経済安全保障がグローバルビジネスの最重要課題となる中、欧州連合(EU)では、米国に事実上独占されている決済インフラが政治的な武器(レバレッジ)になりかねないという強い危機感から、過度な対米依存から脱却し、「金融・決済主権」を確立する動きが加速している。こうした地政学リスクに対処すべく、欧州はデジタルユーロの導入や独自の決済網の構築、金融市場の統合など、自律的なインフラ整備を進めている。本稿では、EUの決済環境とEUが直面しているリスクを概観し、主権確立に向けた議論の動向を紐解く。

はじめに

 

地政学的な緊張が高まり、ルールに基づく国際秩序が揺らぐ中、他国への過度な依存を低減する経済安全保障の確保は、もはや国家の死活問題となっている。

 

新型コロナウイルスのパンデミック以降、その関心の多くは「物資(モノ)」の貿易に向けられてきた。しかし、近年EUでは、サービスやテクノロジーに潜む依存リスクが表面化している。米国が自らの経済力やインフラを交渉の武器として躊躇なく行使する姿勢を見せるなか、サービス分野における「デリスキング(リスク低減)」が欧州政治の最優先課題へと一気に押し上げられた。

 

なかでも欧州が最大のリスクとして危機感を募らせているのが、決済システムにおける米国企業の圧倒的な優位性である。現在、EUにおける日常的な取引(金額ベース)の過半数をカード決済が占めているが、ユーロ圏におけるカード決済市場の約3分の2を米国企業の2社が握っている(※1)。

 

この構造的な脆弱性を背景に、欧州の政策当局者の間では、米国主導の決済ネットワークへの過度な依存は安全保障上の脅威だとみなし、欧州独自の代替手段の構築、すなわち「金融主権(Financial Sovereignty)」を早急に確立すべきという認識が広がっている(※2)。

 

欧州中央銀行(ECB)のラガルド総裁は、基軸通貨としての米ドルの地位がもはや絶対的とは言えなくなりつつあるなかで、EUが直面する喫緊の課題として、①米国の金融インフラ依存からの脱却、②域内改革とアジェンダの遂行、③ユーロの国際的競争力の向上、の3点を挙げた(※3)。

 

なぜ、欧州において決済主権の確立を求める機運がこれほどまでに高まっているのか。

 

本稿では、EUの決済環境の現状と直面しているリスクを概観しながら、決済主権をめぐる議論と具体的な対抗策の動向を整理する。

 

なぜ今、決済主権なのか

 

欧州において決済主権の確保が急務とされている背景には、米国の対外姿勢がもたらす複合的かつ差し迫った3つの要因が存在する。

 

第一に、米国の金融インフラへの過度な依存とそれに伴う金融の武器化リスクに対処するという、地政学・安全保障上の要請である。大局的に見れば、決済主権を追求するこうした動きは、戦略的セクターにおける欧州の自律性を強化しようとするEUのより広範な政策議論の一貫として位置づけられる。

 

しかし、昨今の欧州同盟国への強硬姿勢は、これまでの米国の安全保障のコミットメントという前提を根本から揺るがしている。そのため、米国の決済システムへの依存は、米政府に政治的・経済的なレバレッジを与えることに等しく、欧州では対米依存を早急に低減する必要があるとの認識が広がっている。

 

実際、欧州議会の委託調査(2026年)では、現行の米国法および強力な行政権限の下では、米国に本社を置く重要な決済インフラへのアクセスは、一方的に「制限(restrict)、条件付け(condition)、あるいは抑制(discourage)され得る」と警告している。具体的には、国際緊急経済権限法(IEEPA)に基づく財務省外国資産管理室(OFAC)の行政措置や米国の敵対者に対する制裁措置法(CAATSA)などといった直接的なカードに加え、米政府の政治的シグナルに忖度した民間事業者による先回り的なコンプライアンス圧力を通じて行われ得ると指摘している(※4)。

 

とりわけ注視されているのは、こうした措置が発動される速度とその射程である。米国は、国家非常事態の枠組み外であっても、大統領令を通じて連邦機関を動かし、制裁を間接的に作動させる形で、企業に先回りの行動を促すことが可能だ。近年の米国の立法アジェンダは、より米国ファースト的な「主権重視(sovereigntist)」へとシフトしているため、欧州の戦略的不確実性を一層高めている(※5)。

 

