政府が2025年5月に国会提出した年金制度改革法案について、当初盛り込まれなかった基礎年金(国民年金)の給付水準底上げを明記することで与野党が合意した。シリーズ2回目になる本稿では、この底上げ措置について論じたい。
目次
年金改革法案は本会議や委員会での質疑に首相が出席する「重要広範議案」であり、社会的な関心も高い。法案提出前の段階で改革案の一部を見直したため、政府提出法案の締め切りの目安から大幅に遅れての提出となった。
政府が提出した法案に当初、盛り込まれた主な公的年金に関する制度変更は下記の4点だ(図表1)。本稿ではそれぞれの詳細は割愛する。
(図表1)政府が当初提出した年金法案に盛り込まれた公的年金に関する主な制度変更
提出後の与野党協議の結果、厚生年金の積立金を活用して基礎年金(国民年金)の給付水準を底上げする措置を法案に明記することが決まった。もともと政府が盛り込む方針だったが、「会社員らの加入する厚生年金から自営業者らの加入する国民年金への流用ではないか」との批判がSNSなどであった。この措置の恩恵は会社員にも及ぶため、「流用」批判は必ずしも正しくない。ただ、理解が難しいのも事実で可能な限り正確に解説していきたい。
基礎年金の所得代替率低下に歯止め
まず、本シリーズ初回(リンク)でまとめた公的年金の仕組みをおさらいしよう。公的年金は現役世代が負担する保険料と国庫負担(税金)を年金にあてる仕送り方式だ。少子高齢化が進むめば、保険料を納める人が減って受給者が増える。給付水準を賃金・物価の伸びよりも抑制して世代間のバランスを取る機能を果たすのが「マクロ経済スライド」だ。今回の基礎年金の給付水準底上げ策の主役である。
マクロ経済スライドはおおむね100年間で年金財政のバランスが取れると判断できる時点まで行う。発動する期間が長いほど、給付水準は低下する。
マクロ経済スライドは厚生年金の2階である報酬比例部分と1階部分の基礎年金部分のそれぞれにかかり、調整の終わる時期が異なる。厚生労働省が実施した2024年の財政検証によれば、過去30年と同じ低成長が続くとする「過去30年投影ケース」で、報酬比例部分の調整は2026年度に終わる。一方、基礎年金は2057年度までかかる。このズレを一致しようとするのが今回の修正案だ。
公的年金の給付水準をはかる物差しとしては、65歳から受け取り始めたときの年金額と現役世代の男性の平均手取り収入を比較した「所得代替率」を用いる。この比較で使う年金額は、平均的な収入で40年間就業した夫と専業主婦の妻が受け取る厚生年金と基礎年金の合計額だ。2024年度は61.2%で、内訳は基礎年金部分が36.2%、報酬比例部分が25.0%だ。基礎年金部分は調整が2057年度までかかれば、2024年度に比べ10.7ポイント下がる(図表2)。
(図表2)厚生年金の所得代替率の見通し
このように基礎年金の所得代替率が下がり過ぎないよう、厚生年金にある積立金と国庫負担を使う。調整期間は現行制度を続ける場合と比べ21年短くなり、基礎年金の所得代替率は3ポイントの低下にとどめることができる。一方、報酬比例部分の調整は10年延びるため、所得代替率は2.1ポイント低下する(図表3)。この案は前述の通り「厚生年金の流用」といった批判に加え、現行制度を続ける場合に比べて、年金額が目減りする世代が出る可能性が懸念されている。
(図表3)基礎年金にかかるマクロ経済スライドの調整期間を短縮する効果
「厚生年金の流用」という批判は多分に誤解がある。厚生年金はすでに述べたように、基礎年金と報酬比例部分が合わさったものだ。自営業者らが加入するのが国民年金、会社員らが加入するのが厚生年金といった説明がなされることがあるが、会社員らは老後になれば両方を受給する。このため、基礎年金の給付水準の底上げは、国民年金のみに加入する人だけでなく、厚生年金に加入する会社員らにも恩恵が及ぶ。
だが、この措置によって、年金額が減る世代が出てくる可能性があるのは事実だ。厚生労働省が2024年12月の社会保障審議会年金部会で示した年金額改定への影響シミュレーションによると、過去30年投影ケースでは、今の制度に対して最も差が大きくなる2035年度で、月額の年金額は約7000円抑制される(※1)。現役時代に所得が多かった人の方がその影響は大きい。
