2023年4月に、政府は産業データ連携のイニシアティブ「ウラノス・エコシステム」の立ち上げを宣言した。これに伴い、車載バッテリーについて、温室効果ガス排出量を明示するカーボンフットプリントのデータを共有するプラットフォームが2024年5月に始動した。背景には欧州電池規則への対応があり、欧州ではGAIA-Xに関連した自動車業界のデータスペースCatena-Xが推進されている。経団連は10月に産業データスペース構築の促進に向けた提言を発表し、注目度が高まっている。規制対応に留まらない経済的なメリット創出、企業の対応力強化、国際協調など、議論すべき点は多い。2025年以降、官民連携によって産業の競争力強化に貢献するデータスペースの社会実装が進むことを期待する。
目次
ウラノス・エコシステム(Ouranos Ecosystem)とは
業界・企業内でデータを流通させるデータ連携基盤構想が欧州を中心に立ち上がっており、企業や組織間でデータ流通を行う経済空間を意味するデータスペースの取り組みが進む。経団連(日本経済団体連合会)も2024年10月15日に提言「産業データスペースの構築に向けて」を発表し、国内での注目度が高まっている。データスペースという用語は耳新しいが、企業をまたぐデータ連携という考え方は以前からある。しかし具体化は進んでおらず、社会実装の点では新たなチャレンジといえる。
図1:データスペースのイメージ
出典:独立行政法人情報処理推進機構(※1)
日本で始動したイニシアティブがウラノス・エコシステムであり、経済産業省(経産省)が「信頼性のある自由なデータ流通(DFFT:Data Free Flow with Trust)」という日本の政策テーマに基づいて推進する。2023年4月のG7群馬高崎デジタル・技術大臣会合で、西村経済産業大臣(当時)によってウラノス・エコシステムの立ち上げが宣言された。ウラノスとはギリシャ神話の天空の神の名前だが、偶然にもガイアの夫であることが国際会議で話題になったとも聞く。
産官学連携の推進体制であり、経産省所管のIPA(情報処理推進機構)内のデジタルアーキテクチャ・デザインセンター(DADC)、NEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)に加え、業界団体や企業、大学などが協業してアーキテクチャ設計やユースケースの実証、社会実装に取り組んでいる。
2024年11月現在では、「商流・金流のDX」と「人流・物流のDX」の2分野で研究や実証実験が行われている(※2)。もっとも具体化しているユースケースは、商流・金流の領域における車載バッテリーのカーボンフットプリント(CFP:Carbon Footprint of Products)のデータ連携・共有である。2024年2月には、自動車業界、自動車部品業界、車載蓄電池業界の企業・団体がサービス運営を担う法人として自動車・蓄電池トレーサビリティ推進センター(ABtC: Automotive and Battery Traceability Center)を設立し、同5月にバッテリートレーサビリティプラットフォームの提供を開始した。人流・物流の分野では、国土交通省やデジタル庁などを含め省庁横断的にドローン運行や自動運転の社会実装などを推進する政策「デジタルライフライン全国総合整備計画」を通じて、空間IDを活用した情報基盤開発などを進めている。
なお、データ連携のイニシアティブには、ウラノス・エコシステムの他にデジタル庁とデータ社会推進業議会(DSA)が推進するDATA-EXがある。DATA-EXは、政府のSIP(戦略的イノベーション創造プログラム)の成果である技術CADDEを活用し分野横断的データ連携を行うもので、大阪のスマートシティのデータ連携などに利用されている。IPAとDSAは2024年1月にデータスペース実装で協業すると発表しており、当面は2つのイニシアティブが目的や技術適性などに応じて推進される見込みだ。
GAIA-X、Catena-X など欧州のデータスペースの動向
データスペースが注目される背景を把握するために、欧州の動向を概観する。欧州は、米国のGAFAMや中国のBATといった巨大プラットフォーマーに対抗するためにGDPR(一般データ保護規則)を定め、データ所有者が制御や管理を行える「データ主権」の考え方を採用している。2016年にデータ共有の標準やルール策定を目的とする組織IDSA(International Data Space Association)が設立された。さらに、2019年には独仏両政府が、自律分散型の企業間データ連携の枠組みを推進するイニシアティブとしてGAIA-Xを立ち上げた。
GAIA-X関連でもっとも先行するのは自動車業界のデータスペースCatena-Xである。現在は、OEM、サプライヤー、素材メーカー、ITなどの業界から、米・中・日を含めた幅広い企業が参画している。2023年にはドイツのOEMやIT企業の共同出資により運用会社としてCofinity-Xが設立され、Catena-Xエコシステム参画への認証やアプリ提供などを行っている。
