第4回 人権を尊重する経営のための取り組み(前編)
デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社
フォレンジック
村上 尚矢

国連の「ビジネスと人権に関する指導原則」(以下、「国連指導原則」) が示すとおり、事業活動を行う主体として、企業には、人権を尊重する責任があります。日本政府が2022年9月に策定した「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」(以下、「日本政府ガイドライン」 )によると、企業の人権尊重責任は、「企業が他者への人権侵害を回避し、企業が関与した人権への負の影響に対処すべきことを意味し、企業の規模、業種、活動状況、所有者、組織構成に関係なく、全ての企業にある」と示されています。
本記事では、企業はその人権尊重責任を果たすために、具体的にどのような取り組みをすればよいのかを解説します。「日本政府ガイドライン」や、ガイドライン策定のベースとされている「国連指導原則」、OECD(経済協力開発機構)による「OECD多国籍企業行動指針」 やILO(国際労働機関)による「多国籍企業および社会政策に関する原則の三者宣言」(以下、「ILO多国籍企業宣言」) において、人権尊重の取り組みの柱とされている、「人権方針の策定」、「人権デューデリジェンスの実施」、「救済」に特に焦点を当てて説明していきます。
目次
清水 和之
デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社
パートナー
有限責任監査法人トーマツにて上場企業等の法定監査業務に従事した後、DTFAに参画。企業が危機に直面した際の危機管理・危機からの脱出を支援するクライシスマネジメントにおいて、企業の会計・品質偽装・贈収賄等コンプライアンス不正調査案件、企業不正からの改善・再生プロジェクト、クライシスマネジメント対応支援、サプライチェーンリスクマネジメント、人権DDなどに従事。
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大沢 未希
デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社
シニアコンサルタント
大手総合電機メーカー、総合コンサルティングファームを経て、DTFAに入社。企業の危機管理および危機からの脱出を支援するクライシスマネジメントサービスにおいて、大手企業の危機対応、再発防止策策定・実行、M&A案件におけるビジネス・インテリジェンスサービス、人権課題対応支援などのプロジェクトに従事。
人権を尊重する経営の取り組み全体像

図1は、「日本政府ガイドライン」に記載の企業の人権尊重の取り組みの全体像を図示したものです。
主要な取り組みの一つめは、「人権方針の策定」です。人権方針は、企業がその人権尊重責任を果たすという企業によるコミットメントを、企業の内外のステークホルダーに向けて明確に示すものです。
二つめは、「人権デューデリジェンスの実施」です。人権デューデリジェンス(以下、「人権DD」)は、自社・グループ会社およびサプライヤー等における人権への負の影響を特定し、防止・軽減し、取り組みの実効性を評価し、どのように対処したかについて説明・情報開示していくために実施する一連の行為を指します。
三つめは、「救済」です。企業は、自社が人権への負の影響を引き起こし、または助長していることが明らかになった場合、救済を実施し、または救済の実施に協力する必要があります。そのため、企業には、企業活動に関連する人権への負の影響について、広く被害を受けた人および地域(ステークホルダー)が苦情を提起し、是正を求めることができる苦情処理メカニズム(「グリーバンスメカニズム」ともいう)を構築することが求められます。
ステークホルダーとは、企業の活動に影響を受けるまたはその可能性のある利害を有する個人または集団の全てを指しています。ステークホルダーの例としては、取引先、自社・グループ会社および取引先の従業員、労働組合、消費者のほか、市民団体等のNGO、業界団体、人権擁護者、周辺住民、先住民族、投資家・株主、国や地方自治体等が考えられ、幅広い人々や地域をステークホルダーと捉える必要があります。
次の章から、具体的な各人権尊重の取り組み内容や取り組みの際のポイントについて解説をしていきます。
人権方針の策定
企業は人権方針を策定することにより、人権尊重責任へのコミットメントを示すことが求められます。人権方針は、企業の行動を決定する明瞭かつ包括的な方針となるもので、極めて重要です。企業は、人権尊重責任を果たすというコミットメントを、図2の「国連指導原則」16に定められた5つの要件を満たす人権方針を通じて、ビジネスに関連するステークホルダーに広く公開・周知することが求められます。

