目次
~ 『電力崩壊』の問題意識 ~ 「原子力はしんどい」――。多くの関係者が口にする言葉だという。しかし幾多の苦難を乗り越えてでも、取り組まなければならない理由が日本にはある。 最近では、特に脱炭素、エネルギー安全保障の観点から、日本は原子力発電という選択肢を手放すことができなくなっている。2022年8月、GX(グリーン・トランスフォーメーション)実行会議において、原子力は再生可能エネルギーと並び「GXを進める上で不可欠な脱炭素エネルギー」と位置付けられた。 日本は既に半世紀にわたって原子力技術を利用してきた。やめるにしても続けるにしても茨の道だ。一番大切なことは、このしんどさから逃げずに、今後我々はこの技術とどう向き合うのかを議論することではないかと、竹内氏は問うている。 |
原子力に対する世界の潮目が変わった
竹内 エネルギー政策の議論で、日本では極めて頻繁に「世界の潮流は?」と問われる。他国の動きをこれほど気にする国はほかに無いのではないか。日本は、日本としてどうするのか、どうすべきか、ということを真正面から考えるべきだ。
なにしろ、日本は世界でとても特殊な国である。1億2000万人もの国民がいて、年間1兆kW近くの電気を必要としている。そんな電気の大量消費国は世界に5カ国しかない。にもかかわらず、石油も石炭も天然ガスも埋まっていない。国土の7割は山で、しかもモンスーン気候で偏西風も吹かない。太陽光や風力といった再生可能エネルギーのポテンシャルが高いとは言い難い。地熱のポテンシャルを全て開発したとしても火力発電所1基分あるかどうか。このことをしっかり認識することが、議論の前提となる。
竹内 純子/Sumiko Takeuchi
国際環境経済研究所 理事
デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社 マネージングディレクター
U3イノベーションズLLC共同代表
東北大学特任教授
稲垣 私は大手電力会社に新卒入社してすぐに原子力発電の現場に配属された。その後、本社に異動したが、ずっと原子力技術に携わっていた。
海外の国で、今まで原子力を使っていたがやめる選択をしたのはドイツぐらいではないか。ドイツは日本とは真逆の事情がある。ヨーロッパ各国と陸地で繋がっているので、いかようにでも電力が買えるため自国の原子力発電にこだわる必要がない。ただそのドイツですら、昨今の国際情勢の不透明さ、エネルギーセキュリティという観点から、原子力を捨て去ってしまうということには異論もあるようだ。事実関係をよく確かめなければならない。
稲垣 健一/Kenichi Inagaki
デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー マネージングディレクター
樋野 デロイト トーマツ グループのエネルギーセクターリーダーをしている。会計士として電力会社の会計や料金制度などが専門領域だ。
世界におけるエネルギーの潮流について言えば、エネルギー安全保障、カーボンニュートラルが最重要キーワードとなる中で、原子力発電所は増設の流れにある。特に中国、インド。意外に思うかもしれないが、産油地域である中東でも原発の新規建設が進んでいる。
そうした新設の事例を見ていると、原子力を市場原理で運営させる例はほとんどないことに気づく。少なくともマーケットとは別の仕組みで工夫している。原子力は、投資回収が超長期に渡るため至極当然と言える。例えば、英国では新規建設の原子力発電所を対象に、コストと適正利潤の合算から料金を算定するいわゆる「総括原価方式」を適用する方針。フランスでは、原子力発電所を運営する唯一の電力会社を完全国有化し、野心的に再生可能エネルギーの普及と、原子力発電所の増設を推進していく方針と見受けられる。英国でもフランスでも電力市場は自由化されているが、こと原子力に関しては「市場原理・民間企業任せ」の政策が転換されつつある。
樋野 智也/Tomoya Hino
有限責任監査法人トーマツ 日系企業サービスグループ カントリーリーダー/エネルギーセクターリーダー
Deloitte & Touche LLP (Singapore) プリンシパル
竹内 気候変動対策への気運が世界的に高まったことで、原子力にも大きな変化を及ぼしたと言える。各国の原子力政策の変化の要因として、ロシアのウクライナ侵攻の影響がしばしば挙げられるが、フランスのマクロン大統領が最大14基の原子力発電所新設を表明したのは、ウクライナ危機の直前であった。
ウクライナ危機後の2022年11月にエジプトで開催されたCOP27(国連気候変動枠組条約第27回締約国会議)に参加した時、環境NGOの人たちがバナナを配っている。何かと思って受け取ると、「バナナ1本に含まれるカリウムが発する放射線量は、原子力発電所の近所に1年間住むよりも多い。科学的根拠に照らして原子力を考えよう!」と言う。Nuclear for Climateという団体で、その主張は「気候変動のリスクと原子力を使うリスクを比べると、圧倒的に前者の方が高い。だから、原子力技術を有効活用すべき」というものだ。
