成長戦略のKPI評価、6割近くが未達――労働市場改革やスタートアップ育成に課題
目次
政府は2020年7月、当時の未来投資会議で2019年度の成長戦略実行計画に関するKPI評価(157項目)を公表した※1。本調査では、157項目に関する評価のうち「目標達成期間に対する経過期間の割合以上に、KPIが目標達成に向けて進捗していない」、「今後、データが得られるため、現時点で評価困難なもの」とされた計94項目からイノベーションに関する39項目を抽出。実行計画に明示された出典などの公開情報から直近(2020年度~現時点)でのKPIの達成状況を調べた。また、公表時点で「目標達成期間に対する経過期間の割合以上に、KPIが目標達成に向けて進捗しているもの」(63項目)については調査の対象とはしていない。
今回抽出したイノベーションに関する39項目は15の政策領域に区分できる。それらを岸田政権の経済政策「新しい資本主義」のテーマと関連付けたものが下記の図1だ。図中の黒字が2019年度のイノベーションに関する政策領域、白字が新しい資本主義のテーマとなる。
39項目のKPIの達成状況を見てみると、「KPIを達成または達成の公算が大きいもの」は6項目(15%)、「未達または達成が難しいとされるもの」は23項目(59%)となった。「今後データが得られたり、目標年度前にKPIを変更したりしたため評価が困難だったもの」は10項目(26%)だった。
さらに新しい資本主義のテーマごとに個別施策のKPIの達成状況を確認すると、達成数が一番多かったのは「スタートアップ育成」に関連したもので3項目だった。「人への投資・構造的賃上げと三位一体の労働市場改革」は1項目にとどまり、未達が6項目と全体的に進捗が芳しくなかった。「GX・DX等への投資」も達成は2項目、未達は5項目にのぼった。「デジタル田園都市国家構想の推進」、「企業の海外ビジネス投資の促進」、「インバウンドの促進」においては、KPIの達成項目が一つもなかった(図2)。
未達施策の進捗状況には濃淡
いくつかのテーマから、個別の施策の達成状況や未達の場合はその後の政府の対応、残された課題について考察していきたい。
まず、「人への投資・構造的賃上げと三位一体の労働市場改革」を取り上げる。同テーマに関連した施策の代表的なKPIは以下となる。
・2020 年までに転職入職率を9.0%とする
・大学・専門学校等での社会人受講者数を2022 年度までに100 万人とする
・2020 年までに上場企業役員に占める女性の割合を10%とする
転職入職率とは、新たに仕事に就いた者のうち、転職による入職者(入職前1年間に就業経験のある者)の割合を示したものだ。このKPIについては、目標年の2020年に9.2%を記録して達成した。翌2021年に8.7%に一度は落ち込んだものの2022年には9.7%まで上昇している※3。総務省の労働力調査によると、2022年の転職希望者は新型コロナウイルス禍前より120万人増えて968万人となっており、労働移動を促す環境づくりが功を奏し始めていると言えそうだ※4。
一方、個人の生産性を高め、イノベーションや雇用機会を創出する効果が期待されるリカレント教育は、最新の政府資料では2020年度時点で約41万人にとどまっており、2022年度までの100万人という目標からはほど遠い状況だ※5。労働者の能力開発状況に関する調査では、自己啓発における問題点として高い順に「仕事が忙しくて自己啓発の余裕がない」(58.5%)、「費用がかかりすぎる」(30.1%)という結果が明らかになっている※6。個人が時間的・金銭的制約に直面している現状に対して有効な施策を打ち出せていないことが、KPIと現実の乖離を生んでいると言えるだろう。
上場企業役員に占める女性の割合を2020年までに10%とするKPIについては、6.2%にとどまり大きく届かなかった。2022年においても9.1%で、上昇傾向ではあるが未だに2020年のKPIを大きく割り込んでいる※7。こうした状況を踏まえ、政府は2023年の女性版骨太の方針で、「プライム市場」に上場する企業の役員について2030年までに女性の比率を30%以上にすることを目指すとした。さらに実効性を担保するため、東京証券取引所に対してこうした規定を年内までに設けるよう促すことまで踏み込んでいる※8。
次に、「スタートアップ育成(イノベーション・エコシステムの構築)」に関わる代表的なKPIについて詳述していく。
・ベンチャー企業への ベンチャーキャピタル(VC)投資額の対名目 GDP 比を 2022 年までに倍増する
・2020 年度までに、官民合わせた研究開発投資の対 GDP 比を4%以上とする
