景気循環による経済的影響は企業にとって不可避なものです。しかし、世界および地域経済に対し長期的な見通しを持つことにより、企業は景気循環のリスクを最小化することができます。デロイトは、世界のビジネスリーダーたちに必要な、マクロ経済、トレンド、地政学的問題に関する明快な分析と考察を発信することにより企業のリスクマネジメントに貢献しています。
本連載では、デロイトのエコノミストチームが昨今の世界経済ニュースやトレンドについて解説します。今回は、Deloitte Insightsに連載中のWeekly Global Economic Updateの2024年6月3日週の記事より抜粋して日本語抄訳版としてお届けします。

Ira Kalish

Deloitte Touche Tomatsu
チーフエコノミスト

経済問題とビジネス戦略に関するデロイトのリーダーの1人。グローバル経済をテーマに企業や貿易団体への講演も多数行っている。これまで47の国々を訪問したKalish氏の解説は、ウォール・ストリート・ジャーナル、エコノミスト、フィナンシャル・タイムズなどからも広く引用されている。ジョンズ・ホプキンス大学国際経済学博士号取得。

人民元の国際化の現状

中国政府は、中国の通貨である人民元が世界において重要な通貨になること、すなわち世界貿易の大部分が人民元建てで行われ、各国の企業や中央銀行が人民元建ての資産を大量に保有する世界の実現を望んでいます。加えて中国にとってより重要なのは、米国に対する脆弱性の克服です。米国は強力な支配力を有する米ドルを利用し、米国の目標に沿っていない政府に制裁を課すことができます。特に米国によるロシアへの制裁は、米ドルの支配力を示す一例です。また米国は自国通貨建てで資金を借り入れる「法外な特権」を有しており、為替リスクを排除することができます。さらに米ドル建て資産の市場は取引量が多く、流動性も高いため、米国の借入コストは他の国よりも低くなっています。世界第2位の経済大国となった中国は、こうした優位性を享受することを望んでいるのです。

その実現のため、中国政府は多くの国と通貨スワップ協定を締結するとともに、中国企業に対し人民元での国際取引を奨励してきました。しかし、そうした目標にも関わらず、国際化の進展は停滞しており、人民元で行われている世界貿易の割合は大きく増加してはいるものの、全体としては未だ低い水準に留まっています。

国際化に向けた障壁

中国の交通銀行と人民大学が実施した企業を対象とした新たな調査では、人民元の使用がそれほど広まっていない理由が示唆されています。この「人民元国際取引報告書」における調査は中国の1,657社を対象とし、その約71%が中国の民間企業、約13%が国有企業、約15%が外資企業で構成されています。調査の結果によると、回答者の約47.7%が、人民元取引が少ない主な理由として「貿易相手の人民元に対する関心の欠如」を挙げました。また、回答者の約63.8%が人民元取引の阻害要因として「政策の複雑さ」を挙げ、約40%が「法規制への適合性」「資本移動における障壁」に言及していました。さらに約30%が「投資範囲が限られる」と回答し、約20%が「ヘッジ手段がない」と回答しました。

これらの結果は、中国による資本規制がその通貨の国際化における阻害要因である、という多くの観測筋にとって既知の事実を裏付ける内容となっています。さらに資本規制により、世界の投資家は人民元に投資する能力を制限されています。例えばアルゼンチンの農家が小麦を輸出し、代金をどの通貨で受け取りたいかと尋ねられたとします。このとき米ドルか人民元かの選択肢を与えられれば、その農家はおそらく米ドルと答えるでしょう。なぜなら人民元は中国の資本規制により柔軟性を欠いており、受け取った人民元で中国の資産に投資したとしても、その資産の流動性に疑問符が付くこととなるからです。さらに、人民元を用いて中国以外の国に投資することが難しい点も、人民元を選ばない理由の1つです。米ドル建て資産であれば、これらのいずれの問題も生じません。

すなわち、中国が自国の通貨を国際化する最善の方法は、自らの資本規制を撤廃することなのです。しかし、そうなれば、通貨はかなりの変動にさらされることになります。つまり、中国の中央銀行にとって、独立した金融政策を維持しつつ通貨価値の維持を同時に目指すことは難しく、このいずれかの達成を諦める必要に迫られます。仮に金融政策のコントロールの維持を選択すれば、急激な通貨安に対処しなければならなくなる可能性があるのです。とはいえ、中国の資本規制の撤廃は、人民元ベースの取引の大幅な拡大を促すことになるでしょう。

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Deloitte Global Economist Networkについて

Deloitte Global Economist Networkは、デロイトネットワーク内外の視聴者向けに興味深く示唆に富むコンテンツを発信する多様なエコノミストのグループです。デロイトが有するインダストリーと経済全般に関する専門知識により、複雑な産業ベースの問題に高度な分析と示唆を提供しています。デロイトのトップマネジメントやパートナーを対象に、重要な問題を検討するレポートやThought Leadershipの提供、最新の産業・経済動向にキャッチアップするためのエクゼクティブブリーフィングまで、多岐にわたる活動を行っています。

デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社

増島 雄樹 / Masujima Yuki

マネージングディレクター・プリンシパルエコノミスト

外為トレーダーとしてキャリアをスタート。世界銀行、日本銀行、日本経済研究センター主任研究員、ブルームバーグシニアエコノミストを経て、2023年4月より現職。マクロ経済予測・費用便益分析・政策提言を中心に、エコノミクス・サービスを提供。為替に関する論文・著書多数。2018年度ESPフォーキャスト調査・優秀フォーキャスター賞を受賞。博士(国際経済・金融)。

デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社
コーポレートイノベーション

若菜 俊之 / Wakana Toshiyuki

マネジャー

米国大学院にて経済学博士号取得後、州政府歳入省にて税務エコノミストとして税務・経済データの分析およびモデリング業務に従事。DTFA入社後は、エコノミクスサービスの立ち上げに参画。リードエコノミストとして、大型研究施設における研究成果の波及効果や産業特区の経済波及効果分析などの分析業務に携わる。また文化財、観光資源、スポーツチームなどがもたらす社会的インパクトおよび価値の可視化業務に実績を有する。