Catena-Xのユースケースとしては、図2の通り10分野が挙げられている。最も優先されているのが脱炭素および循環型経済だが、DMG森精機グループがドイツに設立した企業がMaaS(Manufacturing as a Service)や需給管理のプロジェクトに参画するなどの動きもみられる(※3)。
図2:Catena-Xユースケース概要
参考:Catena-X“Onboarding Guide: Initial Information for Large Enterprises”(※4)
Catena-Xが脱炭素と循環型経済にフォーカスする理由は、2023年8月発効の欧州電池規則との連動である。欧州電池規則では、EU域内で使用されるバッテリーを対象に、温室効果ガス(GHG)排出量、環境や人権のデューデリジェンス、原料の再資源化などについて、サプライチェーンをまたぐ規制対応と情報開示が求められる。サプライヤー、メーカー、リサイクル事業者などの間でこれらの情報を電子的に記録する仕組みをバッテリーパスポートと称する。2025年にはバッテリーのGHG排出量開示が義務化され、2027年からはバッテリーパスポートによる情報保存が義務化される見通しである。欧州電池規則の目的は、環境保護という重要な政策方針に合わせて域内での資源循環や製造を促進することである。CFPの算出は実測値の一次データを使用するよう定められており、理論値ベースでは測れない環境価値で市場からの評価を受けることになる。Catena-XではCFPのデータ交換が行われており、バッテリーパスポートの実装も進んでいくこととなる。
EUでは2024年7月に「持続可能な製品のためのエコデザイン規則」が施行されており、デジタル製品パスポート(DPP:Digital Product Passport)があらゆる製品に適用される見通しである。
産業別のデータスペース構築はCatena-Xだけでなく、上位概念となる製造業全体のデータ共有プロジェクトManufacturing-Xも立ち上がっている。ハノーバーメッセ2024では、Manufacturing-X傘下のサブプロジェクトとして始動した組立製造業向けのFactory-Xや航空宇宙業向けのAerospace-Xが紹介された(※5)。製造業以外でもフランスを中心とする農業・農産食品のデータ仲介プラットフォームAgdatahubや、ドイツ連邦経済・気候保護省が1,300万ユーロの資金援助を行った医療・ヘルスケア分野のHealth-Xなどがある。
図3:欧州の産業別データスペース
DTFAインスティテュート作成
ファーストユースケースとなる車載蓄電池のトレーサビリティ基盤サービス
日本企業は欧州電池規則への対応を迫られており、車載バッテリーでのユースケースの実装が進む。経産省 商務情報政策局 情報経済課 係長 鈴木翔氏は「欧州圏を中心に議論が進むGAIA-X、Catena-Xの動きを踏まえながら、サイバー空間とフィジカルのサプライチェーンの両面で日本企業が競争力を高めることを目指すには、我が国独自のイニシアティブとしてウラノス・エコシステムを発足させる政策的要請があった」と語る。ABtCの代表理事 藤原輝嘉氏は、「われわれの業界は大きな変革期にあり、デジタルの力を使って共通の課題を解決しようとしている。業界の活動とベクトルが合った取り組みとしてウラノス・エコシステムに出会った形だ」とコメントする。
経産省はプラットフォーム運営者に中立で安全性・信頼性を担保するための「公益デジタルプラットフォーム運営事業者」制度を創設し、ABtCは2024年9月にその第1号認定を取得した。主な活動は、車載バッテリーのCFPデータ共有のためのプラットフォーム提供、協調領域での取り組みの支援、海外データスペースとの連携である。
データ連携の実証実験には、自動車、自動車部品、車載蓄電池、ITの各業界から60社以上が参加した。OEMによるリードも奏功し、世界的に見ても大規模な社会実装の実績を上げている。
ABtCは、CFPに次いでデューデリジェンスのデータ連携を計画する。さらに、資源調達、製造、輸送、廃棄、リサイクルなど、自動車のライフサイクルを通じたGHG排出量を評価・分析するライフサイクルアセスメントの実証実験も行っている。ボトルネックの把握によってGHG排出量を削減できる製品開発などに繋げる狙いである。将来的には日本版バッテリーパスポートの実装も目指す。
バッテリートレーサビリティプラットフォームの開発元であるNTTデータ 第一インダストリ統括事業本部 自動車事業部 部長 松枝進介氏は「Catena-Xとシステム設計上の差異はあるが、データ所有者が交換相手や範囲を選択し安全に流通させることができる点は同じだ。そのためにブロックチェーン、暗号化、改ざん検知などの技術を使っている」としたうえで、データ主権の考え方は欧州と共通していると説明する。
産業データスペースの社会実装に向けた課題と展望
今後の社会に必要不可欠な脱炭素化や循環経済に関する取り組みは、企業個別に行うのでは実効性が不足しコストもかかるため、ウラノス・エコシステムに準拠した産業データスペースの活用が有効であると考える。しかし、超えるべきハードルも多い。課題と展望について、以下の3点を挙げる。
① 参加企業にとっての経済的なメリット創出
