中小企業庁に聞く、事業承継の現在地とこれからの取り組み
事業承継に関する相談に無料で対応する「事業承継・引継ぎ支援センター」の展開、中小企業の円滑な事業承継を支援する施策の実施など、日本の大きな課題である事業承継に重点的に取り組んできたのが中小企業庁です。ここでは、中小企業庁 事業環境部 財務課長の日原正視氏に、事業承継の現状や中小企業庁としての取り組みなどについてお話を伺いました。
目次
日原 正視氏
中小企業庁
事業環境部 財務課 課長
2003年東京大学法学部卒、同年経済産業省入省。2011年ミシガン大学公共政策修士取得。その後、内閣府原子力被災者生活支援チーム、資源エネルギー庁省エネルギー・新エネルギー部政策課、中小企業庁政策企画委員等を経て、大臣官房会計課政策企画委員として新型コロナウイルス感染症対策(持続化給付金、家賃支援給付金等)をはじめとする経済産業関係予算の総合調整を実施。2020年7月に中小企業庁財務課長に就任し、中小企業関係税制や事業承継・M&Aの推進等を担当(現職)。
熊谷 元裕
デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社
ミドルマーケット・コーポレートファイナンシャルアドバイザリー パートナー
有限責任監査法人トーマツにて、法定監査・金融機関監査やIPO支援・J-SOX導入支援業務に従事した後、DTFAに転籍。現在は製造業、商社、ライフサイエンス分野などを中心にM&Aアドバイザリー業務・企業価値評価業務に従事。特に国内上場企業が当事者となるセルサイド、カーブアウト、組織再編などのストラクチャーディールにおいて多数の実績と知見を有しており、テクニカルかつウェットな案件を得意とする。また、地方創生・事業承継にも精通しており、オーナー系企業のM&Aを数多く手掛けると共に、事業承継M&Aに関する有識者会議のメンバーにも名を連ねている。
事業承継により若返りを図った企業と、承継できない企業の二極化が進む
熊谷
事業承継が取り沙汰される背景として、経営者の高齢化が挙げられることが少なくありません。20年前の経営者の平均年齢は40~50代で、現在は60~70代になっている。つまり社長が替わっていないために高齢化が進んでいるといった状況です。このあたりについて、中小企業庁ではどのように分析されていますでしょうか。
日原
仰る通り、経営者の高齢化は進んでいると捉えています。ただ、国として5~10年かけて事業承継の推進に取り組んできた成果もあり、最近では徐々にフェーズが変わりつつあるとも感じています。
具体的には、日本の経営者の年齢層の分布についてのグラフを見ると、以前は団塊の世代前後の年齢層ではっきりとした山(ピーク)が立っていたのですが、最近ではそれが潰れて、台形に近い形になりつつあります。つまり経営者の高齢化が進む一方で、若い経営者も増えつつあるという状況です。
事業承継を自分事として捉えて積極的に取り組む経営者もいれば、事業承継を行えずに高齢化が引き続き進んでいる企業もある。このように二極化が進んでいるのが、足元の状況だと考えています。
熊谷
ありがとうございます。次に、新型コロナウイルスが事業承継やM&Aなどに与える影響をどのようにお考えでしょうか。
日原
全国に設置している、事業承継・引継ぎ支援センターの方などと意見交換をすると、コロナ禍で事業承継を前倒しにする企業が増えていると言う人もいれば、後ろ倒しにする企業が増えていると言う人もいて、前倒しと後ろ倒しの双方が起きていると認識しています。
M&Aも同様の傾向です。譲渡側については、このままだと将来の展望が見えないので早く事業を譲渡したいと言う方もいれば、今はコロナ禍で事業価値が毀損して安価な譲渡価額となるためまだ事業を譲渡したくないと言う方もいます。また、譲受側については、自身の事業もコロナ禍で痛んでいるので譲り受けは控えるといった消極的な方もいれば、現状を変革のチャンスと捉えて譲り受けを進めるといった積極的な方もいます。
M&Aに関する不安を払拭し、安心感を醸成することが重要
熊谷
事業承継には親族内承継や従業員承継、社外への引き継ぎ(M&A)といったパターンがあります。これらに対して、中小企業庁ではどのような支援を行ってきたのでしょうか。
日原
中小企業庁では、これまでに様々な施策を実施してきました。その中で特に重視したのは、現在の経営者から後継者に円滑に事業を引き継ぐことです。
例えば親族内承継であれば、相続税や贈与税の負担を軽減するために事業承継税制を創設、拡充しています。平成30年度税制改正では事業承継をする場合に相続税・贈与税の負担を実質ゼロにする異例の措置を講じ、平成31年度税制改正では法人だけでなく、個人事業者に対しても同様の措置を講じました。
また、M&Aであれば、その相手先を見付けることが難しいという課題があり、それに民間で対応できれば良いのですが、特に地方の小規模な案件については民間の手が届かない部分もあるため、事業承継・引継ぎ支援センター(*1)でマッチングの支援も行っています。
このように引き継ぎ時の金銭的な負担を減らす、そして引き継ぎ先を探すといった観点から、様々な税制措置や予算措置を講じています。
熊谷