特筆すべき点として、同調査報告書は、ウクライナ戦争下でロシア等に対して発動された金融制裁も、欧州に自らのチョークポイント(急所)を強く意識させる契機となったと指摘している。EU自身もこの制裁の支持者であったにもかかわらず、ロシアやベラルーシの銀行をSWIFT(国際銀行間金融通信協会)システムや欧米の広範な金融システムから締め出したことは、金融・技術上のチョークポイントがステイトクラフト(政治・外交戦略)と権力政治の強力な武器となったことを示した。無論、EUに対して同様の措置(金融システムからの全面的な遮断)が採用されることは、政治・経済・法的な観点から現実的ではないが、欧州の一部のアナリストは、「より的を絞った介入」の可能性は排除できないとしている。これはEU全体を対象とするのではなく、例えばデジタル分野の規制をめぐって欧米間に対立が生じた際に、米国市場やドル決済ネットワークへのアクセスを交渉カードとして使うなど、特定の局面・対象を限定した介入を指すものである。

 

第二に、よりマクロな視点から俯瞰すれば、多国間の金融・経済協調の弱体化や、ルールに基づく国際秩序の揺らぎが、このような構造的依存に伴うリスクを増大させている。米国の政策的優先順位の変化などにより、これまで同国が提供してきたグローバルな金融セーフティネットが十分に機能しなくなれば、欧州は自ら制御できないショックに直面し、その影響が金融部門から実体経済へと波及しかねない。こうした状況は、物理的な財の市場のみならず、サービス分野においてもデリスキングを行い、レジリエンスを構築する必要性を示している。

 

事実として、近年、世界の金融システムでは分断が進みつつある。この動きは(ただしこれに限定されないが)主として米国の経済制裁の対象となっているロシア、イラン、そして中国などがけん引している。これらの国々は、独自の代替的な決済手段の確立や人民元などの代替通貨の利用拡大を通じて、対米依存からの脱却を目指す(※6)。さらにインドも、国家主導で即時決済インフラである「統合決済インターフェース(UPI)」を立ち上げ、一部の国に向け国際展開を進めるなど、独自の決済インフラ網を拡大している。

 

第三に、米国の巨大テック(big tech)への懸念がある。EUと米国のデジタル規制をめぐる対立の文脈の中で、米国の決済システムへの依存は、データ保護のリスクをもたらす。巨大テック企業が、膨大な消費者の情報を保有(支配)することは、それらの企業に前例のない市場支配力を与えかねないからである。

 

実際、技術規制、デジタル市場へのアクセスと課税、そしてデータ主権は、米国とEU間で火種となっている。米政権は、米国企業をEUの規制・課税から保護しようと努めており、EU一般データ保護規則(GDPR)、デジタル市場法(DMA)、デジタルサービス法(DSA)の大幅な見直しを要求してきた(※7)。匿名化・半匿名化に関する規定、特に決済情報の販売に関連する規制は、欧米間でかなりのギャップがあり、これが大西洋間の対立における大きな論点の1だ(※8)。

 

こうしたデータの独占・流出という懸念に加えて、決済インフラの対外依存に伴う手数料の域外流出も無視できない問題だ。OECDのサービス貿易均衡(BaTIS)のデータベースによると、2024年における米国の対EU金融サービス輸出額は453億ドルであったのに対し、同分野における輸入額はわずか163億ドルにとどまり、結果として米国側に290億ドルの黒字が生じている。

 

加えて、EUの決済主権追求の動きは、域内の競争力強化というアジェンダと本質的につながっている。米国と比較すると、欧州の決済システムの大きな弱点の1つは、域内市場の分断と自己資本の相対的な不足にある。EUは、資本の最適な配分を促し、貯蓄を投資へと適切に振り向けるために、自らの金融アーキテクチャの近代化と統合を図ろうとしている。こうした課題を乗り越えるための主要なプロジェクトが、欧州の銀行・資本市場を統合するための「銀行同盟(Banking Union)」と「貯蓄・投資同盟(Savings and Investments Union:旧資本市場同盟)」である。さらに、欧州中央銀行(ECB)が2021年から取り組んでいる「デジタルユーロ」の導入(※後述)も、この金融・決済主権の確立に向けた広範なイニシアティブと強く結びついているのである。

 

EUの決済環境

 

次に、EUの決済環境の現状を概観する。

 

