介護予防の現状の課題と解決の糸口――なぜ介護予防元年は到来していないのか(中編)
デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社
ストラテジー
山路 郁馬
2015年の介護保険法改正では、要支援や要介護の認定に関わらず高齢者誰もが参加できる「一般介護予防事業」が創設されました。介護予防に着目した施策として転換点ではありましたが、介護予防元年と呼ばれるまでには至っていません。前編では介護予防の取り組みの概況を解説しました。中編ではそこから見えてきた介護予防業界が今後克服すべき課題と解決の糸口について解説していきます。
※当記事はD.comに掲載した内容を一部改訂して転載しています。目次
介護予防業界が抱える課題とは
前編で行政、民間の介護予防の取り組みを解説しましたが、現状はそれぞれが独立した事業、ビジネスとなっていて、介護予防に資する何らかのデータは蓄積されているものの、全体として連関しておらず、真に介護予防に資するエビデンスが確保されていない状態になっているように思われます。
大本の背景として、介護予防業界が抱える主要な課題を3つ取り上げたいと思います。1点目は、行政側が介護予防活動の支援のための予算をいまだ大きく確保できていないこと、2点目は、地域・民間単位として介護予防の取り組みに対するエビデンス集約・適切な情報提供機能が不足していること、3点目は、高齢者個人の社会参加率の維持・向上が難しいことです。そして、これら3つの要素が複雑に絡み合っていることで、全体として連関した介護予防の取り組みが生まれにくいという点もポイントです(図1)。
介護予防事業にかかる予算確保の必要性
政府は2015年の一般介護予防事業の創設以降、介護予防事業費の予算を積み増してきました。しかしながら、コロナ禍における財政支援のための予算配分の影響もあり、介護予防・日常生活支援総合事業の概算要求は令和3年度以降減衰傾向であり、令和5年度についても前年度当初予算の範囲にとどまる見込みです。地域ごとに高齢者の伸び率が勘案され若干上振れる可能性はありますが、総じて十分な事業予算を確保しているとはいえず、既存の介護予防の取り組みから脱却するためには予算の確保が依然として課題だと考えられます。
介護予防にかかるエビデンス蓄積の必要性
現在の介護予防サービスは、市区町村の窓口対応や地域住民からの紹介といったアナログな方法を通じて選択されるケースが多く見られます。理想をいえば、有効性や費用対効果について科学的な検証を行い、より本人の年齢・健康状態などに適した介護予防サービスがデジタル化されたデータに基づき紹介されるべきですが、あまり進んでいません。
この背景として、地域・民間単位で介入手段を量的・質的に評価するための実証研究が道半ばの状況であり、差し当たり、優良事例の成功要因の定性評価や母集団から無作為抽出した調査対象へのアンケート調査程度にとどまっています。
実証研究活動が進まない理由の1つとして、民間側も含めると介護予防関連サービスは有象無象存在しており、それらを複数組み合わせたパターンもあるうえに、個人差(本人の年齢や健康状態)や地域差(介入した地域・場所、いわゆるソーシャルキャピタルの違い)など変数が多く存在していることが考えられます。
活発な社会参加を促す必要性
近年、公衆衛生学上の介入方法として、ポピュレーション・アプローチ(リスクの有無や大きさに関わらず、集団や環境全体に働きかけるアプローチ)が普及し始めていますが、通いの場で提供されるプログラムが代表的なものであります。
通いの場の運営課題として、個人のライフステージ・趣味嗜好の違いによりプログラムとの相性がマッチせずに、マンネリ化した内容に感じてしまい参加不継続となるケースが見られます。また、男性を中心に社会参加に興味関心を持たない引きこもりがちな層も一定数存在しており、これらの層へ適切な介入手法を講じる必要があるでしょう。
介護予防の将来展望—更なる発展の糸口はなにか
介護予防の発展のために何よりもまず重要なことは、より多くのステークホルダーを一致団結させ、大規模かつ長期的な介護予防プログラムを推進できる環境づくりです。勿論、関係者が多くなることで利害調整が困難になるため一朝一夕とはいかないと思いますが、以下に例示するような課題解決の糸口を見出す中で徐々に関係者間での合意形成が芽生え始めるものと考えます。
課題解決の糸口①:インパクト投資の普及
