琵琶湖国定公園の中、4万坪という広大な敷地面積の中にわずか15室だけの贅沢なホテル「ロテル・デュ・ラク」。敷地は琵琶湖の水辺から始まり、ホテルの裏庭まで緑豊かな土地は圧倒的に静かで、非日常を存分に味わうことができます。このロテル・デュ・ラクの総支配人を務め、ホテル業界で多くの経験を積んだプロフェッショナルである嶋村幸雄氏に、総支配人になった経緯や地方でのホテル経営などについて語っていただきました。

※当記事は経営人材プラスに掲載した内容を一部改訂して転載しています。

嶋村 幸雄氏

新木産業株式会社
ロテル・デュ・ラク 総支配人

訪ねるうちに転職先となった温泉旅館を皮切りに

――これまでのご経歴を教えてください。

もともと東京出身で、最初はカメラ量販店、その後は運送会社に勤めました。運送会社ではトラックの運転やデパートの商品をお客様に届けるといった仕事をしていましたが、ストレスだったのは通勤時間です。自宅から勤務先まで2時間半ほどかかっていたため、毎日が大変でした。

ホテル業界に転職するきっかけとなったのは、軽井沢の温泉旅館で知人が働いていたことでした。その旅館に何度か遊びに行っているうちに、こういった環境で仕事をしたいなと思うようになり、その温泉旅館を経営している会社に入社することを決めました。

私が入社してから1~2年後に社長が替わり、新たにリゾートホテルを開業するなど事業の拡大が進められ、激動と言えるほど会社は大きく変わりました。私自身は新しい社長に付いていろいろなことを学びたいと思っていましたし、変化もすごくおもしろいと感じていましたね。

最初の仕事はフロントで、その後はブライダルに関わるようになりました。このブライダルの仕事にすごく興味を持ち、また接客についても学ぶ中で、お客様に喜んでいただくこと、感動していただくことの大切さを実感しました。

その後、購買部に移ったときはすでに会社も大きくなっていたので、スケールメリットを活かした形で仕入れを行うといったことに取り組んでいます。このときは、生産者や取引先と接点を持ち、深くコミュニケーションすることに楽しさを感じていました。

ただ当初からのスタッフも変わる中で、和気あいあいというよりも、スタッフ間の競争が激しくなり、またお客様に意識が向いていないと感じることが増え、少し私の考えていたものと違ってきているのかなと考え始めたことから転職を検討するようになりました。

転職先を探す際には、それまでに自分が経験したことを生かせる仕事がしたいと考えていました。最終的に転職先として選んだのは、長野県駒ヶ根市にあるホテルです。

そのホテルはオープンしてから2年ほど経っていましたが、非常に業績が悪く、なんとか立て直してほしいと親会社から言われていました。

ただ地方のホテルであるため、ほかのホテルで働いた経験を持つスタッフはほとんどいませんでした。そうしたスタッフのレベルや意識を苦労しつつ引き上げ、またホテルの見せ方などを工夫し、田舎の雰囲気に合わせ過ぎず、少し都会の風を吹かせるといったことを意識してホテルを改善していきました。

そうした取り組みが奏功し、私の責任の中で業績を一気に上げていくことができました。その後、第三セクターで営業されていた別のホテルをぜひ買い取って欲しいという話を受け、譲り受けた上でリニューアルするといった仕事にも取り組みました。

ただ、かなり精力的に働いてきたことがたたり、ストレスをため込むことになっていたほか、白内障を患うなど後半は体調を崩してしまいました。それでこのままの形で仕事を続けることは難しいと感じ、休職も兼ねて転職活動をすることにしました。その結果、新木産業株式会社のロテル・デュ・ラクで働くことになりました。

ポテンシャルの高いホテルで経験を生かす

――転職先としてロテル・デュ・ラクに決めたポイントを教えてください。

ロテル・デュ・ラクについてはほとんど知らない状態で、どういったホテルなのかといったイメージもありませんでした。それで自分なりにホテルを運営している新木産業について調べたところ、しっかりした会社だなという印象を持ちました。ホテルも非常にきれいで、眺望も素晴らしく、ポテンシャルの高いホテルだと感じました。

面接の際には、経営企画室長の方に経営に関わる数字も見せてもらいました。このときに不思議だと思ったのは、利益や売上が思ったよりも低かったことです。地域の状況や滋賀県の観光業が置かれている状況などについて、十分に理解できていないときではありましたが、このホテルならもっと人を呼べるのではないかと考えていました。

入社することを決める前、ホテルで働いている人たちと面談する機会がありました。その際、ホテルが現状で抱えている課題についてのお話を聞き、システム的なこと、あるいは運営そのものの考え方など、前職のホテルで経験したことと同じような課題があることがわかりました。そこで課題を整理して改善していけばもっとよくなりますよ、というようなお話をさせていただいたことを覚えています。

最終的にロテル・デュ・ラクで働くことを決めたのは、先ほどお話したホテルとしてのポテンシャルの高さです。それまで働いていた信州と雰囲気は異なりますが、神秘的な奥琵琶湖の風景は魅力的だと感じましたし、自然に囲まれたホテルの雰囲気もよかった。このように自然を満喫できる土地でありながら、関西地域の都市からもアクセスしやすい立地であることもメリットです。ここであれば、自分の力を発揮することでなんとかいい形に持っていけるかもしれない、そのように考えて入社を決めました。

実は入社する前、新木産業を紹介していただいた政府系人材紹介会社の担当者から「経営企画室長の方は数字をしっかりと見られるお方だから」と聞かされていて、会うまでは非常に緊張していました。しかし実際に会ってみるとまったくそんなことはなく、面接は和やかに進みました。