1.キャッスレス化の進展とカード決済の普及

新型コロナウイルスのパンデミックを契機に、EUではオンライン決済と店頭決済でのキャッシュレス決済の比率が大幅に上昇した。日常的な取引(金額ベース)におけるオンライン決済の割合は、2019年から2024年の間に18%から36%へと倍増している。同期間において、店頭決済に占めるカード決済の割合自体は、43%から45%の微増にとどまった一方で、現金決済の割合は47%から39%へと低下し、代わりにモバイル決済アプリが全体の7%のシェアを占めるまで成長した。

この結果、ECBの調査によれば(※9)、2024年のユーロ圏では、金額ベースで消費者の日常決済(金額ベース)の45%をカードが占める。さらにEU全体でみると、日常取引に限らず、すべての決済を対象とした場合、カード決済は最も広く利用される電子決済手段となっており、2025年には非現金取引が全体の57%を占めている(※10)。

少額の買い物には依然として現金が定期的に使われているものの、50ユーロを超える支払いやオンライン決済においては、すでにカードが圧倒的な主要決済手段となっている。

 

2.米国企業の優位性と欧州決済網の分断

カード決済市場において圧倒的な優位性を有しているのは、2社の米国企業である。2022年のユーロ圏内における域内カード決済のうち、加盟国独自のブランドが占める割合は約39%であったが、ユーロ圏外で受け付けた決済を含めると、その割合は36%に低下する(※11)。これは実質的に、米国企業2社がユーロ圏の域内決済市場の61~64%を占めていることを意味する。さらに、この数字は「ユーロ圏内で発行されたカード」による決済に限定されたものであるため、域外発行カード利用を考慮すれば、米国企業の実際の市場シェアはこれを上回ると推定される。

米国企業が優位性を維持している背景の1つとして、欧州の決済システムが小規模かつ分断されている点が挙げられる。EU加盟国のうち9か国が独自の国内カード決済スキームを運営しているものの、その市場シェアは低下傾向にある。その要因として、①利用可能な地理的範囲の制約、②提供機能の限定性、③システム上の制約が指摘される。まず、多くの国内カード決済スキームは国内取引に限定されており、越境利用が困難であるため利便性に欠ける。また、提供機能についても、デビットカードやプリペイドカードにとどまり、クレジットカード機能を備えていないケースが多い。さらに、ベルギーのデビッドカード決済システムである「バンコンタクト」に代表されるように、銀行間の口座振替として機能するスキームもあるが、利用可能範囲が限定される。こうした制約を補完するため、例えばベルギーでは国内スキームと米国カード会社の機能を組み合わせたカードを発行する銀行が多くみられる。

 

3.モバイル決済・決済処理市場の現状

オンラインウォレットや決済アプリの市場シェアは、相対的には依然として限定的であるものの、EU域内で急速に拡大している。ただし、この分野においても非EU系の事業者が主導的な地位を占めているのが実態である。

一方、カード取引においては、アクワイアラ(加盟店管理会社)とイシュア(カード発行会社)の間に位置し、カード決済の承認・処理を担うプロセッサー(決済処理会社)が置かれた状況はより複雑である。

EU域内には、111の決済処理会社が存在するが、そのうち複数国にまたがって事業を展開しているのは4社にとどまる。これらの決済処理会社の多くは、EU域内に拠点を置く企業によって所有されているが、非EU系事業者も相当規模の株式を保有しており、強い影響力を持つ。

ECBによれば、複数のEU加盟国で事業を展開する上場決済処理会社の中で、EU投資家によって完全に所有されている企業は存在しない(※12)。他方、単一の加盟国で事業を行うローカルな決済処理会社については、その大半がEU主体によって所有されている。

 

決済主権を確保するための解決策とは

 

現在、欧州において議論されている「決済主権」を確保するための解決策について、以下の4つから考察する。

 

①欧州決済イニシアティブ(European Payments Initiative:EPI)

②デジタルユーロ

③市場統合

④域外適用

 

1)欧州決済イニシアティブ(EPI)

最も直接的な解決策は、国境を越えた取引に利用可能な「欧州の決済システム」を開発することである。過去にも、欧州独自の汎欧州リテール決済ソリューションを開発すべく、2008年に、欧州の20の銀行が、「モネ・プロジェクト(Monnet Project)(※13)」を立ち上げたが、2012年に頓挫した経緯がある。

 

