デジタル政策へのいざない――サイバー新世界のガバナンス設計を
デジタル技術は、業態の壁を崩し、国境を易々と突破し、そして世界のあらゆる境界と既成概念を破壊しながらサイバー新世界を形成しつつある。ところが、これに対峙するための「ガバナンス論」はおろか、その礎となる「フィロソフィー」さえも暗中模索のさなかにある。今こそ、産官学ステークホルダーの英知を結集し、「デジタル政策」の確立を急ぐべきである――。谷脇 康彦 デジタル政策フォーラム 代表幹事と神薗 雅紀 デロイト トーマツ サイバー合同会社 執行役員による提言。(司会・構成=水野 博泰 DTFAインスティテュート 主席研究員)
司会 谷脇さんが代表幹事を務めるデジタル政策フォーラムは2024年7月19日、『デジタル政策の論点2024~デジタルガバナンスの未来』(紙書籍/Kindle版)を刊行しました。技術論、法制論、メディア論、社会論、教育論、文明論などを専門とする有識者12人との対論集で、濃密かつ骨太な内容に仕上がっています。この書籍を作ろうと思い立ったのは、どのような問題意識からですか。
「デジタル政策」とは何か? 開かれたフォーラムの場で議論
谷脇 2021年春のことです。総務省出身の仲間である中村伊知哉さん(iU学長)や菊池尚人さん(慶應義塾大学大学院 メディアデザイン研究科 特任教授)などといろいろ話すなかで、
「デジタルが世の中を大きく変えようとしているのに、産業界、学界、官界の境界を超えて議論できる場がほとんどない」
「組織を背負った建前発言でなく、個人として本音の意見を言える安心・安全な環境が必要だ」
「自由闊達な議論ができなければ、デジタルの変革スピードに追い付けない」
「我々の世代と次の世代が一緒になって新しいデジタル社会を創っていかなければならない」
「日本に閉じていてはダメ。世界と連携し、世界を先導する高い意識を持たなければ」
といった危機感が高まっていました。ならば、自分たちでそういう場を作ろうじゃないかということで意見が一致し、2021年9月にデジタル政策フォーラム(DPFJ : Digital Policy Forum Japan)を立ち上げました。折しもデジタル庁が発足したタイミングでした。
通信、コンピュータ、情報、ネットワーク、法学などの重鎮の方々が発起人として名を連ね、100人を超える多くの賛同者にフェローとして参画いただきました。議論を始めてみるとすぐに、デジタル政策として扱うべきテーマはかなり広範であること、切り口や論点が多種多様であること、そして、それぞれが複雑に絡み合っていることに気付きました。例えばサイバーセキュリティは、デジタル技術のコミュニティだけではなく、社会、政治、外交、軍事(安全保障)などの専門家も広く巻き込んでいかなければ議論が深まっていきません。フォーラムという開かれた「場」が果たす役割の重要性を改めて確信しました。
発足からの2年間、議論すべきアジェンダを定め、世の中の動きも見ながら公開カンファレンスを何度か開催し、必要なタイミングで提言を発信するといった活動を地道に積み重ねてきました。
そうした活動を通して、アジェンダごとのディスカッションリーダーを務めていただいている先生方おひとりおひとりの問題意識を今の時点でダイナミックに切り取ることで、「デジタル政策とは何か?」という問いに対する答えが見えてくるのではないかと感じました。デジタル政策とはどういうものなのか、どこからどこまでを含むのか、どのような論点があるのか、生の対話によってライブ感のある成果物として世に問えば、デジタル政策の輪郭を描くとともに、フォーラムの議論の輪をもっと広げることができるのではないか。その集大成が『デジタル政策の論点2024~デジタルガバナンスの未来』なのです。
司会 「デジタル政策」というものは、まだ明確に定義されていないのですね。
谷脇 「デジタル政策」というのは有りそうで無かった。海外の文献を読んでいても、「Digital Policy」という表現を最近ようやく見かけるようになってきました。おそらく我々と同じような問題意識を持っているのではないかと思います。
というのは、デジタル技術には二面性があります。新しいビジネスを創出する、もっと便利で有用なサービスを提供するという創造的な側面の裏側には必ず、既成の業態を仕切る壁をことごとく崩していく破壊的な側面が付いて回るのです。デジタル技術をガバナンスするためのデジタル政策を議論するためには、特定の狭い専門領域の知識だけでは太刀打ちできない。それこそ、技術論、法制論、メディア論、社会論、教育論、文明論といった様々な知を結集しなければ実のある成果を導き出せない。デジタル技術はアカデミズムが築いてきた専門領域の壁さえも壊そうとしているのです。
