経済安保を俯瞰する(前編)――米中対立を前提としたリスクマネジメントを
目次
■国家安全保障戦略としての「経済安保」
まずは、日本における経済安全保障の現状を概観する。
日本政府は、2022年12月、国家安全保障に関する基本方針である「国家安全保障戦略」「国家防衛戦略」及び「防衛力整備計画」からなる「安全保障3文書」を閣議決定した。これにより、従来の防衛計画の大綱は「国家防衛戦略」、中期防衛力整備計画は「防衛整備計画」と改められた。2013年の策定以来初の改定となる「国家安全保障戦略」には、「反撃能力」の導入などが明記され、日本の安全保障政策は大きく転換した。(※1)
「国家安全保障戦略」策定の背景には、日本の安全保障環境の変化がある。具体的には以下の通りである。(※2)
① パワーバランスの変化と地政学的競争の激化
― 既存の国際秩序の変更を試みる動きがある。
② 力による一方的な現状変更の圧力
― ロシアによるウクライナ侵略により、国際秩序を形作るルールの根幹が破られた。同様の事態が、将来、インド太平洋地域、とりわけ東アジアにおいて発生する可能性がある。
― 日本の周辺では、核・ミサイル戦力を含む軍備増強が急速に深化している。
③ 国家安全保障対象の拡大
― 領域をめぐるグレーゾーン事態、民間の重要インフラ等への国境を越えたサイバー攻撃、偽情報の拡散等を通じた情報戦等が恒常的に発生し、有事と平時の境目が曖昧になってきている。
― さらに、国家安全保障の対象は、経済、技術等、これまで非軍事的とされてきた分野にまで拡大し、軍事と非軍事の分野の境目が曖昧になっている。
④ 地球規模の問題への対応
― 気候変動、感染症危機等、国境を越えて人類の存在そのものを脅かす地球規模課題への対応のために、国際社会全体の協力が求められる。
「国家安全保障戦略」では、日本は「地政学的競争や地球規模の課題への対応など、対立と協力が複雑に絡み合う、戦後最も厳しく複雑な安全保障環境に直面している」としている。この複雑な国際関係全体を俯瞰し、外交力、防衛力、経済力、技術力、情報力を含む総合的な国力を最大限活用して、日本の国益を守ることが「国家安全保障戦略」の目的である。
目的は、自主的な経済的繁栄を実現すること
そして、「国家安全保障戦略」には「自主的な経済的繁栄を実現するための経済安全保障政策の促進」という項目が設けられ、「経済安全保障」を「我が国の平和と安全や経済的な繁栄等の国益を経済上の措置を講じ確保すること」と定義した。具体的な施策として以下6項目を掲げた。(※2)
① 「経済施策を一体的に講ずることによる安全保障の確保の推進に関する法律」(経済安全保障推進法、以下「推進法」)の着実な実施と不断の見直し、更なる取組を強化する。
② サプライチェーン強靭化について、特定国への過度な依存を低下させ、次世代半導体の開発・製造拠点整備、レアアース等の重要な物資の安定的な供給の確保等を進めるほか、重要な物資や技術を担う民間企業への資本強化の取組や政策金融の機能強化等を進める。
③ 重要インフラ分野について、地方公共団体を含む政府調達の在り方や、推進法の事前審査制度の対象拡大の検討等を進める。
④ データ・情報保護について、セキュリティ・クリアランスを含む、国内の情報保全の強化に向けた検討を進める。
⑤ 技術育成・保全等の観点から、先端重要技術の情報収集・開発・育成に向けた更なる支援強化・体制整備、投資審査や輸出管理の更なる強化、強制技術移転への対応強化、研究インテグリティの一層の推進、人材流出対策等について具体的な検討を進める。
⑥ 外国からの経済的な威圧に対する効果的な取組を進める。
特に、経済安全保障に関連する重要分野である①サイバーセキュリティ、②技術、③エネルギー・食料安全保障については、戦略的アプローチを掲げている。それぞれの概要は、以下の通りである。(※2)
① サイバーセキュリティ(サイバー安全保障分野での対応能力の向上)
― サイバー空間の安全かつ安定した利用、特に国や重要インフラ等の安全等を確保するために、サイバー安全保障分野での対応能力を欧米主要国と同等以上に向上させる。
② 技術(技術力の向上と研究開発成果の安全保障分野での積極的な活用のための官民の連携の強化)
― 官民の技術力を幅広くかつ積極的に安全保障に活用するために、安全保障に活用可能な官民の技術力を向上させ、研究開発等に関する資金及び情報を政府横断的に活用するための体制を強化する。