近年、経済的なリターンと同時に社会面・環境面での課題解決を目指す、「インパクト投資」が注目されており、その中でも、PFS(Pay for Success:成果連動型民間委託契約方式)やSIB(Social Impact Bond:PFSに投資家の資金提供を組み合わせたもの)をはじめとする成果連動型官民連携スキームを普及させることが将来的な事業予算の継続確保のために有用とされています。成果報酬が取り入れられているため、質のばらつきが大きいとされる介護予防領域のサービス選定に有用であり、このスキームを有効活用することで介護費の適正化に繋がると期待されています。
普及に向けては、自治体担当部署が当該スキームへの理解を深めることは勿論のこと、前例が決して多くはないスキームのため、財政部署との連携や議会での承認も得る必要も出てくるなど、困難が伴うことが予想されますが、裏を返せば、民間企業が各自治体と協業しながら、検討・実施段階での様々な課題を解決できるビジネス機会として捉えることもできるでしょう。
英国・米国などSIB先進国と比較して、日本では事業規模が比較的小さく収まる点が課題として挙げられていますが、数億円規模の事業が増えていき成功事例が積み重なれば投資家へのさらなる呼び水となり、PFSやSIB市場が拡大することが予測されます。
代表例として、愛知県豊田市は、2021年7月からSIBスキームによる介護予防事業を開始している旨を同年8月に発表しています。期間は2026年6月まで5年間で事業費は最大5億円であり、介護予防を含むヘルスケア分野で億単位のSIBスキームは全国初ということで話題になりました。
課題解決の糸口②:科学的評価活動へのイニシアティブ
システマティックレビューやRCT(ランダム化比較試験)などの科学的な評価体系を通じて、各介入手段の有効性を明らかにすることが有用とされています。これにより、サービス間の客観的な比較検討や、アウトカムの定量化(介入に要したコストが、介入が仮になかった場合に将来負担するはずであった介護サービス費用を比較し、費用対効果を検証する活動)の取り組みが活発になると考えられます。
これらの取り組みを活発化させるためには、自治体を中心に実証フィールドを確保したうえで、データ取得・蓄積に係る民間企業のソリューションを活用しながら、高齢者個々の運動機能・認知機能および社会参加度に係る客観的なデータを取得することが重要と考えられます。同時にそれらのデータについて、アカデミア見地から統計的有意性や臨床的意義を明らかにする取り組みも求められるでしょう。
課題解決の糸口③:本人に最適化された介護予防プログラムの開発
社会参加率向上を促す上では本人に最適化されたプログラムを提供するアプローチが肝要です。英国・北欧などの公衆衛生先進国では、「Equity(個人の違いを視野に入れて、目的を達成するために適切なものをそれぞれ与えること)」を念頭に置いた制度・ソリューションとして、すでにこのアプローチが浸透しています。一方で日本の場合は、「Equality(個人の違いは視野に入れず、すべての人に同じものを与えること)」ベースでの旧態依然としたプログラムが多く残っている点で、社会参加率の維持・向上のためにパラダイム変化が必要な転換点に差し掛かっているといえるでしょう。
もちろん、日本人の国民性や医療・介護制度に見合ったアプローチを導入するにしても浸透までに何十年も掛かってしまうため、DXの力を借りることが有用です。例えば、無意識下で本人の趣味趣向に関する情報を峻別できるAIソフトウェアや、いつでもどこでもフレイルリスクを分析できるシステムなどのソリューションの普及が期待されます。そのためには、住民個人とのデータ共有・利活用範囲に係る合意形成や、企業や組織が有する多種多様なデータの形式を標準化させるといった国を挙げた取り組みもより一層求められるでしょう。
おわりに
日本は世界のどこよりも早く超高齢化社会に直面しており、介護予防の取り組みが急務となっています。これは日本が世界に先駆けて経験できるチャンスとも捉えられ、国内で描いた持続可能な介護予防の仕組みを世界へ輸出しながら次世代のヘルスケア産業をリードすることも期待されます。一方で実態としては、ここ数年で地域や企業ごとにベストプラクティスとなるような介護予防の取り組みが明らかになってきており、介護予防の機運が高まっているものの、三方よしとなるような持続可能な業界構図をいまだ描き切れていないのが現状です。主要なステークホルダーたちを一致団結させ、持続可能な仕組みを構築することにより、介護予防の取り組みが一層進展することに期待したいところです。
後編では、民間企業のソリューションによる介護予防の可能性を考える対談記事をお送りします。