政策担当者はなおさらでしょう。既成の政策領域の壁を個々人の意欲と能力で乗り越えることは容易ではありません。私自身、電気通信分野の競争政策、産業政策、サイバーセキュリティなど様々な政策テーマに取り組んできましたが、これらを俯瞰して統一的に「デジタル政策」として捉えるにはどうすればよいかということになると未知の部分が多い。
ですから、「デジタル政策とは何か?」というゴールの定義が先にあるのではなくて、どのようなステークホルダーを集めて、どのようなフレームワークで議論していけば良いのかというアプローチの手法を組み立てていくことから始めなければならないのです。デジタル政策フォーラムがそのための実験場、つまり議論のプラットフォームを提供できればと思っています。
司会 デジタル技術は「Disruptive(破壊的)」であるということを前提に考えないと、「Creation(創造)」には至らないということですね。
谷脇 例えば「デジタルトランスフォーメーション(DX)」。米国と日本では意識が全く違います。端的に言えば、米国のDXは業態の壁を積極的に崩して新しいビジネスを創出することを目指しているのに対して、日本のDXは既存業務のコスト削減と効率化が目的になっている。日本の場合は企業も自治体も政府もアナログをデジタルに置き換える「デジタル化」の段階で足踏みしていて、デジタルによる価値創造を実現するトランスフォーメーションまで至っていない。
デジタル政策を議論する場合も同じです。旧来の議論の枠の中に収まったまま議論しても、そこから創り出されるものは限られます。従来の枠を越え、壁を壊すことをフォーラムは目指しています。
司会 戸惑いや軋轢もありそうですね。
谷脇 というよりも、異なる領域の議論を交差させる取り組みがこれまであまりにも少なかったのです。例えば外交・安全保障の専門家とサイバーセキュリティ技術の専門家。同じようなことを話していても使う用語が違う、発想も違うので嚙み合わない。外交の人にも技術的なことを分かってもらわなければならないし、逆も然り。「その分野は私にはよくわからない」といって放置しておくのでは新しい議論は生まれません。
司会 『デジタル政策の論点2024』は、各分野の第一線で活躍されている有識者12人へのインタビューを中心に構成されていますが、谷脇さん自身にとって新たな気づきはありましたか。
谷脇 例えば競争法の分野など、データという無形資産が中心になり限界費用ゼロという従来の制度が想定していなかった要素が大きな位置を占めてきている中、専門家の皆さんが「次のステップ」の検討を極めて具体的に進めていることが分かり、とても有益でした。また、各領域の議論を融合していくと、市場や社会、ひいては文明に対する価値観のようなものが議論の対立軸を生み出していることも理解できました。
そして、やはり議論のそれぞれが相互に関連し合っていて、全体を俯瞰することによって大きな絵、すなわちデジタル政策のカタチを描いていけることを再確認できました。これは大きな成果です。そして、これまで私も数多くのグローバルな議論に参加してきましたが、このデジタル政策の領域ではグローバルに議論を先導していくことができるのではないかという手応えを感じています。
デジタル政策で日本が世界をリードすべき
司会 神薗さん、サイバーセキュリティの観点からいかがでしょうか。
神薗 『デジタル政策の論点2024』を拝読して感じたことは、新しい政策について専門家が語っているものなのに、実は企業のサイバー担当、サイバーセキュリティ担当の方々にとっても貴重なヒントが詰まっているということです。
ようやくサイバーセキュリティが企業にとって重要な経営課題として認識されるようになってきましたが、企業の担当者からは「どうすれば良いのか?」という相談を受けることが少なくありません。アクティブサイバーディフェンス(能動的サイバー防御)のような国家安全保障上の方針変更に対して企業はどのように身構えれば良いのか、次々とレギュレーション等が制定される生成AIに対して世界各国はどのように対処しようとしているのか、といった内容です。
技術的な対処方法は調べれば分かるのですが、デジタル関連の政策や規制が今後どうなるのかについては予見性が低く、思い切ってチャレンジすることを躊躇してしまうという声も聞こえてきます。そうした意味で、デジタル政策の最新論点を集約したガイダンスとして企業にとっても学びが多いと思います。
