全国には優れた製品・サービスなどを有しているにも関わらず次の成長を目指す際にキーとなる人材不足に悩む企業、またこれまでの多様な経験・知見を生活かす場を模索している経営人材が数多く存在します。
本シリーズでは大都市から地域に移って活躍している経営人材を取材し、キャリアや地域で働くことの魅力に迫ります。
今回は株式会社トキワ代表取締役の柴崎明郎氏にお話を伺いました。

※当記事は経営人材プラスに掲載した内容を一部改訂して転載しています。

柴崎 明郎氏

株式会社トキワ
代表取締役

自前主義にこだわり他社と差別化

発酵技術を活かして創業した地元密着企業

――株式会社トキワの創業は大正時代まで遡りますね。

1912(大正元)年に、初代の柴崎広造が日本海に面した兵庫県香住町(現・香美町香住区森)で創業しました。酒蔵で蔵人をやっていた経験を活かし、食酢の醸造を始めたのです。発酵に関する技術が根底にあったので、戦後の1953(昭和28)年には醤油の製造にも手を広げました。

その後、1964(昭和39)年に現会長の柴崎一秀が大学を卒業してトキワに戻ってきました。当時は食酢や醤油などを大手メーカーが全国展開して販売するようになってきた時代です。その中で事業をどうするか考えた時、地域に根差したものづくりが必要と考えました。香美町、但馬地方の特産物と、トキワが培ってきた発酵技術の掛け合わせです。この地で、トキワにしかできない製品作りという、現在まで続く原点となっています。

――香美町の特産品や名物は何ですか。

松葉ガニやサバなどで知られています。1974(昭和49)年にサバをぬか漬けにした「へしこ(山陰地方の特産品)」の販売を始めました。また現会長はカニ料理を出す料理店や民宿を回り、トキワの技術を活かせる方法はないかと相談したそうです。そうした中、1975(昭和50)年にはカニをおいしく食べる「かに三杯(三杯酢)」を発売しました。その後、水産加工会社から「カニ寿司に合うお酢を」というリクエストをもらい、改良を重ねて作り上げたのが「べんりで酢」の原型です。当初は業務用だったのですが、その会社の従業員が酢の物作りに使ったらとてもおいしくできたと好評でクチコミが広がり、一般販売につながったのです。

ほかにも、鳥取に近いことから二十世紀梨を原料にした梨ワインを作るなど、地場の名産品を活かした製品を生み出しています。

東京での勤務後Uターンで地元へ、そして入社

――柴崎社長ご自身について伺わせてください。

私は1970(昭和45)年、但馬地方に生まれ、大学は明治大学の法学部へ進みました。卒業後は東京の建設会社に勤めていましたが、母が亡くなったのをきっかけに地元へ戻ってきました。そして、現会長の娘である妻と出会い2004(平成16)年、柴崎家に入ったのです。トキワ入社もその年です。

入社当時は社員数16名くらい。社歴の長い年配の方が多かったのですが、右も左もわからない私を温かく迎えてくれました。まずは梨ワインの製造部署に配属。これは仕込むのが年に一度なので失敗できません。ベテラン社員や外部でお付き合いしている方々にも支えられて何とかその年のワインを完成させました。食に関わる仕事は初めてで、とにかく目の前にあるものを一生懸命やるしかないという状況でしたが、皆さんの力添えでここまで来られたと思います。

――東京での勤務経験は、社長業にどのように活きていますか。

勤めていた建設会社では総務をやっていました。いろいろな人にかわいがってもらい、その社会経験は大事だと思っています。トキワに入社してからは製造部門の責任者を経て営業部門へ配属され、今度はお客様と触れ合う立場になりました。そして2014(平成26)年、44歳で社長に就任したのですが、それまでの10年間生産と販売の両面を経験してきたおかげで、会社を俯瞰できるようになったと思います。いずれにせよ、預かった責任の大きさは実感しています。