事業承継・引継ぎセンターの存在を初めて知ったとき、M&Aも含めた事業承継について無料で相談できるのはすごいなと驚いたことを覚えています。
昨年、中小企業庁では「M&A支援機関登録制度」も始められたと理解しています。その意図や背景を教えていただけますか。
日原
先ほどお話した通り、これまでは金銭的な負担の軽減や、引き継ぎ先を探すための支援を軸に事業承継をサポートしてきました。ただ、それだけではM&Aは進まないのではないかと感じている部分もありました。
以前に比べるとM&Aのイメージはだいぶ改善していますが、いざ自分が当事者になると、やはり不安なところは多分にあるのではないでしょうか。その不安をいかに払拭するか、安心をもたらすかが大事だと思っています。
また仲介における利益相反懸念など、M&Aのマイナスイメージにつながる指摘もあります。こういったものを放置しておくと、M&Aが有効な場合でも、やはり不安だということになりかねず、どれだけ補助金などを措置しても、M&Aによる事業承継につながらないのではないか。こういった思いから、安心を生み出すための制度としてM&A支援機関登録制度をスタートすることにしました。
熊谷
M&A支援機関登録制度のWebサイトを見ると、登録機関データベースのページで企業名や事業所名を入力して検索できるだけでなく、支援機関の種類や業務開始時期など、様々な項目で検索できることに驚きました。経験の豊富な支援機関に相談したいということであれば、M&A支援業務の開始時期を指定して検索できるなど、安心につながる機能が提供されていると感じています
*1:事業承継・引継ぎ支援センター
中小企業の事業承継に関する様々な相談に対応する、国が設置する公的相談窓口。親族内承継や第三者承継の支援を行っているほか、創業を目指す起業家と後継者不在の企業などを引き合わせ、創業と事業引き継ぎを支援する後継者人材バンクなども手掛けている。
M&Aに関する統計情報を提供予定
熊谷
今後の取り組みとしては、どのようなことを考えていますか。
日原
安心感の醸成は極めて重要であると考えているため、まずはM&A支援機関登録制度をしっかりと運用していきたいと考えています。
この制度では年度ごとに支援実績として、支援先の規模等の属性、譲渡価額、手数料などを報告していただくことになっています。その情報を我々で集約し、いわば統計情報として提供することも考えています。
こうした情報が広く流通することで、当事者間で閉じて行われているM&A取引の実態が一定程度明らかとなり、相場感が醸成され、適切な取引が徹底されるのではないかと考えています。
このように、安心を提供するための情報やツール取り組みを積極的に行っていきたいと思います。
熊谷
M&Aを支援する民間の機関に対して期待することはありますか。
日原
事業承継の手段としてM&Aを考えている経営者の方々に安心感を持っていただくためには、私たちが制度を作るだけではなく、それに従って民間の支援機関に誠実に対応していただくことが重要です。具体的には、中小企業庁が策定した「中小M&Aガイドライン」に記載していることを守って支援していただくことが第一歩として大事だと思っています。
また、M&Aは成立して終わりではなく、その後、いかに事業を統合して成長させるかが重要であることを踏まえると、M&A後の経営統合、PMI(Post Merger Integration)に関する支援の積極化もお願いしたいところです。中小企業庁では、2022年3月にPMIに関するガイドラインを公表する予定のため、それも参考に支援を広げていただきたいと考えています。
事業承継の準備は後継者側の目線も考慮して早めに進めるべき
熊谷
最後に、事業承継の課題を抱えている中小企業の方に向けてメッセージをお願いします。
日原
現在、「事業承継ガイドライン」の改訂に向けた作業を進めています。この改訂版で打ち出そうと考えていることの1つが、後継者側の目線です。
事業を引き継いだ後継者の方にお話を伺うと、引き継いだタイミングが遅かったという意見が少なくありません。たとえば若いうちに事業を引き継げれば新しいことにチャレンジできるけれども、ある程度の年齢になってから承継した場合、一般的には新しいことにチャレンジすることが難しくなる傾向にあります。事業の存続を願うのであれば、あるいは引き継いだ後継者のことを思うのであれば、早めに事業承継を考えていただく必要があるのではないでしょうか。
また、昨今では親が事業を手掛けているからそれを引き継がなければならない、といった受け身の感覚が薄れてきています。引き継ぐ場合でも、自分の価値観に合ったからという積極的な理由であることも少なくありません。子どもが事業の引き継ぎに必ずしも前向きではないこともあり得ることを念頭に置きつつ事業承継の準備を進めていただく必要があり、場合によっては従業員承継やM&Aも検討しなければならないため、やはり早めに準備を進めていただきたいと思います。
熊谷
なるほど。経営者からすると、子どもが事業を引き継いでくれるだろうと考えているけれど、親の心子知らずで、本当に引き継いでくれるかどうかは分からないということですね。
本日はいろいろなお話を伺わせていただき、ありがとうございました。