世界遺産登録は、終点ではなく始まりである
2026年7月26日、「飛鳥・藤原の宮都」は第48回世界遺産委員会において世界遺産一覧表への記載が決議された(*1)。登録は基準(ii)と基準(iii)に基づくものであり、中国大陸や朝鮮半島との交流の中で日本の初期宮都が形成されたこと、そして東アジアにおいて古代の宮都が築かれた時代を示す顕著な証拠であることが評価された。
この登録の意義は、観光資源としての知名度向上にとどまらない。飛鳥・藤原の価値は、個々の遺構の存在だけでなく、日本の古代国家形成の過程そのものを広域で物語る点にある。登録推進協議会も、この文化遺産を次世代へ継承するとともに、国内外から訪れる人々を温かく迎えるため、保存・活用に取り組むとしている。世界遺産登録とは、いわば評価の確定であると同時に、運営の難しさが本格化する段階への移行でもある。
世界遺産には10項目の登録基準があり、いずれかを満たすことで登録される。つまり、世界遺産は観光客を呼び込むためのラベルではなく、人類共通の価値が認められた資産である。だからこそ、登録後に問われるのは、どれだけ人を集めるかだけではない。価値をどう守り、どう伝え、どう未来につないでいくかという視点である。
国の政策も、文化資源の活用を地域の成長と結び付け始めている
この点は、個別の文化政策に閉じた話ではなくなっている。骨太方針2026(*2)では、「責任ある積極財政」の下で危機管理投資や成長投資を進めるとともに、「強い地域経済の構築」に向けて「地域未来戦略」を強力に推進するとしている。そこでは、地方に大規模な投資を呼び込み、多様で魅力ある地域資源を最大限に活用しながら、地域の産業や経済の持続的な成長を図る方向性が明確に示されている。
さらに地域未来戦略(*3)では、観光振興に資する文化資源の保存・活用、面的な歴史まちづくり、景観エリアリノベーション、高付加価値化による観光振興などが施策として明記されている。文化資産を単に守る対象ではなく、地域の将来像を形づくる資源として捉える考え方が、政策文書の上でもはっきりしてきたといえる。
その意味で、「飛鳥・藤原の宮都」の世界遺産登録は、一つの記念碑的出来事であると同時に、国が進める地域戦略の現場実装を考えるうえで象徴的な題材でもある。
インバウンド拡大の時代に、保存と受入れをどう両立するか
観光庁の観光立国推進基本計画(*4)は、2030年の訪日外国人旅行者数6,000万人、訪日外国人旅行消費額15兆円の目標を据え置いている。その上で、地方誘客の推進と、住民生活の質の確保との両立、オーバーツーリズム対策の強化を柱に掲げている。
これは、世界遺産登録地域にとって大きな追い風である一方、新たな緊張関係の始まりでもある。来訪者が増えること自体は好機だが、受入れを誤れば、交通混雑、生活環境への影響、景観や遺構への負荷、住民の納得感の低下といった問題が顕在化する。飛鳥・藤原の価値は、単体の象徴建築ではなく、複数の構成資産と自然景観、そして地域の日常が重なり合って成り立っている。したがって、単純に「集客を増やす」「施設を整備する」といった発想だけでは不十分である。必要なのは、来訪者をどう受け入れ、どう回遊してもらい、どう価値を理解してもらい、どう負荷を分散させるかという設計である。世界遺産登録後に本当に問われるのは、観光施策そのものよりも、保存・受入れ・生活との調和を同時に考える視点だろう。
保存と活用は対立ではなく、循環として設計する
文化財の現場では、保存か活用かという二項対立がしばしば語られる。しかし実際には、守るだけでは持続しにくく、活用だけを急げば価値を損なう。重要なのは、価値を生かしながら社会との接点を増やし、その対価や支持を保存へ還元する循環をつくることである。
しかも、文化財の価値は観覧料や宿泊消費のような直接収入だけではない。利用価値に加え、存在価値や遺産価値といった、そこにあること自体の意味も大きい。地域住民の誇り、将来世代への継承、地域のアイデンティティ形成などは、数字だけでは捉えにくいが、持続可能性を支える重要な価値である。
