2023年3月期から義務化される人的資本開示に思案する企業を念頭に、人的資本の国際的な情報開示ガイドラインISO30414活用のポイントを整理する。ISO30414は人的資本を巡る情報の網羅性だけでなく、開示負担の軽減にも配慮した実用的な枠組みとなっている。欧米で主流のジョブ型雇用など前提が異なるところもあるが、活用の注意点を踏まえれば、ISO30414を活用することで多くのステークホルダーの評価につながることが期待される。

認証取得や枠組みの活用による人材戦略の明確化が重要に

20233月期の有価証券報告書から人的資本の開示が義務付けられた。人材育成方針などの人的資本に関する情報や女性管理職比率などの多様性に関する情報の開示が必要になる。その前提となる、経営戦略と連携した人材戦略の構築やその実現状況を把握する指標や目標の検討・データ収集など、開示に向けた課題は少なくない。そこで、対応に思案する企業を念頭に、効率的な情報開示の実現に向けた選択肢の1つとしてISO30414に注目し、人的資本開示に向けた活用のポイントを整理する。

ISO30414を活用した情報開示では、認証取得や枠組みを活用する方法が考えられる。認証取得に関して、ヒアリングを行った豊田通商は、後述する情報の網羅性、KPIの正しさ、国際的なガイドラインであることを取得の理由に挙げる。その上で、投資家目線での比較可能性が高まること、経営のKPIにすることで(他社との比較で)自社の立ち位置が確認できること、自社に関わる社内外の人材に人事戦略をアピールできること、の3つのメリットがあると指摘する。

ISO30414の取得に向けて、データ収集やそのためのシステム構築などが必要な場合はその負荷も小さくないと考えられるが、社内外のステークホルダーに対してグローバル・スタンダードなフレームワークで自社を理解してもらうことのメリットは大きいのではないだろうか。また、同社が開示する内容はISO30414が外部に向けて開示を推奨している項目に沿っているという。同ガイドラインに則って対応することで、開示負担の軽減も期待できそうである。

一方、枠組みを活用する場合は、ISO30414が網羅する領域と指標を参考に、自社の人材戦略のKPIとして何が適合するかを検討し、開示につなげることになるであろう。なお、認証取得では、すべての項目に完全に準拠することが要請されるわけではなく、自社の状況に応じた活用が可能である。

ポイント1:網羅的で実用的な枠組みは、効率的な情報開示に有用に

人的資本開示に向けては、どのような情報をどこまで開示するかが重要なポイントになる。ISO30414は、人的資本に関わる情報を11領域58指標で網羅的にカバーしている。

具体的に、どのような領域、指標で構成されているのか、一部例示しておきたい。

・コンプライアンスと倫理
 苦情の件数と種類、懲戒処分の件数と種類、コンプライアンスと倫理研修を修了した従業員の割合など
・コスト
 総労働コスト、外部労働力コスト、平均給与と報酬の割合など
・多様性
 年齢、性別、障害など
・リーダーシップ
 リーダーシップの信頼、管理の範囲など
・組織文化
 従業員エンゲージメント/従業員満足度/コミットメントなど
・生産性
 従業員1人当たりEBIT/売上高/利益など
・組織の健全性、安全性とウェルビーイング
 労働災害による喪失時間、労働災害の件数、業務中の死亡者数など
・採用、異動、離職
 ポジションごとの候補者数、従業員1人当たりの質、求人ポジションの充足日数など

となっている(なお、領域や指標はいずれも筆者訳)。

その上で、組織の大きさと開示先に応じて開示を推奨する指標を設けている。大規模な組織では内部向けに全11領域58指標、外部向けには9領域23指標、中小規模の組織では内部向けに10領域32指標、外部向けには7領域10指標となっている。また、大規模な組織に比べて中小規模の組織では開示指標が少ない。情報の網羅性を維持しながら組織の規模に応じて開示負担の軽減にも配慮した実用的な枠組みになっている。これにより効率的な情報開示が可能になれば、一石二鳥と言える。

ポイント2:幾つかの前提には、開示内容の工夫が重要に

ISO30414は、欧米で主流のジョブ型雇用が前提であることに加えて、社内サーベイを必要とする指標もあるため、メンバーシップ型雇用を採用する日本企業や社内サーベイを日常的に行っていない企業では使いにくい部分もある。例えば、重要ポジションの内部登用は外部採用と同じプロセスを経ることが前提となっている。また、リーダーシップの信頼は従業員調査に基づいて算出することになっている。

こうした仕組みを導入している企業は、日本ではまだ少ないのではないだろうか。さらに、1月18日公開のホットイシュー『人的資本開示、米国の先例に学ぶ』で紹介した様に、日本の企業は海外の企業に比べて人材の多様性や従業員エンゲージメントが低いことから、グローバルで比較されるようなケースでは不利になる場合も想定される。そのため、国や地域、業界や事業の特性によっても開示する指標の適正値は異なるとの認識のもと、自社の状況に応じた開示内容の工夫が重要になる。

ポイント3:枠組みに囚われない積極的な開示も必要に

また、細かく見ていくと、独自に開示が必要な情報があることにも気が付く。例えば、コンプライアンスと倫理には、児童労働や強制労働などの人権リスクに関する情報が含まれていない。同じように、組織の健全性、安全性とウェルビーイングには、育児休業取得率や育児休業取得後の復職率などのウェルビーイングに関する情報が含まれていない。また、組織文化では、従業員エンゲージメントが外部に向けて開示を推奨する指標にはなっていない。こうした情報は投資家を中心に関心が高いだけに積極的な開示が求められる項目でもある。既存の枠組みに囚われない柔軟な対応も必要になる。

ISO30414の認証取得やその枠組みを活用して自社の強みや課題を特定し、人材戦略を明確にすることで、投資家や求職者を中心とする多くのステークホルダーの評価につながることが期待される。人的資本開示に向けては、ISO30414の活用も選択肢の1つになるのではないだろうか。

参考文献・資料
●International Organization for Standardization, 2018, Human resource management – Guidelines for internal and external human capital reporting
●Vance, 2020, “The New Age of Transparency in Human Capital: What the SEC Rule and ISO Standard Mean for Public Reporting”, Journal of Human Resources Education Vol.14, No.3/4, Summer/Fall 2020

安村 和仁 / Kazuhito Yasumura

主任研究員

外資系信託、外資系証券、日系大手証券などを経てデロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社入社。現職入社前は、公的年金や企業年金のポートフォリオ分析を皮切りに株式を中心とするリサーチ業務(クオンツ分析)に長く携わり、機関投資家に投資戦略を提案。現職入社後、AIラボラトリ設立プロジェクトに参画。M&A業務周辺を中心にAI新規ビジネスの調査/企画/分析業務に従事。経営学修士(MBA)。
(肩書はレポート発表時点のものです)

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