景気循環による経済的影響は企業にとって不可避なものです。しかし、世界および地域経済に対し長期的な見通しを持つことにより、企業は景気循環のリスクを最小化することができます。デロイトは、世界のビジネスリーダーたちに必要な、マクロ経済、トレンド、地政学的問題に関する明快な分析と考察を発信することにより企業のリスクマネジメントに貢献しています。
本連載では、デロイトのエコノミストチームが昨今の世界経済ニュースやトレンドについて解説します。今回は、Deloitte Insightsに連載中のWeekly Global Economic Updateの2023年6月5日週の記事より抜粋して日本語抄訳版としてお届けします。

Ira Kalish

Deloitte Touche Tomatsu
チーフエコノミスト

経済問題とビジネス戦略に関するデロイトのリーダーの1人。グローバル経済をテーマに企業や貿易団体への講演も多数行っている。これまで47の国々を訪問したKalish氏の解説は、ウォール・ストリート・ジャーナル、エコノミスト、フィナンシャル・タイムズなどからも広く引用されている。ジョンズ・ホプキンス大学国際経済学博士号取得。

供給問題に端を発した米国のインフレは労働市場のひっ迫により継続

元FRB議長であるベン・バーナンキ氏は、最近発表した論文(*1)において、2年前に始まったインフレの原因が供給(サプライチェーン)問題にあるとしたうえで、労働市場のひっ迫がインフレを抑制するためのさらなる阻害要因になり得ると指摘しました。バーナンキ氏と論文の共著者であるオリヴィエ・ブランチャード氏は、「当初は労働市場のひっ迫が2021年以降のインフレの原因であると考えられていたものの、実際は商品取引価格の急騰や特定セクターにおける供給不足、そして賃金の上昇を反映した物価ショックが原因であった」と述べています。

労働市場のひっ迫はインフレの主な要因ではなかったものの、製品市場における供給ショックと比較すると、名目賃金の上昇とインフレに与えた影響はより持続的であったと両氏の論文では示されています。このことから、インフレを制御するには労働需要と労働供給の間に最適なバランスを見つけ出す必要があるということがいえるでしょう。

両氏は、米国の労働市場が極度のひっ迫状態だったにも関わらず、初期のインフレ発生時における労働市場の役割が限定的であったことに驚きを示しつつも、インフレ下において労働市場のひっ迫が続いたため影響の拡大を招いたとも示しました「労働市場のひっ迫がインフレ到来に与えた影響は部分的であったにも関わらず、その後の持続的なひっ迫状態によるインフレの恒常化は、労働需給のバランスを調整する政策措置によってのみ収束され得るレベルにまで深刻化した」と述べており、金融引き締め政策の継続を正当化しています。

これがFRBによるさらなる利上げを指しているのかといえば、必ずしもそうではありません。インフレについては、これまでの施策で十分に対応できている可能性もあります。金融政策の効果が現れるまでには時間がかかるため、すでに実行済みの施策の効果が検証されるまでにはなお時間を要する可能性があるからです。バーナンキ氏のエコノミストとしての地位やFRBでの実績を考慮すると、彼の言葉はかなりの重みを持って受け止められるでしょう。

*1:Bernanke and Blanchard, Hutchins Center on Fiscal&Monetary Policy at Brookings, “What Caused the U.S. Pandemic-Era Inflation?”, https://www.brookings.edu/wp-content/uploads/2023/04/Bernanke-Blanchard-conference-draft_5.23.23.pdf.

昨今の銀行危機が米国経済に与えた影響

3月に起きたシリコンバレー銀行(SVB)の破綻は、貸し剥がしが多発するような大規模な金融危機を引き起こすのではないかという懸念を生みました。しかし結局その懸念は杞憂に終わることとなりました。これは、FRBと米国財務省が銀行の流動比率を高める措置を講じて預金者と投資家を安心させたことにより破滅的な信用危機を回避することに成功したためです。この危機の間に破綻した銀行はごく少数にとどまり、リスクスプレッドは通常レベルに回帰しました。しかし今回の一連の銀行破綻はクレジット市場に打撃を与え、米国経済に悪影響を与える形となりました。実際、FRBのパウエル議長は、今回の銀行破綻が銀行の貸し出しに及ぼした悪影響は数カ月後のFRBの決定に影響する可能性が高いと述べています。一連の金融危機の影響で疲弊しきったクレジット市場が、インフレ圧力を十分に抑制したという見解が広く共有されており、FRBは間もなく利上げを一時停止すると予想されています。

今回の銀行危機は結局米国の銀行部門にどのような影響を与えたのでしょうか。国際金融協会は、同協会が発行するレポートの中で、SVBの破綻後に米国の銀行預金が急減したものの、過去2カ月間は状態が安定していることを示しました。これは、危機の影響が比較的短期のものであり、銀行部門が正常化に向かっていることを示唆しています。

しかしその一方で、銀行の貸し出しに関しては、急激な伸びを見せた前年からSVB破綻直前の時期と比較すると、成長の鈍化が顕著になっています。消費者向け融資の緩やかな増加によって相殺されているものの、商業および産業向けの融資は3月以降共に減少しています。今回の破綻危機以後、不動産向けの融資が住宅用・商業用の両方において緩やかな増加を見せているのとは対照的です。

