トランプ側近のミラン論文から読み解く日米合意

日本と米国は2025年7月、貿易・投資協議に合意した。日本に対する自動車関税率や相互関税率が15%に設定されたほか、日本の政府系金融機関が対米投資促進のために5500億ドル(80兆円)の支援策を講じることが決まった。本稿では、第2次トランプ政権の対外政策の教典と目されるホワイトハウス高官スティーブン・ミラン氏の論考(ミラン論文)を参照し、日米合意の内容を読み解く。
目次
日米による約100日間の協議の合意内容を評価するに当たり、まずは「ミラン論文」の概要を示したい。
この論文は、第2次トランプ政権発足直前の2024年11月、当時投資ファンドのストラテジストを務めていたスティーブン・ミラン氏が「グローバル貿易システムの再構築に向けたユーザーズガイド」(A User’s Guide to Restructuring the Global Trading System)という題名で公表した[1]。ミラン氏は2025年3月に米経済諮問委員会(CEA)委員長に就き、第2次トランプ政権の経済政策運営の中核役を担っている。
ミラン氏はこの論文の中で、
(a). 米国に製造業と雇用を取り戻す
(b). 米国の安全保障の傘に入っている他国に負担を求める
――ことが重要だと訴え、新たな国際金融システムを構築し、「持続的なドルの過大評価」(ドル高)の是正を呼び掛けた。米国の安全保障提供、関税引き上げ後の対応と引き換えに、他国に交渉を求め、トランプ氏が唱える「他国に奪われた米国の利益の奪還」が最終的な目標と言える。
この目標を実現するため、論文が示した手法は多岐にわたるが、特に3点が注視される。
⑴関税を引き上げる(米国の製造業保護、関税収入の確保)
⑵他国が保有する短期米国債を、超長期の米国債(100年ゼロクーポン債)に買い替えさせる(金利上昇の抑制、米政府の金利負担の回避)
※製造業を守るため、財政拡張・ドル高誘導を実施しつつ、米国債の売却や金利上昇を防ぐ措置だという。他国にとって短期米国債の100年ゼロクーポン債の買い替えはほぼメリットがないが、米国の安全保障の傘の下にいる各国に譲歩を迫ることは可能との見方に基づいている。
⑶多国間あるいは一国主導によって通貨調整を実施する(第2プラザ合意=マールアラーゴ合意)
※ドル高が米製造業の衰退、貿易赤字を招くとの見方に立ち、ドル高是正を目的とした多国間通貨協調構想。トランプ大統領の私邸「マールアラーゴ」に由来し、「第2のプラザ合意」とも目される。
ミラン氏はCEA委員長就任後、この論文について「他人の考えを紹介したもの」「政権の方針を示したものではない」と説明してきた[2]。しかし、第2次トランプ政権は2025年4月以降、高関税措置の導入を表明[3]したうえで、同盟国も対象に交渉を迫る姿勢を明確にしており、対外政策は「ミラン論文」のシナリオに沿って進んでいるように見える。
ミラン論文から見た合意、米国は低利資金調達を実現
ここで日米両政府が合意した貿易・投資協議の内容[4][5]を整理し、協議が妥結した英国やベトナムの合意内容と比較したい。(図表1)
図表1 日米両政府の合意と他国合意内容の比較
データソース 日本政府[6]および米政府資料[7][8]、
トランプ氏のSNS投稿[9][10][11]、報道[12]
本稿ではミラン論文から日米合意を読み解くにあたって、特に、
①日本政府による5500億ドル(80兆円)の対米投資
②自動車・部品関税率および相互関税率15%
③為替条項に当たる措置がないこと
——に焦点を当てる。
第一に注視すべき点は、①の日本政府による対米投資枠組み「ジャパン・インベストメント・アメリカ・イニシアティブ」となる。
日本政府の発表では、投資枠組みは政府系金融機関による出資・融資・融資保証の提供によって構成される。その財源は、財投債の大規模発行によって賄われる。
米国側は投資分野にエネルギーインフラや半導体製造、重要鉱物、医薬品、造船などを挙げた。個別プロジェクトは今後、固まると見られるが、米国の報道[13]によると、ベッセント財務長官は「米国内の大型プロジェクトに対して、出資や融資保証、資金提供を実施する内容だ」と説明した。また同じ記事で、ラトニック商務長官は、投資が日本企業のプロジェクトを特に対象にするわけではないとの見方を示した[14]。
これらの点から考えると、投資枠組みは、日本政府の資金と信用によって低金利で資金調達し、トランプ氏が望む米国内投資を押し進めていくものと言える。そして、それは、外形的にミラン論文で示された具体策⑵「米国債の借り換え」(低金利での資金調達)と同じ効果をもたらす。ミラン論文では、利払いのない100年クーポン債を他国に持たせることなどを柱とした「米政府の低金利での資金調達」の策が示されていた。そのアイデアは、日本政府が投資枠組みを(米国政府の代わりに)設定し、低金利での米国投資を実現する形に切り替わったと読み解ける。
日本政府の対米投資枠組みは5500億ドル(80兆円)となる。この金額は、多くが米国債で運用され、仮に「米国債の借り換え」が実施された場合、対象となり得る日本の外貨準備高(1兆2000億ドル超)の半分近い規模と言える。
対米投資枠組みの実施期間は明記されていないものの、2029年1月までのトランプ大統領の任期中に米国は全額の履行を求めると見られる。2024年末の日本の米国対内直接投資残高は8192億ドルと6年連続で世界各国首位となったが、この枠組みによって、さらに積み増しが起きる可能性がある。
