製品・サービス化に成功しても収益化に苦労するのは、上場前のスタートアップが経験する「死の谷」と呼ばれる万国共通の関門だ。しかし、日本にはもう一つ、スタートアップが避けて通れない、「第二の死の谷」が存在する。それは、上場に成功しても、株式市場の主要な資金の出し手である、機関投資家からの支援が得られず、成長が止まってしまう現象だ。スタートアップが上場後も成長を続けて時価総額を増やしていくための方策を提言する。

2023年度に入り、日経平均株価がバブル後最高値を更新している。背景には、PBR1倍割れ銘柄を中心とした、企業統治改革のさらなる進展圧力がある。官民の本気の改革への期待が、株高となって表れているようだ。

PBR1倍割れ銘柄は、成熟企業に多く、新興企業にはあまり見られない。PBRの視点だけで評価すると、新興企業向けのグロース市場はうまく機能しているように見えてしまう。

しかし、グロース市場はその名(グロース=成長)に反して、日本特有の重大な問題を抱えている。上場後に企業の成長スピードが鈍化、あるいは止まることだ。

日本特有の「第二の死の谷」

上場を目指すスタートアップが越えなければならない壁の一つに、創業から成長のフェーズに移行する時期に直面する、「死の谷」がある。製品やサービスを事業化できても、利益を生み、事業拡大や次の新製品・サービスを開発するという、成長のサイクルを回せず、上場にこぎつけられないスタートアップは多い。

加えて、本邦のスタートアップには上場後にも大きな関門が待ち受けている。日本特有の「第二の死の谷」だ。

日米のスタートアップの上場数とその後の成長についての研究によると、20132019年の期間で、日米でスタートアップの新規上場件数はほとんど変わらないにもかかわらず、日本は米国と比較して、時価総額の成長率が総じて低い1

上場スタートアップは機関投資家の支援を得にくい

この「第二の死の谷」に直面する大きな要因として、株式市場の主要な資金の出し手である、金融機関や年金基金といった、機関投資家からの支援が得にくいことが挙げられる。

本邦の機関投資家は、上場スタートアップに投資したがらない傾向がある。なぜなら、投資単位が大口となる機関投資家が時価総額の小さい小型株である上場スタートアップに投資しようすると、それだけで株価が大きく動いてしまい、売買しづらい。また、赤字の上場スタートアップも多く、企業価値評価がしづらい。それゆえ、そもそも内規で投資対象から外している場合も多いようだ。

機関投資家からの支援が得られないがゆえに成長が阻害されるメカニズムは主に三つある。

一つ目は、増資による資金調達が困難なことだ。

上場のメリットの一つとして、リスクマネーを市場から直接調達できることが挙げられる。もちろん個人投資家から広く出資を募ることも可能だが、一定規模の増資を行おうとすると、大口出資が可能な機関投資家から資金を募るのが、効率的な現実解だ。しかし、それが得られない。

二つ目は、株価の大幅な変動による、経営の近視眼化だ。

上場すると、良くも悪くも株価という形で企業価値の客観的な評価を毎日入手することが可能になる。しかし、企業価値を必ずしも見極めないままの個人投資家の売買が中心になってしまうと、株価が短期間で大幅に変動してしまうこともある。そのため、どうしても短期的な収益や財務の改善を意識してしまう。

三つ目は、エンゲージメント活動を通じた伴走支援機会の喪失だ。

企業統治改革が進む日本では、機関投資家による上場企業へのエンゲージメント活動が盛んになっている。企業価値向上に向けて中長期的な視点で経営の改善ポイントなどを議論する、いわば企業経営の伴走支援者としての役割を担っている。

上場前のスタートアップへの伴走支援はベンチャーキャピタル(VC)などの「投資家」が担っている。こうした投資家は通常、上場時に株式を売却して投資家ではなくなる。スタートアップは上場した途端、個人投資家ばかりで伴走支援が得られないという状況に陥ってしまう。

年金基金のスタートアップ投資への誘導が効果的

このように機関投資家からの支援が得られない状況を改善するすべは何か?

米国では、例えば機関投資家の中でも年金基金が、受託者責任のもと、加入者の年金資産の増大を企図して、未上場の段階からVCへの出資等を通じてスタートアップ投資を行っており、未上場と上場をつなぐクロスオーバー投資家として活躍している。

翻って日本では、VCへの出資は事業会社と銀行が中心だ。2022年に年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が運用委託先を通じて出資したとはいえ、年金基金の影はまだまだ薄い。年金基金をスタートアップ投資に呼び込む余地は大きい。

上場前から投資しやすい環境整備、運用規模の拡大、運用商品の拡充が有効

年金基金をスタートアップ投資に誘導するために有効な施策の一つ目は、上場前から投資しやすい環境整備だ。

スタートアップならでは投資判断の目を養うには、VCへの出資を通じて、未上場段階からスタートアップ特有の事業・財務構造に基づいた企業価値評価の手法を身に付けるのが肝要だと考えられる。

日本においてVCへの出資が進まない背景には、10億円単位で投資先を選定する機関投資家が投資可能な、100億円超の大型ファンドが少なく、投資しづらい状況がある2

最近では、一部のメガバンク・グループで、ユニコーン創出を目指して、成長フェーズのスタートアップ向けの100億円超のファンドを設立する動きがみられる。しかし、こうしたファンドは現時点では傘下の銀行などグループ企業中心の出資構造になっているようだ。