その後、2020年に欧州の主要な銀行および金融サービスによって、「欧州決済イニシアティブ(EPI)」が立ち上がった。EPIは、「Wero」と呼ばれるデジタルウォレットを通じて、あらゆる形態の個人間(P2P)送金および小売取引に対応する決済システムの構築を目指す。Weroは即時の口座間決済(A2A)を基盤としており、従来の決済チェーンに介在する仲介業者と、それに関連するコストの排除を目的としている。Weroユーザーは、連携金融機関の既存のモバイルアプリやWero専用アプリを通じ、携帯の電話番号、QRコード、メールアドレスなどを利用して即時送金を行うことができる。Weroは現在、ベルギー、フランス、ドイツなどで、4850万人のユーザーを獲得しているとされ、2027年までにオンライン決済や店頭決済への本格展開を計画している。

 

さらに2026年2月2日、EPIは、イタリア、スペイン、ポルトガル、北欧など各国の決済システムが参加する「欧州決済同盟(EuroPAアライアンス)」と覚書(MoU)を締結した。Weroを中核として、各国の口座間決済を相互接続する構想であり、これが統合されれば、13カ国にまたがる約1億3,000万人のユーザーがつながることになる。これはEUおよびノルウェーの人口の約72%をカバーする規模である。

 

一方で、Weroの決済スキームは、伝統的なカード決済というよりも、巨大テック企業が提供するモバイル決済に近い性質を持っているため、これ単体では米国のカード会社と同等の機能や国際的な相互運用性の提供は困難である。

 

モネ・プロジェクトの失敗が示すように、民間主導のイニシアティブは参加主体間で共通の標準化に向けた足並みが揃わず、規模の拡大に苦戦してきた。また、欧州ではインターチェンジ手数料(加盟店手数料の一部)に法的な上限が設けられており、これが決済サービス業界の収益性を構造的に制限している。そのため、企業が新たな決済システムを構築するための投資に対する回収を見込みにくく、新システム開発への投資意欲を阻害する要因となっている。

 

2)デジタルユーロ

こうした背景から、ECBは、デジタルユーロの導入が、既存のシステムよりも主権的かつ効率的な新たな決済の選択肢になると主張している。

 

デジタルユーロは、ECBが発行を計画している中央銀行デジタル通貨(CBDC)である。これは現金や既存の銀行サービスを代替するものではなく、補完するように設計されている。2025年10月に発行方針が公表されて以降、導入に向けた準備作業が進められている。

 

現在の提案によれば、欧州の消費者は専用のウォレットでデジタルユーロを保有し、専用のカードやアプリを通じてオンラインおよびオフラインの双方で決済を行うことが可能となる。このシステムは、ECBが基盤となるインフラを提供する一方で、銀行や決済サービスプロバイダーが顧客に対してデジタルユーロのサービスを提供する「二層構造」を想定している。

 

ECBはデジタルユーロの開発と並行して、2026年3月に新たな包括的決済戦略(The Eurosystem’s comprehensive payments strategy)を発表した(※14)。これには、トークン化や分散型台帳技術(DLT)などの新興技術に対応するための2つのネットワークインフラの構築が含まれる。第一の「Pontes(ポンテス)」は、既存の決済インフラと新たなDLTプラットフォームを接続するシステムである。第二の「Appia(アッピア)」は、欧州におけるトークン化された金融市場の未来を形作るための戦略的ロードマップおよび長期的イニシアティブであり、DLTとトークン化のホールセール(大口)金融への統合を目指すものである。

 

ECBの狙いは、個人間送金や小売り決済のみならず、企業間(B2B)取引やクロスボーダー(越境)決済をも網羅するこの技術主導の新たな決済環境の中に、ECBが保証する「中央銀行マネー」を確固として根付かせることにある。さらに、デジタルユーロの導入により、あらかじめ設定された条件が満たされると仲介者を介さずに契約が自動実行される「スマートコントラクト」など、革新的な新しい金融ツールの活用も可能となる。

 

欧州議会の経済・金融委員会(ECON)は、同年6月23日、デジタルユーロに関する規則案を承認した(※15)。これにより、欧州議会および加盟国間におけるプロジェクト実施の合意に向けて大きな前進を見せた。同委員会のオーロール・ラルク委員長によれば、デジタルユーロは「将来的に、欧州版の米国製クレジットカードに相当するものを構築するための基盤を提供する可能性がある」という(※16)。

 

しかしその一方で、デジタルユーロの導入については、主に以下の理由から、加盟国や政治からの反発もある。

 

