強制労働、児童労働、あるいは人身取引など。これらはかなり以前から国際的に問題視されていました。その一方、昨今では人権デューデリジェンスという言葉を耳にするようになってきています。これは従来から問題視されていた人権に関わるリスクを評価、その対策を策定・実行するプロセスのことを示し、海外企業だけでなく、国内企業でも具体的な意識をもって取り入れられるようになっています。人権デューデリジェンスの現状や国内外の取り組みについて、長島・大野・常松法律事務所の福原あゆみ氏に解説いただきました。(聞き手:編集部 村上尚矢)

福原 あゆみ氏

長島・大野・常松法律事務所
パートナー弁護士

法務省・検察庁での経験をバックグラウンドに、企業の危機管理・争訟を主たる業務分野としており、海外当局が関係したクロスボーダー危機管理案件の経験も豊富。国内・海外の規制当局の対応に関わるほか、人権コンプライアンス(ビジネスと人権)の分野にも精力的に取り組む。経済産業省「サプライチェーンにおける人権尊重のためのガイドライン検討会」委員(2022年)。

従来から見られた問題を幅広く扱い、「人権」を多面的に保障していく

――人権デューデリジェンス(以下、DD)の背景と今までの経緯について教えてください。

人権DDは一回的な概念ではなく、継続的に人権リスクを評価・対応するものと考えられています。2011年には、国連が「ビジネスと人権に関する指導原則」を制定。OECD(経済協力開発機構)でも人権の尊重が取り上げられ、そのガイドラインには企業は人権DDを行うべきと記載されました。つまり、人権DDは概念としてはそれほど新しいものではないのです。

ただ、それらはあくまでソフト・ロー(*1)なので、日本ではなかなか企業に浸透しなかった部分があります。海外に目を向けてみると、イギリスでは2015年に現代奴隷法が、フランスでは2017年に企業注意義務法が制定され、そこから人権DDの概念が浸透し始めたと見ることができるでしょう。

*1:国際社会において法的拘束力はないが、何らかの拘束力をもつ取り決め

――人権DDが浸透するにつれ、どのような議論がなされるようになりましたか。

人権は国家が保障するのはもちろんですが、企業もその責任の一端を担うべきというのが、国連から出された指導原則の理念です。それをコンセプトに、企業は特にサプライチェーンにおける人権尊重の活動を行うべきとされています。その背景には、1990年代の経済グローバル化とともに先進国が次々と新興国に工場を設立、新興国の経済発展を促したものの、法令の整備が十分でない新興国もあり、そのため児童労働、強制労働などが問題視されるようになりました。しかし、新興国労働者と直接雇用関係にある現地企業だけがその問題を背負うというのはおかしい、サプライチェーンの上流にいる大企業も人権尊重の責任を負うべきとの議論が起きました。

――SDGsと共通する目標といえるでしょうか。

そうですね。ただ、SDGsよりも直接的であると考えます。もともとはサプライチェーンにおける労働者の権利が注目されていたところ、企業活動の進展は続き、例えば環境問題なども人権と関連付けて論じられるようになってきました。

――環境問題と人権DDのつながりは何でしょうか。

2019年末、オランダ最高裁判決で「気候変動に対して政府が取り組まないのは人権侵害」という論理構成がなされました。そもそも環境と人権のリスクは結びつく部分も多く、例えば土地開発プロジェクトを例にすれば、森林破壊による生態系の破壊が環境リスクであることは理解しやすいでしょう。実際はそれに伴って、先住民族の権利保護、補償なくして土地を奪われるなど、人権に寄ったリスクも生じます。これらは切り離すことができないもので、2022年に出されたEUの人権DDの指令案(企業持続可能性デューディリジェンス指令案)などでも、人権だけでなく、それに関連する環境問題なども併せてリスク評価することを義務付けています。

――人権をコアとしながら、関連する問題はすべて人権DDの俎上に載せるということですか。

はい。ただそうなると問題が非常に広範囲にわたってしまい、何から取り組めばいいのかがわからなくなります。そのため、企業としてはリスクベース・アプローチを取った結果、相対的にリスクが高い労働環境や労働安全・衛生などの問題をファーストステップとして取り組むべき場合も多いと思われます。

人権DDに関する日本の現状

――人権DDという言葉・概念自体については、日本の経営者の理解も進んでいるのでしょうか。

欧州企業と比べて、日本企業にとっては人権DDに関する取り組みはまだ十分に浸透しているとは言い難いのが現状です。ただ、日本企業の中でもここ1〜2年で人権DDを取り組むべき課題として認識されはじめ、人権リスクに対して何かしらの対処をしなければならないという意識が高まってきていると感じています。

――人権DDに対応することで企業にどんなメリットがあるでしょうか。

積極的な対応を実施することで、人権DDに対する意識の高い海外企業からサプライヤーとして選ばれやすくなるなどのメリットが考えられます。特に欧州では、日本に比べて人権DDに関連する法令が先行していますから、サプライヤー選定の過程や取引の中で、それらの法令に基づいたデューディリジェンスの一環として、人権への取り組みが求められる場合が出てきています。また、CHRB(企業人権ベンチマーク)のような人権への取り組みの評価格付けといったところで、良い結果を残すことは企業価値を高めることにもつながるでしょう。