今回の短期の銀行危機は、クレジット市場をわずかに停滞させたものの、懸念されていたような景気後退のリスクを増幅させるものではなかったと推察されます。

中国の成長鈍化が世界経済に与える影響

予想を超えるレベルの中国経済の減速は、世界の商品取引市場に影響を与えています。銅、鉄鉱石、鉄鋼、ニッケル、その他の金属の価格は3月上旬以来急落しています。多くのアナリストがこの商品価格の下落を世界経済の失速と結び付けています。しかしながら中国の鉱産物に対する需要の規模を考えれば、それがすなわち中国経済の停滞を意味するとの解釈も妥当かもしれません。

現在の中国における小売売上高の減速、工業生産の減少、与信事業の減速、住宅着工の減少は、すべて中国経済の停滞を示しています。ほかにも、民間部門の設備投資の停滞、輸出の伸びの著しい鈍化、さらには過去最高水準に達した若年層の失業率など、中国の不景気を示す指標は数多く存在しています。

とりわけ大方の市場の予想に反して低下した5月の購買担当者景気指数(PMI*2)はアナリストの間に動揺を引き起こしました。中国政府が発表した製造業PMIの低下(4月49.2から5月48.8に低下)は、製造業の活動が継続的かつ加速的に減少していることを示唆しています。これを受けS&P Globalは、生産高、新規受注、原材料在庫のサブ指数の低下は、輸出需要および資本財に対する中国経済の需要の弱さを示していると指摘しました。全体としては、好調なサービス業の影響により経済の成長は継続していますが、その成長は製造業の低迷により抑制的なものであったといえるでしょう。そしてもちろん中国の製造業が商品取引市場において大きな需要を担っていることはいうまでもありません。

*2:PMI(Purchasing Manager's Index:購買担当者景気指数)は経済活動の方向性を示す先行指標であり、基準値である50を上回る数値は経済活動の拡大を、下回る数値は経済活動の後退を示している

気候変動が世界経済に与える影響

昨年の夏の熱波は、世界レベルでの水位低下の原因となり、農業や内陸輸送、エネルギー生産分野において混乱を招くこととなりました。特に中国の揚子江の水位が急低下したことで、水力発電や原子力発電は停止を余儀なくされました。継続的な電力不足は産業活動に影響を与え、中国政府は閉鎖されていた炭鉱の再開に踏み切りました。

中国は今年も同様の状況に直面しています。中国では3月以来記録的な高い気温が観測され続け、2023年5月29日の上海では過去100年間で最高気温となる36.1℃を記録しました。上海のみならず、過去2カ月の間に多くの中国の都市が最高気温を更新しており、その結果、雨量不足と水位低下を引き起こしています。また、電力網もさらなるストレスにさらされています。中国南部の広東省では、エアコンの使用量が増えた影響で電力需要が急増し、今夏を通してこの状況が続けば再び電力不足が発生する可能性があります。

東南アジアにおいても異常に高い気温が記録されており、気象学者は今年と来年に世界中で最高気温記録が更新されることになると予測しています。このように気候変動は現在、人間生活と世界の経済に破壊的な影響を及ぼしています。政府と民間部門がクリーンエネルギーへの移行に苦戦する中、化石燃料の需要は増加し続けています。さらに気候変動は、現在稼働する水力発電や原子力発電などのクリーンエネルギーの生産能力に対しても阻害要因となり続けています。現在、中国はこのような気候変動問題に直面していますが、気候変動はもはや中国だけでなく世界全体の問題といえるでしょう。世界経済は、エネルギー、農業、製造、金融(特に保険)、ヘルスケア、建設など複数の業界にまたがる混沌の新時代を迎えています。

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Deloitte Global Economist Networkについて

Deloitte Global Economist Networkは、デロイトネットワーク内外の視聴者向けに興味深く示唆に富むコンテンツを発信する多様なエコノミストのグループです。デロイトが有するインダストリーと経済全般に関する専門知識により、複雑な産業ベースの問題に高度な分析と示唆を提供しています。デロイトのトップマネジメントやパートナーを対象に、重要な問題を検討するレポートやThought Leadershipの提供、最新の産業・経済動向にキャッチアップするためのエクゼクティブブリーフィングまで、多岐にわたる活動を行っています。

デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社

増島 雄樹 / Masujima Yuki

マネージングディレクター・プリンシパルエコノミスト

外為トレーダーとしてキャリアをスタート。世界銀行、日本銀行、日本経済研究センター主任研究員、ブルームバーグシニアエコノミストを経て、2023年4月より現職。マクロ経済予測・費用便益分析・政策提言を中心に、エコノミクス・サービスを提供。為替に関する論文・著書多数。2018年度 ESPフォーキャスト調査・優秀フォーキャスター賞を受賞。博士(国際経済・金融)。

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コーポレートイノベーション

若菜 俊之 / Wakana Toshiyuki

ヴァイスプレジデント

米国大学院にて経済学博士号取得後、州政府歳入省にて税務エコノミストとして税務・経済データの分析およびモデリング業務に従事。DTFA入社後は、エコノミクスサービスの立ち上げに参画。リードエコノミストとして、大型研究施設における研究成果の波及効果や産業特区の経済波及効果分析などの分析業務に携わる。また文化財、観光資源、スポーツチームなどがもたらす社会的インパクトおよび価値の可視化業務に実績を有する。