  • 主権と民主的統制への懸念:一部の加盟国は、ECBの権限が過度に強化されることに対して懸念を表明している。また、ECBは「選挙で選ばれたわけではない官僚」によって構成されているとの批判もあり、こうした権限の集中は民主的な監視(democratic oversight)の観点からも問題視されている
  • 金融安定性への影響:無料のデジタルウォレットの普及により、EU市民が巨額の資金を市中銀行から引き出し、直接中央銀行(デジタルユーロ)へと移転させることが可能になり得る。これは現在の二層構造の銀行モデルを脅かし、民間セクターへの信用供給(貸出)を制限して、国内銀行の資金調達問題を引き起こす可能性がある。このリスクを軽減するため、ECBはデジタルウォレットの保有上限を3000ユーロに設定することを提案しているが、この低い上限額は、特にB2B取引におけるデジタルユーロの実用性を低下させる可能性がある
  • 金融機関による圧力:一部の銀行や金融仲介機関は、デジタルユーロによって自らの収益基盤が奪われビジネスが立ち行かなくなるとして、本提案に反対するロビー活動を行っている
  • 効果の限界:現行の設計において、デジタルユーロは汎用的な日常決済手段としてよりも、より高度かつ専門的な決済のユースケースに焦点を合わせている。そのため、米国の決済システムへの依存を短期間で解消する特効薬にはなり得ず、欧州域内、とりわけ国際的な普及には相応の時間を要すると見られている

     

また、デジタル化は、技術的論点にとどまらず、政治的な対立軸へと転化しつつある。その象徴が「現金を利用する権利運動(right to cash movement)」の台頭だ。地方の保守的や低所得層を中心に、金融のデジタル化は「欧州の生活様式(the European way of life)」に対する脅威であると位置付けられ、その行き過ぎに対する抑制が求められている。

 

さらに、「ドイツのための選択肢(AfD)」や「オーストリア自由党(FPÖ)」などの一部の右派政党は、ECBがデジタルユーロを通じてEU市民を監視・支配するのではないかとして、潜在的な監視社会化への疑念を呈している(※17)。ECBおよび欧州議会の関連委員会は、デジタルユーロのガバナンスは高水準のプライバシーを担保するものであると説明しているものの、こうしたナラティブの広がり自体が、欧州における金融デジタル化が「文化戦争」の争点と化していることを示している。

 

こうした政治リスクを緩和すべく、欧州議会は、ユーロ紙幣・硬貨の法定通貨としての地位のさらなる明確化を進めており(※18)、ユーロ圏各国に対して、現金へのアクセス維持とデジタル決済障害への備えを義務づけようとしている。しかしながら、こうした制度的対応をもってしても、欧州政治における分断要因としての争点化を和らげ、極右勢力の台頭の抑制には至っていないのが実態だ。

 

加えて、デジタル化の加速は、より広範な安全保障上の問題も提起する。キャッシュレス・システムは、サイバー攻撃や、データセンターおよびエネルギーインフラに対する物理的攻撃によって機能を麻痺させられやすく、格好の攻撃標的となり得る。さらに、デジタル基盤の普及は、取り付け騒ぎ(バンクラン)をより急速かつ破壊的なものにするリスクも孕んでいる。

 

3)市場統合

エコノミストを中心に、EUは金融セクターにおける市場統合の深化に注力すべきであるとの議論もある(※19)。金融分野における欧州の統合水準は相対的に低く、加盟国ごとの障壁が、企業による多国間システムの運営を妨げていると指摘する。


この分断の深刻さは、米国と比較するとより顕著になる。欧州委員会によると、欧州には300を超える証券取引所、14の精算プラットフォーム、28の証券集中保管機関(CSD)が存在する(※20)。これに対し、米国には主要な精算プラットフォームが5つ、CSDは1つしか存在しない。エコノミストが指摘する通り、欧州におけるこうした金融市場・インフラの乱立は、単なる非効率にとどまらず、貯蓄および投資の分断、発行体のコスト上昇、余剰貯蓄の非効率な配分、欧州金融機関の競争力低下、そして一部の重要サービスにおける非欧州インフラへの強い依存を同時に引き起こしている(※21)。市場の統合が進めば、より大規模で効率的な市場が創出され、市場ベースの汎欧州的な決済システムが出現する余地も広がるだろう。