ベンチャー企業へのVC投資額の対名目GDP比を2012~2014年度の平均である0.026%から倍増させる目標に対して、2020年0.041%、2021年0.061%と着実に増えつつあり、KPIの達成度合いは高いと評価してよいだろう※9。一方、日本のVC投資は金額規模で見れば米国を除くOECD(経済協力開発機構)主要国と遜色ないが、対GDP比で見るとG7(主要7カ国)諸国の中ではイタリアに次いで低い状況となっている。政府はスタートアップへの投資や支援を更に促進・強化するため、スタートアップ企業の規模を2027年度までに10倍の10兆円に拡大すると同時に、評価額10億ドル以上の「ユニコーン」を100社創出するなどの5か年計画を2022年に打ち出した※10。
官民合わせた研究開発投資については、2020年度は対 GDP 比3.58%にとどまりKPIの4%以上の達成にはいたらなかった※11。2018年度から4年続けて3.5%台で推移し、この間進展は見られなかった。こうしたことから、2021年に取りまとめられた第6期科学技術基本計画では、これまで科学技術関係予算を確保して⺠間研究開発も誘発してきたが、「イノベーション⼒の低下が諸外国と比べて顕在化した」と明記。次の5年間で約 30 兆円の政府研究開発投資を確保し、官⺠合わせて約 120 兆円の研究開発投資を⾏っていくことを掲げた※12。計画通りに大胆な投資が喚起されれば、研究費は毎年5兆円近く押し上げる試算となる。
成長戦略から導く企業戦略
今回の調査から、「新しい資本主義」の下で岸田政権が推進する経済政策の多くがこれまでも取り組まれてきたが、政策効果が現れているものはまだ少ないことが見てとれた。特に、三位一体の労働市場改革やベンチャー育成などのイノベーションエコシステムの構築、GXを通じた脱炭素社会の実現は克服すべき課題が多いと言えそうだ。これらのテーマについて、政府が今般の臨時国会で提出する2023年度補正予算案や年末にかけて行う2024年度予算編成でどのように重点的に予算付けしていくのか、注視していく必要がある。
また、「未達または達成が難しいとされる」とした施策の進捗を子細に調べると、KPIと進捗状況との乖離が大きいケースが散見された。これはKPI達成のために実行すべき政策が多岐にわたることから政策効果が見えにくかったり、そもそも目標値を背伸びさせたりしたことに起因したと考えられる。その背景として、成長戦略に関するKPIは従来の産業構造を変革させてイノベーションの創出を目的とするため、野心的な数字を掲げることがある。
これらの特性を踏まえると、成長戦略の実効性を担保するためにはKPIの設定だけでなく、実現に向けて想定している手段と短期・中期での成果目標を予め明示しておくことが重要となる。そうすることで当初の目論見通りに進展しているかどうかを確認ができ、プロセスの途中で改善を図ることも可能になる。こうした政策形成の在り方はEBPM(Evidence-Based Policy Making)として中央官庁で本格的な導入が進められており、確実な浸透が期待される。EBPMの詳細については以下のレポートを参照されたい(「EBPMの活用で効率的な財政支出と霞が関文化の改革を」、2023年6月26日)。
最後に企業と成長戦略との関係について述べたい。成長戦略に関する政策は前述のとおり野心的である一方、世界的な潮流を意識してKPIが設定されている側面もある。人口減少に伴う国内市場の縮小で新たな成長機会を海外に求める企業が多い中、最新のグローバルトレンドを把握するうえで参考になり得る。また、課題感の残る政策テーマとして労働市場改革やベンチャー育成などを例示したが、裏を返せばこれらは潜在成長力が高い領域とも言える。毎年政府が策定する成長戦略を俯瞰し、中長期的な企業戦略に活かすことも有効だろう。
※1 未来投資会議「成長戦略のKPIの進捗状況」
※2 首相官邸「成長戦略実行計画(令和元年)」
※3 厚生労働省「令和4年雇用動向調査結果の概況」
※4 総務省統計局「令和4年労働力調査年報(年齢階級別転職等希望者数及び転職等非希望者数)」
※5 文部科学省「リカレント教育の推進に関する文部科学省の取組について」
※6 厚生労働省「能力開発基本調査(令和4年度)」
※7 内閣府男女共同参画局「上場企業の女性役員数の推移」
※8 すべての女性が輝く社会づくり本部、男女共同参画推進本部「女性活躍・男女共同参画の重点方針 2023 (女性版骨太の方針 2023)」
※9 経済産業省「令和5年版 通商白書」
※10 内閣官房「スタートアップ育成5か年計画」
※11 総務省「科学技術研究調査結果の概要 2022年」
※12 内閣府「科学技術・イノベーション基本計画」