はじめに
本連載では、心理的抵抗が不正に与える潜在的な影響を指摘するとともに、不健全な組織風土を打破し、変革するためのアプローチを5回にわたり解説する。率直に意見を述べることができる組織風土、その核となる心理的安全性をいかにして高められるかについてフォーカスしながら、「実践にどう移すか?」という解決策まで踏み込んでいく。
3つの働きかけ(再掲)
前回、心理的安全性を高めるためのアクションとして「3つの働きかけ」、即ち①自己への働きかけ、②他者への働きかけ、③組織からの働きかけの3方向から成る変革アプローチをご紹介した。このいずれが欠けても変革はちぐはぐなものになる、あるいはかき消えてしまい、定着には至らないだろう。
今回扱うのはこのうち、①自己への働きかけである。端的に説明すると、自分と他人との認識のズレを埋めるための第一歩として、自己認識という内省のメソッドを取り入れて自己理解を深めるというものである。
自分の言葉は、相手にどう受け取られているだろうか。立場、状況、些細な表現や振舞いによって、あらぬ意味合いで受け取られてはいないだろうか。また、自分の行動の背景には、どのような価値観が存在するだろうか。このようなことを振り返ることが、心理的安全性の基礎を形成する。自分への認識を正しく変えることによってはじめて、「他者」「組織」への働きを作動・機能させることができるとも換言できる。

事例から見る「自己への働きかけ」の必要性
まずは実際にあった不正事例をご紹介しよう。
某大手建設会社の海外子会社で、工事原価の付け替えや過少見積り等により利益操作が行われた。営業損益への影響は3年で十数億円に及んだ。
不正実行者はトップへの忖度を背景に、達成困難な業績目標を何が何でも達成すべきものと捉えた。更に、実行者は目標達成のプレッシャーから視野狭窄に陥り、利益操作を企図するに至った。加えて市況回復により業績が好転すれば利益操作は表面化しないという都合の良い見立てがこれを後押しした。このような実行者の認識のズレが積み重なり、利益操作の金額が雪だるま式に膨れ上がっていった。
読者にとってこのような不正はまるで経済小説のような他人事と思えるかもしれない。しかし、事の発端は非常に身近な“認識のズレ”に起因している。
- 相手の意図をズレた形で受け取ってしまう
- 自分の意図が相手にズレた形で受け取られてしまう
- 物事を自分の都合のいいように解釈してしまう
このようなことが自身の身の回りに起きていないと言い切れるだろうか。
企業不正の調査報告書には、不正の動機や背景の説明に「忖度」という言葉が数多く用いられている。昨今の世相と相まってか、この言葉は悪い文脈で耳にすることが多い。しかし、「忖度」の本来の意味である“相手の意を推し量る”こと自体は非難されるべきことではなく、むしろコミュニケーションのあり方として非常に高度なものといえる。「忖度」自体を否定するのではなく、推し量った“相手の意”や自分の理解が真に相手の意図に沿うものであるかどうか、社会や組織の目的に適合するものであるかどうかを疑い直す、すなわち、周囲と自分との認識のズレをいかに埋めるか、の質を問うべきである。これを実践に落とし込むために、更に1.自分自身の理解 2.周囲との相対化 3.価値観・考えの発信 の3ステップに分けて考えよう。
「自己への働きかけ」の3つのステップ
自分自身の理解
A) バイアスを排除する
「自分自身の理解」の一歩目は、「バイアスを排除する」ことから始まる。
我々の行動には無意識に働く様々なバイアス(偏見)が影響している。例えば自分の物の見方は客観的であると感じる傾向「ナイーブ・リアリズム」や自分は相手の事をよく知っているので正しい見立てが立てられると過信する傾向「洞察力幻想」、あるいは慣れた解法に引きずられ、他の解法が合理的なものであっても考慮に入れない傾向「アインシュテルング効果」等が存在する。これらはほんの一例で、我々の行動は数多くのバイアスから多大な影響を受けている。
バイアスとは何だろうか。
我々は自分が見えた範囲でしか物事を認識できず、自分が見えた範囲はいわば”氷山の一角”に過ぎない。その中で見えた範囲から無意識に全体を想像しようとするのであるが、その過程で見えざる部分を捨象してしまうことが多い。
また、我々は物事を認識する際、その物事と自分や周囲との間に何らかの”意味合い”を見出そうとする。”意味合い”を見出す際には、無意識に自分自身の経験、立場、有している情報や価値観等に照らした“型”に嵌めて解釈しようとするのであるが、この“型”の違いに起因して、自分と周囲との認識や理解がまるで食い違うということも起こりうる。
バイアスとは、このように物事の個別具体的要素を捨象しながら全体を想像し、型に嵌めて認識することにより、我々の判断や理解の助けともなるものである。しかし、バイアスによる見えざる部分の捨象や“型”の違いは時に我々の認識を歪め、周囲との間に認識ギャップをもたらす。すると、ズレた認識に基づく行動の積み重ねによりコミュニケーションが歪んでいき、「発言による不安がない」「互いに尊敬・信頼し合える」という心理的安全性の2因子を遠ざける。
心理的安全性を高めるために、他者からの情報を受け取るにあたって、自分が無意識に何らかのバイアスや思い込みに基づいていないかを謙虚に振り返ることが、第一歩となる。
B) 自分のクセ、傾向を把握する
前項のバイアス同様、我々には無意識に取りがちな特定の行動のクセや傾向が存在する。これも無自覚にコミュニケーションを歪める要因となるため、対応が必要だ。
図2でクセ、傾向の悪い例を示す。いずれもよくある事例ではないだろうか。いずれの例も自分の何気ない行動に対し、周囲がコミュニケーション意欲や信頼感を失っていることが分かる。