新鮮だった。これまでのCOPでは、「再エネ増やせ!」「石炭やめろ!」といったシュプレヒコールがほとんどで、原子力の活用を訴えるNGOはせいぜいポスター展示程度だったから。気候変動のリスクと比較考慮することによって、原子力発電の価値が見直されていることを垣間見た。まさに世界の潮流は変わりつつある。
これは日本への教訓でもある。日本には確かに地震や自然災害のリスクがある。けれども、安全対策を施すことでどこまでリスクを下げられるのか、さらには地球温暖化のリスク、電気料金の上昇による産業競争力低下のリスク、家計への負担増リスク、等々、様々なリスクを比較考慮することによって建設的な議論を重ねるべきだ。
稲垣 世界の潮流でもう一つ。原子力関連の技術開発は、けっして止まることなく、しっかり進められているということ。小型新型炉の開発はその代表例だ。もちろん日本でも取り組んでいるのだが、スピード感や投資規模、政策的支援など様々な点で海外に後れを取っているように感じる。特に原子力に関しては、感情的な議論の中に埋没している感が強く、冷静なリスク比較論に至っていないというのが彼我の大きな違いではないだろうか。
日本は、長期にわたって原子力関連の技術を蓄積し、バリューチェーンを高い水準で確立してきた。しかし、蓄積するのは非常に大変だが、その努力が途切れれば一瞬で喪失してしまう。技術開発の面で、日本は世界の潮流に乗れていないのではないか――その点が心配だ。
原子力の安全性をいかに高めるか
竹内 福島第一原発の事故を起こしてしまった日本には、あのような事故を二度と起こさないために原子力の安全性を徹底的に追求する重い責務がある。これは事故後の共通認識で、安全規制が抜本的に見直された。しかしその安全規制に多くの課題が見受けられる。
原子力の安全性に一義的に責任を負うのは事業者なのだから、事業者の創意工夫が制度や仕組みにもっと活かされるようにしていくべきだ。事故前も今も、規制を作って監督すること、規制を守って報告することが目的化してしまい、改善が進まない構造に陥っていないかが懸念される。
稲垣 自分自身の反省を含めて、原子力の安全を確保するための議論は、事業者が率先して行うべきだと思う。それをベースとして、官民一体となって建設的な議論を重ねていくことが重要だ。
竹内 日本の規制行政には「お上」と「下々」という構造や意識があり、原子力規制は事故後それがさらに強くなったように見える。米国を見ていると、原子力規制委員会と原子力発電事業者の間を人材が頻繁に行き来している。規制される側が明日は規制する側に立つ。その逆もある。そういう流動性があった方が、安全性の確保や事故の再発防止に関して建設的な議論につながりやすいのかもしれない。日本は規制側と事業者がコミュニケーションをとることを、癒着につながるとして徹底的に排除したが、安全性を高めて技術を使いこなすという共通の目標のもとで緊張感ある「協働」が必要だ。
電力自由化でコスト競争に突入した一方で、安全対策のコストは天井知らずであり、万が一事故が起きたときの賠償責任は無限のままだ。市場原理でそれらを両立させろと民間事業者に丸投げするのは無理がある。
樋野 中長期的にあるべき規制は何かを考えられる仕組みが必要だ。例えば、安全ルールを決める委員会の席を事業者が半分ぐらい占めていたほうが良いかもしれない。お手盛りになってはいけないが、現場視点が欠けた規制をかけると、どうしても現場での運用に無理や無駄が生じてしまう。
電力会社で原子力の現場に立っている方々とお話しさせていただくと、皆さん、安全対策をもっと徹底的にやりたいという想いを感じる。事故防止が第一の目的だが、安全対策をしっかり打てば稼働率が上がって電力システム全体の運用を安定化することもできるから。問題は、そのための投資をきちんと回収できるのかということ。競争環境下に置かれた民間企業としては、採算性を度外視することはできない。
稲垣 安全のためなら採算を度外視してでも投資するだろうという性善説では難しい。安全性と採算性のコンフリクトを解消するためには、フランスのように国営化またはそれに準ずる程度の国の関与についても検討する余地があるのではないか。
竹内 原子力の安全に関わるコストはプライスレスであって、そこは市場や競争からは切り離すという制度設計が必要なのだろう。火力、水力、風力、太陽光などと同列に発電技術の一つとして扱うのは無理がある。国家の覚悟が問われる特別な技術だ。
制度再設計の具体的な議論へ
樋野 原子力の特性として「3E」(安定供給:Energy Security、経済効率性:Economic Efficiency、環境適合:Environment)が言われてきた。海外への化石燃料依存度が極めて高い日本では、原子力はコストをコントロールしやすいことも大きいが、最近の国際情勢を踏まえると特に「安定供給」と「環境適合」の二つの重要性が増している。
日本の場合は原油、石炭、天然ガスを航路で運び入れている。原子力の燃料である濃縮ウランも輸入頼みだが、産出地域の偏在がない上に、エネルギー密度が高いため常に3年分程度の備蓄がある。
