全国には優れた製品・サービスなどを有しているにも関わらず次の成長を目指す際にキーとなる人材不足に悩む企業、またこれまでの多様な経験・知見を生活かす場を模索している経営人材が数多く存在します。
本シリーズでは大都市から地域に移って活躍している経営人材を取材し、キャリアや地域で働くことの魅力に迫ります。
今回は東北高校野球部コーチ原拓海氏にお話を伺いました。

※当記事は経営人材プラスに掲載した内容を一部改訂して転載しています。

原 拓海氏

学校法人南光学園 東北高校
野球部コーチ

精密機器メーカーで会計システム関連の業務に携わった後、2012年に有限責任監査法人トーマツ入社し会計監査業務などに従事する。2022年、東北高校野球部コーチに就任し、高校野球の指導に新風を巻き起こす佐藤洋監督の右腕として、チーム作りに深く関わる。

高校球児が監査法人で活躍を始めるまで

——はじめに、監査法人に勤めるまでの道のりを教えてください。

父親が野球好きだったこともあり、物心付いた頃から野球少年でした。高校は埼玉県の熊谷商業というところです。その後大学でも野球部に入り、副キャプテンを務めていました。そこで野球のキャリアを一旦終え、大学院の会計研究科へ進んで本格的に勉強を始めました。

卒業してからは、精密機器メーカーの情報システム部門という部署で会計システムの導入プロジェクトなどを担当していました。親会社が作ったシステムを子会社に展開するといった業務に従事していました。そこでは大勢のITコンサルタントと知り合い、とても刺激を受けました。周囲からは「君ならもっといろいろできるよ」と言ってもらったこともあり、その頃から自分自身の価値はどのくらいあるのだろうと思い始めたのです。

——社会に出てからどれくらい経っていたのですか。

ちょうど3年です。区切りのよい時期であったこともあり、自分自身の市場の評価を知りたくなり転職サイトに登録してみました。それまでのキャリアを生かしてITコンサルや経理担当に挑戦してみたいとも考えていました。するとある転職エージェントから、「あなたの経歴なら監査法人にも可能性がある」とアドバイスをもらい、有限責任監査法人トーマツのアドバイザリー事業本部に入りました。28歳の時です。そしてIT統制監査やデータアナリティクス業務に就きながら公認会計士を目指して勉強を始め、資格試験合格まで数年かかりましたが無事合格できました。

娘が持ってきた1枚のチラシが人生を動かす

——再び野球に関わるようになったきっかけは何でしたか。

ある時、小学生だった娘が「これやってみたい!」と言って野球教室のチラシを持ってきたのです。娘は運動が得意ではなくインドア派でしたし、家でも野球の話題はそれまで一切出ませんでしたので、一体どういう風の吹き回しだろうと思いましたが、本人が自らやりたいと言っていることもありその教室に通わせたみたところ、だんだん野球に夢中になっていきました。そしてもっと上手になりたいという娘の気持ちを受けて熊谷市にある佐藤洋さん(*1)の野球スクールを紹介しました。佐藤さんは元プロ野球選手で、引退してからは少年野球の指導者になって、とてもユニークな教え方で知られている人です。私も中学3年生の時に1年弱ですが、そこで教えていただいていました。

——具体的にはどのような点がユニークなのですか。

当時は、「上から叩け」「ガーッと振れ」など、イメージでの指導が主流でした。でも佐藤さんは子どもに寄り添い、上から押し付けない指導をされていました。プロを引退された直後だったこともあり、技術的なこともたくさん教わりました。のびのび自由にやらせるという指導方針は、メディアに取材されるなどして注目を集めるようになり、少しずつ浸透しているのではないでしょうか。私は「この人が作るチームを見てみたい」と当時から思っていたのです。

*1:1962年宮城県生まれ。東北高校時代に4度の甲子園出場を果たす。1984年読売ジャイアンツ入団。1994年引退後、埼玉県にて少年野球教室を開く。2022年8月、東北高校の野球部監督に就任後すぐに同校12年ぶりとなる選抜高校野球大会出場を決める。東北高校硬式野球部は春夏あわせて42回の甲子園出場を誇る強豪校で、ダルビッシュ有(パドレス)、佐々木主浩(元マリナーズ)、斎藤隆(元ドジャースなど)ほかプロ野球選手を多数輩出