欧州先進各国では、公的金融機関が大口の投資家となって、大型ファンドの組成を後押しする動きがある3。日本にも様々な政府出資の金融機関・ファンドがあり、最近では1000億円超の超大型ファンドも組成されている。

こうした大型ファンドに年金基金も出資するようになれば、未上場段階から出資し、上場後も保有し続ける、クロスオーバー投資を行う年金基金の育成につながる可能性がある。

二つ目は、運用規模の拡大だ。

2021年末時点での運用資産額で世界上位300位内の年金基金のうち、日本のシェアは、公的年金基金が押し上げているとはいえ、10%超と首位の米国についで大きい。

しかし、国内企業年金基金は、安定給付を優先し、運用高度化にあまり注力してこなかった基金が多いとみられる。こうした背景のもと、特に中小規模の企業年金基金を中心に、投資人材・経験不足で、運用リスクを過度に恐れる姿勢がみられる。その結果、資本市場において、成長や新陳代謝を促す機関投資家として期待される役割を十分には果たせていないと考えられる4

同様の課題に直面している英国では、このところ、小規模年金基金などの統合により、リスクに対する耐性を高め、より積極的にリターンを狙う体制を構築しようとする動きがある5

日本においても、一部で企業年金基金の統合や共同運用の動きがみられ、コスト削減や運用成果の向上といった、実際の成果につながっているようだ。

さらに、金融庁は、主に金融機関を対象として策定した、「顧客本位の業務運営に関する原則」の対象に、企業年金基金の運営者、すなわち企業自身も加えることを検討しているようだ6。顧客、すなわち年金加入者である従業員の資産形成に資する取り組みがこれまで以上に求められる。

三つ目は、資産運用会社の運用商品の拡充だ。

上場スタートアップへの投資経験が浅い場合、いきなり直接投資を行うのではなく、投資信託を通じた投資が現実的である。その意味で、資産運用会社による上場スタートアップに特化した投資信託の開発が望まれる。

しかし、上場スタートアップの銘柄発掘や継続的な分析には相当なコストがかかる。しかしながら現状では、資産運用会社のエンゲージメント活動コストの適切な価格転嫁ができていない7点が商品開発をするうえで大きな阻害要因となると考えられる。

もちろん、リスクに見合ったリターンが得られることが前提で、信託報酬算定の透明性を確保することも必要である。しかし、年金基金も、投資商品に見合った報酬を支払う意識を高める必要はある。

なお、20236月、東京証券取引所が、アクティブ運用型ETFを解禁した8。上場スタートアップ銘柄に傾斜したETFの組成が期待される。

    

<参考文献・資料>

  1. 鈴木健嗣ほか「上場後の成長の谷に関する共同研究レポート 日本からイノベーションを起こし、新産業を生み出す上でのボトルネックとは?」20頁(https://www.gckk.co.jp/wp-content/uploads/2021/08/report0830.pdf, 2023年81日最終閲覧)。
  2. 野村総合研究所「スタートアップによるレイター期・IPO ファイナンス等の見直しに係る調査報告書」16頁 (2022331日)(https://www.meti.go.jp/policy/newbusiness/houkokusyo/ipofinance-report.pdf, 2023年81日最終閲覧)。
  3. 産業革新投資機構「海外の公的投資機関によるエコシステム支援~欧州の事例を中心とする考察」192123頁 (20232月) (https://www.j-ic.co.jp/jp/research/20230228_JIC_Reseach.pdf, 2023年81日最終閲覧) 
  4. ボストン・コンサルティング・グループ合同会社「企業年金を取り巻く状況に関する調査 最終報告書」5612頁     (https://www.fsa.go.jp/common/about/research/20220520/20220520_1.pdf, 2023年81日最終閲覧)。
  5. Tony Blair Institute for Global Change, Investing in the Future: Boosting Savings and Prosperity for the UK, 29 May 2023, https://www.institute.global/insights/economic-prosperity/investing-in-the-future-boosting-savings-and-prosperity-for-the-uk, last visited August 1, 2023.
  6. 金融審議会 市場制度ワーキング・グループ 顧客本位タスクフォース「中間報告」(202212月9日)(https://www.fsa.go.jp/singi/singi_kinyu/tosin/20221209/01.pdf, 2023年81日最終閲覧)。
  7. 金融庁「資産運用業高度化プログレスレポート 2023 ―「信頼」と「透明性」の向上に向けて―」33頁     (20234月)(https://www.fsa.go.jp/news/r4/sonota/20230421/20230421_1.pdf, 2023年81日最終閲覧)。
  8. 日本取引所グループ「アクティブ運用型ETFの上場制度整備に関する談話」 (2023629日) (https://www.jpx.co.jp/corporate/news/news-releases/0060/aocfb40000001e76-att/danwa_cln.pdf, 2023年81日最終閲覧)。

久光 孔世留 / Marcel Hisamitsu

主任研究員

政府系金融機関にて、欧州・新興国を中心とした海外経済や国際金融市場の分析のほか、関西を中心とした地域経済調査に従事。また、バーゼルIIIなどの国際金融規制策定やASEAN+3などの国際金融協力に関わる業務にも従事。2022年6月にデロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社に入社し、DTFAインスティテュートに参画。経済学修士。
(肩書はレポート発表時点のものです)

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