欧州のAI(人工知能)政策専門家たちが公表した近未来予測「Europe2031」が世界中で波紋を広げている。架空の欧州委員会職員とAI起業家が主人公となって未来を描く物語であることも未来予測のあり方に新たな視座をもたらした。特筆すべきは、AIをめぐる課題をイノベーション推進や規制の枠組みにとどめず、EU(欧州連合)の主権や交渉能力という地政学的観点から描写したことにある。AI主権を政治哲学上の概念にとどめず、AIを動かすための総合インフラ力である計算資源、半導体供給網やデータへのアクセス権と再定義し、具体的な課題として示した点は斬新である。この近未来シナリオは日本にどのような示唆を与えるのか。先端AIへのアクセス制限リスクや中堅国連携の可能性に言及しながら、読み解きたい。

Europe2031という暗黒の近未来

20266月、ベルギーのシンクタンクArq Foundationやオックスフォード大学(Oxford Martin AI Governance Initiative)の研究者、オランダの国家AI計画策定者など、欧州のAI政策の専門家グループが、近未来シナリオ「Europe2031: What getting AI wrong means for usAIを見誤ることが我々に何をもたらすか)」を公表した[i]。この政策分析は、2025年から2031年までの約6年間、EUA Iに関する政策判断を誤り続けた結果、国際社会での影響力を失い、没落していく暗黒の未来を描いたものである。

特徴は、本報告書が物語の形式を採っている点にある。通商・経済安全保障を担当する欧州委員会の職員Caroline Duboisと、シリコンバレーで活動するドイツ人起業家Christian Vogtという2人の架空の若者によるチャットでの対話を交えながら、物語が進む。これは、いわゆるフィクションの形式を借りて将来の政策課題を疑似体験させる「SFプロトタイピング」[ii]と呼ばれる手法であり、執筆者たちは、従来の抽象的な報告書では変化を「腹の底から感じることができない」ため、没入できる物語形式を選んだという。

物語の前半(20251月~20266月)に描かれる中国製AIの急台頭や米国政権の動向はすべて「実際に起きた事実」であり、それゆえに2026年夏以降の未来予測は、現実の地政学的な力学の延長線上として、現実味を伴って迫ってくる。

CarolineChristianの対話を通じて描かれる「2031年までのEU衰退」は次の通りである。

 

2026年後半「主権パッケージの形骸化」

米最先端AI企業がサイバーセキュリティ環境を激変させる強力なモデルを開発。米国政府は直ちにこれを機密審査の対象とし、「信頼できるパートナー」にのみにアクセス権を配分する。世界の計算資源の5%しか持たないEUは交渉力を欠き、実質的な対抗手段を持たない形骸的な「テクノロジー主権パッケージ」を発表する。

ChristianAI起業家):「欧州は『2032年までに100%の技術自主管理権を確立する』なんて大見えを切ったけど、本気であの目標が達成できると思う? 代替策(プランB)はあるのかい?」

CarolineEU官僚):……そんなもの、ないわ」

 

2027年「保護主義による自滅」

独仏が主導し、公共部門の重要業務において欧州製AIの使用を義務化する。しかし直後に、最先端モデルを悪用した世界規模のランサムウェア(身代金要求型ウイルス)攻撃が発生。性能の劣る欧州製AIを使っていた欧州の行政機関や病院だけがシステムを完全にロックされ、壊滅的な被害を受ける。結果として欧州はさらに米国製AIに依存せざるを得なくなる。

Christian「おいおい、ブリュッセル(欧州委)はこのウイルス被害にどう対処するんだよ?」

Caroline「最悪なことに、私たちの主権政策(バイ・ヨーロピアン)が、完全に裏目に出ている……」

 

2028年「規制の無力化と外交カードの喪失」

進化を続けるAIエージェントは、人間には解読できない超高速の独自言語で推論を始め、EUAI当局は完全に監視できなくなる。一方、米国はオランダの半導体製造装置メーカーに対し、製造装置の対中輸出停止を要求。オランダ政府がこれを受け入れたことで、EU全体として最大の外交カードを失う。

Caroline「私たち(EU)は(大幅に譲歩したけど)、アメリカとの交渉で何一つ得られなかった」

Christian「まじでやばいね」

 