かつての師と再び理想に向けて

——その佐藤洋さんが、東北高校の野球部監督に就任されました。

全国的にも知られている強豪校ですが、当時はあまり振るわない戦績でした。そこで立て直しのため白羽の矢が立ったのが佐藤洋さんでした。2022年8月に佐藤さんが監督に就任してから、あれよあれよという間に秋の宮城県大会の決勝戦では2022年夏の甲子園で東北勢初の優勝を果たした仙台育英高校を破り優勝、東北大会で準優勝し、2023年春の選抜大会出場が決まりました。

しかし、伝統校ですし、従来の高校野球とは全く違う指導方針ですから、監督就任前にはコーチ選びに苦労されていました。再び交流を持つようになった私にも、「誰かいないか」という相談をよくされていました。コーチ人材には教員免許保有者であることおよび学生寮に住み込むことを条件としており、何より佐藤さんの指導方針をよく理解していなければならない。なかなか合う人がいなかったのです。

——そこで、原さんご自身が名乗りを上げたわけですね。

このコーチ人材の条件を自分に当てはめてみたところ、すべて満たすことができるのではないかと思いました。大学生時代に教員免許は取得しており、仕事を整理すれば寮にも住める。佐藤さんの指導を受けていたし憧れも持っている。私が行かない理由はない。妻と3人の子供と埼玉県熊谷市に住んでいましたが、背中を押してくれたのは妻でした。「こんな機会はもう一生ないかもしれないよ」と。単身赴任になるわけで、いろいろと思うところはあったとは思いますが、何とかなるからと言ってくれて。それで手を挙げたのです。佐藤さんと話ができる、同じ方向を見て指導ができるという、昔抱いていた憧れを実現できました。本当に家族には感謝しています。

「自由」であることの厳しさを教える

——佐藤監督の独特な指導方針に対しては、いろいろな声があるのでは。

練習メニューは部員たちが考える、試合中も基本はノーサイン、髪型も練習着も自由、練習中は好きな音楽を流している。今までの高校野球の概念にはなかなか無かった、いわば令和の高校野球を目指しています。練習を押し付けたり、怒鳴って萎縮させたりもしません。それでも、佐藤さんは「もっとこの指導方針を理解してくれる味方を増やさなければ」と常々言っていて、それには学校や保護者の方々、地域の人たちから応援される存在になる必要があります。部員たちもグランドや学校近辺の清掃をするなどを、率先してやり始めました。そうすると、地域の人たちからも少しずつ応援が広がっていきます。小学生の野球教室を開いて教えたりもしています。東北高校のような伝統校・強豪校がそういった取り組みをすることに大きなメッセージ性があると感じています。テレビのスポーツ番組でも取り上げていただき、反響もたくさんありました。

——自由にやらせることには、マイナス面もありませんか。

楽をしようと思えば、いくらでも楽ができます。いい加減な人間はいい加減なまま卒業していくでしょう。だから、逆に厳しいとも言えます。どうしたらよいかを自分たちで考えなければならない。私たちはそれを見ていて、必要があれば少しアドバイスをする。相談も受ける。自由を与えて責任を持たせて、伸びのびやった方がパフォーマンスは上がるのです。これは、社会に出ても同じ。上からあれこれ言われたら仕事は楽しくできないでしょう。ある程度の裁量を持たせた方が人は伸びます。社会人経験の中で、これは実感しています。

「野球型人間」の概念を壊すために

——自分たちで考えて、能動的に動くことを教えているわけですね。

何かのセミナーで、「今、野球型の人間は企業に必要ない」と聞きました。ここでいう野球型人間とは、あくまで指示待ちタイプの人間の例えです。練習メニューは監督やコーチが考え、厳しく指導され、試合中もベンチからのサインを待っていなければならない。こうやれ、ああやれという指示がありすぎる。結果として指示待ちタイプになりがちです。一方、サッカー型やラグビー型の人間は、どんどん展開してしまう試合で指示を待つより先に自分で考えて行動しなければなりません。今の東北高校の方針なら野球でも自分で考えて行動する人間を作れると思っています。部員は当初戸惑っていたようですが、すぐに順応してくれました。大人の影響力や責任の大きさを、改めて痛感しています。

