景気循環による経済的影響は企業にとって不可避なものです。しかし、世界および地域経済に対し長期的な見通しを持つことにより、企業は景気循環のリスクを最小化することができます。デロイトは、世界のビジネスリーダーたちに必要な、マクロ経済、トレンド、地政学的問題に関する明快な分析と考察を発信することにより企業のリスクマネジメントに貢献しています。
本連載では、デロイトのエコノミストチームが昨今の世界経済ニュースやトレンドについて解説します。今回は、Deloitte Insightsに連載中のWeekly Global Economic Updateの2023年7月17日週の記事より抜粋して日本語抄訳版としてお届けします。

Ira Kalish

Deloitte Touche Tomatsu
チーフエコノミスト

経済問題とビジネス戦略に関するデロイトのリーダーの1人。グローバル経済をテーマに企業や貿易団体への講演も多数行っている。これまで47の国々を訪問したKalish氏の解説は、ウォール・ストリート・ジャーナル、エコノミスト、フィナンシャル・タイムズなどからも広く引用されている。ジョンズ・ホプキンス大学国際経済学博士号取得。

エネルギー移行の地政学

ソーラーパネルや風力タービン、電気自動車のバッテリーの製造過程では、化石エネルギーの生産をはるかに上回る鉱物資源を要することが知られています。クリーンエネルギーへの移行(エネルギートランジション)に伴い、リチウム、コバルト、ニッケルなどの主要鉱物や、ガリウム、ゲルマニウムなどのレアアースの資源需要が急増しています。

国際エネルギー機関(IEA)は、電気自動車が必要とする鉱物資源量は従来の自動車の6倍であるとしています。そして、世界がパリ協定(*1)の目標を達成するには、鉱物資源需要が今後20年間で4倍に増える必要があるとも示しています。また2050年までにカーボンニュートラルが実現するシナリオでは、重要鉱物に対する需要が2040年までに6倍に増える必要があると予想されています。このような鉱物資源に対する需要の急激な増加により、過去に石油やガスを巡って発生したような地政学的紛争が引き起こされる可能性があります。石油・ガスの世界市場を監視する目的で設立されたIEAですが、2040年までにクリーンエネルギーの生産に必要な鉱物資源の需要が石炭の需要を上回ると予想される中で、現在は主要鉱物資源の取引市場の監視に注力しつつあります。

IEAは、電気自動車生産への移行により、リチウム、グラファイト、コバルト、ニッケルの需要が急増し、電気自動車の運用に伴う電力需要の拡大が、銅の需要も増加させると予想しています。電力生産における非炭素燃料への移行により、その他の鉱物資源に対する需要も大幅に増加すると考えられますが、必要とされる鉱物資源の量はエネルギー生産手段により大きく異なっています。例えば、原子力発電やバイオマス発電、水力発電が必要とする鉱物資源量は風力発電や太陽光発電と比較するとはるかに少量です。

また、主要鉱物資源に対する需要の伸びは、政府の貿易政策による影響もあり得るものの、政府の気候政策や多様な商品の相対価格および技術発展(バッテリー化学を含む)によって主に左右されます。最近では、電気自動車のバッテリー製造コストの低下がリチウムやその他の鉱物資源需要を押し上げる役割を果たした例があります。

エネルギートランジションの地政学的課題として、主要鉱物資源の採掘可能地域が極度に地理的に集中していることと、それらの鉱物の加工処理が可能な地域に関してはさらに集中の度合いが高いということの2点が挙げられます。例えばコバルトの生産の70%はコンゴ民主共和国、希土類の生産の60%は中国が占めています。精製に関しては、リチウムとコバルトで最大70%、レアアースでも90%もの割合を中国が占めています。さらに中国企業は、オーストラリア、コンゴ民主共和国、インドネシア、チリの鉱山に多額の投資を行っており、欧米諸国は1970年代に原油によりペルシャ湾岸諸国が得たような影響力を現代の中国が獲得してしまいかねない状況を恐れています。中国はすでにレアアースの輸出に関する制限を発表しており、電気自動車の国内増産を狙う欧米諸国にとっては懸念事項となっています。

この地政学的問題の一部は、民間の採掘会社が新たな大規模投資を行う際に巨大なリスクが特に価格や金利の変動といった観点にあることに起因します。対照的に、政府の補助金を利用できる中国国有企業にとっては取るに足らない問題です。したがって、欧米諸国政府の間では、民間採掘会社による投資促進を目的とした民間投資家への補助金や保証の提供が検討され始めています。実際、2022年に米国で制定されたインフレ削減法はこの問題への対抗を意図しています。