司会 サイバーセキュリティというと、内に内へと閉じてしまう傾向があるように想像しますが、逆にオープンに多方面と繋がっていかなければならないのでしょうか。
神薗 そうですね。サイバーセキュリティの世界では、技術をオープンしても攻撃や脅威から保護できるような設計を行います。しかし、技術をオープンにするだけではなく、さらにこういう標準に則ってこのレベルまで対応していますというように、ある程度の透明性を担保しないと海外と連携できない、繋がらない、制度面の保護を受けられない、政策にも注文を付けられない、といったデメリットを被ることになってしまいます。そのため、共通の基準・仕様に則り、セキュリティレベルも担保することでインターオペラビリティ(相互運用性)を確保する流れが強く出てきました。このような流れは素晴らしいことだと思います。
課題としては、こうした変化は往々にして欧米からもたらされ、日本は後追いで規格や標準化に追従してインターオペラビリティを確保していることです。日本としても政策的なリーダーシップを発揮すべきではないかと感じています。
デジタルで消失する「官と民の境界線」
司会 デジタル政策という観点から、日本はどのようなステージにあるのでしょうか。
谷脇 残念ながら、戦略的なデジタル政策の推進という面では成果が出ていない。技術論的なアーキテクチャーに閉じていて、社会とのインターラクションの中で新しい政策を生み出していくという政策のダイナミズムがもう一つ見えていないように思います。
デジタル庁を作ったのは良いのですが情報システムの構築やアプリ開発など実際に手を動かす方面に力が注がれています。デジタル庁の前身は内閣官房IT室ですが、そこではデジタル政策の司令塔として俯瞰的な絵を描き、その中に位置付けられる具体的な政策を各省庁に出してくるよう指示し、政策の肉付けをしていくプロセスが充実していました。しかし、現在のデジタル庁の動きを見ていると、こうした政策面での動きが弱い。特にデジタル政策、とりわけデータ戦略という国家戦略をリードオフするという積極さが見られないのは残念です。
神薗 「政策」というのは、私のような技術者からすると、縁遠くて、近寄りがたく、触れてはいけないもののようなイメージがあります。それは「官」の人たちがやってくれるものというような一種の甘えもあったのかもしれません。でも、『デジタル政策の論点2024』を読んで、特にデジタル政策に関しては官任せにせず、我々技術者も議論に参加して発言し政策・戦略づくりに貢献していかなければ、時流の速さにとても追いつけないと痛感しました。
谷脇 官と民の境界線は非常に曖昧になってきていると思います。ケインズ経済学の「ハーヴェイロードの前提」(経済政策の立案・執行において政府は民間よりも優れているという仮説)は、デジタルエコノミーの中では完全に崩れています。情報(データ)については民間事業者が膨大な量を収集・蓄積・分析しています。圧倒的な情報優位性を持つ官が政策をつくり、はるかに劣後する民を誘導するという構図はもはや時代遅れです。官と民が役割を分担し、協力して課題に対処することが求められています。その意味では民の政策提案能力も問われています。
欧米では民間シンクタンクによる政策提言がたくさん行われており、その中から深みのある政策が展開されています。日本でもデジタル政策フォーラムはもとより他のシンクタンクや政策グループとの連携を図りつつ政策の厚みを増していく、そして政策立案の面で官民の新しい連携、互恵関係というものが醸成されていくのではないかと思います。
神薗 政策立案、ルール形成に民間ももっと積極的に参画していく。それによってデジタル経済が活性化し、企業も潤うという好循環を作っていくべきですね。過去にはそういったことが裏側、水面下で行われることへの懸念がありましたが、表側で、オープンに、正々堂々と官民が連携していけるモデルを構築したいですね。デジタル政策フォーラムで、そういった大きなビジョンについて構想できると良いと思います。
谷脇 霞が関は日本で最も優れた政策シンクタンクだと言われてきました。しかし、その状況は大きく変わりつつあります。広範で複雑な政策課題に対して柔軟に対応していくためには、課題解決の新しい形を作り上げていくことが必要です。また日本のデジタル政策に関連する多様な知のネットワーク化を図る努力をしていくことも重要です。デジタル政策フォーラムがそういう流れを作っていく一つのきっかけになりたいと考えています。直近では、AIガバナンス策定に向けたプロジェクトを始動しました。
デジタルルール形成でEU躍進、人口減ニッポンの活路はどこに?