人権方針の策定に際しては、事業の業種や規模等によって、企業のビジネスと人権の関わり方は異なりますので、まずは大まかにでも自社が影響を与える可能性のある人権リスクを把握する必要があります。そして、企業の実態を把握するために、社内の各部門から知見を収集することに加えて、自社業界や調達国の事情等に精通したステークホルダーとの対話・協議を行い、企業内外の専門家の意見も聞くことによって、企業が展開する事業や業界特有の課題、国・地域特有の課題、優先的に対応すべき課題等を適切に把握し、人権方針に実態を反映した上で、企業の経営トップや取締役会等の承認を経て、人権方針を策定します。
「国連指導原則」は、必ずしも独立した文書にて人権方針を策定することは要求してはいませんが、人権方針を策定する際にコンプライアンスや調達等の管轄部署との整合性を保つ必要があります。
人権方針は策定して終わりではありません。人権方針を策定した後も、社内周知、企業の行動指針や調達指針等を含めた規程類に人権方針を反映することも求められています。また、人権DDの継続的な実施や救済措置により検出された新たな人権リスクや課題等を踏まえて、必要に応じてより実態に合った人権方針に改定していくことも必要です。
当社が2023年に実施した「人権サーベイ2023」(上場企業を中心に約100社に対し人権意識や各企業の取り組み状況を調査)では、「自社で人権方針を作成していますか」といった質問に対し、約7割の企業が「作成している」と回答しました。しかしその7割の企業に対し、「サプライチェーンに対して人権DDを実施していますか」という質問に対し、約65%が実施していないと回答しました。
前述の通り、人権方針の策定に当たっては、自社の人権リスクを把握し、実態に即したものにする必要があります。よって、人権方針は策定しているが、まだ人権DDの実施までには至っていない企業は、策定した人権方針が形式的なものとなっている可能性がありますので、人権DDを実施の上、自社の実態を反映した内容になっているか、今一度確認すべきといえるでしょう。

人権デューデリジェンスの実施
人権デューデリジェンスの全体像と留意点
企業は人権を尊重する責任を果たすために、人権への負の影響を特定、防止、軽減し、対処方法に責任を持つための人権DDを実行しなくてはなりません。
人権DDは大きく分けて4つのステップで実施します。第1ステップは、潜在的に存在する「人権への負の影響を特定・評価」します。第2ステップでは、特定・評価された「負の影響の防止、軽減」を実施します。第3ステップでは、効果的に対応したか「取り組みの実効性を評価し、モニタリング」を行います。第4ステップでは、人権尊重の取り組みについて「情報開示をし、ステークホルダーエンゲージメント」を行います。そして、この4つのステップを繰り返して実施していきます。
人権DDを実施するにあたり、以下の6つの留意点があります。
- 人権DDは調査だけではなく、負の影響の特定と評価、防止と軽減、モニタリングなど一連のプロセスが含まれています。
- 人権DDにおいて確認すべきリスクは、人に対する人権リスクであって、企業自身の経営リスクではありません。
- 人権DDの対象は自社や自社グループだけではなく、企業とビジネス上の関係性を持つすべての会社、すなわち、サプライチェーン、投資先、販売先等も全てが対象となります。
- 人権DDは一度だけのものではありません。国・地域や事業活動が変化している中、企業の人権リスクも常に変化しているため、人権DDを継続的に長期に亘って実施することが重要です。
- 人権DDを実施する際に、労働組合、労働者代表、人権の外部専門家、国際機関を含める多くのステークホルダーとのエンゲージメントが必要です。
- 人権DDは全社的な関与が必要で、社内の横断的な連携が求められています。人権は企業の活動の様々な場面で関わってきます。そのため、経営陣、調達部門、製造部門、法務部門、人事部門、リスク管理部門、CSR部門等の全社的な関与が必要になり、これらの部門全員の協力が必要です。
人権デューデリジェンス ステップ①「負の影響の特定・評価」
人権DDの第1ステップは、「人権への負の影響を特定し、評価」する、つまりリスクアセスメントにあたるものであり、人権DDにおいて最も重要なプロセスであるといえます。
具体的には、以下のように進めていきます。
1.「リスクが重大な事業領域の特定」:企業の事業活動に係るステークホルダーの人権の範囲は広範に渡りますが、全ての人権リスクに同時に対応することは「国連指導原則」は求めていません。そのため、企業はいわゆるリスクベースアプローチを用いて実行します。まずは社内関連部門や社外の専門家等と意見交換を行いながら、「事業分野のリスク」(産業内で世界的に広くみられるリスク)、「製品・サービスのリスク」(原材料等または開発・製造工程に関連するリスク)、「地域リスク」(特定の国の状況により発生するリスク)、「企業固有のリスク」(企業における固有のリスク)の視点から、人権への負の影響が生じる可能性が高く、リスクが重大な事業領域を特定します。そしてより重大なリスクのある事業領域から優先して、以降のステップを実行していきます。

