2024年8月、南半球のタンゴ発祥の地、アルゼンチンから約30時間の長旅を経て、アルゼンチン青少年交響楽団が来日しました。この楽団は、困難な環境で育ったアルゼンチンの青少年たちで構成されています。


本公演は、タンゴを中心とする演目で構成され、彼らの音楽に対する情熱や、演奏することの喜びに満ち溢れていました。


アルゼンチン青少年交響楽団を日本に招き、来日公演の総合プロデューサーを務めたソプラノ歌手の田中彩子氏に、この活動への思いを伺いました。

アルゼンチン青少年交響楽団の招待・来日公演を振り返って

アルゼンチン青少年交響楽団の来日公演を無事に終えられた今の率直な気持ちをお聞かせいだけますか。

今回のプロジェクトを考え、実現するまでに5年費やしました。その間、新型コロナウィルスの流行など色々なことがあり、時には後向きな気持ちになることもありました。しかし公演を無事に開催できた今、自分が「やりたい」「すべきだ」という想いを貫徹したことに間違いはなかった、嬉しく思っています。

それと同時に、アルゼンチンの青少年達にとって、今回のプロジェクトは私の考える以上に大きなことだったようです。公演が終わり、アルゼンチンへ帰国した今でも、青少年達から「人生を変えてくれた出来事だった」というようなメッセージをたくさん頂いています。今回の来日公演は青少年たちの今後の人生の支えになると思います。

プロデューサー田中さんにとっても、青少年達にとっても印象的で大きな出来事だったのですね。

アルゼンチンと日本は遠く離れていることもあり、青少年達が日本へ行くということに対し、その関心や感情が未知数で、実は何も感じないのではないか、という心配すらありました。しかし実際は、「日本に来られたのが夢のよう」と言ってくれ、今回のプロジェクトが彼らの人生に大きな影響を与えたことを実感し、とても嬉しかったです。 

また、短い日本滞在中に、日本の子供たちとサッカー交流もしました。参加者から「普段は地球の反対側に住んでいるけれど、今この一瞬を一緒に過ごすことができたことが記憶に残った」という感想をもらいました。ほんの数時間であったとしても子供たちの人生にとっては忘れられない大きな出来事になったと感じました。 

集合写真

初来日公演を振り返ってみて、いかがでしょうか。

当日は、観客の皆さまがどう感じるのかとても気になりました。いつも、私が舞台に立ち、失敗すれば私自身が悔いることで終わってしまいますが、今回の公演では、青少年達の演奏を見守ることしかできない立場でした。私は彼らが素晴らしい演奏をしてくれると信じているけれども、実際の舞台の上では何が起こるかわからない。そのような中で、彼らは素晴らしい演奏をし、また観客の皆さまから想像を超える大拍手、スタンディングオベーションをいただきました。それを見のプロジェクトをやってよかったと思うと同時に、観に来てくださった方の心に何か残れば嬉しいと思いました。 

演奏後の舞台上

アルゼンチンの青少年達が抱く音楽や夢に対する熱い想いと日本への招待 

田中さんが、今回、アルゼンチン青少年交響楽団を日本に招待したいと思われたきっかけはどのようなことだったのでしょうか。

以前、元国連紛争調停官の島田久仁彦さんという方とお会いしました。島田さんは『最後の交渉人』と呼ばれている方で、紛争地域に出向き国際紛争を調停するという仕事をされてきました。紛争地域では、ぬいぐるみが爆弾として使用され、子どもたちにとってぬいぐるみは人の命を奪うもの、という印象になっています。島田さんは、紛争地域に出向き、子どもたちに「ぬいぐるみは本来かわいいもの」ということを伝えるために、ぬいぐるみを配っているそうで、その話を聞いて感銘を受け、自分も何かしたいなと思っていた矢先、アルゼンチンへ行く機会がありました。

昔からヨーロッパの音楽シーズンが休み時期には、南半球のブエノスアイレス演奏旅行に出かけることがステータスとされています。私が最初にアルゼンチンを訪れたのもそのためです。 

アルゼンチンを訪れた際スラム街の子ども達が、壊れかけた家に住みながらバイオリンを弾いている姿を目の当たりにしました。その光景に、私は希望計り知れないを感じました。そのような厳しい環境生まれ育ちながら音楽家として活躍している青少年達が所属しているのがアルゼンチン青少年交響楽団あることを知ったのは10年程前のことです。彼らと出会い、彼らを知るほど、音楽や夢にかける熱い想いを感じました。そして日本の子ども達にもアルゼンチン青少年交響楽団の音楽を届け、夢を諦めず、「私もできるかもしれない」という希望抱いてもらいたいと考え、今回のプロジェクトにつながる活動を始めました。

音楽家として子どもたちに伝えたい「自分の可能性を信じる力 

田中さんは、今回のプロジェクトの他にもSCL国際青少年音楽祭に出演されるなど、青少年演奏者の支援や、いわゆる社会貢献活動と呼ばれる活動に積極的に取り組まれている印象があります。どのようなことがきっかけで、そのような活動に取り組まれているのでしょうか。

自分がソプラノ歌手になったきっかけが影響しています。私は3歳からピアノを習い、当然のように、将来は音楽家になろうと思っていました。それが、高校2年生頃になると、自分の手がとても小さく、その影響で弾きたい曲を思うように弾けないということに対し、すごくフラストレーションを感じるようになっていたのです。 

そんな状況で音楽大学へ進学したところでプロにはなれないと思う一方、音楽以外の大学へ進学する気持ちにもなれず、将来について考えていた時に、ある方から「歌だったら楽器を買う必要もないし、すぐに始められるから始めてみたら?」と言われました。当時、歌に興味はなく、「すぐに始められるならやってみようかな」くらいの気持ちで歌を始めた頃、ウィーンから帰国したばかりの先生に聴いていただく機会がありました。先生の前で声を出したところ、先生から「非常に珍しい声の持ち主です」と言われ、そんなに珍しいのであれば、自分がプロになる勝算はあるかもしれないと思い、本格的に歌を始めました。 