③ エネルギー・食料安全保障(エネルギーや食料など我が国の安全保障に不可欠な資源の確保)
― 我が国の経済・社会活動を国内外において円滑にし、また、有事の際の我が国の持続的な対応能力等を確保するとの観点から、国民の生活や経済・社会活動の基盤となるエネルギー安全保障、食料安全保障等、我が国の安全保障に不可欠な資源を確保するための政策を進める。
このように、国家安全保障の観点が軍事的な側面から経済の側面にまで広がっている。経済安全保障は、国家の戦略的目標を達成するために、経済的な手段を用いることだと言える。
■米国と中国の関係性変化が根底に
1979年の米中国交正常化後、「関与政策」が米国の対中姿勢の主軸であった。米国は、人的交流や経済的な援助を通して、中国の近代化を支援した。米国のシナリオは、中国が経済成長すれば社会主義経済から資本主義経済に移行し、いずれは政治的な改革、自由化が起こるというものだった。結果として米国主導の国際秩序に組み込まれることを期待した。
「関与政策」は、1989年の天安門事件を経ても揺らがなかった。クリントン政権(1993~2001年)は、中国のWTO(世界貿易機関)加盟実現を強く後押しした。中国の台頭を封じ込めるべきという論調もあったものの、2000年代に入ってもこの政策は継続された。(※3)
米国の対中姿勢が「関与」から「対立」へ
しかし、2010年代には状況が変わった。2012年に国家主席に就任した習近平は、「中国の夢」や「中華民族の偉大な復興」といった壮大なビジョンを掲げて社会統制を強化した。それによって、中国に対する警戒感が欧米諸国で高まった。米国政府内では、中国への関与を通じたWTOルールの遵守説得は失敗したとの認識が共有されるようになる。
オバマ政権(2009~2017年)は、中東からアジアへの旋回(ピボット)や再均衡(リバランス)を打ち出してアジア太平洋地域の重要性を明確に示しながら、対中「関与政策」の修正を試みた。
そして、トランプ政権(2017~2021年)が誕生後、米国の対中姿勢は「対立」へと転換する。2017年の国家安全保障戦略(NSS)では、中国をロシアと並ぶ「競争相手(competitor)」と名指し、大国間競争(great power competition)時代の到来を印象付けた。さらには、中国を「現状変更勢力(Revisionist Power)」と断じている。これまで「関与政策」が誤りであった認識を示し、中国はむしろ、中国の権威主義体制を広めるための影響力を高めていると警報を鳴らした。
バイデン政権(2021年~)も、対中強硬姿勢を継承した。政権初のNSSでは、中国を「米国にとって最も重大な地政学的挑戦(most consequential geopolitical challenge)」であり、「国際秩序を再編する意図と、その目標を進展させる経済、外交、軍事、技術力の両方を持つ唯一の競争相手(the only competitor)」と位置付けた。
なぜ米国の対中姿勢は、「対立」へと変化したのか。これには、様々な説明があるが、ここでは次の3つの視点を例示したい。
第1に、「チャイナ・ショック」論である。「中国は米国の雇用を奪っている」というトランプ前大統領の主張に通じる。中国からの輸入増加が、米国の製造業における雇用喪失や失業増加につながったという見方であり、米国内の中間所得層を中心に高まる反中感情の根にはこれがある。(※4)
第2に、覇権国家・米国と台頭国家・中国の宿命的衝突論である。新興国が台頭し覇権国に挑戦しようとすると、覇権国は恐れを抱き現状を維持しようとする。そして、国際関係に構造的な緊張状態が生じる。古代アテネの歴史家トゥキディデスの名にちなみ「トゥキディデスの罠」と呼ばれている。中国の軍事力や経済力の増大が米中関係に緊張をもたらしているとの見方である。(※5)
第3に、経済領域における「安全保障のジレンマ」がエスカレートしているという見方である。安全保障のジレンマとは、国家が自国の安全保障を確保しようとすると、それが他国からは脅威と認識され、他国の軍拡や同盟強化をもたらし、結果として自国の安全保障が損なわれるという状況を指す。経済規模で米国が中国に対して優位性を確立していたのは過去の話となり、「中国共産党が主導する資本主義(party-state capitalism)」、すなわち国家資本主義によって中国の経済力は米国と肩を並べるまでに成長した。これを米国は脅威と見做し、安全保障の論理を経済の側面でも適用していく。中国はこの動きを体制への攻撃と見做し、報復措置を取らざるを得ない状況に陥っており、このスパイラルが米中対立の激化を招いている。(※6)
