景気循環による経済的影響は企業にとって不可避なものです。しかし、世界および地域経済に対し長期的な見通しを持つことにより、企業は景気循環のリスクを最小化することができます。デロイトは、世界のビジネスリーダーたちに必要な、マクロ経済、トレンド、地政学的問題に関する明快な分析と考察を発信することにより企業のリスクマネジメントに貢献しています。
本連載では、デロイトのエコノミストチームが昨今の世界経済ニュースやトレンドについて解説します。今回は、Deloitte Insightsに連載中のWeekly Global Economic Updateの2023年9月4日週の記事より抜粋して日本語抄訳版としてお届けします。

Ira Kalish

Deloitte Touche Tomatsu
チーフエコノミスト

経済問題とビジネス戦略に関するデロイトのリーダーの1人。グローバル経済をテーマに企業や貿易団体への講演も多数行っている。これまで47の国々を訪問したKalish氏の解説は、ウォール・ストリート・ジャーナル、エコノミスト、フィナンシャル・タイムズなどからも広く引用されている。ジョンズ・ホプキンス大学国際経済学博士号取得。

なぜ米ドル支配が続くのか

最近クライアントからたびたび受ける質問の1つは、米ドルが今後も世界経済における基軸通貨としての支配的な役割を維持するかどうかです。質問の背景としては、多くの国家が米ドルの支配力を低下させたいと考えているという事実があります。例えば中国は、多数の新興国と通貨スワップ取引を行っています。こういった質問の背景にあるのは、米国が抱える巨大な債務を実質的に縮小させるために、米国自身が米ドルの価値低下を選択する可能性への懸念です。このような米ドル安への誘導は米ドルの暴落を引き起こす可能性があります。

この問いに対する私の答えは、「米ドルは長期にわたって支配的な通貨であり続けるだろう」というものです。1つ目の理由としては、米国のGDPに占める国債の割合には以前から大きく変化がなく、また歴史的に見ても低い債券利回りが続いていることからも明らかなように、多額の国債残高も投資家にとって懸念事項ではないためです。米連邦準備制度理事会(以下、FRB)の現在の政策や、中央銀行としての独立性の役割を考えても、国債の価値が下がる可能性はないと考えられます。米ドルの支配が続く2つ目の理由は、中国の期待とは裏腹に、人民元がすぐに米ドルを代替する可能性が低いことです。中国の資本規制により、人民元を保有する行為は米ドルを保有することほどの柔軟性が保証されているわけではありません。

この通貨の柔軟性について考える際、私はいつも「アルゼンチンの農家は小麦と引き換えに、米ドルと人民元のどちらの通貨を選ぶだろうか」と問いを立てます。アルゼンチンの農民は人民元で何ができるのでしょうか。グローバル市場での購買を考えた場合、人民元は米ドルほど簡単に取り扱うことはできません。また、アルゼンチンの農家が人民元で投資する場合を考えてみましょう。そもそも人民元による中国国外での投資は難しいですが、中国国内への投資であっても資本規制の対象となります。これらを考慮すればアルゼンチンの農家が米ドルを選好することは明らかですし、それはすなわち、米ドルの支配的地位は続くであろうことを示唆しています。

それでは、米ドルが支配力を失うきっかけとしては何が考えられるのでしょうか。3つの可能性を提示してみましょう。まず第一に、中国が資本規制を撤廃すれば、人民元が主要な貿易通貨および準備通貨になる可能性が高くなります。しかし、現時点では資本規制の撤廃の可能性は低いと言わざるを得ません。第二に、世界のドル準備高の約4分の3が米国の同盟国に保有されている事実から、仮に同盟国から米軍を撤退させたり、友好的な政府の支援を中断したりすれば、ドルは投資家からの信頼を失うことも考えられます。

最後の可能性として、米国による過剰な制裁措置(事実上の米ドルの武器化)が、非ドル貿易の促進を後押しすることが挙げられます。過去に米国がイランとの交流がある企業に対して一方的な制裁を課した際、欧州連合はイランとの非ドル建て取引を支援する代替手段を模索しました。そのような歴史はありつつも、FRBが最近発表した調査報告書は、「米ドル資産で外貨準備を保有する経済的インセンティブに変化がなければ、制裁の脅威が高まっても外貨準備に占めるドルの割合が大幅に減少する可能性は低い」と結論付けています。しかし消費者や企業が、政府が期待するような反応を示さなければ従来の刺激策は充分にその効果を発揮できない可能性があります。将来への不確実性が消費者と企業の景気に対する信頼感を曇らせており、その結果として貯蓄性向がより高まる状況となっています。