このような事態を避けるため、自分が無意識にとってしまう行動と、その行動による周囲への影響を自覚する必要がある。
バイアスが情報の受け取り手としてのエラーであるとするならば、クセは情報の出し手としてのエラーである。他者とのコミュニケーションにおいて情報のインプット・アウトプット双方で、組織成員それぞれが自己の認識にエラーがあることを自覚し、それを極力抑えることが心理的安全性の土台となる。
周囲との相対化
無意識によるバイアスやクセを克服したとしても、組織の中で人はそれぞれ立場が異なるために、自分の意図と周囲の受け止め方が食い違う場合がある。エラーなき合理性のずれともいうべきケースである。例を挙げよう。図3をご覧頂きたい。

いずれの例も、上司の行動は一見してそれほど問題があるようには見受けられない。しかし、周囲は例えば次のような要因によって全く違う受け止め方をする。
相手の立場・置かれた局面や制約
物事の経緯や成り立ち
相手にとっての理由・思考の背景
その他、見えている範囲の違い
相手は固有の視点に基づき、相手なりの事情や合理性に基づき行動している。かくもコミュニケーションは難しく、他者とのズレが解消し切ってしまうことがないことを示しており、常に内省による「自己認識」の更新が求められるといえよう。
価値観・考えの発信
自己への働きかけの最後に「価値観・考えの発信」を述べたい。「価値観・考えの発信」は自己への働きかけと他者への働きかけの結節点ともなるべきものだ。自己理解を深めた価値観・考えの発信は、相互理解の土壌として必要となるからだ。相互理解にはお互いの存在そのものを認め合い、相互に尊敬・信頼し合える状態を作り出すことが前提となる。その前提には、例えば図4に挙げるような要素の理解が含まれる。

これらの要素を自らさらけ出し相互理解の端緒を自らつくることが、価値観・考えの発信の要点となる。例えば、キャリア観や人間関係、得意不得意、成功体験、業務遂行上大切にしているもの、及びそれらから起因する考え等を発信することで、周囲が自分に対し、次のような心理状態を形成することが期待できる。
行動事実だけでなく、その背後にある考えを踏まえて理解できる
真摯な関心を持てる
共感できる
自分の価値観や考えを周囲に発信することは、互いに尊敬・信頼し合える風土を作り出し、相互理解の土台となって、心理的安全性形成の基礎となる。
自己認識の手法
前述の3つのステップの中で、自己認識の重要性と難しさについて述べてきた。では、自己認識はいかに行うべきか。このような内省的な取り組みには馴染みのない方も多いだろう。まずやるべきは外部化である。表出化ともいえる。単純ではあるが、ノートに書き出したり、スマートフォンのメモ帳等に書き留めたりと可視化することで、自身を客観的に眺める視点が得られる。まずは、時間をとって冷静な頭で振り返り、頭に思い浮かべることから始めて頂ければ構わない。
昨日もしくは今日行った自分の行動に着目する
⇒善悪判断や解決思考、解釈を一旦休める
その行動はどのような考え・体験に基づくか振り返る
⇒「正論」に裏付けられていなくてもよい
自分の特定の行動や感情を生み出すメカニズム(≒価値観)を言葉にする
価値観が他にどのような行動に反映しているか振り返る
他者からはどう見えたかを考察する
⇒多角的に振り返る(上司からは、部下からは、同僚からは、他部署からは…等)
さらに効果を上げる方法としては、価値観共有の場を半ば強制的に作ることだ。他者に共有するにあたっては、理解を促進するために構造やストーリーが必要となる。上記で表出させたメモ書きから、さらに一歩進んだ認識にいたることが期待される。自己認識とは、必ずしも自分の短所を自覚することばかりを目的とするのではない。本当の目的は自分の価値観やそれを生み出した考えや原体験を発見し、自己理解を深めることにある。「自分はこのような眼(価値観)で物事を見ている」と自覚することが、自分自身の改善や他者への伝達の際の基礎を成す。認識していないものを変えることはできない。変革の俎上に乗せるためにも、自己認識を深めることは重要である。
おわりに
今回は「自己への働きかけ」をテーマに、周囲と自分との認識のズレを埋め、自分の根底にある価値観を洞察し、発信するというところまでを解説してきた。次回の第3回では本シリーズの本丸ともいえる、「他者への働きかけ」に踏み込んでいきたい。
※本文中の意見や見解に関わる部分は私見であることをお断りする。
