近年、日本社会では「Z世代」という言葉が広く定着した。企業は若年層向けの商品やサービスを開発し、経営者は若者との対話を重視し、メディアは新しい価値観や消費行動を盛んに取り上げている。
こうした動きは自然なことである。人口減少や経済構造の変化が進むなか、次の時代を担う世代に期待が集まるのは当然だろう。社会が若者の感性や発想に注目することには、大きな意味がある。
しかしその一方で、未来について語られる際に、十分に意識されていない層があるように思う。それは、現在30代後半から40代前半に位置する人々である。
この世代には、団塊世代のような象徴性も、団塊ジュニアのような人口規模もない。ゆとり世代やZ世代のような広く共有された呼称も存在しない。
彼らは長らく他の世代との関係のなかで説明されてきた。
就職氷河期世代の後。
ゆとり世代の少し上。
ミレニアル世代の一部。
しかし、それらはいずれも相対的な位置づけであり、この世代そのものを表す言葉ではない。
ところが実社会に目を向ければ、この世代はすでに社会運営の中心に立っている。企業では部門や事業の責任者として意思決定を担い、自治体では政策執行の中核を担う。医療や教育の現場でも、多くの組織で運営の要となっている。経験を重ね、権限を持ち、マネジメント能力を発揮し始めるのも、この年代である。
未来を構想する人は必要だ。しかし、未来は構想されるだけでは実現しない。
新しい発想や価値観は、制度や事業に落とし込まれ、組織のなかで運用され、社会に定着して初めて現実となる。その意味で、この世代は未来を「実装する側」の中心にいる。
この世代を特徴づけるのは、技術革新を経験したこと以上に、変化そのものへの適応を求められ続けてきたことである。社会人になった直後にリーマンショックが起きた。キャリア形成の初期段階で経済危機に直面し、多くの企業が事業や雇用の見直しを迫られる姿を目の当たりにした。
その後には東日本大震災が発生した。さらにデジタル化の加速、働き方改革、コンプライアンスやガバナンス強化など、組織運営の前提そのものが大きく変化していった。
そして責任ある立場を担い始めた頃、新型コロナウイルスの流行が世界を覆った。リモートワークへの移行、組織運営の再構築、事業継続への対応。その最前線に立ったのは、この世代である。
振り返れば、彼らのキャリアは安定した環境のなかで形成されたものではなかった。リーマンショック、東日本大震災、働き方改革、コロナ禍、そして現在進行中のAI革命。社会や経済の前提が変化し続けるなかで、その都度、適応を求められてきた。
そしてコロナ禍が収束した頃には、気づけば40歳が見えていた。
こうした経験からか、この世代には理想を語ることよりも、課題を現実的に解決することを重視する傾向が見られる。
革命より改善。
理念より実行。
主張より成果。
もちろん一括りにはできない。
しかし少なくとも、大きな変化を叫ぶことよりも、変化を現実のものとして定着させることに価値を見いだしている人は少なくないように思う。
だからこそ不思議なのである。
日本社会は若者への期待を語り、高齢化への対応を議論する。しかし、その間で実際に組織や社会を動かしている層については、驚くほど語られない。これは特定の世代を称賛するための議論ではない。世代間の優劣を論じるものでもない。むしろ問い直したいのは、私たちが社会変革をどのように捉えているかである。
新しい発想は誰が生み出すのか。
その発想を社会に定着させるのは誰なのか。
未来を語るのは誰で、未来を形にするのは誰なのか。
10年後、20年後の日本を考えるとき、重要なのは未来を構想する力だけではない。変化を現実へと転換する力もまた、欠かせない。だが、その役割を担う人々に対して、私たちはまだ適切な言葉を持っていない。
世代に名前を与えることが、その世代の特徴や社会的役割を可視化する行為なのだとすれば、この世代こそ改めて言語化されるべき存在ではないだろうか。
我々は、その世代をなんと名づけるのか。