残念ながら、こうした特性を持つ原子力を代替できる選択肢が日本には他にない。それを前提に制度設計を進めていく必要がある。
竹内 2011年3月11日金曜日の午前中にやっていた仕事を思い出した。
当時の政権が極めて高いCO2削減目標を掲げ、首相が国連総会でそれを宣言した。2020年には1990年比25%削減という目標を満たすために、当時の政府は10年で9基、20年で14基の原子力発電所を新設するという計画を示していた。国内で原子力発電所立地に対する地域の理解を得るのがどれほど困難であるか、現実を無視した話だった。しかし首相が国際社会に宣言した目標には辻褄を合わせなければならない。そこで電力会社としては、経済成長著しい東南アジアで日本からの技術協力によって原子力発電所を建設し、削減できるCO2排出量の一部を日本の削減量としてカウントするというスキームを検討することとなり、担当としてレポートにまとめていた。
しかし、週末に福島第一原子力発電所事故が一気に深刻な状況になり、週が明けると状況は一変した。
あれほどの事故を起こした責任は極めて重大であり、世論が脱原発に一気に傾いたことは当然だとも言える。しかし、資源に乏しい島国・日本にとって原子力が必要だったから終戦後わずか10年で原子力基本法が定められ、多くの先人たちがその導入に汗をかいてきた。一気にゼロにすることを求める声には違和感と危機感を覚えた。そんな議論には必ずどこかに誤認や嘘があるし、多くの人をリスクにさらすことになる。国益を考えて原子力発電所を受け入れてくださった立地地域の方々にも無礼なことだとも思った。
技術には利用に伴うリスクもあるが、利用しないことによるリスクもある。原子力を使わないリスクを誰も見向きもしない状況に違和感を覚え、エネルギー政策論を学び、考えたいと思った。それが電力会社を辞めて独立した理由だ。
それ以来、現在に至るまでに、電力自由化があり、気候変動対策の気運の高まりがあり、ウクライナ危機があった。月々の電気代が急上昇したことで一般消費者にもエネルギー問題への関心と危機感が広がった。原子力を選択肢から外してしまうことのリスクについて、冷静に語れる空気がようやく戻ってきたように感じる。
ただし、課題解決のための議論はこれから。安全に対するコストのリミッターを外すならば、原子力を市場原理の世界に置くべきなのか、民間の電力会社に無限の賠償責任を負わせている現行の原子力損害賠償制度を見直す必要はないのか、といったように議論すべきことは多い。。現状では原子力発電事業の予見性が低すぎる。
樋野 それが米国で実際に起きている。米国のある電力会社の社長は、「個人的には原子力が必要だと思うが、民間企業の経営者としては投資に踏み切れない。私企業が負うリスクとしては大きすぎるからだ」と話していた。米国でも電力市場が自由化された州で原子力発電所が新設されたケースはない。責任の上限を定めるか、国がなんらかの形で分担するような制度設計が必要だ。
竹内 戦後、原子力を導入した時の政府には、今よりも覚悟があった。日本が原子力基本法を制定したのは1955年。原子爆弾を2発も落とされ、原子力に対する嫌悪や恐怖がどこの国よりも強かったこの日本で、終戦から10年で原子力エネルギーを使って国を再建し、国民を豊かにしていくという決断に至ったことは、為政者の覚悟が無ければなし得なかったはず。たとえ、諸々の皮算用、米国の戦略やプロバガンダがあったにせよ、である。
GX実行会議の委員の方々も、「原子力はやはり必要だ」と口々におっしゃったが、供給力確保や化石燃料の高騰に対するレジリエンス確保、カーボンニュートラルを目指すのであれば、もはや必要性に関して議論の余地はないだろう。誰がいかに担うのか、安全性をいかにして高め国民に貢献する電源となるのかを議論する必要がある。規制のあり方、事業者の投資促進、賠償制度や自治体が主体となっている原子力防災に国がどう関与していくか――等々、具体的な制度設計を進める段階に来ている。
樋野 制約条件をいったん取り払って、日本にとって一番あるべき姿を議論すべきだ。
稲垣 リスク分担や事業性に関する予見性が重要なのは、企業や投資家に対してだけでなく、原子力を支える人材に関しても同じだ。昨今、原子力工学を学ぶ学生が減っている。原子力のような超長期のエネルギー事業に関しては、国が明確に方針を固めて予見性を示さないと、人も企業もお金もついてこない。このままでは、何も無くなってしまいかねない。
【最後に一言】
稲垣 健一
「未来のためにゼロベースかつ主体的な議論を!」。日本の電力を担っている事業者こそが、主張すべきことを主張すべき。
樋野 智也
「原子力事業をサステナブルにするための実施体制を構築すべく、選択肢に柔軟性を付与する方法論に関して議論を開始する」。
竹内 純子
「国の覚悟」がすべての原点。
※本文中の意見や見解に関わる部分は私見であることをお断りします。
(聞き手・構成=水野博泰 DTFAインスティテュート 編集長/主席研究員)
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