米中対立は全方位に拡大
直視しなければならないのは、米国と中国の対立は、もはや軍事面に限定されていないという事実である。中国の不公正貿易慣行からイデオロギーや技術へと多分野に拡大し、その関係性は複雑化している。(図1)
図1 米中の対立領域は全方位に拡大している
共和党の下院議員らは、現在の米中関係を「新しい冷戦」とした。そしてこの新たな冷戦に勝利するためには、「中国の侵略」に対して厳しい政策で立ち向かう必要があるとの認識を示した。「経済を強化し、サプライチェーンを再構築し、人権を主張し、軍事的な侵略に対峙し、さらには米国人の個人情報、知的財産、雇用などの窃盗を終わらせる必要がある」とまで踏み込んでいる。米中対立の分野は広範に及んでいる。(※7)
巻き込まれた日本と欧州
米中対立の火の粉は世界に広がっている。特に日本を含めた西側諸国への影響は大きい。同盟関係や共通の価値観に基づいて米国に歩調を合わせたわけだが、半ば巻き込まれるような構図にもある。今、経済的な自立性の向上や先端技術の獲得を通じた優位性・不可欠性の確保が新たな課題となっている。
端緒を開いたのは、2018年8月に成立した「2019年米国国防権限法」(National Defense Authorization Act for Fiscal Year 2019: NDAA)である。輸出管理、対内投資規制、政府調達規制など対中強硬策を盛り込んだ。米国はその後も、経済安全保障に係る政策や計画を次々に打ち出している。
米国に追随するかたちで、EU(欧州連合)は2019年、安全保障や公の秩序の保護を目的に、EU域外からの直接投資をスクリーニングする「対内直接投資審査規則」を発効。さらに、2022年には重要な技術やサプライチェーンにおける特定国への依存を低減しEUの戦略的自律を高めるためのロードマップを含む安全保障及び防衛政策のパッケージを発表した。(※8)
その中では、①防衛研究・防衛能力への投資及び共同調達、②合理的かつより収束的な輸出管理慣行、③民事及び防衛研究・イノベーション間の相乗効果と戦略的依存の軽減(例:EUレベルでのデュアルユース研究とイノベーションの奨励など)、④EUレベルでの宇宙防衛の強化、⑤欧州のレジリエンスの強化、を提案している。
そして日本も動いた。冒頭で触れた日本の「国家安全保障戦略」改定は、米中の対立構造を前提として展開されている。
西側諸国のこうした動きに対して、中国は2020年に「輸出管理法」、2021年に「外商投資安全審査弁法」を施行するなど、対抗措置を講じている。
まさに、経済的手段による「安全保障のジレンマ」が、「米国vs中国」から「西側諸国vs中国」に拡大している。
グローバル・サウスという不確実要因
次の焦点は、中国がどのような国々を取り込んで自陣営を拡大していくかである。特に新興のグローバル・サウス諸国の動きがキャスティングボートを握るのではないかという見方もある。
林芳正外相は、経済安保は米国やその同盟国だけの課題ではなく、グローバル・サウスを含む世界全体の課題であるとし、サプライチェーンや基幹インフラの強靭化などの分野での連携が必要だとしている。(※9)
中国も、直接投資、新しい国際機関の設立、新興国や途上国の利益の代弁、等々によって、グローバル・サウスを取り込もうとしている。
そうした中、グローバル・サウス諸国は、おそらく意識的・戦略的に欧米とは異なる独自の動きを見せている。例えば、ウクライナ戦争に関するロシアへの経済制裁について、インドや南アフリカなどの35か国は、国連総会でのロシアを批判する決議について棄権という立場を取った。
また、グローバル・サウスとは言って必ずしも固く結束しているわけではない。各国の政治・経済的状況は様々で、主眼は自国の経済発展や国内政治体制の安定に置かれている。グローバル・サウスが全体として欧米陣営か中国陣営かを選択するということは考えにくい。つかず離れずの巧みな交渉術で実益を得るという戦術を繰り出してくる可能性もある。大きな不確実要因になるであろうことを指摘しておきたい。