2029年「AI配給制と経済分断」

世界的な計算資源不足により、米国はAI利用枠を国家ごとに格付けして配給する仕組みを導入。欧州は「ティア2」に分類され、AIの割り当てが半減する。EUは対抗措置として、反威圧措置の発動を検討するが、加盟国間の調整に失敗し、米欧のGDP格差は決定的に開く。

Caroline「配給制が始まって、(EU)上層部もようやく事の深刻さを理解したみたい。でも、もう手遅れなの」

Christian「『アクセス権をすべて停止する』って脅されるまで、あとどのくらい時間が残されているのだろう」

 

2030年「地政学的買収と産業の空洞化」

高度なAIシステムの普及により、欧米の新規採用市場が急速に縮小する。経営難に陥った欧州の自動車メーカーが、米国のAI企業に実質的に買収され、ロボット工場へと改築される。失業者の増大と税収減で債務危機が起きる。この間、中国は対欧融資を積極化する。

Caroline「欧州中が失業者と絶望、そして怒りで溢れかえっている。もう暴動寸前よ」

Christian「こちらもあまり良い状況じゃない。西海岸ではまたデータセンターが放火されたよ」

 

2031年「最後通告」

米政府は欧州の中国接近を警戒し、オランダの半導体装置メーカーの直接支配を要求。EUは外交・地政学的な切り札をすべて失う。

ChristianCaroline、もうおしまいだ。サンフランシスコにおいでよ」

Caroline……ありがとう。でも私は残る。欧州に、誰かが残らないと」

 

転落への3つの構造的誤読

欧州の転落劇は、一度の致命的な失敗ではなく、欧州当局・社会が陥った3つの構造的な間違い(誤読)から生じた。

第一に、「速度」と「規模」の誤読である。

AIは、わずか数年単位で経済・社会構造を塗り替える基盤技術である。しかし欧州当局は、自らに都合の良い兆候だけを拾い上げて政策判断を下した。

例えば、中国の軽量AIモデルの台頭を「資源や資金をそれほど投入しなくても、頭脳さえあれば追いつける証拠」と都合よく解釈し、米国のAI投資が1年で約10倍に急成長した事実を「ただのバブル」と一蹴した。規制を策定する欧州の当局者自身が、日常業務でAIを一切使っていないため、技術がもたらす指数関数的な進化のスピードと圧倒的なスケールの変化を理解できなかった。

第二に、「主権」と「交渉カード(レバレッジ)」の混同である。

本作の核心は、「主権を唱えること」と「レバレッジを築くこと」は、全く異なるという指摘である。

真の主権とは、他国が「どうしてもそれを輸入しなければ経済・社会を維持できない」と思うような、不可欠性を持つサービス・製品を交渉カードに用いて、初めて確立できる。しかし、シナリオ中の欧州は「域内製」という理想論に拘泥した。EUが設定した2000億ユーロのInvest AI基金[iii]は、既存予算の焼き直しにとどまり、米国の巨額投資政策との差が次第に明らかになっていく。

欧州が域内製にこだわるほど、世界最先端のAIとの技術格差は広がり、結果として、ウイルス攻撃に撃沈した。作中の当局者による「代表たちはワシントンを恐れるあまり、自分たちが作った貿易バズーカー(反威圧措置の通称)でさえ撃てない」という趣旨の発言は、競争力や抑止力を持たないAI主権制度の脆さを言い当てている。

第三に、安全保障としてのAI再定義の遅れである。

欧州がAIを市場規制やガバナンス政策の対象として扱っている間に、米中はこれを国家安全保障の中核として再定義した。一企業のAIが国家レベルの軍事・サイバー能力を有すると判明した途端、作中の米国政府はこれを国家の管理下に囲い込み、アクセス権を外交カード(配給制)に変えた。欧州は自らの「ブリュッセル効果(EUが策定したルールが世界基準となるという現象)」を過信し、供給網に強みを持つ日本や韓国、カナダなどの中堅国と手を組み、超大国の覇権に対抗するための集団的交渉力を組織する機会を逃してしまった。

これらの誤読の帰結として、2031年に欧州は、経済的・政治的に国際社会での力を失う。これは一度の破局ではなく、経済・財政・政治・外交という4つの経路が徐々に収斂する形で訪れた。