2.「負の影響の発生過程の特定」:リスクが重大な事業領域を特定したら、次にその事業領域について、ビジネスの各工程において、誰がどのような人権について負の影響を受けるか具体的な負の影響を特定し、確認された負の影響について、その状況や原因を確認します。
例えば図8に図示しました通り、企業の二次サプライヤーにおける原材料生産プロセス、一次サプライヤーにおける製造プロセス、自社における販売プロセス、および納入先における販売・アフターサービスなど、サプライチェーンの各工程において、児童労働、最低賃金、強制労働、人種差別等様々な人権課題がないか特定していきます。この際、移民、外国人、女性や子ども等社会的に脆弱な立場にあるステークホルダーは、より深刻は負の影響を受けやすい為、特別な注意を払う必要があります。
これらの確認に際しては、苦情処理メカニズムに寄せられた情報や取引先との契約書等の社内資料、サプライヤー等への質問票、従業員に対するアンケートやヒアリング、現地調査・訪問、ステークホルダーとの対話等を通して行うことが考えられます。また、事業活動の中で問題となり得る人権侵害リスクは多数に上る可能性がありますが、そのすべてについて完璧に人権侵害リスクの発生過程を特定することは困難であると考えられます。そのため、一定の初期的な調査をもとに暫定的に以降のステップにて優先順位をつけ、負の影響の防止・軽減へと進めていく柔軟な対応が重要と考えられます。

3.「負の影響と企業の関わりの評価」:抽出した人権課題への適切な対応方法を決定するために、3つ目のステップとして、「負の影響と企業の関わりを評価」する必要があります。負の影響と企業の関わりについては、以下の3つの類型があります。
- 企業がその活動を通じて「負の影響を引き起こしている」
- 企業がその活動を通じて直接、または間接的に「負の影響を助長」している
- 負の影響が自社の事業・製品・サービスと「直接関連」している
この3つの負の影響と企業の関わりの類型によって対応方法が異なります。①②と評価された場合は、負の影響の防止・軽減措置を講ずる必要があります。③の場合は、負の影響を引き起こしまたは助長している企業に働きかけて、負の影響の防止・軽減に努める必要があります。

4.「優先順位付け」:これまでの作業で特定された人権の負の影響の全てについて直ちに処理することが難しい場合、対応の優先順位を検討します。
対応の優先順位は、人権の負の影響の深刻度により判断されます。深刻度は以下の3つの観点で評価を行います。
- 「規模」:影響がどれぐらい重大または深刻であるか、重大性を特定します。例えば、身体や精神に重大な悪影響があるか、人命に関わるかといった点です。
- 「範囲」:影響を受けた人々の数を特定します。具体的には負の影響を受けた人々が多数であるか、グループやコミュニティの大きさなどが挙げられます。
- 「救済困難度」:影響を受けた人々について、負の影響が生じる前と同等の状態に回復させることの困難度です。具体的には、即時に措置を講じなければ人権侵害の影響を是正できないか、といった点です。
ここで、上記①~③における深刻度の評価の結果、同等な潜在的なケースが複数存在する場合は、蓋然性(発生可能性)の高いものから対処します。あるいは、自社および直接契約関係にある取引先において自社が人権侵害リスクを引き起こしまたは助長しているケースについて、優先的に対応することも考えられます。

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