なお、「年金額が減る人が出てくる可能性がある」と回りくどい表現をしているのは、確定しているわけではないからだ。よく使われるこのシミュレーションは過去30年の低成長を投影したものであり、成長型経済に移行するケースでは、年金額は増える。経済成長こそ最大の年金対策なのだ。法案の修正案では、2029年に予定する次期財政検証の結果、基礎年金の給付水準低下が引き続き見込まれる場合に、底上げを実施する規定を付則に盛り込んだ。また、一時的に給付水準が低下する影響を緩和する措置を実施することも入っている。2029年までに日本経済を成長軌道に乗せることができるか否かによって、年金改革の行方は変わるだろう。
それ以外に、この底上げ措置を講じれば国庫負担が増えるとの指摘がある。「最大で年2.6兆円の追加国庫負担が発生する」と表現されることがあるため、現状から2.6兆円増えるイメージを持つ人が多いだろう。だが、実際は異なる。最大2.6兆円の財源が必要とされる2070年度の国庫負担予測は、11.9兆円で、2024年度の13.5兆円からむしろ減る(※2)。2.6兆円とは、現行制度を続けた場合との差額だ。全く新しい財政需要が出てくるわけではないと言えるだろう。もちろん、社会保障費全体が膨らんでおり、財源論が重要なのは言うまでもない。ただ、個々の政策においては前提になるデータを正確にとらえた議論が必要だ。
基礎年金の給付水準底上げには複数の手段
ここからは基礎年金の給付水準の引き上げという目的に対し、他の手段はないのかという観点で考えてみたい。主に二つの手段があり、一つは法案にも含まれている厚生年金の適用拡大だ。これは基礎年金のマクロ経済スライド調整期間の早期終了をもたらすことができる。
①厚生年金の適用拡大
公的年金制度では、基礎年金(国民年金)のみだった人に厚生年金を適用すると、その人は「第1号被保険者」から「第2号被保険者」へと移行する。移行するのは人だけで、基礎年金の積立金は移動しない。結果として残った人の1人当たりの積立金の額が増えるという財政改善効果をもたらす。より多くの人に厚生年金に適用していくと、基礎年金の調整期間は短くなっていく。
どれくらい効果があるのか厚労省の財政検証オプション試算で確認できる。厚生年金を週10時間以上のすべての雇用者に適用(注)した場合、約860万人が新たに加わる。過去30年投影ケースで、基礎年金のマクロ経済スライドによる調整期間は現行制度より19年短くなり、比例報酬部分と調整期間の終了時期が一致する。基礎年金部分の所得代替率は3ポイントの低下にとどまる(図表4)。適用拡大は労使の保険料負担の問題があり、漸進的にしか進んでこなかった。約860万人という適用拡大が一気に進む実現性は極めて乏しいが、厚生年金の積立金を基礎年金に投入するのと同じ効果があることが分かるだろう。
(図表4)厚生年金の適用拡大(860万人)による効果
②基礎年金の拠出期間を延長
もう一つの手段は基礎年金の保険料を支払う期間を現行の40年(20~59歳)から45年(20~64歳)に延長することだ。この結果、過去30年投影ケースの基礎年金の所得代替率は6.7ポイント低下し、比例報酬部分が2.9ポイント上昇する(図表5)。
(図表5)基礎年金の保険料支払い期間を45年に延長する効果
総務省の2024年の労働力調査によると、60~64歳の就業率は74.3%と過去最高だ。拠出期間を40年とする基礎年金が誕生した1985年は51.1%だったことを考えると、高齢者の就業状況は大きく変わった。保険料負担の増加という課題はあるものの、拠出期間の延長は自然な流れと言えるだろう。
このように基礎年金(国民年金)の給付水準底上げを実現するには複数の選択肢がある。ただ、いずれも何らかの負担が発生する。給付と負担が結びつく社会保険方式の制度である以上は当然だろう。今回の法案にとどまらず、年金改革は長期的な政策課題だ。誰が、どのように、どの水準なら負担でき、どの水準の給付なら老後の支えとして十分なのか、データに基づいた冷静な議論と検討が必要だ。
【参考資料】
(※1)厚生労働省 第23回社会保障審議会年金部会「資料2基礎年金のマクロ経済スライドによる給付調整の早期終了(マクロ経済スライドの調整期間の一致)について②」7ページ
(https://www.mhlw.go.jp/content/12401000/001359255.pdf)
(※2)厚生労働省 第23回社会保障審議会年金部会「資料2基礎年金のマクロ経済スライドによる給付調整の早期終了(マクロ経済スライドの調整期間の一致)について②」26ページ
(https://www.mhlw.go.jp/content/12401000/001359255.pdf)
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