第3回 2023年3月期有価証券報告書における人的資本開示の動向—人的資本経営の実装に向けて
デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社
ストラテジー
石原 有希
2023年3月期から有価証券報告書における人的資本関連項目の開示が義務化されました。本稿では、ESGのS領域にあたる人的資本に着目し、規制・開示に関する動向や全体感を整理しつつ、第2回サステナビリティ経営実装セミナー「『人的資本経営』の実装に向けた人権・人事の取組み~2023年3月期開示動向より」の内容を基にした開示状況の定量分析結果について解説します。(編集:ESGアドバイザリー 井上みゆ)
目次
2023年3月期より義務化された有価証券報告書における人的資本の開示項目
一般的に、人的資本に関する評価項目は以下4つの項目に分類されます。
- ダイバーシティ&インクルージョン(D&I)
- 人材育成・キャリア開発
- 安全衛生と健康
- 従業員エンゲージメント
2023年1月31日に施行された「企業内容等の開示に関する内閣府令及び特定有価証券の内容等の開示に関する内閣府令の一部を改正する内閣府令」により、有価証券報告書における人的資本に関する記載・開示が求められるようになりました。この法令に基づき、上場企業は、上記4項目それぞれについて、会社の戦略、指標および目標を開示する必要があります。具体的には以下の内容に関する開示が求められています。
- 第一部・第1「企業の概況」において、従業員の状況(女性管理職比率、男性の育児休業取得率、男女の賃金格差)を追記する
- 第一部・第2「事業の状況」においてサステナビリティに関する考え方や取り組み(ガバナンス及びリスク管理、戦略、指標及び目標、人的資本に関する戦略、指標及び目標)を記載する
本稿では、2023年6月以降に公表された有価証券報告書における上記項目の開示結果を解説していきます。
有価証券報告書における人的資本に関する開示結果
まず初めに、D&Iに関する3指標「女性管理職比率」「男性労働者の育児休業取得率」「労働者の男女賃金差異」の開示結果から解説します。D&Iに関する3指標については、上場している市場別に一定数の企業を選定・集計し、それぞれの企業数を100としたときの各結果の分布(企業数の割合)を算出しました。
女性管理職比率
上場市場別に見ると、プライムおよびスタンダード上場企業において女性管理職比率が10%未満の企業が約70%でしたが、グロース上場企業においては、女性管理職比率が10%以上である企業の割合がプライムやスタンダード上場企業よりも多いという結果になりました。
この要因としては、プライム上場企業と比較し、グロース上場企業の方が管理職の総数(母数)が少ないため、相対的に女性管理職比率が高くなっていると推察されます。
男性労働者の育児休業取得率
上場市場別に見ると、スタンダード、グロース上場企業と比べて、プライム上場企業においては社内の男性の育児休業取得率が30%以上の企業の割合が大きい結果となりました。
プライム上場企業と比較し、スタンダードやグロースに上場する企業の方が育児休業を取得しづらいか、またはフルリモートワークやスーパーフレックス制などの就業環境が整備されており、休業を取得しなくても育児との両立が可能な状況である可能性が示唆されます。
労働者の男女賃金差異
図3は企業内の非正規労働者を含む全労働者の男女賃金差異を上場市場別に集計し、企業数の割合を示したものです。男性従業員の賃金を100とした際の女性労働者の賃金を示しており、数値が高いほど賃金差異が小さいことを意味します。プライム上場企業でも約7割の女性の賃金が男性賃金の75%未満にとどまる結果となり、男女賃金差異がやや大きいことがわかりました。
続いて、人的資本経営の実装に向けて、その根幹を成す人的資本に関する具体的な方針や施策、それに関するガバナンス体制の整備状況について、開示状況の分析結果を紹介します。
人的資本に関する具体的な方針・施策およびガバナンス体制
スタンダードおよびグロース上場企業では、詳細記載のない企業が多かったため、本章はプライム上場企業の結果のみを集計し、解説します。
人的資本に関する具体的な方針・施策については、人材育成に関する記載を行っている企業が最も多く、次いで多様性・ダイバーシティ&インクルージョン(D&I)という結果となりました。
人的資本に関するガバナンス体制については、経営会議や取締役会でサステナビリティ経営の審議を行う企業は少数派であり、サステナビリティ経営に特化した委員会・会議体を設置している事例が多いということがわかりました。さらに、その議長・委員長などとしては、社長やCEOなど企業のトップが担う企業が半数となり、その他、CsuO(Chief sustainability Officer)などの担当役員が担うケース、CSO(Chief Strategy Officer)や経営企画担当役員などが担うケースが見られました。
また、人的資本に限らずサステナビリティ経営全体のガバナンス体制に関しては、社外取締役・社外監査役が当該機関に関与する企業や、外部有識者(大学教授やコンサルティングファームのパートナーなど)で構成するアドバイザリーボードなどを設置している企業もありました。
これらの結果からは企業のトップがサステナビリティ経営の議論を主導していくという強い意思や重要性を感じる一方、従前の企業経営における知見とは異なる専門性が求められていると推察されます。
人的資本経営の強化・開示に向けた対応
これらの分析結果より、本邦初となった人的資本開示を契機に、人的資本経営の実装や強化が今後より一層求められるようになると考えられます。持続的な企業価値向上を実現するためには、ビジネスモデルや経営戦略と人材戦略(人的資本に関する方針)とが連動していることが不可欠です。開示の充実のみを目指すのではなく、人的資本経営を進めた結果として、人的資本の開示指標の数値が好転するようなPDCAサイクルを回す必要があります。
人材戦略は、経営戦略などの実行戦略のひとつであり、従って人的資本に関する議論もそれ単体での検討では不十分です。企業の価値観(=パーパスなど)や長期ビジョン・戦略と統合的に検討することが重要であり、そのようにして検討した人材戦略に対し開示指標を含めたKPIの設定とモニタリングをしていくことが、人的資本経営の本質であると考えられます。