もちろん、現在示されている投資対象は日本の産業や経済安全保障に関する政策と合致するものである。日本企業の米国展開が後押しされれば、産業振興・成長戦略として大きなメリットが想定できる。
第二に留意すべき点は、市場アクセスである。自動車・部品関税率と相互関税率はともに、当初示された約25%を免れ、原則合計15%に設定された。他の米国の貿易相手国同様に、通商拡大法232条に基づく鉄鋼・アルミニウム関税率50%は引き続き適用される。
論文の観点から見ると、具体策の⑴「関税を引き上げる」(米国の製造業保護、関税収入の確保)が日本に対して部分的に達成されたと言える。
ミラン論文では、関税は安全保障とともに他国から有利な条件を引き出すためのディールの手段と位置付けられていた。日本の主力産業、自動車を狙い撃ちにした高い関税率の提示は、貿易赤字の削減策だけではなく、日本の投資を引き出し、航空機や半導体などの購入を飲ませる結果につながった。
ただし、米国の自動車業界には不満が目立つ。業界団体は、米国メーカーが製造拠点を置くカナダ、メキシコからの輸入に現状で25%の関税がかかることから、日本メーカーに対して不利になるとの懸念を示している[15]。今後、(a)米国メーカーの製造拠点の自国回帰が進む、(b)カナダ、メキシコの関税率を対日本関税率15%軸に見直す、(c)対日本関税率15%を他国並みに引き上げる——といった調整が起きる可能性は拭えない。
第三の留意点は、為替に関する条項が設定されなかったことである。トランプ政権の主要幹部は貿易相手国の通貨安誘導をたびたび批判してきた。第1次トランプ政権で2020年に発効した米国・メキシコ・カナダ協定(USMCA)では、通貨安誘導をけん制する為替条項が盛り込まれ、日本にも同様の措置を講じるのではないかといった見方があった。
論文の観点からは、為替条項は、具体策⑶「多国間あるいは一国主導による通貨調整の実施」に相当するが、これは今回の日米合意では明示されていない。ミラン論文において注視すべき3措置の中で、唯一実現しなかったポイントである。
この点については、日本が一貫して強く求めてきた「金融・財政と通商政策の分離」が受け入れられた可能性はある。一方、トランプ政権側が為替条項や一国主導による通貨調整が実現困難であることを認識した、あるいは現段階では実施しなくても満足できる結果を獲得したとの解釈も成り立つ。
国際秩序の変容、他国の合意内容精査を
日本は巨額の対米黒字を抱え、安全保障環境で米国に依存しており、交渉環境は対米赤字国の英国などと比べ極めて厳しいものであった。その中で対米投資という代替策を掲げ、15%という相対的に低い関税率を獲得した点には海外の専門家の間でも高い評価が目立つ[16]。
一方、日米合意をミラン論文の観点から見ると、関税引き上げや米政府の金利負担の回避といった要素が実現され、米国は「取れるものを取った」と言える。トランプ2.0の経済担当者が国際金融・貿易システムの破壊的創造を夢見ている可能性は否定できず、急激な金融環境や景況の悪化に直面しない限り、今後も同様の姿勢で対外政策を実施するだろう。
日本企業は中長期戦略の再構築を求められ、今回の合意内容はそれを検討するためのスタート地点になる。
企業が取るべき対応は何か。まず、日米合意の実施動向を見極めたうえ、欧州連合(EU)、カナダ、メキシコ、東南アジア諸国連合(ASEAN)各国による米国との協議結果が実行に移されるか注視が必要である。欧州のデジタルルールの変更やサプライチェーンにおける関税率、原産地規則は日本企業の事業戦略に直接影響を及ぼすためである。
また、米国はアラスカでのLNG(液化天然ガス)開発投資、次世代エネルギー開発での連携などを合意に関連付けて発表した。それらがどの国・地域、企業と組んで実施されるのか、日本のエネルギー調達にどの程度影響するのか、分析が必要だろう。
対米投資枠がトランプ政権の望むスピードで実施されない場合、米国が制裁的措置を講じる可能性は捨てきれない。関税引き上げなどを含めたリスクシナリオの精緻化が重要になる[17]。
ミラン氏の政策的信念は、関税や100年債、通貨調整はあくまでも手段に過ぎず、究極の目的は米国内の製造業を強化し、それを通じて米国の安全保障の強化を実現するというものである。米国の貿易赤字の縮小、製造業の復活が実現できなければ、高関税措置が米国の政策のニューノーマルとなるだろう。結果的に、次の政権においても、関税収入を前提とした財政運営からの脱却は難しくなる。
米国経済圏を中心にした、国際秩序の変容は不可逆的に進み続けている。日本の官民セクターはこの点を改めて強く認識し、対処していくことが求められる。
※本文中の意見や見解は執筆時の情報に基づく私見であることをお断りする。
<参考レポート>
日米関税交渉の留意点――くすぶる「第2プラザ合意」観測 | DTFA Institute | FA Portal | デロイト トーマツ グループ
<参考資料・注釈>
[1] Miran, Stephen. (2024, November). A User’s Guide to Restructuring the Global Trading System. Hudson Bay Capital.