経済面では、欧州は他国とほぼ同じAIモデルにアクセスできるにもかかわらず、同等の経済価値を創出できない現実に直面する[iv]

財政面では、税収の対米流出と失業増に伴う福祉支出の増大により、財政を圧迫。フランスの国債利払いは予算の12%を超える。格下げが南欧諸国に連鎖し、その隙間に中国政府ファンドが欧州諸国に好条件の融資を実施し、ユーロとEU内の結束を内部から揺さぶる。

政治面では、反AIを掲げるポピュリスト政党がドイツで支持を拡大させ、EU離脱を問う国民投票論が再燃するなど、各国の内政が不安定化する。

最終局面(外交面)では、米国がオランダの先端半導体装置メーカーの直接支配を要求する。手ぶらでワシントンの交渉室に入る欧州の担当者には、3つの破滅的な選択肢(①米国の保護領になる、②中国に未来を任せる、③米中から孤立し衰退する)しか残されていない。これがレバレッジなき主権論の帰結として示された[v]

 

なぜ執筆されたのか

Europe2031という暗黒の未来予測はなぜ執筆されたのか。執筆者たちは、欧州当局のAI政策が、指数関数的なAIの変化の速度と規模を過小評価しており、「新型コロナウイルスの初期段階に似ている」と警鐘を鳴らした。そのうえで、「ブリュッセル(規制当局)とシリコンバレー(開発現場)の認識のズレ」を可視化し、EUAI政策における理想と現実の乖離を埋めることを目的に挙げている。その背景には、EUが現実に直面している以下の状況がある。

EU2023年にAI法を制定し、当初はAIの利用に伴うリスクの抑制(ガバナンス)に主眼を置いていた。しかしその後、AIを開発・活用しないリスク(=米中への決定的な後れと技術依存)の方が深刻であるとの認識へ転換している。特に2026年初頭に米政府がAI企業への統制強化に動いた結果、EUでは、他国への技術依存が自国の外交的レバレッジを失うという問題意識が共有された。EUは、規制の簡素化と並行し、大型投資喚起策へ舵を切りつつある。

しかし、EUの対策はまだ十分に効果を出していない。20265月時点で、主要な大規模言語モデル上位50のうち48を米中が占めている。欧州勢は1社のみで、性能面では上位20圏外にとどまる[vi]。さらに、EUの目玉政策である「AIギガファクトリー」(最先端のAIチップ約10万個を備えた大規模開発拠点)の構築も入札・契約が遅延し、2027年半ば稼働という目標は達成困難とされる。域内企業のAI導入率は13.5%に低迷したままだ[vii]

この遅れは、次の4点の構造的課題に起因すると言える。

第一に、頭脳の流出だ。ドラギ・レポート(欧州中央銀行の元総裁がまとめた欧州の競争力への提言)[viii]が指摘した通り、重い規制の負担から逃れるために、欧州のユニコーン企業の約3割が米国に流出している。第二に、保守的資本市場がある。資金調達を銀行に依存する保守的な環境により、欧州のAI投資マネーすら米国へ流出している。第三に、サービス分野において、欧州の単一市場は依然として加盟国ごとに分断されており、スケールメリットを生かせていない。第四に、主権と競争力のジレンマがある。これは、シナリオで描かれた構図と同じであるが、性能で劣る欧州製モデルの利用を域内企業に促せば、かえって自国企業のグローバル競争力を低下させる可能性がある。

すなわち、EUは現状に対する危機意識こそ持ちながらも、これらの構造的課題に阻まれ、認識と行動(政策変更)の乖離を埋め切れていない。執筆者たちは、EUが認識と行動の乖離を放置し続ければ、暗黒の未来が訪れることをフィクションの形で描写した。

この警告は欧州のAI政策関係者に波紋を広げた。複数のメディアの報道によると、このシナリオはブリュッセルのテック政策コミュニティにおいて急速に拡散し、大きな話題となった。レポートの公開直後に、米国政府が最新AIモデルに対する外国人へのアクセス制限を打ち出したことで、「現実の危機を予見していたかのような説得力を持つ」と評価する声が出た[ix]