そのような感じで始めた歌なので、「小さい頃から歌が大好きで、オペラ歌手になるのが夢でした」という子ではなく、自分がプロを目指せる場所が歌だったから歌をやっています、という子でした。ただ、歌を始めるとトントン拍子で留学が決まり、その頃には、音楽を「プロとして食べていくための職業」と考えていました。留学後、非常にラッキーなことにデビューでき、今に至ります。 

私はもともと人前に出たがるタイプではありませんでしたが、今では何百人もの観客を前に、一人で舞台に立ち、歌を歌っていることがとても不思議です。 

歌の世界は厳しく、プロとして生活していける人はほんの一握りです。もっと言えば、私よりもっと幼い頃から歌手に憧れ、もっと上手な人もたくさんいるかもしれません。そんな中で、歌うこと以外にも自分がやるべきことがあるのではないかと強く思い始めました。 

音楽家の世界では偉大な音楽家を家族に持つサラブレッドが非常に多いです。そのような中で、私は普通の家庭に生まれ、普通の高校に進学し、全くの普通の子でしたが、今プロとして音楽活動ができています。この経歴もあり、私がテレビなどのメディアに出演すると、子ども達や青少年達から相談のメッセージをいただくことがありました。メディアを通して私を見ることで、もしかしたら、子ども達は自分自身の可能性を信じるきっかけを得ているのかもしれないと感じるようになり、より発言できる場所を増やしたいと思うようになったことが大きなきっかけの一つです。 

インタビュー風景

芸術とビジネスが融合した世界へ 

田中さんにとっても、ご自身の音楽活動とは異なるプロジェクトを手掛けること、新たに見える世界があるのではないでしょうか?  

やはり、周囲の動きを理解せずに準備された舞台に出て一人歌うということは、私にとってはもったいない、何か違うなという感覚がありました。私は、自分の公演のためにどれほど多くの人がどれほどの労力をかけ動いてくれたのかを知りたいと思っていました。それを知ることで、舞台に立って歌うのは自分一人であっても、チーム全員で作り上げた作品として、より頑張ろうと思えます。 

私は、「与えられた仕事をこなしているだけ」みたいな感覚でコンサートを終えたくないと思っています。例え同じプログラムでも、場所が変われば私のいも変わりますし、観に来る方のいも変わります。そのことを自分自身、意識することで毎回フレッシュな気持ちでいられます。以前は本当に一部しか見えていなかった部分が、今では広い角度から見えるようになり、楽しくもあります。 

クラシックや音楽家という単語のみ聞くと、遠い世界のように聞こえますが、田中さんがお話されたように、実際には公演が開かれるには多くの、いわゆるビジネスパーソンと呼ばれる方も関係しているかと思います。日本ではビジネスパーソンへのクラシック音楽の浸透度高いとは言えないと感じるのですが、この点、田中さんはどのように感じられますか。

ビジネスパーソンこそ、クリエイティブな考えや柔軟な考えが必要だと思います。音楽家をはじめ、芸術家は人生をかけて、クリエイティビティと情熱をもち、新しいことを模索しています。最近、イノベーションという言葉をよく耳にしますが、それも芸術家の活動に凝縮されています。何百年という歴史において、芸術家はイノベーションを起こし続け、現代までその芸術を残し続けています。その意味で、芸術家、そして芸術はビジネスパーソンに新しい発想等をもたらす可能性があり、芸術家から学ぶこともあるはずです。 

ビジネスパーソンが、クリエイティビティやイノベーションを学ぼうとした際に、効率的で近道となる一つの手段は芸術、音楽に触れることだと思います。音楽はビジネスパーソンにとって必要なものであるにもかかわらず、現段階では分断されています。

クラシック音楽は趣味の一つと捉えられることがありますが、そうではなく一番仲良くしなければならないものではないでしょうか。音楽家はもっとビジネスを学ぶ必要がありますし、ビジネスパーソンは音楽を学ぶ・音楽に興味をもつ必要があると思います。

ビジネスと音楽、芸術は表裏一体の関係にあり、お互いに手を取り合って二つの世界を融合し、大きくしていかなければ、今後何も広がらないと感じています。海外のビジネススクールでは、芸術関係の授業を積極的に取り入れています。日本も芸術の重要性をより意識し、芸術を身近に感じる世の中になればいいな、と考えています。

ラグランジュポイント 

可能性を無限にもち、これからの未来を担う子どもたちが、そのバックグラウンドなどを理由に体験機会を逸するようなことがあってはいけない。それは誰もが思うことです。また、大人にとっても、人類の長い歴史の中で文化発展に寄与してきた芸術に対し、より興味を持ち、理解を深めることは未来を考える上でも重要な意味を持ちます。 

デロイト トーマツの経営理念の中には“Fairness to society​”、“Talent of people​”が含まれており、経済社会の構成を守り発展に寄与すること、および各人の個性を尊重し能力を発揮できる生きがいのある場を創り出すことをミッションの一つと捉えています。 

われわれは本プロジェクトが「子どもの体験格差」解消の一助となるために協賛を行い、他の企業や団体と共にプロジェクト全体の推進サポートを行いました。今後も、デロイト トーマツが持つ、プロジェクト推進に関する知見や経験、財務・会計などのプロフェッショナルサービス、文化芸術に関する知見等を活用し、日本の未来を担う子どもたちや、芸術活動を対象とした社会価値の創出を支援してまいります。