司会 EU(欧州連合)のルール形成パワーが大変注目されていますが、『The Brussels Effect』(Anu Bradford著、邦訳版は『ブリュッセル効果 EUの覇権戦略:いかに世界を支配しているのか』)を読むと、EU発足(1993年)当初、EU官僚たちはEUの先行きに強い危機感を抱いていたということが最初に書いてあります。30年という時を経て、約4億5000万人という人口を背景としたマーケットパワーを政策的な武器とする仕組みを作り上げました。一方、米国の人口は約3億3000万人、中国とインドはそれぞれ約14億人です。人口減少が始まっている日本のデジタル政策はどこに活路を開くべきでしょうか。
谷脇 「戦略的連携(strategic partnership)」だと思います。日本単独の市場パワーは相対的に低下していきますが、日本という国の制度的安定性や信頼性を活かし、同志国(like minded countries)を増やし、主義主張の異なる国とも対話の継続に汗を流すコネクターとしての役割を果たしていくことが必要です。
例えばASEAN(東南アジア諸国連合)加盟10カ国の総人口は約6億8000万人で、さらに伸びています。デジタル活用で経済発展にさらに弾みがつくでしょう。近隣の友好国として、日本がASEANと積極的にデジタル連携して経済的な紐帯関係をさらに深めていくことが必要なのは明らかです。
もう一つ、マーケット(市場)に対してどれくらい信認を置くかということが重要な論点です。1980年以降、新自由主義の流れの中で、市場メカニズムを最大限重視する構造改革を日本は厳しく迫られました。これは制度改革に抵抗する勢力に対抗し、日本の市場の近代化を図る上で大きな効果がありました。しかし、データ中心の無形資産型市場においては市場の失敗は当然に起こり得ます。そこで市場支配力の濫用を防止するためのメカニズムを予め制度の中に組み込むなど、修正資本主義の考え方を取り入れていくことが必要です。
繰り返しになりますが、データ駆動型のデジタル市場は従来のモノやサービスの市場とは大きく異なる挙動を示します。端的に言えば、ネットワーク効果等を通じて巨大プラットフォーム事業者による寡占・独占構造を招きやすい。最近注目されている生成AI関係も主たるプレーヤーは巨大プラットフォーマーです。デジタル市場における競争政策の在り方を抜本的に見直す必要があります。
神薗 日本としての「骨太な考え方」を確立することが大切だと思います。時々の情勢を見て、欧州や米国の方針・動向を見つつも、日本はこう考える、こういうことを目指す、という大きなビジョンを描いて、世界に提示すべきだと思います。
国境なきデジタル競争、日本の良さと強みを活かして挑め
司会 「デジタル政策と国益」というテーゼが浮かび上がってくるように思います。
谷脇 かつて「日本の国際競争力を強化せよ」という議論がありました。しかし、そこで日本企業のグローバル市場におけるシェアの推移を見てもあまり意味はありません。なぜなら、市場シェアは市場競争の結果であって、潜在的な国際競争力の指標にはなり得ないからです。また、そもそも「日本企業」とは何かという議論にもなります。日本の市場がどれだけ魅力的で海外資金を呼び込めるか、新しい新規ビジネスがどれだけ育っているか、そういう話であれば国際競争力の話として理解できます。冷静な議論が求められます。
サイバー空間には国境がありません。業態の壁を含め、デジタル技術はあらゆる境界線を崩しつつあります。境界線のない世界での競争とはいかなるものか、国という単位はその空間においてどのような意味を持つのか、という根本的な問いが突き付けられているのです。
神薗 日本の良さを活かすことが、結果として国益につながっていくと思います。アジア圏のサイバー研究者と議論していると、特に”機微情報“やそれらを扱う場合には日本のサービスを使いたい、日本のサーバーに置きたいという声を聞くことが多々あります。日本が中立的で安心・安全な国だと思われているからです。これは誇るべきブランド力です。日本の良さや強みをしっかり認識してデジタル政策にビルトインし、積極的にレギュレーションやガイドラインを策定することでサイバー新世界のガバナンスを提示できれば、他国からの共感を獲得し、連携を拡大していけるのではないかと思います。
司会 デジタル政策の黎明を見たように思います。ありがとうございました。
谷脇 康彦/Yasuhiko Taniwaki
デジタル政策フォーラム 代表幹事
インターネットイニシアティブ(IIJ) 取締役副社長執行役員
1984年郵政省(現総務省)入省。内閣審議官・内閣サイバーセキュリティセンター(NISC)副センター長、総務省情報通信国際戦略局長、政策統括官(情報セキュリティ担当)、総合通信基盤局長、総務審議官などを経て2021年総務省退官。2022年よりインターネットイニシアティブ取締役副社長。慶応義塾大学院メディアデザイン研究科特別招聘教授(非常勤)。著書に、「教養としてのインターネット論」(2023年、日経BP)、「サイバーセキュリティ」(2018年、岩波新書)、「ミッシングリンク」(2012年、東洋経済新報社)、「インターネットは誰のものか」(2007年、日経BP)など。
神薗 雅紀/Masaki Kamizono
デロイト トーマツ サイバー合同会社 執行役員 CTO 兼 サイバーセキュリティ先端研究所 所長
デロイト トーマツ グループ イノベーション担当執行管理者
デロイト トーマツ サイバー合同会社所属。大学時代に国立研究開発法人情報通信研究機構(NICT)と共同研究に従事。2005年より大手ITメーカーにてインフラ専門SEとして、大規模システムの提案から設計・構築・運用に至るまで経験。2009年よりセキュリティ専門会社に入社し、サイバーセキュリティに関する製品開発や多数の大規模国家プロジェクトの研究員およびプロジェクトマネージャーを担当。同時に、緊急時のインシデントレスポンス対応も行う。また、国内外のセキュリティカンファレンスにて広く研究発表も行う。2015年より研究所を率いて新たなコア技術の研究開発や、サイバー攻撃の分析に従事。開発したソリューションのデリバリーや緊急時のインシデントレスポンス、インシデント検証委員なども担当。総務大臣奨励賞を受賞。