関税に関する議論の検証
デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社
増島 雄樹
デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社
バリュエーション & モデリング
上田 翔一

景気循環による経済的影響は企業にとって不可避なものです。しかし、世界および地域経済に対し長期的な見通しを持つことにより、企業は景気循環のリスクを最小化することができます。デロイトは、世界のビジネスリーダーたちに必要な、マクロ経済、トレンド、地政学的問題に関する明快な分析と考察を発信することにより企業のリスクマネジメントに貢献しています。
本連載では、デロイトのエコノミストチームが昨今の世界経済ニュースやトレンドについて解説します。今回は、Deloitte Insightsに連載中のWeekly Global Economic Updateの2025年5月5日週の記事より抜粋して日本語抄訳版としてお届けします。
目次
Ira Kalish
Deloitte Touche Tomatsu
チーフエコノミスト
経済問題とビジネス戦略に関するデロイトのリーダーの1人。グローバル経済をテーマに企業や貿易団体への講演も多数行っている。これまで47の国々を訪問したKalish氏の解説は、ウォール・ストリート・ジャーナル、エコノミスト、フィナンシャル・タイムズなどからも広く引用されている。ジョンズ・ホプキンス大学国際経済学博士号取得。
関税と政府収入の関係
アメリカ政府が追加関税を正当化する理由のひとつとして挙げているのは、関税がアメリカ政府に多額の収入をもたらし、それによって減税による財政悪化の影響を相殺できるという点です。しかし、問題となるのは、税率が上昇すると輸入量が減少し、その減少幅が関税収入の増加を上回る可能性があることです。その結果、実際には税収が減少する可能性があります。さらに、関税率が上昇すると、消費者や企業の購買力が低下し、経済活動が弱まります。これによる税収減少の可能性もあります。
ピーターソン国際経済研究所の計算によると、関税率の上昇がアメリカ政府の税収に悪影響を及ぼすまでに、そう長くはかからないとされています。具体的には、アメリカが全ての輸入品に一律10%の関税を課した場合、10年間で政府収入は1兆5750億ドル増加すると推計されています。しかし、同じように全ての輸入品の関税率を20%に引き上げた場合、10年間の政府収入はわずか7910億ドルの増加にとどまり、10%の関税率で得られる収入の半分程度に減少します。どちらのシナリオも、他国が報復措置を取ることでアメリカの輸出が減少し、経済活動全体が弱まることを前提としています。この分析は、アメリカ政府が関税によって得られる収入には限界があることを示しています。過去には、所得税を関税に置き換えるという議論が政府内で浮上しましたが、実現には多くの課題が残されています。
この分析には重要な示唆があります。もしアメリカ政府が非常に高い関税率を設定した場合には、経済活動への悪影響だけでなく、低い関税率を設定したときよりも収入が減少する可能性があります。筆者の見解では、最適な関税率は「ゼロ」です。ゼロ関税は価格や経済活動への影響を最小限に抑え、企業の効率性を最大化し、強力な経済成長を促進することで十分な税収を生み出します。政府がより多くの収入を必要とする場合は、経済活動を歪めるような輸入品に対する課税ではなく、国内の税率を引き上げるべきです。
関税引き上げによる米国経済への影響
アメリカ政府が関税を引き上げる目的のひとつは、輸入を増やさないために国内製造業への投資を促進することです。この目的は、アメリカ製造業が輸入品との不公平な競争によって苦しんでいるという前提に基づいています。しかし、アメリカの製造業は本当にこのような状況なのでしょうか?いくつかの数字を確認してみましょう。
アメリカ製造業の付加価値は、このところ着実に増加しています。2010年1-3月期から2024年10-12月期までの間に、製造業の付加価値は25%増加しました。しかし、経済全体の成長率がそれ以上に高かったため、製造業の付加価値はGDPに占める割合としては以前より低くなっています。それでも、2020年以降、製造業の付加価値はGDPの約9.9%を占め、安定しています。一方で、2010年以降、製造業の雇用者数は11.5%の増加にとどまっています。
製造業の雇用者数の増加が、付加価値の増加よりも緩やかなのは、省人化・省力化技術の投資を増やしたことにより、労働生産性が大幅に向上したためです。例えば、多くの製造業がロボット化に投資しています。その結果、製造業が必要とする労働者のスキルが変化し、高校卒業後に組立ラインで働くような労働者は減少し、ソフトウェアのエンジニアや高度スキルを持つ労働者が増加しています。
必要とされるスキルの変化に伴い、労働者の確保がより困難になっています。製造業の有効求人倍率は、コロナ禍期間を除けば過去最高水準に近くなっています。つまり、アメリカの製造業は人手不足に直面しています。そして移民の減少に伴い、この問題はさらに深刻化する可能性があります。
ここで、海外からアメリカ国内への生産移転が本当に合理的かという疑問が生じます。もし製造業が生産工程をアメリカに移転すれば、既に不足している高スキル労働者を必要とします。もし、労働集約型の工程をアメリカに移転する場合、アメリカ国内の労働者に支払っている比較的高い賃金を反映して、生産コストが大幅に上昇する可能性があります。そして、もしアメリカの消費者が製品に対してはるかに高い価格を支払うことになれば、他の財やサービスに使えるお金が減少し、それが他の産業の雇用に悪影響を及ぼす可能性があります。
さらに、生産工程をある国から別の国へ移すということは、大きな費用がかかり、完了までに長い時間を要する重大な経営判断です。このような判断は、将来の経済環境がどのようになるかという予測に基づいて行われます。例えば、企業が、高関税が永久に続く前提であることを想定する場合には、アメリカへの生産移転は経済的に合理的でしょう。しかし、関税が適用される期間について不確実性がある場合には、そのような判断はリスクを伴います。もし次の政権が、現在の政権とは全く異なる関税政策を採用したらどうなるでしょうか?その場合、長期的な投資判断が失敗に終わる可能性があります。このような不確実性は、投資を抑制する効果を持つといえます。
※本記事と原文に差異が発生した場合には原文を優先します。
Deloitte Global Economist Networkについて
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