だからこそ、世界遺産登録後の議論を来訪者数や短期的な経済効果だけで測るのは危うい。価値をどう見える化し、誰にどう支えてもらい、その資金や理解をどう保存へ戻していくかまで含めて考えなければならない。
官民連携の本質は、役割分担を仕組みにすること
では、その循環を誰が担うのか。答えは、行政だけでも、民間だけでもない。骨太方針2026が文化財の保存・修理・高付加価値化を文化芸術政策の中に位置付け、地域未来戦略が文化資源の保存・活用や歴史まちづくりを掲げていることからも分かるように、文化資産は既に観光、地域産業、まちづくり、交通、財政の交点にある。
その中で行政は、文化財保護、景観、土地利用、交通、住民合意といった公共性の高い領域を担う。一方、民間は、来訪者目線の体験設計、情報発信、価格設計、資金調達、運営改善、ブランド形成に強みを持つ。どちらか一方に寄せるのではなく、両者の役割を明確にし、公共性と事業性を両立させる仕組みをつくることが官民連携の本質である。実際、世界遺産や文化財は、単純に補助金や観光収入を保全費に充てればよいという話ではない。周辺開発も含め、公共のみならず民間と積極的に連携していく必要があるという整理は、実務の現場でも重みを増している。
鍵を握るのは、官民の間をつなぐ支援機能である
もっとも、官民連携は「行政と民間が協力する」と言うだけでは進まない。現場で本当に必要なのは、その間をつなぐ機能である。文化財活用では、保存のルール、建築・消防などの規制、事業性の検討、資金調達、プロモーション、運営まで、多様な専門性が必要になる。所有者や自治体だけでそれを担うのは難しく、民間事業者だけでは公共性や制度対応に壁がある。
だからこそ、案件形成を支え、論点を整理し、関係者の目的をそろえ、必要な専門人材をつなぐ中間支援機能が重要になる。実務で見ると、うまく進む地域は、関係者の多さよりも、こうした調整と設計の機能がある地域である。逆にその機能が弱いと、行政は調整疲れし、民間は参入しにくく、住民理解も進みにくい。飛鳥・藤原の宮都のように、面的価値が高く、保存と活用のバランスが繊細な地域では、この“つなぐ力”がますます重要になるだろう。
他者に思いをはせることが、持続可能性の土台になる
最後に、制度やスキーム以上に大切だと感じるのが、「他者に思いをはせる」という視点である。飛鳥・藤原の宮都は、古代国家形成の過程を示す遺跡群として登録された。一方で、世界遺産委員会は、大和三山と藤原京の関係性や重要な視覚軸の保全にも言及している。遺産の価値は個々の遺跡だけで完結するものではなく、それらが置かれた地域や景観との関係の中で理解されるべきものである。世界遺産は、過去の人々への想像力を促すだけでなく、現在の住民、訪れる人、将来世代への想像力も求める。訪れる側は地域の日常に配慮し、受け入れる側は学びや感動の質を考え、事業者は短期利益ではなく長期価値を見据え、行政は規制だけでなく価値向上の支え方を考える。その積み重ねが、公共性と事業性の両立を可能にする。「飛鳥・藤原の宮都」の世界遺産登録は、祝うべき出来事であると同時に、日本の文化資産をどう未来へつないでいくかを考える機会でもある。
登録を一過性の盛り上がりで終わらせず、保存と活用の好循環をどう形にしていくか。その問いに向き合ううえで、官民連携は単なる手段ではなく、持続可能な仕組みをつくるための前提になりつつある。飛鳥・藤原の宮都は、そのことを静かに、しかし強く私たちに問いかけている。
*1
「飛鳥・藤原の宮都」に係る世界遺産委員会決議についてお知らせします(概要)| 文化庁
*2
経済財政運営と改革の基本方針2026 : 経済財政政策 - 内閣府
*3
地域未来戦略本部 : 地域未来戦略本部(第3回)議事次第|内閣官房ホームページ
*4
観光立国推進基本計画 | 観光政策・制度 | 観光庁