総支配人となってからは経営企画室長と数字の話をしっかりしていますが、それだけに終始することはありません。経営企画室長自身もホテルについての想いはあると思いますし、経営者としての厳しさも当然あるのですが、それは抑えて私にホテルの運営を任せていただいていると感じています。このように配慮してもらっていることは非常にありがたいですし、その信頼に応えていきたいと考えています。

地方でのホテル経営に都会の風を吹き込める人材に期待

――どのような点で地方でのホテル経営の難しさを感じますか。

特にロテル・デュ・ラクがある長浜市は工業地帯でもあり、工場などとホテルでの働き方は大きく異なります。そのため、働く場所として比較すると、ホテルは非常に厳しい環境に見えるかもしれません。

またホテル側としても地元の人たちだけで運営することはやりづらい部分があります。東京や大阪など、都会に出て揉まれた経験を持っている人が少しでもいると、ホテルは活性化すると考えているので、地元だけでなく、外部からも人材を採用しています。

地方でホテルを運営する場合、その地方のための施設になり過ぎてしまってはうまくいきません。都会的で新しい感覚をうまく取り込みつつ、同じ地域に住む人たち、あるいは観光客の方々に楽しんでいただくことが大切です。その実践において、都会で働いた人たちに期待する部分があります。

これは仕方がない面もありますが、その地域に暮らしてきている人たちは、自分たちが住んでいる地域のよさについて認識できていないことが多いと思います。たとえばロテル・デュ・ラクの周辺は何もないのですが、それによって見事な星空を見ることができます。さらに庭に鹿が現れることも珍しくありません。これも都会から来た人たちにとっては、非日常を感じられる部分になるでしょう。

同じ地域でずっと暮らしていると、こうしたことが日常に取り込まれてしまい、当たり前になってしまいます。しかし、もともと長浜に住んでいた人が都会でしばらく暮らし、長浜に戻ってくると、そういった地元のよさを再確認することができます。外部から初めて長浜に来た人も、地元の人にはない目線で長浜のよさを見つけられるでしょう。こうした魅力を認識してお客様に伝えていく、あるいはホテルの運営に活かしていくということを考えたとき、東京や大阪などといった都会で暮らした経験を持つ人材は貴重な存在だと感じています。

地方への移住は家族の理解とケアが重要

――地方で働くメリットとして、どういったことが挙げられますか。

その人の考え方などによって大きく異なると思いますが、1つ挙げるとすれば遊びの幅が広がることですよね。たとえば長浜であれば、湖畔でキャンプする、あるいは山に登るといったことを近場で楽しむことができます。さらに都会が近いため、普段の生活で困ることもありません。家族で移住するといったことを考えたときにも、長浜であれば幼稚園や学校、あるいは病院といった施設が近くにあることもメリットです。

ただ結婚されている方がお2人で地方に移住するといったときは、奥さまのケアが非常に重要だと感じています。例えば移住先で働く場所を見つけて仕事をし始めたけれども、その勤務先に馴染めずにストレスを抱えている、といったケースです。そうすると、もともと住んでいた場所に戻りたいといったことになりかねません。そのため、移住した先での暮らしを2人で楽しめるかどうかはとても重要です。

知らない土地で暮らすのは、結構なストレスがかかります。転職して家族で長浜に移住してきたといった際には、ご家族の方も含めて地域に溶け込めるように配慮しています。

世界からこの地を目指してもらえるホテルとレストラン作りを

――これまでの成果や今後の展開について伺わせてください。

ロテル・デュ・ラクにおいて、もともと課題となっていたのは稼働率が非常に低いことでした。この稼働率をどうやって高めるのかについて、これまで頭を悩ませてきました。

また私が入社したときには、営業活動が行えるスタッフがいませんでした。そのため、例えば宿泊プランを作りましょうと言っても、それを作れる人がいない、アイデアを出せる人がいない、実行できる人がいないといった状態でした。こうした営業活動は私の前任者の方が担当されていましたが、それらの業務がスタッフに落とし込まれていませんでした。そういった状況だったので、ホテルの業務について教育しつつ、ただそれでは間に合わないので、私自身でもプランを作成するといったことに取り組んできました。

業績については徐々に上がってはいますが、まだまだ満足できる状況ではありません。その背景にある理由の1つとして、この地域の魅力がお客様に十分に伝わっていないことがあります。

新型コロナウイルスの感染が拡大する前は、インバウンドを取り込むための施策も進めてきました。ただ海外から日本に来られて、まず京都に泊まり、次に金沢に向かうといったとき、滋賀県は素通りされていました。そういった状況を改め、滋賀で足を止めていただき、ロテル・デュ・ラクに宿泊していただきたかったのですが、なかなか決定打が見つからない状況でした。

そこでアピールしたのが食です。ここ2年近くは「食」についてお客様からの評価も上がり、それを求めて宿泊される方も多くいます。今年10月からは更なる高みを目指し、2022年2月にレストランをリニューアルする予定です。また、今年6月からはアメリカ人シェフを招聘し、滋賀県湖北地域の食材を中心に、「ここに来なければ食べられないお料理」や「ここに来たら魅力的な体験ができる」ことを顧客にアピールし日本はもとより世界から、この地を目指していただけるホテルとレストランを作ることが目標です。

今後については、ホテルを収益性のある事業に育てていくことが大きな目標です。その達成に向けて、食を中心としてロテル・デュ・ラクの魅力を広め、多くの人が知っているホテルにしていきたい。そして従業員が自分たちのホテルに誇りを持ち、自信を持ってお客様をお迎えできるようにすることが私にとって最大のチャレンジです。

※本インタビュー内の写真につき無断転用などを禁じます。

FAポータル編集部にて再編