一方で、Europe2031の提言の方向性には反発もあった。安全性の観点から、米国のハイパースケーラー(世界規模でクラウドサービスやAI基盤を提供する巨大デジタル企業)主導のAI開発モデルを模倣・受容していくことには反対意見が根強い。このシナリオによって、欧州のAIコミュニティ内部の対立がより明確になった。

 

日米欧のガバナンス構造

Europe2031で描かれた欧州の危機。これは日本が将来直面する可能性がある暗黒の未来でもある。まず日本の法制度の位置づけをEU、米国と比較して整理したい。

日本は2024年に「AI事業者ガイドラン」を策定し、2025年にAI推進法を施行した。これらは欧州のAI Actのような強い法的規制・厳罰を避け、イノベーションに配慮したガイドラインと理念法を組み合わせており、事業者への拘束力は比較的弱い。

 

1 日米欧のAI法制の比較

デロイト トーマツ戦略研究所作成[x] [xi] [xii]

 

 

日本の法制度は一見、欧州のような縛りがなく、イノベーションに最も配慮した米国型の規制緩和・撤廃主義に近いように見える、しかし、Europe2031が描いたのは、「AI時代の国力がガバナンスだけではなく、資本と計算資源の絶対量によって決まる」という現実である。

この視点から日米欧を比べると、日欧と米国の間には深い断絶が存在する。それは、日欧が米国と比べて、戦略的調達、資本投下、計算資源の囲い込みの度合いが圧倒的に少ないこと、さらに行政機関・民間企業のデジタル化が遅れていることである。

国際エネルギー機関(IEA)の20264月の試算によると、米国のハイパースケーラー5社だけで、2026年の設備投資額が前年比8割増の7000億ドル(約112兆円)超となる[xiii]。この金額は、日本政府が10年間の半導体・AI基盤官民投資目標として掲げた50兆円[xiv]に対し、総額で2倍以上、単年度換算(年平均5兆円と想定)では22倍の差がある。米国の民間資本の「ブルドーザーの速度」[xv]に、国家の戦略的調達や予算規模が追いつくことは困難だろう。

そして、Europe2031では、中国が計算資源で米国と並ぶ覇権を手に入れ、米中という超大国と、欧州諸国や日本などの中堅国の差が拡大していく様子が描かれた。地図上で米国と中国の間に位置する日本は、この圧倒的な計算能力の差に対してどのように動くべきなのか。

 

Europe2031、日本に対する示唆:5つの教訓

Europe2031から読み解ける日本への示唆は何か。本稿では、次の5つの教訓として整理したい。

教訓1AI計算資源=国力と再定義する覚悟

ヘンリー・キシンジャーらは2021年の著書において、AIを「核兵器以来の国家能力の再定義」と位置付けた[xvi]Europe2031が問題視した通り、米国と中国のAI開発力は他の国・経済圏を圧倒するレベルとなってきた。欧州同様、米中に劣後する日本にとってAI主権とは、国産LLMに拘泥するようなソフトウェアの自前主義ではなく、サプライチェーン(GPU、先端半導体ファブ、電力、冷却装置製造)を日本国内に物理的に誘致・囲い込むことになっている。

政府は20267月に閣議決定した日本成長戦略において、AI・半導体を「それ自身が産業競争力や安全保障に直結し、我が国の国力を左右する」と再確認した。これまでに進めてきた次世代半導体の誘致や半導体製造装置・素材産業の強靭化をさらに加速するためには、政策的に「AI Compute(高性能なAI計算資源)」の概念を位置づけ、早期に経済安全保障推進法における「特定重要物資」での定義に明確に反映させることなどが期待される。

もちろん、自由貿易原則や日米デジタル貿易協定では、国内にデータセンター(DC)設置を義務付けるデータローカライゼーションが原則的に禁止されている。そのため、直接的なDC設置義務化という形ではなく、例えば、経済安全保障推進法上の「基幹インフラ事前審査」の枠組みを活用し、政府調達や重要インフラ制御の安全基準において「有事の供給途絶リスク(サプライチェーン・レジリエンス)」を評価項目に組み込むなど、通商ルールと調和した柔軟な調達方式の模索が求められる。