近年の鉱物資源への投資は好調で、IEAビロル事務局長は「主要鉱物資源の入手可能性に対する懸念は2年前より後退している」と述べていますが、2022年において中国企業の鉱物資源投資が倍増したのに対し、主要な民間企業の投資は約25%しか増えていません。

*1:2015年12月に採択された気候変動抑制に関する多国間の国際的な協定

人工知能(AI)が労働市場へ及ぼす影響

生成AIは世界の労働市場にどれほど大きな影響を与えるのでしょうか。AIには既存の労働力に取って代わる可能性、そして労働者の生産性を高める可能性の両方の可能性が存在します。AIにより労働力が余剰となれば、新しい産業が創出されることになり得ますし、ビジネスにおいて要求されるスキルセットそのものが変わってしまう可能性があるのです。そのような変化に応じて労働者のスキルセットが変化しなければ、所得格差が拡大し、AIの恩恵を最大限に受けられなくなってしまうかもしれません。

経済協力開発機構(OECD)は、AIが労働市場に及ぼし得る問題について、労働力の移転可能性に焦点を当てた分析を行っています。業務プロセスにおけるAI技術の利用で先駆けている製造業と金融サービス業への影響について、これらの業界の雇用主と従業員へのサーベイ調査を基に検証し、AIによる自動化により、高いリスクに晒される職業が雇用の約27%を占めることが明らかになりました。

その一方でOECDは、AIが仕事を「奪う」だけでなく、多くの仕事を「変化させる」ことにも着目しています。調査対象者のうち60%はAIに仕事を奪われることを恐れているものの、63%はAIが仕事の質を高めていると感じています。AI革命は、単にAIのスキルの重要性を高めつつあるだけではなく、人間のスキルの重要性も同時に高めているのです。OECDは、AIの重要性は、仕事を「奪う」という観点よりも、仕事を「変化させる」という観点でより大きくなっていると言及しています。

ただし現時点では、AIの実装がごく初期段階であることには留意する必要があるでしょう。OECDの調査によると、OECD加盟国内でAIを導入した企業はまだ1割に満たないのが現実ですが、大企業の3社のうち1社はAIの実装を開始しています。今後AIが集中的に実装されるようになれば、労働市場にさらなる混乱が訪れるかもしれません。AI導入に際して最大の障壁はコストであり、その次に問題となるのはAI導入スキルの不足です。しかしながら、現在AIの導入コストは急速に低下しており、AI関連スキルを持つ労働者の利用可能性も高まりつつあります。

興味深いことに、OECDの調査は、低スキルの仕事よりも高いスキルが必要とされる仕事の方がAIに置き換えられやすいという結果を示しています。これは、AIが高技能職の賃金上昇圧力を低下させることで、労働者間の所得格差を縮小する可能性があることを示唆しています。一方、長期的な観点からは、AIが高技能労働者の需要増を伴う新産業や新企業の創出を誘発する可能性があるといえるでしょう。以上を総合的に考慮すれば、AIが創出する労働機会に比べて労働力の供給が不足することにより、AIがもたらす生産性の向上効果が抑制され得ることがAIの最大のリスクであるのかもしれません。

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Deloitte Global Economist Networkについて

Deloitte Global Economist Networkは、デロイトネットワーク内外の視聴者向けに興味深く示唆に富むコンテンツを発信する多様なエコノミストのグループです。デロイトが有するインダストリーと経済全般に関する専門知識により、複雑な産業ベースの問題に高度な分析と示唆を提供しています。デロイトのトップマネジメントやパートナーを対象に、重要な問題を検討するレポートやThought Leadershipの提供、最新の産業・経済動向にキャッチアップするためのエクゼクティブブリーフィングまで、多岐にわたる活動を行っています。

デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社

増島 雄樹 / Masujima Yuki

マネージングディレクター・プリンシパルエコノミスト

外為トレーダーとしてキャリアをスタート。世界銀行、日本銀行、日本経済研究センター主任研究員、ブルームバーグシニアエコノミストを経て、2023年4月より現職。マクロ経済予測・費用便益分析・政策提言を中心に、エコノミクス・サービスを提供。為替に関する論文・著書多数。2018年度 ESPフォーキャスト調査・優秀フォーキャスター賞を受賞。博士(国際経済・金融)。

デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社
コーポレートイノベーション

若菜 俊之 / Wakana Toshiyuki

ヴァイスプレジデント

米国大学院にて経済学博士号取得後、州政府歳入省にて税務エコノミストとして税務・経済データの分析およびモデリング業務に従事。DTFA入社後は、エコノミクスサービスの立ち上げに参画。リードエコノミストとして、大型研究施設における研究成果の波及効果や産業特区の経済波及効果分析などの分析業務に携わる。また文化財、観光資源、スポーツチームなどがもたらす社会的インパクトおよび価値の可視化業務に実績を有する。