ユーロ圏のコアインフレ率低下で市場はECB政策見通しを再考

8月のユーロ圏のインフレ率総合は下げ止まり、7月から横ばいとなりましたが、一方でコアインフレ率は引き続き低下しています。このコアインフレ率の低下を受けて、投資家は欧州中央銀行(以下、ECB)の政策に対する見通しを再考しています。つまり、ECBが再び利上げを行うことに対しての確信度が低下したのです。その結果、ドイツとフランスの債券利回りは急激に低下し、ユーロは米ドルに対して下落しました。この結果から、ユーロ圏はインフレという困難を脱したと結論付けられるでしょうか。そうではないと考えます。

現在もインフレは引き続き高いレベルにとどまっています。それに加えて、インフレの進行ペースと比べて遅れをとる金融引き締め政策が、さらなるインフレの緩和を促すのに十分なのかという問題もあります。

欧州の最新の物価レポートの詳細は次の通りです。8月のユーロ圏の消費者物価は7月と同じ前年同月比5.3%の上昇で、2022年前半と同程度の低さとなりました。昨年10月に10.6%上昇とピークを付けたことを考えれば、だいぶ落ち着いた動きであるといえます。また、前月比では0.6%の上昇となりました。変動の大きい食品とエネルギーの価格を除外したコア価格は前年同月比5.3%の上昇となり、7月の5.5%からは低下しているものの、5月と同水準の数値でした。コアインフレ率のピークは今年3月の5.7%でしたので、こちらはあまり減速していません。

国別に見ると、8月のインフレ率は、前年同月比でドイツが6.4%(7月の6.5%から低下)、フランスが5.7%(7月の5.1%から急上昇)、イタリアが5.5%(7月の6.4%から大幅に低下)、スペインが2.4%(7月の2.1%から上昇)でした。スペインのインフレの加速と前月比0.5%という上昇幅は市場予想を上回り、スペインでは依然として根強いインフレが継続しているという懸念が生じました。

ECBは中銀預金金利を3.75%に引き上げましたが(依然として米国の水準を大幅に下回る)、9月中旬の会合で再び利上げを行うかどうかを決定する見込みです(9月14日にECBは4.0%への利上げを発表)。コアインフレ率の低下と欧州経済の弱さを示す指標は、金融引き締めの一時停止の可能性も示唆しているものの、インフレが依然として目標水準を大きく上回っている現状は、労働市場の明らかなひっ迫とドイツの賃金の急激な上昇と相まって、さらなる引き締めを支持する材料となっており、先行きが見通しづらい状況が続いています。

本記事と原文に差異が発生した場合には原文を優先します。

Deloitte Global Economist Networkについて

Deloitte Global Economist Networkは、デロイトネットワーク内外の視聴者向けに興味深く示唆に富むコンテンツを発信する多様なエコノミストのグループです。デロイトが有するインダストリーと経済全般に関する専門知識により、複雑な産業ベースの問題に高度な分析と示唆を提供しています。デロイトのトップマネジメントやパートナーを対象に、重要な問題を検討するレポートやThought Leadershipの提供、最新の産業・経済動向にキャッチアップするためのエクゼクティブブリーフィングまで、多岐にわたる活動を行っています。

デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社

増島 雄樹 / Masujima Yuki

マネージングディレクター・プリンシパルエコノミスト

外為トレーダーとしてキャリアをスタート。世界銀行、日本銀行、日本経済研究センター主任研究員、ブルームバーグシニアエコノミストを経て、2023年4月より現職。マクロ経済予測・費用便益分析・政策提言を中心に、エコノミクス・サービスを提供。為替に関する論文・著書多数。2018年度 ESPフォーキャスト調査・優秀フォーキャスター賞を受賞。博士(国際経済・金融)。

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コーポレートイノベーション

若菜 俊之 / Wakana Toshiyuki

ヴァイスプレジデント

米国大学院にて経済学博士号取得後、州政府歳入省にて税務エコノミストとして税務・経済データの分析およびモデリング業務に従事。DTFA入社後は、エコノミクスサービスの立ち上げに参画。リードエコノミストとして、大型研究施設における研究成果の波及効果や産業特区の経済波及効果分析などの分析業務に携わる。また文化財、観光資源、スポーツチームなどがもたらす社会的インパクトおよび価値の可視化業務に実績を有する。