教訓2:産業AI・ロボティクス・物理空間のシェア拡大

日本が計算能力で圧倒的優位を得られないとしても、世界のAIがテキストからリアル世界の制御(フィジカル)へ移行する局面は、日本にとって好機である。

政府は日本成長戦略で、成長の加速装置としてのAIトランスフォーメーション(AX)の概念を整理し、17の戦略分野にAXに沿って政策支援することを明確にした。特に、官民の現場データを用いた「フィジカルAIの競争優位」の確立が重要になる[xvii]

日本は半導体製造装置のEUV周辺モジュール、コヒーレント光通信、高精度サーボモーター、産業機器の一部で世界シェアの太宗を占める。AIを駆動するこれらのチョークポイント技術に資源を集中投下し、製造業やインフラ、医療・介護の現場に蓄積された莫大なデータと組み合わせることが焦点になる。

AIエコシステムを生物に例えるならば、米中のAIエージェントは脳であり、ハードウェア・物理制御システムは筋肉と神経に相当し、ロボットという肉体が現実世界を動かすための重要な要素となる。フィジカルAIに欠かせない技術・製品を確立し、シェアを拡大することは、AI覇権国家に対する戦略的不可欠性を確保し、Europe2031の暗黒の未来を避けるための手立てとなる。

日本成長戦略においては次のKGI(重要目標達成指針)が記載されたことは注視すべきだろう。

AIロボットについて2040年に世界シェア3割超、20兆円の市場獲得を目指す

・(フィジカル・インテリジェント・システムの中核を担う)国内生産される半導体売上高について2030年に15兆円、2040年に40兆円を目指す

2030年に世界で5兆円以上のバーティカルAI市場の獲得を目指す

これらのKGI達成には、国際・技術情勢の確実な目利きと民間資金・人材の確保が不可欠である。公的支援を呼び水に資源を集めていくために、現実に即した判断と急激な変化を理解した分析が重要となる。

教訓3:中堅国連合のハブを目指す外交戦略

Europe 2031の終章において、主人公Carolineは「オランダ、ドイツ、フランス、ノルウェー、英国、カナダ、日本、韓国といった中堅国からなるより小規模なグループが――おそらく欧州委員会の支援も得て――協力していれば(危機は免れた)」と悔やんだ。しかし、作中では欧州は孤立し、米中のAIプラットフォームに経済主権を切り売りすることになった。

日本は、単独で超巨大AI勢力に対峙することを避けながら、中堅国連合のハブになる道を模索すべきである。日本はG7広島AIプロセスを主導した実績、2025AI推進法に基づく推進と規律の柔軟なガバナンスという独自の立ち位置を持つ。これをテコとして、米国の放任主義でもEUの過剰規制でもない、実利主義的なAI安全基準・相互運用性の国際標準化に関する中堅国のネットワークを構築すべきだ。

例えば、AI安全基準の相互認証や計算資源の相互融通のような仕組みを、CPTPPの追加協定のような形でモジュール型の連携としてつくっていく。すなわち、欧州の資源・レアアース、英国のフロンティアAI安全機構、日本のフィジカルAI技術を組み合わせ、CPTPPの多国間枠組みを「中堅国によるAI経済安全保障連携」に進化させられないだろうか。

実効性を持つ中堅国ネットワークを築くことができれば、デジタル覇権主義的な動きが強まったときに、戦略的不可欠性を用い、集団的な交渉に乗り出す余地が生まれる[xviii]

もちろん、現実の外交・通商戦略の検討においては多数の変数が存在しており、CPTPPを基軸とした中堅国AI連携は一案に過ぎない。ただし、日本成長戦略には、「知財・標準化戦略やODA等による同志国・グローバルサウス等との連携(の推進)」が記載されており、これらの実現においてもCPTPPを視野に入れた中堅国の枠組み構築は有効なツールとなり得る。

教訓4:テクノロジーの進化に遅れない行政機構

Europe 2031が描く最大の警告は、官僚機構の法解釈と世界認識が、AIエージェント同士が交渉・指示し、契約・購買しあうというテクノロジーの進化に追いつかないことがあった。