――日本政府は人権DDについてどんな動きをしていますか。

2022年に経済産業省が策定した「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」によると、地域のリスク、業種のリスク、製品・サービスのリスク、企業固有のリスクという4つの要素を挙げ、自社においてどのリスクが高いかを判断すべきとあります。

リスクが重大な事業領域の特定
出所:ビジネスと人権に関する行動計画の実施に係る関係府省 庁施策推進・連絡会議、責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン(https://www.meti.go.jp/press/2022/09/20220913003/20220913003-a.pdf)、pp14-15

例えば地域リスクであれば新興国などリスクが高い地域に所在する企業との取引の有無を確認する、業種のリスクなら商社のように多業種を取り扱っているので、その中でもリスクの高い業種を見極める、などが挙げられます。

それから、日本という枠組みでいえば、技能実習生について前述のガイドラインでも多く触れられているように、国際的に見ても問題であると評価されやすいです。

日本企業の課題と対策

――人権DDを実施する際の具体的な手法にどんなものがありますか。

欧州企業は、様々ある人権リスクをマッピングしたうえで、対処する課題を選定しています。当然、深刻性、重大性の高い課題に優先的に取り組むことになりますが、リスクマッピングは毎年見直しをかけて進めています。

――人権DDへの対応が遅れている日本企業の課題は何でしょうか。

まずはリスク評価そのものがなかなか難しいことです。加えて、人権DDは、企業側だけではリスクを網羅的に特定しづらいため、ステークホルダーとの対話を適宜挟んでいくことが推奨されています。しかし日本企業にはNGOなどと定期的な対話の機会を持っているところが少なく、リスク評価のための情報が乏しいと思います。国内外の情報収集活動も課題でしょう。

それでも、現状でできることがないわけではありません。すでに社内で把握・特定されているリスクを人権の観点から改めて見直したり、人権に関する懸念を受け付ける窓口を設置して、社内外のステークホルダーからも申告を受け付けるようにすることで、人権リスクを早期に発見できる一助となります。窓口を作るのはコスト的にも一社では難しいので、業界団体で向き合うのも一案です。すでに内部通報制度を備えている企業は多いですから、それをアレンジして対処することも考えられます。

――人権DDに関する罰則はありますか。

日本で定められたガイドラインはあくまで任意規定であり、この不遵守に対する罰則はありません。海外ではドイツ法が金銭的なサンクションを含めた罰則を制定し、2023年1月から施行されています。各国はドイツ政府の動きに注目しているといえるのではないでしょうか。それから将来的にEUからの指令案に罰則が付けられることになれば、EU各国とつながりのある日本企業にも影響があります。いずれにせよ日本企業も近く人権DDへの対応が必須となっていくものと考えます。

人権DDを浸透させるにはスモールスタートで1つひとつ着実に進めていくことが重要

――日本企業で人権DD対応が進んだ場合、どの部署が主担当となり得ますか。

CSRや法務部、コンプライアンス関連の部署といったところでしょうか。これらのうちどの部署が主担当とならなければならないと決まっているものではありませんが、理想をいえば、それらの部署の知見を生かしながら連携したチームを作り、前述した窓口を新たに設置し、対策を考えられると良いでしょう。実際、それを実践している企業もあります。

――経営者の意識については先ほど伺いましたが、今後現場で働く社員の意識変革を促すためにはどうしたらいいですか。

セミナーや研修などを通して、まずは人権DDの存在を知ってもらい、具体例を出しながら「意外に身近な問題である」ことを認識してもらう。そうやって徐々に意識を変えていくことに努めるしかないでしょう。このように地道な努力を続けていけば、必ず意識変革は起こると考えます。

期限がある問題ではありませんから、まずは自社でできるところから手を付けるといった姿勢でいいと思います。例として挙げるなら、広告・マーケティング業界では差別的な広告やバイアスを固定化させる広告などは非難の的になりますが、まれに「抜け・漏れ」があるのも事実です。それを見逃さず回避できる取り組みをしていることも、広くいえば人権への取り組みです。

――これから日本企業ができること、やるべきことは何ですか。

海外企業のようにリスクマッピングを行い現状把握することです。まずはリスクが高い部分を把握して対処方法を決めていく。さらにその活動を公開することまでできれば、なお良いです。現状、ここまでできている企業は少ないと感じます。

――日本企業における人権DDへの取り組みは、これからが重要ですね。

人権DDという言葉・概念になじみはなくとも、それにまつわる課題に対する問題意識は多く持たれていると考えます。ですから、既存の取り組みを活用しながら行動を起こしていく。大掛かりな取り組みでなく、スモールスタートでいいのです。大事なのはできるところから進めることです。対外的には、なぜその課題から着手したのかを説明できるようにしておく必要はありますが、その際には専門家の手を借りることも考慮に入れるべきです。

人権DDへの取り組みについては、「絶対にこの順序で実施しなければならない」ということはありません。しかしそこに着手せず、人権意識が低いままでいると、やがて企業のイメージダウン、企業価値の低下、株価の低下、人的流出なども起こってくるでしょう。だからこそ経営者も現場の社員も人権DDに対する理解を持って、活動していくことが重要だと考えます。