全国には優れた製品・サービス等を有しているにも関わらず次の成長等を目指す際にキーとなる人材不足に悩む企業、またこれまでの多様な経験・知見を活かす場を模索している経営人材が数多く存在します。
本シリーズでは大都市から地域に移って活躍している経営人材を取材し、キャリアや地域で働くことの魅力に迫ります。
今回は亀田総合病院の経営管理本部副本部長の野々村純氏にお話を伺いました。

※当記事は経営人材プラスに掲載した内容を一部改訂して転載しています。

野々村 純氏

医療法人鉄蕉会 亀田総合病院 経営管理本部 副本部長 経営企画部長

東京大学経済学部卒業後、大手総合商社に入社。
主にヘルスケア事業にかかわり、大手自動車メーカーとの合弁会社で病院の経営改善などの業務に携わる。
その後は中国に駐在し、国有企業との合弁会社の設立や、現地の病院の経営改善などに従事。
2020年春に大手総合商社を退職し、医療法人鉄蕉会に入社。
経営幹部として中期経営計画の立案や新規事業の立ち上げなどを主導。

大手総合商社でのキャリア

――まず、これまでのご経歴を伺わせてください。

東京大学経済学部を卒業した後、大手総合商社に約30年間勤めていました。商社時代はヘルスケア事業に長く従事しました。若い頃は医療法人に出向してリハビリ病院や老人保健施設を設立したり、在宅ケアサービスを立ち上げたりしていました。当時は日本で介護保険制度が始まる前後であり、病院を高齢者向けにモデルチェンジしていくという政策の大きな転換があったのですが、それに関連するビジネスに最初期の段階から携わりました。

その後、大手自動車メーカーと合弁会社を立ち上げ、地域医療機関の経営改善や相互連携の支援、患者や地域住民の皆さま向けにヘルスケア関連商品やサービスを提供する事業に取り組みました。

2010年以降は中国で大手国有企業と合弁会社を設立し、現地に駐在して主に物流業務を軸とした病院の改善など、現場の業務に10年ほど携わりました。それで日本に帰ってきたタイミングで、千葉県鴨川市にある亀田総合病院、亀田クリニック、亀田リハビリテーション病院などを運営する医療法人鉄蕉会に転職しました。

転職したときはちょうど新型コロナウイルスの感染拡大が大きな問題になり始めたときだったのですが、コロナ禍に対応した新規事業を立ち上げたり、赤字事業を改善したりしながら、鉄蕉会が運営している各病院の発展に向けた取り組みを進めてきました。

鉄蕉会との運命的な出会い

――転職した背景には、どのような考えがあったのでしょうか。

商社における医療事業で、わかりやすいのは医療機器を輸入して国内で販売するというビジネスです。ただこのビジネスには為替リスクがつきまとうほか、医療機器メーカーが日本法人を立ち上げて自ら販売するようになるなど、ビジネス環境も厳しくなっています。そういった状況の中で、ヘルスケア領域でどのようなビジネスを展開していくのかについて模索していました。

私自身は日本の病院もいずれは株式会社による民間経営が進むのではないかという期待があり、病院改善のお手伝いをしながら、将来的に病院を経営したいという夢を持っていました。他商社では海外の病院に出資する動きも出てきました。
残念ながら、私が務めていた商社は、病院経営はしないという方針を変えませんでした。それで駐在していた中国から日本に戻るとき、このまま商社の中で仕事をするべきか、それとも日本の病院における国際化といった仕事に挑戦できないかと悩みました。

そもそも日本の病院は、地域の人口や、がんや脳卒中、心筋梗塞といった病気の発生確率から、大病院や中小病院がそれぞれ地域にいくつ必要で、さらに介護施設をこの程度作りましょうといった形で整備されています。このような枠組みで病院の数を決めるため、診療所はともかく病院を新たに開業することは困難です。

一方で地域の高齢化や人口減少は進んでいるため、医療を維持するためには病院を統廃合して医師を集約し、あとは介護施設などで対応していくといった形にせざるを得ません。
このような医療政策により、病院はビジネスとしてはどんどんうまみがなくなっている、言い方を変えれば事業拡大の余地がなくなり、コスト削減と集約化だけを目指すようになっています。