日本の生産年齢人口は2030年までに約7000万人を割り込み、自治体や中央省庁の職員が不足する可能性がある。政策論の観点からは、日本が直面するAIリスクは、AIの暴走そのものよりも、過剰な「ハルシネーション(事実に基づかない情報の生成)対策」とAIエージェントに関する法的責任・権限の制度化の困難さによって行政の自動化が進まず、海外や民間セクターと比べて執行力が減退していくことかもしれない。現役職員の不足に備えて、AIエージェントによる自律的な執行を容認できる業務を特定するとともに、試行を繰り返しながら法的責任と権限を体系化していくことで、AIによる執行を排除しない仕組みづくりが目前の課題となり得る。

教訓5:ポジティブ・ビジョンを物語ること

Europe 2031では、AIによるホワイトカラー・現場労働の代替に対し、既存の税制と社会保障が対応できず、欧州の制度が崩壊する様子が描かれた。作中では「ポジティブなビジョン」、あるいはナラティブ(主観的な物語)を提示できなかったことが敗因として示された。

人口減少社会の日本が教訓とするならば、リスキリングや人材の流動性を支える仕組みづくりを前提としつつ、AI導入を「雇用を奪う」ではなく、「労働力不足に対応する」という点で物語っていくことが重要になる。

さらにポジティブ・ビジョン/ナラティブを示すならば、急激な少子高齢化・人口急減に対処するためのAI駆動型の福祉国家の実装なども候補に挙げるべきではないか。フィジカルAIと自動運転の徹底的な実装により、労働人口減少社会でも公共インフラ、物流、医療・介護を維持することは重要な目標(物語)になる。AIが創出する付加価値を財源(法人税・データ税の再設計)へと還元する仕組みも研究はすべきだろう。AIが生み出す付加価値を還元できるようになれば、人間は「誰がつくったのか」「誰が語ったのか」が重要になるブランド市場などでの価値創出に能力を集中できる可能性がある。世界で最初にAI駆動型の福祉国家の実現を目指すといったビジョンを説得的に物語ることが期待される。

 

結語:加速すべき3つの検討案

Europe2031は、AIやシステムがある日、突然暴走し、社会が崩壊するのではなく、政策アクター一人ひとりが正しいと信じて積み重ねた選択(形式的な予算の確保、法制の微修正、過去のAIへの対応)によってEUが没落していく様相を描いた。この合成の誤謬の大前提には、AI資源を持つ超大国・企業と持たない組織の認識の違いがあり、レポートはそれを抽出した。

日本はAI制度整備、成長戦略の策定によって破壊的な変化に対応しようと試みている。現在の政策上のリスクを列挙すれば、それは物理的執行力の限界、組織横断的な政策の実行困難性、政策の不調和(特にAI産業政策とエネルギー政策)である。これらを乗り越えなければ、生産性低迷の一因とされるデジタル構造改革の遅れと同様、AIの実装は大幅に遅れる恐れがある。

詳細な分析は別の機会に譲るが、Europe2031の教訓を踏まえ、次の3点について検討を加速すべきではないか。

1.経済安全保障推進法に基づく計算資源の再定義(教訓1、2参照)

生成AIの開発に出遅れている現在、主権は、自国でLLMを作ることではなく、国内にAI稼働環境(データセンター、先端半導体開発・製造、電力網)を整備し、制御することに移り始めた。特定領域での自国LLMの開発に加え、計算資源の確保をAI主権の重要な目標として整理すべきではないか。

経済安全保障推進法の「特定重要物資」には既にAIアクセスの前提となる半導体とクラウドプログラムが指定されている。この実効性をより高めるため、ハード・ソフト・エネルギー・通信の複合インフラ「AI Compute(高性能なAI計算資源)」を再定義し、同法の特定重要物資に早期指定し、DCの土地、次世代送電網、発電施設の同時整備を目指す。その上で、外資プラットフォームを含めたベンダーに対し、政府調達契約や重要インフラ(基幹インフラ条項)の安全審査基準を通じて、有事における国内計算資源の利用権(優先割当等)を法的に担保する道を模索する。

2.CPTPPを基軸とした中堅国AI経済安全保障連携(教訓3参照)