――株式会社トキワの社是、理念を教えてください。

会長が大事にしてきた言葉はたくさんあります。強くこうありたいと願って行動すると実現する「一念天地感動」、自分のいるところで汗を流してやっていくのが大事という「織錦在郷」など、漢字の言葉も多いのですが、今私が一番大切にしているのが、「但馬の自然にありがとう」です。心の中で大事にしている価値観と言ってもいいでしょう。但馬の地に在るからこそのものづくり、それが会社経営のベースとなっています。事業計画の中に入れていますし、看板やPOPにも使っている言葉です。時代は変化していますが、不変だと思っています。

家庭料理の在り方は変わる、私たちの調味料も変わる

――今感じていらっしゃる変化は何でしょう。

以前からいわれていますが少子高齢化、人口減少です。昭和のように作れば売れる時代は終わりました。地域にとっても大きな問題です。消費が減る、労働者も減る。そして、誰もが活躍することが望まれる社会になっています。そのうえで、変化のスピードがとても速くなりました。ICTを中心に据えた企業体への変革が大切です。

それを受けて、消費はコストパフォーマンスを重視するものと高くても買うものとの、二極化しています。私たちはマスマーケティングより、ターゲットマーケティングを選びました。ですから、自分たちはどういったお客様とつながっていくのかを明確にしていく必要があります。

――製品作りも変わっていきますか。

主力商品「べんりで酢」は代表的なプロダクトアウトですが、これからはマーケットインを重視する時代です。総活躍社会となって男女の役割も変わり、男性でも失敗なくおいしい料理を作れることが求められています。そのニーズをくみ取って商品提案をしていかなければなりません。

流通の変化も大きな要因です。通信販売などを通じて、全国のお客様に近付けるようになりました。地場の産品を活かすものづくりから、お客様の困りごとを救うものづくりへのシフトです。誰でも簡単においしくできる調味料はそういった発想から生まれ、全国へお届けしていくわけです。特に素材へのこだわりや安心安全に関心のある方には、大手メーカーにはない特色を持った私たちの調味料を受け入れてもらえる素地はあると思います。スーパーの棚に並ぶのを目標とするのではなく、口コミを軸としながらオウンドメディアも活用しつつ、賛同してくださるお客様に届けていきます。

「但馬の自然」が経営人材の形成にも大きく関わる

――大手メーカーにない特色は「地場」という点ですか。

はい、先ほどの「但馬の自然にありがとう」という理念にも通じます。私たちは、但馬の土地に根差した企業です。トキワという社名を知らなくても、「べんりで酢」のメーカーといえば誰もが「ああ」と思ってくださいます。但馬だからこそのものづくりを、ブレずにやっていくことが、地域における企業の指針ではないでしょうか。香美町の誇りとなる企業を目指す。その気概を大切にしています。「地場」が、全国のお客様に選んでいただける付加価値となります。

「地場」といえば、温泉で有名な城崎にもショップを出店しています。これは会長の発案で、2008(平成20)年に「城崎ビネガー」をオープンしました。城崎温泉には7つの外湯があります。浴衣を着てそこをそぞろ歩きながら温泉に入り、湯上がりに飲んでいただくビネガードリンクのお店です。地元のデザイナーに頼み、城崎を訪れる若い方々にも刺さるデザインを意識しました。もう15年続いています。

――そういった地域資源は、これからの人材形成にも関わってきますか。

まず、自分たちがどう在りたいかの意識をしっかり持つことが重要です。それは、社会に必要とされる企業として存在し続けることにつながります。この地ならではのものづくりをしっかりとやっていき、地域の誇りとなること。それを通じて培われた人材が、新たな世代を創っていくのだと思います。

先代までの人々が苦労して作ってきた商品はいくつもあります。それらはいわばトップダウンで生まれたものたちです。しかしこれからは、変化する時代の中で自分たちの新しい価値観によってものづくりをしていくことが必要でしょう。もしかしたら、ゼロから1を創るようなことがあるかもしれない。でもその中で組織の在り方も変わっていきます。プロセスの中から、新しい経営人材が出てくることを期待しています。