こうした問題意識こそが、「銀行同盟」や「貯蓄・投資同盟」の立ち上げの契機となった。しかし、いずれの構想も依然として未完のプロジェクトにとどまっている。銀行同盟は一定の進展を見せたが、欧州の銀行市場はなお分断されており、大部分が加盟国レベルで規制されている。また、貯蓄・投資同盟はフォン・デア・ライエン欧州委員長の政治アジェンダの中核に据えられているものの、大半の主要加盟国が金融・銀行規制に関する自国主権の放棄に強く抵抗しているため、目立った進捗は見られていない。

 

4)域外適用

欧州議会の報告書は、EU域内市場で活動する非EUの決済サービス事業者に対して、EU法の「域外適用」の範囲を拡大すべきだと提案している。この背景には、制度上の抜け穴が存在する。現状、EUはインターチェンジ手数料規則や改正決済サービス指令(PSD2)を通じて域内の事業者を規制することはできるが、EU子会社の親会社がEU域外に拠点を置く場合、その親会社自体はこれらのルールに拘束されない。


このような法の空白は、欧州にとって重大なリスクとなり得る。例えば、外国政府が制裁や関税、その他の政治的手段を用いて親会社に圧力をかけた場合、その親会社は自社のEU子会社に対して、EUの規制基準ではなく母国の地政学的・戦略的目的に沿った形での事業方針の変更を強制できるからである。このリスクに対抗するため、欧州議会の調査報告では、企業サステナビリティ・デューデリジェンス指令(CSDDD)など他の規制分野と同様に、EUが自らの法的枠組みの適用範囲を親会社にまで及ぼすことが選択肢として提示されている(※22)。


ただし、こうした手法は現在の地政学的環境下では相当の政治的リスクを孕んでいる。ステイトクラフト(政治・外交戦略)の多くの事例が示すように、仮に防御を目的とした手段であっても、相手国からは「攻撃的な脅威」と受け取られ、結果として報復措置の連鎖を引き起こす恐れがある点には留意が必要である。

 

決済主権に対する反論

 

欧州における決済主権確立に向けた動きに対しては、政治的な反発以外にも、コスト面や米国依存の是非に関する反論も存在する。

 

第一に、現行の決済システムの完成度に対する評価に基づく反論である。米国の決済システムは、世界中のどこでも比較的低コストで利用可能な決済網(ネットワーク)を提供しており、これを新たに再現することは容易ではない。そのため、欧州独自の決済システム構築を志向することは、欧州の企業や消費者にとって、かえって割高で利便性に劣る仕組みを抱え込む結果になりかねないという指摘である(※23)。

 

第二に、欧州が米国に依存しているのは決済システム「全体」ではなく、ごく一部の領域(レイヤー)にすぎないという構造的な観点である。現在の決済システムは、主に以下の4つの層に分解して捉えることができる。それぞれの層において、関与する企業、競争の力学、そして「主権」という観点の重要性は大きく異なる。

 

  • 第1層:スキームとレール(決済ルールと基盤の策定)
  • 第2層:処理(プロセシング)と加盟店管理(実際の資金移動の実行)
  • 第3層:顧客とのインターフェース(スマートフォン上の決済アプリやデジタルウォレット)
  • 第4層:銀行間の送金・決済

 

上記の4つの層のうち、欧州が実質的に米国に依存しているのは第1層の「スキームとレール」のみであり、ここを米国のカード会社2社が独占している。

 

一方で、第2層の「処理(プロセシング)」には多数の欧州企業が存在する。取引を承認し、口座間で資金を移動させるための技術的インフラは、その大部分を欧州企業自身が構築・所有し、運営している。

 

さらに、第3層の「デジタルウォレット(決済アプリ)」における対米依存についても、それは見かけ上のものにすぎないとの指摘がある。なぜなら、ウォレット提供事業者は、手数料水準を設定するわけでも、資金の精算ルールを定めるわけでも、紛争時の責任の所在を決定するわけでもないからである。決済アプリはあくまでユーザーの「入口(フロントエンド)」として機能しているにすぎず、決済の仕組みそのものを支配しているわけではない。

 

たしかに、決済アプリを提供する巨大テック企業が市場で強力な影響力を持つことについて、EUの「金融主権」という安全保障・地政学上の問題と切り離し、「公正な競争の阻害」や「プラットフォーム規制」の次元で扱うべきだとする見方もある。

 