しかし世界の病院に目を向けると、アメリカの名門病院であるメイヨー・クリニックなどでは、国内の患者さんだけでなく、海外からやってくる患者さんにも医療サービスを提供しています。そこで得た利益で最新の医療機器に投資したり、優秀な人材を確保したりして、最先端の医療に取り組んでいるわけです。日本のように、医療をコストと見なし、もう財政が持たないからコストは削減するといった考え方だけでは、地域の病院を発展させることはできません。

亀田総合病院をはじめとする我々の病院は、千葉県においてダントツでナンバーワンの医療施設であると自負しています。実際、千葉県内外のさまざまな地域から難しい症例の患者さんを引き受けています。行政は地域医療を重視する姿勢を打ち出していますが、対応することが難しい患者さんは、地域にかかわらず我々のところに助けを求めてくるのが実情です。最近では、新型コロナウイルスの重症入院の8割が地域外の患者さんでした。

実は自動車メーカーとの合併会社でヘルスケア事業に取り組んだ後、中国で医療ビジネスに従事することにしたのですが、その背景には日本の病院向けにソリューションを提供してお金をいただいても、肝心の病院が儲かっていないので、ビジネスの限界を感じていたことがあります。中国は新たな病院が次々と設立されている状況で、ヘルスケア産業全体がすごい勢いで伸びていたので、心機一転、中国のヘルスケア事業に飛び込んでみようと思ったわけです。

ただ中国やアジア各国は地域の中で医療ニーズを満たすことができず、レベルの高い医療を受けるためには北京や上海などといった都会にまで飛行機で行かなければならない。それなら日本に来るのもあまり変わらないでしょう。

そういった医療のグローバル化について考えていたところ、鉄蕉会の創業家の方々も同じように考えられていることを知りました。ここまで回り道はありましたが、まさに運命的な出会いで同じ目標を持つ人たちとご縁があったことから、転職することを決めました。

――鉄蕉会の創業家の方々がそのように考えられるようになった背景には、どのような理由があったのでしょうか。

先代の理事長の頃は結核療養所を運営していて、関東の結核患者の方に鴨川へ来ていただき、そこで療養してもらうというモデルでした。その後、結核はストレプトマイシンと呼ばれる抗生剤が出てきて治る病気になりました。そこで経営を引き継いだ現理事長は、これからは日本全国から来ていただけるような病院にしなければならないと考えたそうです。それを実現するために、現理事長はアメリカの大学で心臓外科医として成功を収めていた外山雅章先生を口説き落とし、心臓外科のスペシャルチームのために病院を建てました。それが亀田総合病院の前身です。

当時は名だたる大学病院であっても、心臓手術の成功事例はわずかしかない状況でした。そのような状況の中、アメリカで成功を収めている外山先生に執刀してもらえるということで、多くの患者さんが集まりました。米軍基地からもヘリコプターで多くの患者さんが運ばれてきました。当時の亀田総合病院は浅田次郎の小説「天国までの百マイル」に描かれ、さらに映画にもなりました。この心臓外科の成功をきっかけに、脳外科やがん治療などに幅を広げ、現在の総合病院の姿になったわけです。

コロナ禍での本気の経営改善

――現在の業務内容を教えてください。

鉄蕉会に転職したタイミングはちょうどコロナ禍が始まった時期であり、わずか数ヶ月で赤字が膨れ上がるような状況でした。その中で中期経営計画を策定しつつ、赤字を縮小し、新型コロナウイルスに対応するための新規事業も立ち上げました。

また病院改善の基本はとにかくすべてを「見える化」することなので、診療科ごと、あるいはドクターごとに業績を見える化し、改善策を話し合います。伸びている領域をさらに伸ばすためのお手伝いもしています。

そのほか、患者さんの待ち時間を改善したり、優れた業務改善を表彰する制度を作ったりもしました。さらに医師として長く務めていただいた方に対し、独立を支援するといった取り組みも始めています。また、地震や津波などの災害への対策を強化するために新しい病棟を建設中です。
勤め始めてわずか1年半ですが、このようにさまざまなことに携わっていて、本当に楽しみながら仕事に取り組んでいます。

働き始めて何よりも驚いたのは、新型コロナウイルスの影響により、わずか数ヶ月で巨額の赤字が生じたことです。そもそも病院というのは、資本はそれほど厚くないため、赤字が膨らむと途端に経営が行き詰まってしまいます。そうした状況で、私はコストカットや赤字事業の見直しなどを進めました。おそらく、多くの方々は決して気乗りしなかったと思いますが、状況が切迫していたために「アイツの言うことを聞くしかない」と思っていただけたのではないでしょうか。お陰で、短期間に多くの改善を進めることができました。