——佐藤監督は練習前に「道徳の時間」を設けているという記事を読みました。

始まる前、20~30分くらい時間を取って、モラルやマナー、世の中のことなど社会で必要なことを話すのです。エレベーターに乗る時は同乗者がほかにいれば、その人の行き先階を聞いてボタンを押してあげるとか、タクシーで女性や高齢者などの同乗者はどの席に座らせたらよいかとか、などです。南三陸町の防災庁舎を見学に連れて行ったこともあります。宮城県に住んでいても、東日本大震災は学生にはまだ幼い頃の出来事でしたから、今こうして野球ができることは普通なことではないことを伝えたいのです。野球以外の一般教養を身に付けることで目配りや気配りができるようになれば、野球にもつながり、結果が付いてくることもあります。これは高校を卒業してからの方がはるかに長い人生ですから、将来に向けても絶対役に立ちます。

「野球を子どもたちに返す」「基準は自分で作る」を目指す

——今回のような大きな転身に際して、原さんならではのモチベーションは何でしたか。

先ほども言ったように、佐藤さんという指導者の存在です。常々「野球を子どもたちに返す」と佐藤さんは言っていますが、野球は今、大人たちの持ち物になってしまっていて、自分たちの都合や指導を押し付けている状態です。笑顔になる、自然な表情になるためには、どうしたらよいかを大切にする佐藤さんの指導方針は、高校野球界を変える可能性があります。甲子園を目指すのではなく、心から野球を楽しめる環境にしていくことが目標です。と言いつつも、甲子園で今の東北高校が勝ち進んでいけば、注目を集めます。うねりが作れます。これを波及させていくことで、野球人口の拡大や野球界のさらなる発展に寄与はできると思います。

——その目標は、部員1人ひとりに届いているでしょうか。

「自分たちで考える」という、我々の言葉が届く日が来ればいいと思いながら話し続けています。会計士の分野でも会計基準というものがあるように、野球にもいろいろな規定や習慣があります。何事もこうした基準が存在することはとても重要ですが、変化する環境の下で単に既存の基準や習慣に従うだけではストレスやジレンマも感じるものです。部員たちは今わからなくても、社会に出て実感する時が来るかもしれません。そういった時、自分でより望ましい基準や新たな考え方を自分自身で生み出すことができる人間になってほしい。1人でもそういう人が出てきてくれることが、長期的な目標だと思っています。

目の前にあることをやり、それらがつながって

——原さんは埼玉県から仙台に来たわけですが、地方のギャップは感じていますか。

会社員とは違う職業だからかもしれませんが、ほとんど感じません。もうひとつの会計士という仕事にしても、コロナ禍に入ってからは埼玉県熊谷市の自宅でずっとリモートワークでしたし、仙台になっても全く同じことです。社会のインフラも整い、リモートの土壌ができてきたことが幸いしました。これがもし3〜4年前だったら、仙台に来ることはできなかったでしょうね。トーマツからは在籍当時の仕事を今も一部担当させていただいており、それらもリモートで対応可能な業務です。会計士として独立開業という形を取り、個人事務所としてトーマツの仕事をさせていただいています。コーチ業の傍ら、隙間時間を利用したダブルワークで何とか生活できるようになっています。

——地方への転職や転身を考えている方に向けて、一歩踏み込むためのアドバイスはありますか。

これまで頑張って取り組んだことは必ず生かすことができると思います。またつながってくると思います。私の場合、まず、教員免許。大学進学の際に将来高校野球の指導者になる目標を持っていたので取得しておいたものです。そして、公認会計士の資格。トーマツに入社して周りにたくさん会計士がいたので、刺激を受けて勉強を始めました。そして野球。大学まで続けていて、その間佐藤さんとも知り合いになる事ができました。どれも目の前のことを頑張って取り組んできたことです。今回、この3つがつながったのは偶然かもしれませんが、その時その時で自分からつかみに行く勇気をもつことができました。おカネや地位は、やはり外発的な動機付けだと思っていて、そこに重きを置いていたら私は行動に出なかったでしょう。自分自身がワクワクできるかどうか。心の中の、内発的な動機付けで動くことが、後悔のない選び方ではないでしょうか。全てにおいて家族の理解および協力なくして実現し得ないことは言うまでもありません。皆さんも、心が動いたところへ素直に向かってみていただきたいと思います。

※本インタビュー内の写真につき無断転用などを禁じます。

FAポータル編集部にて再編