景気循環による経済的影響は企業にとって不可避なものです。しかし、世界および地域経済に対し長期的な見通しを持つことにより、企業は景気循環のリスクを最小化することができます。デロイトは、世界のビジネスリーダーたちに必要な、マクロ経済、トレンド、地政学的問題に関する明快な分析と考察を発信することにより企業のリスクマネジメントに貢献しています。
本連載では、デロイトのエコノミストチームが昨今の世界経済ニュースやトレンドについて解説します。今回は、Deloitte Insightsに連載中のWeekly Global Economic Updateの2024年9月16日週の記事より抜粋して日本語抄訳版としてお届けします。

Ira Kalish

Deloitte Touche Tomatsu
チーフエコノミスト

経済問題とビジネス戦略に関するデロイトのリーダーの1人。グローバル経済をテーマに企業や貿易団体への講演も多数行っている。これまで47の国々を訪問したKalish氏の解説は、ウォール・ストリート・ジャーナル、エコノミスト、フィナンシャル・タイムズなどからも広く引用されている。ジョンズ・ホプキンス大学国際経済学博士号取得。

ドラギ氏が指摘する欧州の現状と課題

欧州連合(EU)では、欧州が米国や中国の後塵を拝する危険性への大きな懸念が生じています。欧州の成長はよくいっても控えめなものでした。そのうえ、米国と中国は共に新技術開発の最先端を走っています。そのため、EUはイタリア前首相で欧州中央銀行(ECB)総裁も務めたマリオ ドラギ氏に、この問題への対策を検討する役を任じました。ドラギ氏は約400ページにわたる報告書「欧州の競争力の未来」を作成し、欧州全体で新技術への投資を年間8,000億ユーロ増やすべきだと主張しました。また、通信など特定産業への集中や、一元的な資本市場の監督を可能にするため、EUにおける競争ルールの緩和を求めました。

ドラギ氏は、欧州各国の経済が現在、相対的に小規模であることを指摘しました。「これまでに、私たちの国々の規模がこれほどまでに小さく、課題の大きさに対して不十分であると感じたことはない。足並みをそろえた対応の必要性がこれほど説得力を持ったことはなく、私たちの団結の中に改革の力が見出されるだろう」と述べました。また「民間部門が、この投資の大部分を公共部門の支援なしに賄うことは難しい」とも語りました。さらに、「画期的なイノベーションなど、欧州の重要な公共財への投資には、共同出資が必要になるだろう」とも述べました。

また、ドラギ氏の報告書は、欧州が1人あたり所得で米国に後れを取っている理由と、新たな施策がなければこの問題がさらに悪化する可能性があることについて、説得力のある説明を提供しています。ドラギ氏は、通貨の実際の購買力を反映した為替レート、購買力平価(PPP)ベースで算出すると、EUの1人あたりGDPは米国よりも34%低いことを指摘しています。もちろん、欧州内でも大きな差があります。報告書によると、米国とEUの違いの70%は労働生産性(働いた時間あたりの生産量)の違いによるものであり、30%は労働時間の違い(欧州における平均労働時間は米国より短い)によるものです。

さらに、現状のままでは、欧米間の生産性の差は維持されるか拡大する可能性が高いでしょう。生産性は、技術やビジネスプロセスの確認により、向上します。そのようなイノベーションは企業の投資によって実現されますが、報告書によると、GDP比で米国における投資はEUよりもはるかに高く、さらにEUにおける対GDP比投資は減少しています。これが、EUの経済成長が米国よりも遅れている主な理由であるとともに、ドラギ氏が大幅な投資拡大を提案する理由でもあります。

しかし、ドラギ氏によると、話はそれだけではありません。彼は、ベンチャーキャピタル投資が米国ではEUよりもはるかに多いことを指摘しています。ベンチャーキャピタルは、特に技術やプロセスのイノベーションの最前線にあるスタートアップ企業に資金を提供するために使用されます。ベンチャーキャピタルの存在は、既存のビジネスモデルを破壊し、大きな変革を促進するうえで重要な役割を果たし、結果的に生産性を向上させます。ドラギ氏は、このような活動が欠如していると、欧州は停滞し、生産性を向上させるためのイノベーションを実現できない可能性があると主張しています。実際、報告書によれば、ユニコーン企業(評価額が10億ドルを超える新興企業)の66%は米国に存在し、EUはわずか8%に過ぎません。一方、中国は26%を占めています。

欧州の強みと競争力の未来

ドラギ氏は、欧州がいくつかの非常にポジティブな特性を持っていると主張しています。科学研究、特許、学術雑誌への掲載に関しては、欧州は米国と比較して相対的に強い位置にあります。欧州の抱える問題は次のステップを踏むことにあるようです。ドラギ氏は、その飛躍が公共投資の分散化によって妨げられていると述べます。米国では州ではなく連邦政府が軍事産業を含む多くの研究開発に資金提供していますが、欧州ではほとんどの研究開発への公共支援がEUではなく各国政府を通じて行われています。ドラギ氏は、大きな成果を達成するためにはこれを変える必要があると提案しています。今日の技術環境で大きな飛躍を遂げるには、大規模なスケールが必要です。

欧州の技術革新を阻んできたと思われる要因の1つは、大規模な防衛部門の欠如でしょう。対照的に、アメリカでは防衛関連の研究に対する巨額の支出が、半導体、ワールド・ワイド・ウェブ、携帯電話、そして衛星通信・測位システムの発展に寄与してきました。これにより、米国企業はこれらの技術で競争相手を飛び越えることができました。ドラギ氏の明らかな期待は、欧州でも同様に大規模な公共投資が同じような役割を果たすことです。

ドラギ氏の提案を実行するには、EUの指導者たちの意識改革が必要となるでしょう。これは、金融および財政の統合を大幅に進め、EUが大規模に資金を借り入れ、研究開発への投資に合意することを意味します。また、EU規模での規制緩和も必要となるでしょう。

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Deloitte Global Economist Networkについて

Deloitte Global Economist Networkは、デロイトネットワーク内外の視聴者向けに興味深く示唆に富むコンテンツを発信する多様なエコノミストのグループです。デロイトが有するインダストリーと経済全般に関する専門知識により、複雑な産業ベースの問題に高度な分析と示唆を提供しています。デロイトのトップマネジメントやパートナーを対象に、重要な問題を検討するレポートやThought Leadershipの提供、最新の産業・経済動向にキャッチアップするためのエクゼクティブブリーフィングまで、多岐にわたる活動を行っています。

デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社

増島 雄樹 / Masujima Yuki

マネージングディレクター・プリンシパルエコノミスト

外為トレーダーとしてキャリアをスタート。世界銀行、日本銀行、日本経済研究センター主任研究員、ブルームバーグシニアエコノミストを経て、2023年4月より現職。マクロ経済予測・費用便益分析・政策提言を中心に、エコノミクス・サービスを提供。為替に関する論文・著書多数。2018年度ESPフォーキャスト調査・優秀フォーキャスター賞を受賞。博士(国際経済・金融)。

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コーポレートイノベーション

富樫 真理子 / Togashi Mariko

シニアコンサルタント

外資系証券会社にて日本の機械セクターの株式調査業務に従事後、米ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院にて、安全保障・国際経済学修士を取得。日、米、英のシンクタンクにて経済安全保障の研究に携わった後、2024年4月にデロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社に入社。地経学研究所客員研究員。