新たな治療手段として期待されている「デジタルセラピューティクス(以下、DTx
)」。日本では「治療用アプリ」ともいわれ、その市場規模は年率25~30%程度の高い成長率が見込まれています。また注目度の高さから、近年はメディアでも取り上げられる機会が増えてきました。
このようにDTxは大きな注目を浴びている一方、明確な定義がないため、なかなか実態を捉えにくい側面があります。
そこで今回はデロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社でライフサイエンス・ヘルスケア分野を担当する浦川慶史に、DTxの意味やメリット、世界中のDTxの取り組みなど、DTxの基本について話を聞きました。(聞き手:編集部 渡辺真里亜)

浦川 慶史

デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社
シニアヴァイスプレジデント

大手化学メーカーで、新規材料開発、新規事業創出、コーポレートベンチャーキャピタル業務を担当。マサチューセッツ工科大学(客員研究員)の新規材料開発にも従事。DTFA入社後、ライフサイエンス領域を中心にM&A戦略策定支援、事業計画分析、ビジネスデューデリジェンス、および日米バイオベンチャー動向分析や東南アジア医薬品市場動向分析、ライフサイエンス事業の多業種連携支援などに携わる。

DTxは個別最適な医療ソリューションを提供する鍵となる

――まずDTxとは何でしょうか。

DTxの定義はまだ明確には定まっておりません。例えば、米国のデジタルヘルス領域の業界団体「Digital Therapeutics Alliance」では、DTxを「エビデンスと臨床的な評価に基づいたソフトウェアを用いて、幅広い疾患や障害の予防・管理および治療すること」としています。また、日本ではよく「治療用アプリ」と呼ばれていますね。

少し乱暴な表現にはなりますが、「ソフトウェアを活用した、エビデンスに基づく医療ソリューション」というイメージを持っていただければ、実態とそう遠くはないかと思います。

――DTxの使用例を教えてください。

例えば、すでに保険適用されているニコチン依存症治療補助用のアプリの場合は、患者自ら治療経過や呼気中の一酸化炭素濃度を測定した記録を医師がアプリ上で把握できるようになり、得られた患者の治療状況をもとに細やかな個別ガイダンスが可能になります。ほかにも、高血圧、糖尿病、うつ病、不眠症など、様々な病気の治療用アプリの開発や研究が進められていて、医師はデータを参考にして特に目立った変化項目を重点的に診療するなど、より効果的な治療方針を立てられるようになります。これはDTx活用の一例ではありますが、アプリを含むソフトウェアを通じた、医師・患者間における情報の可視化および共有がDTx活用のポイントです。

――DTxのメリットは何でしょうか。

医師・患者双方の最も大きなメリットは「新たな医療ソリューション提供による治療効果の向上」が期待できる点です。

これまで医師は、来院時に患者から伝えられる情報、検査や診察の結果を基に治療を行ってきました。一方、例えばアプリを活用することで、在宅時の細かな患者の健康データをアプリ上で随時確認できるようになります。すると医師は、患者の状態に応じた、より効果的な医療ソリューションを提供しやすくなるわけです。これは、患者サイドに視点を移すと、“より効果的な治療を受けやすくなる”ということですね。

加えて、医師サイドとしては、これまでブラックボックスだった、病院外における患者の状態も随時モニタリングできるようになる点もメリットです。

世界のDTx市場は2030年には約200億ドルまで拡大の見通し

――DTx市場の成長性についてお聞かせください。

レポートにより数字のばらつきはありますが、概して大きな成長性が期待できる市場です。

具体的には、年率25~30%前後の成長率が見込まれ、2021年から2030年にかけて世界のDTx市場規模は、約45億ドルから約200億ドルまで拡大するといわれています。日本のDTx市場も今後世界と同程度の水準での成長が見込まれると考えられます。

また、大まかにですが、市場全体シェアの4割を北米、3割を欧州、2割を北米を除くアジア・パシフィックが占める見通しです。

出所:Digital Therapeutics MARKET ESTIMATES&TREND ANALYSIS FROM 2016 TO 2028、Grand View Research

――日本と海外のDTx事情を教えてください。

まず日本の狭義のDTxの市場規模は現状数十億円程度ではないかと推定されます。また、いわゆる治療用アプリを手掛けるのは数社に限られるなど、海外に後れをとっているのが現状です。

そんな日本に対して先行しているのが、米国とドイツです。

米国は、DTxスタートアップ企業への投資も盛んで、世界初のDTx製品である2型糖尿病患者向けアプリ「BlueStar」をリリースしたのも米国企業のWellDoc社です。

一方、ドイツは「Fast Track制度」という、従来よりも迅速に処方可能となる制度がDTxにも適用されます。同制度があることで、ドイツ企業は積極的にDTx製品の開発に着手できる環境が整っています。

――海外と比べて遅れているという日本の課題は何でしょうか。

「法制度の整備の遅れ」と「利用者のデジタルリテラシー」の2点があると考えます。

「法制度の整備の遅れ」について、まず日本はDTxに特化した薬事承認スキームが確立されていないことから、薬事承認に時間がかかってしまっており、DTx製品の普及が遅れてしまう傾向にあります。

また価格面についても、DTxは製品そのものではなく治療行為に対して価格が付けられる「技術料」に分類されますが、どの項目の技術料にどのDTx製品が当てはまるのか、その基準が定まっていません。基準が定まらなければ、価格も明確にならないため、企業も積極投資をしづらいのが現状とも考えられます。

――課題の2つ目「利用者のデジタルリテラシー」についても教えてください。

DTxには、DTx製品を利用する医師および患者のデジタルリテラシーも求められます。例えば、高齢者の患者で、治療用アプリのログイン方法がわからない場合は、そもそもアプリを使うことができませんよね。またアプリにログインできたとしても、使い方がわからなければ、当然ながら医師へデータを共有できません。

利用者のデジタルリテラシーは日本だけの課題ではありませんが、高齢者の割合が多い日本において、リテラシー面の課題は強く意識されるところでしょう。

「データの蓄積」が日本のDTxのアドバンテージ

――逆に日本のDTxにおけるアドバンテージはないのでしょうか。

日本には国民皆保険制度があるため、DTx製品が保険適用されると、患者は3割負担でDTx製品を利用できるようになります。すると、海外と比べてより多くの人がDTxを活用できるようになるため、データの蓄積が進みやすい点はアドバンテージかもしれませんね。ただ、現状は蓄積データの活用方法について、様々な議論がなされている最中です。

――最後に日本のDTx市場の展望を教えてください。

日本は海外と比べて高齢者の割合が多く、市場のポテンシャルとしては非常に高いと考えます。またプレイヤーもどんどん増えてくるのではないでしょうか。プレイヤーとしては様々な企業の参入も想定されますが、例えば、スタートアップ企業が中心になるかもしれません。

現状の課題である、「薬事承認まで時間がかかる」「価格が明確に定まっていない」などが法制度の整備により解消されてくれば、日本のDTx市場も拡大していくと推察されます。例えば、ドイツのFast Track制度のように、承認スピードを上げる仕組みを導入することで、少なくとも企業の参入ハードルは下がるのではないでしょうか。

厚生労働省もDTxを始めとした医療革新は企業と協力して推進していきたいという前向きな姿勢を持っていると考えられ、国とDTx企業との意向がうまくかみ合えば、成長は加速していくことでしょう。

第2回 デジタルセラピューティクス(DTx)が普及したあとの世界とはに続く>>