この取り組みの中で、医療機器の購入も制限させていただきました。以前は医師がほしいと言えば何でも買うといった風潮でしたが、絶対に必要なものと投資回収ができる医療機器だけを購入対象として、それ以外の機器は審査を厳しくしました。こういったことを徹底したことで、「新しくきた事務屋は本気で経営改善をするらしい」と評判になりました。

※本インタビューに係る撮影のため、周囲確認の上、一時的にマスクを外していただいています。

変化に対応できない日本の医療制度

――地方医療の課題をどのように感じていますか。

先にお話したように、国が主導している医療は赤字削減と統廃合が大きなテーマになっていて、現場のモチベーションは全体的に非常に低くなっていると思います。
さらに問題は、公立病院に人材を高いお給料で集めてしまうことです。そうした人材が働かなくて赤字でも放置して税金を投入している状態です。また、新型コロナウイルスの感染が広がり、患者さんを受け入れてくれと言っても医師やスタッフには感染症の専門家ではないので受け入れられませんと拒否されてしまう。こういった矛盾が一気に噴出しています。

私たち亀田総合病院は、中国の武漢から日本に帰られてきた、第一陣の方々の対応をさせていただきました。それぞれの分野で一流の医師が最先端の医療を提供する、そういった意識があるため、大きな変化があっても対応することが可能です。

しかし日本の医療制度が見ているのは人口動態と疾病構造だけであり、大きな変化に対応することができません。それにもかかわらず、我々のような民間病院は来ていただきたい医師やスタッフを公立病院と同じか、より高いお給料で雇用しなければならないため、経営に苦労する状況が生まれています。地域で頑張られている民間病院は、みんな同じような悩みを抱えておられるのではないでしょうか。

社会貢献を実感できる職場

――地方で働くことの魅力をどのように感じていますか。

50歳を過ぎて残りの人生を考えたとき、満員電車に揉まれながら枯れていくような人生と比べると、すばらしい景色の中で周りからも期待されたり喜ばれたりしながら仕事ができるのは、とてもすばらしいことですし、自分の仕事が地域のみなさんのお役に立つかもしれないと思うとやりがいも感じます。

大きな組織の中で働いていると、社会貢献といっても実際の仕事の中で実感する機会はそうそうないと思います。しかし地方であれば、それを実感しながら働くことができる。それがやりがいにつながっています。

ただ自分は東京ではすごかったんだ、これまで大会社に勤めていたんだと、自慢ばかりしていると当然ながら嫌われます。現場の皆さんのお話をしっかり聞いて、一緒に汗を掻きながら仕事に取り組む、そういった姿勢が重要だと思います。そのように考えると、やっぱり人間が好きで、その地域に溶け込みながら仕事をしたいという気持ちが大切ですよね。

また特に大企業にいた場合、組織で物事を動かす習慣が身に付いていると思います。ただ地方企業の場合、組織は存在しますが、部長が言いました、上司の命令ですといっても、現場の人たちがパッと動いてくれるわけではない。肩書きをかなぐり捨てて現場に降りていき、いまどうなっているんですか、こういうことをやりませんかと直接話すことが必要になる場面は沢山あります。

私自身、1日病院にいて、机にいる時間は夕方以降だけです。それまではずっと現場で話しをしています。大企業の本社にいると、決裁書やレポートを書いたり、メールに返事をしたりすることに多くの時間が費やされますが、そうではなく、人と直接話して目標や思いを共有することに時間を割かなければ、現場はなかなか動いてくれません。私自身、どこまでやればうまくいくのか分からないなかでも、とにかくやり続けるしかないと感じています。

――最後に、今後の目標について伺わせてください。

創業家のみなさんが目標として掲げている、「東洋のメイヨー・クリニックになる」ことを目指して、日本全国と海外から広く患者さんに来ていただける病院にしていきたいと思います。

実は亀田総合病院は、Newsweek社が毎年発表するよい病院の世界ランキングである「World's Best Hospitals 2021」において世界第43位(日本では第3位)にランクインしています。国際的にも益々評価される病院となるために、これからも積極的に改善を進めていきます。

※本インタビューに係る撮影のため、周囲確認の上、一時的にマスクを外していただいています。

※本インタビュー内の写真につき無断転用などを禁じます。

FAポータル編集部にて再編