高精度なリスクマネジメントが不可欠な時代に
対立の視点から記述してきたが、そもそも、米中あるいは西側諸国と中国は経済的に広範かつ深く相互依存している。2022年には米国の対中貿易額が4年ぶりに過去最高を更新した。また、中国大手テクノロジー企業は米国に研究センターを開設するなど米中間の人的交流も深化している。
米中間の全面的なデカップリング(分離、切り離し)は極論であり非現実的であるが、そうであっても米中対立が短期的に解消されることも期待できない。特に、安全保障との関わりが深い分野については中国の影響力を弱体化したり遮断したりしていく動きは今後も進んでいくだろう。
実際、ジェイク・サリバン大統領補佐官(国家安全保障担当)は、「米中経済のデカップリングは模索していないが、中国との経済的な相互依存から生じるリスクを軽減し、サプライチェーンの多元化を目指している」と述べている。さらには、中国との関係において、たとえ経済的コストがかかっても国家安全保障上の課題を優先させると言及している。(※10)
経済安全保障は、経済的な手段を用いて自国の戦略的目標、すなわち国益を追求することである。トランプ政権下における米国の経済安全保障は、技術の保全やサプライチェーンの強靭化という狭義の概念であったが、現在は、人権や環境問題などの観点も加わり、より広範な意味を持つようになっている。経済安全保障の領域は流動的であり、これからも変化していく可能性がある。
各国政府はもちろん、民間企業にとっても、そうした変化を確実にとらえ、的確に対応していくことが不可欠になってくる。国際情勢や地政学リスクを踏まえたリスクマネジメントの精度を上げる必要がある。
▶ 経済安保を俯瞰する(後編)――米中の競争と分断が先端技術領域で激化
<参考文献・資料>
※1 「反撃能力」については、「専守防衛」の観点からこれまで保有しないとしてきたが、政府は、日本近辺で「質・量ともにミサイル戦力が著しく増強されている」ことから、既存のミサイル防衛だけでは完全に日本を守れないとして、今回国家安全保障戦略に「反撃能力」の保有を明記した。
“Japan scraps pacifist postwar defence strategy to counter China Threat,” Financial Times, Dec 16, 2022.
※3 John J. Mearsheimer, The Tragedy of Great Power Politics (New York: Norton, 2001).
※4 David H. Autor, David Dorn, Gordon H. Hanson, "The China Syndrome: Local Labor Market Effects of Import Competition in the United States," American Economic Review, American Economic Association, vol. 103(6), pages 2121-2168, October 2013.
David H Autor, David Dorn, Gordon H. Hanson, “The China Shock: Learning from Labor Market Adjustment to Large Changes in Trade”, NBER Working Paper, No. w21906, January 2016.
※5 Graham Allison, Destined for War: Can America and China Escape Thucydides’s Trap? (Houghton Mifflin Harcourt, 2017).
※6 Margaret M. Pearson, Meg Rithmire, Kellee S. Tsai, “China's Party-State Capitalism and International Backlash: From Interdependence to Insecurity,” International Security, 2022, 47 (2), 135–176.