https://www.hudsonbaycapital.com/documents/FG/hudsonbay/research/638199_A_Users_Guide_to_Restructuring_the_Global_Trading_System.pdf
[2] 田中宏幸.(2025年4月18日). 貿易赤字是正 製造業守る. 2025年4月18日付読売新聞朝刊.
[3] The White House. (2025, April 2). Regulating Imports with a Reciprocal Tariff to Rectify Trade Practices that Contribute to Large and Persistent Annual United States Goods Trade Deficits.
https://www.whitehouse.gov/presidential-actions/2025/04/regulating-imports-with-a-reciprocal-tariff-to-rectify-trade-practices-that-contribute-to-large-and-persistent-annual-united-states-goods-trade-deficits/
[4] 首相官邸.(2025年7月23日). 米国関税措置に関する日米協議の合意等についての会見. 首相官邸ホームページ.
https://www.kantei.go.jp/jp/103/statement/2025/0723bura2.html
[5] The White House. (2025, July 2). Fact Sheet: President Donald J. Trump Secures Unprecedented U.S.–Japan Strategic Trade and Investment Agreement.
https://www.whitehouse.gov/fact-sheets/2025/07/fact-sheet-president-donald-j-trump-secures-unprecedented-u-s-japan-strategic-trade-and-investment-agreement/
[6] 注4と同じ.
[7] 注5と同じ.
[8] The White House. (2025, June 17). Fact Sheet: Implementing the General Terms of the U.S.-UK Economic Prosperity Deal.
https://www.whitehouse.gov/fact-sheets/2025/06/fact-sheet-implementing-the-general-terms-of-the-u-s-uk-economic-prosperity-deal/
[9] Trump, Donald. (2025, July 2). Retrieved from https://truthsocial.com/@realDonaldTrump/posts/114784170652465525
[10] Trump, Donald. (2025, July 23). Retrieved from https://truthsocial.com/@realDonaldTrump/posts/114898069194751986
[11] Trump, Donald. (2025, July 16). Retrieved from https://truthsocial.com/@realDonaldTrump/posts/114858589029028619
[12] Gray, A. Shalal, A. (2025, July 28). US and EU avert trade war with 15% tariff deal. Reuters.
https://www.reuters.com/business/us-eu-avert-trade-war-with-15-tariff-deal-2025-07-27/
[13] Flatley, D. Hordern, A. (2025, July 24). Bessent, Lutnick Hail Japan Finance Pledge as EU Talks Loom. Bloomberg.
https://www.bloomberg.com/news/articles/2025-07-23/bessent-says-japan-financing-pitch-sealed-deal-as-eu-talks-loom
[14] 米国のファクトシートには「The US will retain 90% of the profits from this investment…(米国は本件投資による利益の90%を獲得する)」と記載された. 日本政府も, 投資枠の極一部を用いる出資について「(日米の利益配分)1:9」を認めている.
[15] Boak, J. St.John, A. (2025, July 24). US automakers say Trump’s 15% tariff deal with Japan puts them at a disadvantage. AP News.
https://apnews.com/article/trump-japan-tariffs-autos-taxes-trade-5a5afd77dad958f8fae656a371df6f09
[16] Govella, Kristi. (2025, July 23). Assessing the U.S.-Japan Trade Deal Announcement. CSIS.
https://www.csis.org/analysis/assessing-us-japan-trade-deal-announcement
[17] 日本政府で第1次トランプ政権との交渉に当たった関西学院大学の渋谷和久教授はNHKの取材に「アメリカは日本に対してこれ以上の関税は課さないという約束はしていない。今回の関税交渉はいったんこれで落ち着くとみられるが、再び関税について話が持ち上がる可能性もある」と指摘している.
NHK.(2025年7月23日). 日米で合意 相互関税15% 自動車関税も15%.
※最終閲覧日はすべて2025年7月28日.