持続可能な社会、企業へ導く専門人材

――経営人材となるべき社員は、どのように育てる計画でしょうか。

会社が変わっていくためには、経営の専門人材が必要です。経営視点で考えることができる人、リーダーの資質を持った人です。その育成は、やり方次第だと思っています。OJTだけではなく、例えばOff-JT。会社が動いていくうえで発生するボトルネックを解消するためにも必要です。資質のある社員を育成するためには、そういった教育、様々な機会を作っていかなければなりません。

――社員教育も含め、キーとなる考え方はありますか。

「持続可能」をキーポイントとしています。この地にあって、私たちが持続可能な在り方を作っていく。つまりお客様に必要とされ続ける存在になることです。その考えが根底にあれば、仕事や会社を社員が自らを活かす場として捉えることができます。ひいては自己実現の場ともなるわけです。こうして育ってくれた専門人材が、近い将来経営の右腕になってくれることを期待しています。そしてその先の事業承継についても、まだ私の息子達は未成年で柴崎家が経営を引き継ぐかどうかもわかりませんが、社員の中から経営に関わる人材が出てくればいいと思っています。

――今、採用される社員はどちらの出身が多いですか。

現在はほぼ8割以上が地元採用です。新卒のリクルーティングを始めて10年ほど経ちましたが、やはり京阪神が多いですね。今も活躍している人もいれば、離職した人もいます。離職理由の1つに「働く場所がここだけ」というのがあります。経験を積むにはいいけれど、ずっとこの地で働くことしか選択肢がないと思ってしまうのです。やりがいを感じられる機会作りも必要だったと、反省しています。同じ価値観を持つことは大切ですが、考え方、スキルや経験などは人それぞれです。多様な人たちを活かしていくためにはどうしたらいいか。働き方や組織の仕組みを作り上げていく際、それらも考え合わせていかなければなりません。

価値観に共鳴した人材が経営を変える

――大企業にいる人が地域の経営人材として成功するには何が必要でしょうか。

今まで、東京での職歴はあるけれど出身が関西という人は多く採用してきました。私自身そうですが、UターンやJターンですね。実際、定着率が高いのは確かですが、都会での専門キャリアを活かすことができ、マッチングしさえすればそれにこだわることはありません。互いに期待する部分、共有している価値判断基準や指標をブレずにしっかりと合致させられるかがポイントです。つい最近もICT人材を採用して、今お互いの価値観を擦り合わせながら進んでいるところです。

大企業の価値観が地域企業の価値観と合うかどうかは難しいですね。ですから、仕事が及ぼす価値にフォーカスする必要があります。こんな役割をしてほしいという経営者の希望、自分は何ができるかという俯瞰的なビジョンが合致すれば、大企業で身に付けた高い知見や経験、人脈が活きてくるでしょう。ここで働くことの価値、会社が作る価値に賛同や共鳴して、価値観を切り替えられるかが重要です。企業規模の大小は、壁を取っ払ってしまえば関係ありません。もはや大企業の「看板」は弊害でしかないと思っています。

――受け入れる側の意識も変わってきているでしょうね。

私たちを通して地域を活性化してもらえるのが第一、と思っています。専門性を持った眼で地域をじっくり見定めて、商品開発までつなげられれば、と。「人のリソース×地域のリソース」というかけ算は、大きな意味を持ちます。いい影響を与えてくれるとたいへん期待しています。

福利厚生の面でも、遠くから来てもらえる人材には、住む場所の提供、ご家族と離れている場合は行き来する交通費などをサポートしています。まだリモートワークは定着していませんが、出張に絡めた帰省など臨機応変な対応も実施しています。必要なのは、働くことの価値、何にやりがいを求めるかを、最初にしっかりとマッチングしておくこと。ゆくゆくは自分たちで価値創造ができる、自律型の組織へとつながっていくのだと強く思っているところです。

※本インタビュー内の写真につき無断転用などを禁じます。

FAポータル編集部にて再編