企業が人手不足に対応するために賃金を引き上げる傾向が強まってきた。厚生労働省の調査によると、企業は賃上げにあたって、雇用や労働力の確保・維持を重視する姿勢を強めている。女性と高齢者の就労増では労働需給を補うのが困難になったことが賃上げにつながっている可能性がある。余剰労働力が底をつき、賃金が上昇する「ルイスの転換点」に似た状況になってきたのだろうか。

厚労省の「賃金引上げ等の実態に関する調査」(※1)によると、2024年の1人当たり賃金の改定率は4.1%と、過去20年間で最も高い水準だった。この調査では、企業が賃金改定でどのような要素を重視したかも調べている(図表1)。賃金の原資は企業の収益であるとして、賃金改定では「企業の業績」を最も重視する企業の割合は2019年までは50%を超えていた。しかし、2024年には35.2%まで下がった。一方で、「雇用の維持」と「労働力の確保・定着」の合計は27.1%と、5年前から10.7ポイントも上昇した。「世間相場」の割合も上がっており、企業が賃上げにあたって、内的要素ではなく外的要素を重視する姿勢を着実に強めていることが見て取れる。

日本の生産年齢人口(1564歳)は1995年をピークに減少しているものの、働く女性と高齢者の増加によって就業者数はむしろ増加してきた。この女性と高齢者の労働参加が転機を迎えて、労働需給のタイト化が賃上げにつながっている可能性が考えられる。連想されるのが「ルイスの転換点」だ。

ルイスの転換点とは、一国の経済発展の過程で農村部から都市部への労働移動が進めば、農村部の余剰労働力が底をつく転換点を迎え、賃金上昇が始まるといったものだ。英国の経済学者アーサー・ルイス氏が提唱した。日本では1960年代に起きたとされる。

就業希望者、10年でほぼ半減

労働供給の判断するため、女性と高齢者の労働参加がどれくらい進んだのかを見ていこう。総務省の労働力調査を用いて、2013年と2023年で男女の就業率を比較した。男性は60歳以上で就業率が大幅に上昇している(図表2)。女性はどの年齢階級でも就業率が上がり、特に20代後半から30代にかけて就業率が低下する「M字カーブ」が解消してきたことが分かる(図表3)。女性と高齢者の労働参加が増えれば、新たに就業を希望する人の数は減る。実際に非労働力人口のうちの就業希望者は2023年時点で233万人と、10年前からほぼ半減した。

一方、企業の需要は強い。日本銀行が公表する「全国企業短期経済観測調査」(日銀短観)の20249月の雇用人員判断DI(「過剰」-「不足」)は全規模・全産業でマイナス36と、バブル期並みの水準にある。これらの指標から判断すると、転換点が近い可能性は十分に考えられよう。

医療・福祉を支える女性高齢者

これまで女性や高齢者の就労が増えてきた産業は今後、新たな打ち手が求められる。2013年と2023年を比較し、女性や高齢者の就業者がどの産業で増えたのかを見ていく。総務省の労働力調査によれば、女性の就業者は医療・福祉の増加数が特に多かった。就業者増加数を年齢階級ごとに見ると、65歳以上が最多だ。40歳未満の就業者数は減少しており、高齢者の介護などを高齢者自身が手がけている実態が見て取れる(図表4)。

卸売・小売業でも医療・福祉と同じように65歳以上で就業者が大幅に増えた(図表5)。宿泊・飲食サービス業は65歳以上と1524歳で就業者が増える一方、2544歳では減っている(図表6)。これらの業種では人手不足がさらに深刻化すると、いわゆる「人手不足倒産」が増える恐れがありそうだ。こうした事態に陥らないためにもM&Aで人材を確保する企業は増えてくるだろう。

「年収の壁」見直し、正社員化の視点を

深刻化する人手不足という難局打開に向けては、いま働いている人の意欲と能力をいかに引き出すかが重要になってくる。政策面で求められる対応の一つが、いわゆる「年収の壁」の解消だ。パートなど非正規で働く人が税や社会保険料の支払いを回避する目的で就業を抑制していると、かねて指摘されてきた。

現在、「壁」となる収入の基準引き上げが話題になっている。「壁」が高くなれば、パートなどで働く人の就業時間が増える効果が期待できる。一方で、働く意欲はあったとしても「壁」の内側にとどまるため、非正規で働き続けるという副作用が生じないか慎重に考えるべきだろう。女性は就業率が上がってきたものの、非正規で働く割合は依然として高い。意欲を持つ女性が正社員になることを後押しする視点が制度を検討する際、必要ではないか。

働く高齢者の能力を活かし、意欲を引き出すには、高齢期の社員の処遇見直しが求められていくだろう。役職定年や定年後の再雇用で給与が減って仕事へのやる気がそがれるといった問題への対応は欠かせない。ジョブ型へ移行するなら定年自体のあり方も再考すべき時が訪れそうだ。ここで重要なのは、高齢期の処遇見直しがシニア社員優遇になり、現役世代の意欲低下につながらないようにすることだ。年齢によって一律に線引きするのではなく、意欲あるシニアの能力をしっかり評価して処遇に反映する仕組みが重要になる。

<参考文献・資料>

(※1)厚生労働省「令和6年賃金引上げ等の実態に関する調査の概況」

https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/chingin/jittai/24/index.html

奥田 宏二 / Koji Okuda

主任研究員

大学卒業後、日本経済新聞社入社。経済部の記者として、コーポレートガバナンス・コードの制定や働き方改革、全世代型社会保障改革などを取材。金融や社会保障分野を長く担当した。フィンテックのスタートアップ企業を経て、2023年1月にデロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社に入社し、DTFAインスティテュートに参画。自治体の少子化・人口減少に関する分析や政策提案業務などに従事。

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