しかしながら、たとえ対米依存が特定の領域に限定されているとしても、決済インフラにおける「入り口(顧客接点)」と「コア(決済ルールと基盤)」となる領域を域外の企業に握られているという構造的な脆弱性に変わりはない。平時においては、競争政策の論点にすぎないように見えたとしても、地政学的な緊張が高まるグレーゾーン(平時と有事の境界が曖昧な状態)においては、この特定領域への依存自体がチョークポイントとして武器化されるリスクを常に孕んでいる。そのため、この構造的リスクの存在こそが、包括的な金融主権の確立を急ぐ欧州の危機感となり、その動きをさらに加速させる推進力となっているのである。
 

おわりに

 

決済主権をめぐる欧州の議論は、米国への一方的な技術的・金融的な依存が、NATOの同盟国間においても、深刻なリスクとして認識されつつあることを示している。ルールに基づく国際秩序の弱体化と、金融ネットワークが政治的な力のツールとして武器化されている現実は、相互に深い不信を生み出している。金融統合は長らくグローバル化の中核を成す領域であったが、いまや、対外的な相互依存に伴うリスクを減らすために、その統合をある程度巻き戻そうとする動き(デリスキング)が強まっている。このような動きのいくつかにおいては、国家主権やリスク管理に基づく判断が、経済合理性よりも優先される。

 

この種の決済インフラへの依存リスクは、システム障害やサービス停止といった事業上のリスクにとどまらない。膨大な機微データがネットワーク上で処理・送信されることに起因する、データセキュリティおよび国家安全保障上の重大なリスクをも伴う。加えて、決済手数料等の資金が海外へ流出することに伴うデジタル赤字の問題も看過できない。

 

無論、強固な日米同盟を安全保障の基軸とする日本においては、米国システム依存からの脱却を直ちに政策アジェンダとして掲げる状況にはない。しかし、あらゆる経済活動がデジタル上で行われるなかで、決済システムを他国に依存し続けることへの潜在的リスクは計り知れない。『Global Payments Report 2026』によれば、現に、日本の主要な決済手段であるクレジットカード市場(2025年時点でEコマース取引額の58%以上、店頭決済の35%を占める)において、米国系ブランドのシェアは6割強に達しており、決済インフラの大部分を米国企業に依存しているのが実態である。日本としても、かつて「円の国際化」が国家の戦略課題として議論されたように、デジタル全盛時代におけるリスクマターとして議論を整理しておく必要があるだろう。

 

また、実務的な観点からも、EUにおけるこれらの動向を注視すべきであり、その理由は主に以下の3点に集約される。

 

第一に、EUによる解決策(欧州独自の決済網の導入など)が今後数年で具体化するにつれて、欧州で事業を展開する日本企業は、現地の新たな決済システムへの対応および統合を迫られる可能性がある。そのためEUの制度的・技術的動向を早期に把握しておくことは、将来的なシステム統合に伴う移行コストを最小限に抑えるうえで重要となる。

 

第二に、欧州における新たな決済システムの構築プロセスは、日本企業に新たな事業機会をもたらす可能性がある。なかでも新しい決済手段の開発や運用を底支えする、物理的・電子的な分野においては、日本企業の技術的貢献が期待される余地がある。

 

第三に、デジタルユーロは、CBDCのテストケースとなり得る。同様の取り組みは世界各国で小規模に進められているが、ECBは2029年までに包括的なCBDCアーキテクチャを構築する意向を示しており、実現すれば一般消費者に向けたデジタルマネーの初の大規模導入となる。したがって、デジタルユーロのプロジェクトは、新たな金融技術の重要な先行ベンチマークとなり、技術的仕様の世界的な基準(スタンダード)を示すだけでなく、こうした巨大なデジタル金融システムをいかに民主的に監督・管理すべきかという、ガバナンス上の重要な教訓を提供することになるだろう。

 

参考資料・文献
(※1)Agnès Bénassy-Quéré , Giancarlo Corsetti , Giulia Sestieri,  Rolf Strauch, “Addressing Europe’s services dependencies”, Center for Economic Policy Research, January 16, 2026. 

(※2)※欧州の政策当局者の主な発言は以下の通り
•クリスティーヌ・ラガルドECB総裁:「地政学的な要因により、金融インフラは権力のツールと化した。だからこそ主権が重要である」と警告。決済システムが米国や中国に支配されている現状を指摘し、欧州独自の代替手段の構築を提唱 。European Central Bank, “Opening speech by Christine Lagarde, President of the ECB, at the ECB conference on “Money in transition: digitalisation and innovation in payments””, Speech,  ,June 15, 2026. 