経産省の鈴木氏は「本来の目的は産業の競争力強化だが、2017年に『Connected Industries』のコンセプトを打ち出した時に、趣旨は賛同されてもデータは企業秘密に関わるとして議論がなかなか進まないケースが多かった。そのため、ウラノス・エコシステムは現実的なニーズがある欧州電池規則の領域で事例を作っている」という。データの提供や他社との協調には手間も費用も掛かるが、規制に対応するためであれば実施する動機が明確になる。製品の安全性や品質に関しては規則はつきものであり、自動車業界以外の産業でもデータ連携を実践する有効なドライバーになるだろう。
ただし、サプライチェーンのデータ連携により産業の競争力強化を目指す際には、参加企業にとってコンプライアンスコストに留まらず、ビジネス上のメリットが見込めるかどうかが重要なポイントになるだろう。具体的なメリットとしては、製品の環境性能向上による競争力向上、希少資源確保などサプライチェーン強化、循環型経済における新たなビジネスの創出、トレーサビリティ確立、人手不足が社会問題化している物流での協調などが想定される。ABtC理事の大川和宏氏は「これから協調領域と競争領域の整理と見極めを行っていく」という。各業界で、協調領域の合意とデータ活用によるユースケースの発掘を進めていく必要がある。
② 企業の対応力向上と政府・業界団体による機運の醸成
データ連携のエコシステムは、より多くの企業が参加することで利便性向上やコスト低減などのネットワーク効果が期待できる。Catena-Xでも中小企業の参画は課題の一つとなっている。日本のバッテリートレーサビリティプラットフォームは、中小企業の参入障壁を下げるため安価なアプリの提供などの対応を行っている。
多数の中小企業含め企業側がデータスペースに対応できるかは論点の一つである。日本企業はデータを自社で囲い込む傾向が強いとみられるほか、デジタル化の遅れによって適切なデータの管理や利活用を行う能力が低い面がある。NTTデータの松枝氏は「現実社会の情報共有は、ルールを決めてNDA(秘密保持契約)を締結し企業個別にデータのやり取りを行う。プラットフォームはデジタル上で、より安全かつ効率的で低コストに同等の役割を担い、データ流通において汎用的に展開できる」とコメントする。車載バッテリーの実績を横展開する際は、プラットフォーム活用を業務のデジタル化というDXと、社会課題解決に対応するGXをともに実現する手段と戦略的に位置付け、企業の対応力向上を図っていくことが望ましい。
また、データスペースの実装において、欧州はビジョン先行型、日本は足元の課題解決型という違いがあるが、GAIA-Xは全体像やコンセプトを描き、域内のみならずグローバルに敷衍することには長けている。データスペースは日本でまだ馴染みのない概念であるため、政府や業界団体などによる啓蒙活動と気運醸成によって、企業側の発想を転換させることも必要だろう。
③ 国際協調の推進
企業活動のグローバル化が進んでおり、データスペースは国際的な連携が不可欠である。IPAはCatena-Xと覚書を締結し、2024年末までに結論を出すことを目指し、相互運用の検証を行っている。データスペースの相互運用については今後国際的に検討が進められていくことになり、2025年から動きが加速していくと見込まれる。
日本政府はDFFTの提唱国として世界をリードすると表明している。DFFT具体化と、Society5.0実現に向け、データスペースを社会実装する重要性は高まっている。日本のプレゼンス向上と産業強化に資するルール形成を行うため、議論の中心に立つことは重要だろう。
製造業のサプライチェーンとの関係が深いASEANに積極的にアプローチしていく取り組みは有効ではないかと考える。石破首相は2024年10月にラオスを訪問しアジア・ゼロエミッション共同体(AZEC)首脳会合で脱炭素化の長期計画を策定し、ASEAN諸国との協力を進める方針を示した。ASEANの企業にとっても共通の課題となる環境規制対応での実績を作ることも有望であろう。官民協業により、国際的な協調と協創を推進していく必要がある。
<参考文献>
※1 独立行政法人情報処理推進機構 「データスペースの推進」
https://www.ipa.go.jp/digital/data/data-space.html
※2 経済産業省 Ouranos Ecosystem(ウラノス・エコシステム)
https://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/digital_architecture/ouranos.html
※3 経済産業省 デジタル時代のグローバルサプライチェーン高度化研究会 サプライチェーンデータ共有・連携ワーキンググループ 第2回資料(2022年12月)
※4 Catena-X ”Onboarding Guide:Initial Information for Large Enterprises” (2023年1月)
※5 ロボット革命・産業IoT イニシアティブ協議会「ハノーバーメッセ2024報告書 産業データスペースの動向とその背後で進む欧州のデータ戦略」(2024年7月)