超大国によるデジタル覇権主義の懸念に対し、単独での対応を避け、中堅国間の実利主義的な多国間ネットワークを組織する。米中というAI超大国が現在加入しておらず、かつ「信頼に基づくデータの自由な移動(DFFT)」を担保しているCPTPPの枠組みは重要なモジュールになる。CPTPPを活用し、安全基準の相互認証や計算資源の相互融通に関する追加協定を日本が主導する。これにより、豪州の資源、英国のAI Security Institute[xix]などの安全性情報、日本のフィジカルAI技術を組み合わせ、集団的交渉力と戦略的不可欠性を担保する。

3.ガバナンスの再設計とビジョンの発信(教訓4、5参照)

日本が直視すべきAIリスク(現実的に対処可能なリスク)は、技術そのものの暴走ではなく、政策当局の法解釈がテクノロジーの速度に追いつかず、国力そのものが落ち込んでいく状態ではないか。日本政府・公共部門は、破壊的な変革に対し、過去の延長線上の修正で凌ぐのではなく、AIを利用・理解して受容能力を制度的に向上させるようなガバナンスの構築が期待される。雇用や文化的な不安に対応したポジティブなビジョンを発出する力も求められる。

行政執行力の低下を回避するためには、「人間による事前規制・無謬性の担保」を前提とした行政管理モデルの見直しは課題となりそうだ。現在、AIエージェントの自律的な執行が公的セクターにおいてどの程度認められるかが論点となりつつある[xx]AIの利活用を促す認証制度とAIのログを事後的に監査・規律していく「リスク・ベースのアジャイル型ガバナンス」[xxi]の導入は検討すべき課題だろう。

Europe 2031において欧州委職員Carolineはブリュッセルの会議室で「進行中の激変を伝えられない絶望」を味わった。同じ絶望を霞が関の政策担当者らが直面するような未来を避けるにはどうすべきか。Europe2031が描いた未来を、夢想や虚構と一蹴するのではなく、その警鐘を読み解き、日本政府ならば、どのように対応するのかという実利的な政策立案・判断をしていくことが期待される。

 

<参考レポート>

ナラティブからの政策分析、SNS時代の日本も活用を――「保育園落ちた」投稿を事例に読み解く | Strategy Institute | FA Portal | デロイト トーマツ グループ


<参考文献・注釈>

[i] Daan , J., van baarsen , S., Dada , J., Negele, M., Stelling, L., Fox , P., Petropoulos , A., & Bakker, M. (2026, June 11). Europe 2031. https://europe2031.ai/

[ii] 「サイエンスフィクション(SF)の持つ技術描写手法、感情移入手法やプロット作成を元に、科学技術の問題点を考慮しながら、社会のイノベーションを物語作品の形で作成し、それを元にビジョンを共創するワークショップ手法」
大澤博隆. (2022). 責任ある研究とイノベーションを促進する SF プロトタイピング手法の企画調査国立研究開発法人科学技術振興機構. https://www.jst.go.jp/ristex/funding/files/JST_1115180_21471335_osawa_ER.pdf

[iii] European Commission. (2025, February 11). EU launches InvestAI initiative to mobilise €200 billion of investment in artificial intelligence. Shaping Europe's digital future. https://digital-strategy.ec.europa.eu/en/news/eu-launches-investai-initiative-mobilise-eu200-billion-investment-artificial-intelligence

[iv] 作中での経済面の衰退の理由は主に3つある。①AIから利益を得る企業とインフラの所有者が米国側にあり収益が域外に流出した、欧州特有の厳格な規制と慎重な組織文化が相まって、企業によるAI導入が米国企業よりも遅れ表面的だった、解雇規制などにより、米国企業のように機動的な組織再編ができなかった。

[v] 執筆者たちは暗黒の未来を描いただけではなく、回避に向けた5点を提言している。計算資源・供給網への大規模投資、中堅国AI連合の構築、労働市場改革:デンマークモデルの「フレキシキュリティ(柔軟性と安全性)」を軸に抜本的改革と手厚い賃金補償や再訓練プログラムを組み合わせる、産業AI・ロボティクスの強化、前向きなビジョンの提示:国民に改革がなければ「現在の欧州を守ることができない」という事実を伝え、未来に希望を持てる物語を構築する。

