーマツ)に入社し、財務DD業務のほか、カーブアウト案件におけるセルサイド支援や契約交渉支援、その他各種アドバイザリーサービス業務に従事している。

 

駅 義則 / Yoshinori Eki

主席研究員

時事通信社で経済部記者として金融破綻や電機再編などを取材。米ブルームバーグ・ニュースに移籍し、アジア地域のテクノロジー業界担当の記者とエディターを務めた。東洋経済オンライン、三菱総合研究所の編集・対外発信業務に携わった後、2024年4月にデロイト トーマツに参画。


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