•マリオ・ドラギ前ECB総裁:「経済統合の深化が、悪用されかねない依存関係を生み出した。かつては相互牽制の基盤であった相互依存が、今や支配と圧力の源泉になっている」と指摘。ドラギ氏は、米国の安全保障と自由貿易に守られていた旧秩序は終わり、相互依存関係やサプライチェーンが他国によって武器として悪用される時代になったとの認識を示し、保護主義的・取引的になった米国と、サプライチェーンを支配する中国とのはざまで、欧州はこのままでは「従属」、「分断」、「脱工業化」の危機に陥ると警鐘を鳴らした。そのうえで、欧州は大きな市場と特定の技術では優位性を持つが、加盟国が拒否権を有する現在の寄せ集めのままでは真のパワーを発揮できないとし、防衛や外交を含めた連邦型へと進化する必要性を説いた。Union of European Federalists, “Mario Draghi, Power requires Europe to move from confederation to federation”, February 2, 2026. 

•オーロール・ラルク欧州議会 経済・金融委員長:「現在の決済システムはほぼすべて米国製である」と危惧し、トランプ政権によって、欧州が突然決済システムから切り離されるリスクに懸念を表明 。Matthew Kilcoyne, “Three Ways the EU’s Payment Sovereignty Strategy Undermines European Consumers”, January 29, 2026. 

•マルティナ・ヴァイネルト 欧州決済イニシアティブ(EPI)CEO:欧州16の金融機関からなるコンソーシアムのトップとして、「欧米関係が悪化した場合、米国の市場支配力が武器化されかねない」とし、米国企業への依存からの早期脱却を訴求 。Paola Tamma, “European alternatives to Visa and Mastercard ‘urgently’ needed, says banking chief”, Financial Times, February 9, 2026. 

(※3)Eleonora Vasques, “Capital markets union imperative to build euro as global reserve, Lagarde says”, euro news, June 22, 2026. 

(※4)European Parliament, “European Strategic Autonomy and the Cross-Border Payments in the Era of Deglobalization” , November 2025. 

(※5)象徴的な例として、Protect USA法案がある。

(※6)平木 綾香「拡大するBRICS、既存秩序への挑戦」金融財政ビジネス、2025年3月17日号。

(※7)Mathilde Velliet, “Trump II vs. Digital Governance: A Crusade in the United States and Europe”, French Institute of International Relations, April 1, 2026. 

(※8)匿名化・半匿名化の基準について、米国の基準はEUのGDPRの基準よりも実質的に緩く、軽く加工しただけのデータでも合法的に流通しやすい。また米国では、決済情報の販売について同意方式がオプトアウトであり、データーブローカー産業が商業的に確立している。

(※9)European Central Bank, “Study on the payment attitudes of consumers in the euro area 2024”, 2024. 

(※10)European Central Bank, “Report on card schemes and processors”, 2025. 

(※11)同上。

(※12)同上。

(※13)EU統合の父として知られる、ジャン・モネの名にちなんで命名。

(※14)European Central Bank, “The Eurosystem’s payments strategy”, 2026. 

(※15)European Parliament, “Digital euro: MEPs want to ensure sovereignty, privacy and financial stability”, Press Releases, June 23, 2026. 

(※16)Paola Tamma, “European alternatives to Visa and Mastercard ‘urgently’ needed, says banking chief”, Financial Times, Feb 9, 2026.
(※17)Albert Funk, “Wahlkampfthema Bargeld: Der seltsame Streit um Münzen und Scheine”, Tagesspiegel, Feb 22, 2024. 

(※18)European Parliament, Legal tender of euro banknotes and coins, Legislative Observatory. 

(※19)※1に同じ。

(※20)European Commission, “Breaking down barriers to integrate financial markets”, Dec, 2025. 

(※21)※1に同じ。

(※22)※4に同じ。 

(※23)Judith Arnal, Do we really need a European alternative to Visa and Mastercard? These are the misunderstandings, euobserver, February 17, 2026.

平木 綾香 / Ayaka Hiraki

フェロー

官公庁、外資系コンサルティングファームにて、安全保障貿易管理業務、公共・グローバル案件などに従事後、デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社(現合同会社デロイト トーマツ)に参画。
専門分野は、国際政治経済、安全保障、アメリカ政治外交。修士(政策・メディア)。


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