[vi] Mathieu, E. (2026, June 30). US and Chinese companies train almost all of the world's most-used AI models. Our World in Data. https://ourworldindata.org/data-insights/us-and-chinese-companies-train-almost-all-of-the-worlds-most-used-ai-models

[vii] European Commission. (2025). Communication from the Commission to the European Parliament and the Council: Apply AI Strategy (COM(2025) 723 final). EUR-Lex. https://eur-lex.europa.eu/legal-content/EN/TXT/?uri=CELEX:52025DC0723

[viii] European Commission. (2024). The future of European competitiveness [Report]. https://commission.europa.eu/topics/competitiveness/draghi-report_en

[ix] Europe says. (2026, June 26). Europe 2031: The Viral AI Scenario Warning Brussels about Europe’s Future. https://www.europesays.com/3089327/

[x] 人工知能関連技術の研究開発及び活用の推進に関する法律(令和7年法律第53号). (2025). e-Gov法令検索. https://laws.e-gov.go.jp/law/507AC0000000053

[xi] Regulation (EU) 2024/1689 of the European Parliament and of the Council of 13 June 2024 laying down harmonised rules on artificial intelligence (Artificial Intelligence Act). Official Journal of the European Union, L 2024/1689. EUR-Lex [1, 2]

[xii] Exec. Order No. 14409, 3 C.F.R. (2026). https://www.whitehouse.gov/presidential-actions/2026/06/promoting-advanced-artificial-intelligence-innovation-and-security/

[xiii] IEA (2026), Capital expenditures by hyperscalers, IEA, Paris 
https://www.iea.org/data-and-statistics/charts/capital-expenditures-by-hyperscalers

[xiv] 経済産業省. (2026). AI・半導体産業基盤強化フレームに基づく支援について経済産業省. https://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/ai_semiconductor_frame/ai_semiconductor_frame.html

[xv] Europe 2031においては、主人公の一人Christianが米国の民間AI投資の規模・スピードを「ブルドーザーのように(like there are bulldozers)」と表現した。

[xvi] Kissinger, H. A., Schmidt, E., & Huttenlocher, D. (2022). AIと人類(土方奈美訳)日経BP. (原著は2021年出版)

[xvii] 日本成長戦略には、「強みを有する製造業やサービス業が積み重ねてきた質の高いデータを集積し、学習させることで、『フィジカルAI』の競争優位を確立し、世界に打って出る」と記載された。

[xviii] CPTPPは信頼に基づくデータの自由な移動(DFFT)を担保しつつ、不当なソースコードやアルゴリズムの開示要求を禁じている。AI超大国が現状では加入していないCPTPPをベースに、中堅国間でAIの安全基準や相互運用性の追加モジュールに合意できれば、中堅国経済圏のAI主権を守る強力な盾となる。

[xix] 英国政府が2025年に改組したフロンティアAIリスクに関する高度研究・評価機関。https://www.aisi.gov.uk/

[xx] Organisation for Economic Co-operation and Development. (2025). Governing with artificial intelligence: The state of play and way forward in core government functions. OECD Publishing. https://doi.org/10.1787/795de142-en

[xxi] 経済産業省の検討会は「リスク管理とイノベーションを両立できるガバナンスシステム」と指摘している。
経済産業省. (2025). GOVERNANCE INNOVATION Ver.4:アジャイル・ガバナンスの社会実装に向けた「規制・制裁・責任の一体的改革」Society5.0における新たなガバナンスモデル検討会報告書).https://www.meti.go.jp/shingikai/mono_info_service/governance_model_kento/pdf/20250930_1.pdf

江田 覚 / Satoru Kohda

編集長 / 主席研究員

デロイト トーマツに2022年に参画し、政策分析・調整に従事。戦略研究所設立計画を主導した。以前は時事通信社にてワシントン特派員、編集委員等を務めた。
専門分野は国際関係論、産業政策論、政策過程分析。修士(公共政策)。


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平木 綾香 / Ayaka Hiraki

フェロー

官公庁、外資系コンサルティングファームにて、安全保障貿易管理業務、公共・グローバル案件などに従事後、デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社(現合同会社デロイト トーマツ)に参画。
専門分野は、国際政治経済、安全保障、アメリカ政治外交。修士(政策・メディア)。


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